「届かない想い」
黒い瘴気が王宮を覆う。
床が軋み、壁に亀裂が走る。
まるで王宮そのものが悲鳴を上げているようだった。
「お姉ちゃん」
玉座の前に立つ美優が笑う。
だがその笑みは歪んでいた。
涙を流しながら笑っている。
「私だけのものになって」
その言葉にフィラは息を呑んだ。
「美優……」
理解できない。
本当に分からない。
どうしてそんなことを言うのか。
どうしてそこまで苦しそうなのか。
どうしてそこまで怒っているのか。
何一つ分からなかった。
『ほら』
美優にだけ聞こえる声。
『あの女は分かっていない』
『お前の気持ちを理解しない』
『理解しようともしない』
黒い瘴気が膨れ上がる。
「黙って!」
美優が叫んだ。
次の瞬間。
無数の黒い槍が生み出される。
「フィラ!」
サイラスが叫ぶ。
同時にヴァルドが前へ出た。
剣が閃く。
黒い槍が次々と砕け散る。
だが終わらない。
次から次へと現れる。
「下がれ」
ヴァルドが低く告げる。
「でも」
「下がれ」
強い口調。
だがフィラは首を振った。
「嫌」
ヴァルドが小さく眉を寄せる。
こうなるとフィラは聞かない。
よく知っていた。
サイラスもまた前へ出る。
飛来する瘴気の刃を剣で叩き落とした。
「ミユ様!」
叫ぶ。
「もうやめてください!」
だが。
美優は見向きもしない。
視線はずっとフィラだけを追っていた。
「邪魔」
黒い衝撃が放たれる。
サイラスは咄嗟に剣を構えた。
受け止める。
だが重い。
「ぐっ……!」
押し負けそうになる。
そこへヴァルドが割り込んだ。
瘴気を斬り裂く。
「余所見をするな」
「……申し訳ありません」
「死ぬぞ」
短い言葉。
だがサイラスは苦笑した。
その通りだった。
目の前の相手はもう人間の領域ではない。
それでも。
サイラスは美優から目を逸らせなかった。
かつて憧れた人。
王国を救った聖女。
その面影がまだ残っているから。
一方。
フィラはただ美優を見つめていた。
「美優」
呼ぶ。
昔と同じように。
妹の名を。
その瞬間。
美優の身体が僅かに震えた。
「……っ」
だがすぐに瘴気が吹き荒れる。
『聞くな』
声が囁く。
『騙されるな』
『あの女はお前のものにならない』
美優は頭を押さえた。
「違う……」
『違わない』
「違う!」
涙が零れる。
フィラには何が起きているのか分からない。
ただ苦しんでいることだけは分かった。
「美優」
一歩前へ出る。
「来ないで!!」
轟音。
床が砕ける。
黒い腕が無数に現れフィラへ襲い掛かった。
だが。
その全てをヴァルドとサイラスが迎え撃つ。
剣が閃く。
瘴気が散る。
衝撃で広間が揺れる。
それでも。
フィラは美優から目を逸らさなかった。
「どうして……」
ぽつりと呟く。
「どうしてこんなことをするの?」
美優が目を見開く。
「分からない」
フィラは首を振った。
「私には分からない」
正直な言葉だった。
「どうしてそんなに苦しいのか」
「どうしてそんなに怒っているのか」
「どうしてそんなことを言うのか」
本当に分からない。
だからこそ。
ずっと聞きたかった。
「でも」
フィラはもう一歩前へ出た。
ヴァルドが止めようとする。
だが止まらない。
「美優を放っておけない」
静かな声。
その言葉に。
美優の瞳が大きく揺れた。
怒り。
悲しみ。
喜び。
絶望。
様々な感情が混ざり合う。
『騙されるな』
声が囁く。
『その女はお前を選ばない』
『永遠に』
美優が震える。
涙が零れる。
そして。
ゆっくりとフィラへ手を伸ばした。
「お姉ちゃん……」
掠れた声。
まるで迷子の子供のようだった。
「だったらどうして……」
涙が頬を伝う。
「どうして私だけを見てくれないの……?」
フィラは息を呑む。
だが。
その問いに答えるより早く。
黒い瘴気が再び爆発するように膨れ上がった。
王宮全体が激しく揺れる。
そして。
誰にも聞こえないはずの笑い声が。
どこからともなく響いた気がした。




