第8話:破るものと絆
黒翼竜が咆哮と共に、空を切り裂いた。
その背に跨るのは――カルザニア連邦軍事院《黒槍団》の副将、ヴォルテス。
「よく見ていろ、侯爵令嬢。これが“本物の力”というものだ!」
風を切って竜が突進する。
その翼には、物理と魔法の両方を遮断する「暗黒膜」が展開されていた。
並の術では貫けない。
「タカシ、目を閉じて」
「了解」
アステリアの言葉に従い、タカシは剣を逆手に構えて目を伏せる。
瞬間、彼の背後から風が炸裂した。
「《反射結界・万彩陣》!」
少女の唱えた術は、七色の光を放つ魔法陣として広がり、黒竜のブレスを“折り返す”ように跳ね返す。
その一撃が、空を裂いた。
しかし――。
「……やるな、小娘」
ヴォルテスは口元を歪め、竜の咆哮で再び上空へと退いた。
「だが、貴様らでは此奴を制御しきれん。ナイト・ウィルムは――人を喰らって育つ!」
黒竜の体が、ぶくぶくと膨張していく。
怒りと狂気が、魔素となって空気を濁らせる。
「駄目だ、アステリア。今のままじゃ、押し切られる。退くぞ」
「タカシ」
「……?」
「“あの契約”、まだ覚えてる?」
彼女の瞳が、鋭く光を宿す。
タカシは一瞬だけ黙し――そして、静かに頷いた。
「俺の魔力を、全部使っても構わない。やれ、アステリア」
「……了解。じゃあ、命貸して」
アステリアは両手を組み合わせ、詠唱に入る。
補足設定:契約魔法【ミュネ・カルタ】
契約魔法とは――。
本来、命の繋がりを代償に行う古代魔術の系譜。
契約者同士が“魂の誓約”を交わすことで、一方が他方の全魔力・命脈を引き出して使用できる。
発動条件は双方の同意、信頼による絶対服従そして肉体的接触。
契約解除には一方の死が必要であり、契約中の者は他者との婚姻・契約不可となる。
――アステリアとタカシは、幼少期のある事件でこの“命の契約”を交わしていた。
「第三契約・深淵の環……」
彼女の指が、タカシの胸元の紋章へ触れた瞬間。
風が止み、空が震える。
研究所全体が、魔力の奔流に包まれた。
それは、黒竜ですら恐怖に怯える支配の波動だ。
「来なさい、ナイト・ウィルム」
アステリアの声は、低く、しかし澄んでいた。
「契約者の名において命ずる。汝、その狂気を鎮め、牙を畳み、我が影となれ――」
魔法陣が、黒竜の足元に浮かぶ。
それは強制契約陣だった。
魂の器を無理やり塗り替え、魔獣を主従契約に引きずり込む禁術。
「まさか……竜種に、強制契約だと!?」
ヴォルテスが悲鳴のように叫ぶ。
黒翼竜が、空でよろける。
そして――
「――御命令、承った」
竜の双眸から、闇が抜け、深緑の静けさが戻っていた。
「そんな……」
ヴォルテスは呻いた。
軍が十年かけて育てた竜が、一瞬で奪われた。国家の損失どころではない。
タカシは、そのまま膝をついた。
全魔力を供出した代償は大きく、指先が震えていた。
「タカシ……」
「大丈夫。アステリアが、呼んでくれたから」
アステリアが彼の額にそっと手を添える。
彼女の掌から、穏やかな癒しの魔力が流れ込んだ。
――2人の絆。
それは幼い頃の小さな約束から始まったものである。
だが、その力は今や国家の命運さえも左右するものとなった。
そして、地に落ちたヴォルテスを拘束したアステリアは、静かに告げる。
「貴方の行いは、カルザニアとリフローダの盟約を完全に破る行為。帰国を望むなら、正当な外交裁判を受けることです」
風が止む。
砂は、ただ静かに地に落ちていた。
◇◇その昔、幼き日の誓い
リフローダ王国・フォースター侯爵家の離れ屋敷。
その庭には、まだ幼さを残した二人の子供がいた。
「――アステリア様、泣かないで」
黒髪の少年が、丸っこい少女の前にしゃがみ込む。
少女の水色の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「だって……、みんな、わたくしのこと、『転生者の化け物』って……言うのよ」
アステリア・フォースター。
天才と呼ばれ、五歳で王国法典を暗唱し、七歳で国政に影響を与え始めた少女。
だが、その異常な知識と才能は――「神の祝福」ではなく、「魂の異質性」ゆえのものだった。
それを、彼女自身が知っていた。
「……前の世界で、わたくし、死んだの。確かに死んだのよ」
「うん。知ってる」
少年の返事はあまりにあっさりしていた。
「え?」
「オレも、そうだから」
アステリアは目を見張る。
「でもさ。今ここにいるのは、『アステリア』でしょ? だったら、それでいいじゃん」
風が、庭の木の葉を揺らす。
タカシの目は、どこまでも澄んでいた。
「だからさ、俺と契約しよう」
「け、けいやく?」
「うん。オレがアステリアを守る。どんなにアステリアが嫌いになっても、怖くなっても――オレは、絶対に見捨てない。だから、アステリアもオレのことを忘れないで」
その手には、小さなナイフ。
子供用の木製の、魔力を帯びない玩具のようなもの。
アステリアの指先に、タカシが小さな切り傷をつける。
そして、自分の指も。
ふたつの指先が重なり、血が混じる。
「契約魔法・初等式――魂の輪」
輝きが走る。
二人の手の間に、小さな光の輪が現れた。
それは、正式な契約ではなく、模倣に過ぎない。
だが、意思と意思が交わったその瞬間――。
第三契約が芽吹く、土壌が育ち始めた。
アステリアは、くすりと笑う。
「……変な子。でも、ちょっと、好きかも」
「ちょっとかよ」
二人の契約は、冗談のようでいて、確かな力の礎となっていく。
それが、やがて国家をも守る契約魔法となるとは――この時の彼らはまだ、知らない。
Q:魔法の名前が覚えられません
A :適当に読み流してください
お読みくださいまして、感謝です!




