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44.魔の森①

 レーベルク男爵領・後宮御殿の大広間。


 もともとは貴婦人や要人との謁見のために設えられた空間らしく、壁には色鮮やかなタペストリーが飾られ、花器からはふわりと上品な香りが漂っている。


 ──どこまでも優美で、徹底して“女性的”なしつらえ。


 その中央に置かれた堂々たる会議卓を、エレノアは静かに見渡した。


 席に並ぶのは十三名。


 この広間の主である“旦那様”ユーリを筆頭に、リーゼロッテ、オフィーリア、アイナ、クロエ、フィオナ、ロザリー、アメリア――後宮ハーレムの面々。


 そして、エレノア自身を含む《夕凪亭》の来訪組――イレーナ、ローラ、シル、メルリナ。


 飾り気のない鎧姿の自分だけが、この空間のなかで妙に浮いているような……そんな居心地の悪さを、エレノアはひしひしと感じていた。


(いや、気のせいじゃないよね。完全に場違い……)


 ちなみに先ほどまでここにいた、ユーリを出迎えていた元淑妃セリーヌは、元イシュリアス辺境女伯であるリリアーナとともに執務に戻っていった。


(はぁ……ほんとに来ちゃった。

 魔の森の魔獣討伐なんて、ムリに決まってるじゃん……!)


 心の中で盛大に白旗を振りながらも、視線だけは会議卓に向けていたエレノア。


 その向こう側から、ふわりと香ってくる紅茶の匂い。


 そして――


 余裕たっぷりに紅茶をすする音が、しっとりと静かな広間に優雅に響いてくる。


(……なにこの空気? なんでこんなに優雅なの?)


 中心に座しているのは、元王女・リーゼロッテ。


 華やかな金髪は整えられ、その仕草には気品が漂う。


 なにより、ふんわりと紅茶を口元に運ぶ所作が、まるでお茶会の主催者のようだった。


 その隣には――平民の自分ですら名前を聞いたことがある伝説の美姫、『漆黒の月華姫』ことオフィーリア・フォン・クローディアス。


 彼女はそっとクッキーを一口頬張り、その瞬間――


 頬に手を添えて、とろけるように幸せそうな表情を浮かべていた。


(……えっ!? なにその顔!?

 クッキーひとつでそんなに幸せになれるの!?)


 完全に反則レベルの可愛さだった。


 さらに視線を動かせば、メイド服をまとったロザリー、アイナ、アメリアの三人が、フィオナと一緒に王都での思い出話に花を咲かせている。


 ひそひそと微笑み合うその雰囲気は、これから向かう先が“魔の森”ではなく、ピクニックの目的地に思えてくるほどだ。


 ……そんな中、ただ一人。


 クロエだけが真面目な顔で、机の上に資料を丁寧に並べていた。


(うんうん、やっぱり一人は真面目な人がいないとね……)


 エレノアは心の中で大きく頷く。だが――


(……って、いやいや待って!? これって戦闘会議じゃなかったっけ!?

 なんでこんなに和やかムードなの!?)


 ぐるぐると混乱を抱えたままのエレノアに、ふいに優しい声が届いた。


「今日の紅茶、美味しいね。クロエ、ありがとう」


 そう声をかけたのは、上座に座るユーリだった。


 一瞬だけ、クロエの表情がふわりと和らぐ。


「……お気遣い、痛み入ります。ですが――そろそろ本題に入りましょうか、旦那様」


「あ、そうだったね。つい紅茶が美味しくてさ……」


 ユーリが気まずそうに頬をかきながら笑うと、向かいに座るリーゼロッテがくすりと微笑む。


「ふふっ……まったく、旦那様ったら。本当に、のんびり屋さんですのね」


 そのやり取りに、テーブルのあちこちから小さな笑い声がこぼれた。


(いやいやいや、なにこの甘ったるい空気!?

 これから魔の森に行くってのに!?)


 戸惑うエレノアの目の前で、クロエが咳払いをひとつ。


「それでは皆さま。紅茶は充分にお楽しみいただけたかと存じますので――

 魔の森への出発準備について、最終確認に入ります。

 まずは、資料の一枚目をご覧くださいませ」


 ぱら、と紙をめくる音がテーブルのあちこちで響いた。


(そうそう、これよこれ! やっぱりクロエさんだけがまとも……)


 胸をなでおろしたのも束の間。


「あの……クロエさん。私の分のクッキーって、まだありますか?」


 オフィーリアが控えめに手を挙げ、首をかしげながらそっと尋ねた。

 その瞳はどこか期待に満ちていて、じっとクロエの顔を見つめている。


「……資料をお読みになりながら、召し上がってくださいませ、オフィーリア様」


 少しだけため息を混ぜながらも、クロエは静かに立ち上がると、部屋の隅のテーブルから木皿を手に取り、オフィーリアの前にそっと置いた。


「あら……ありがとう、クロエさん」


 オフィーリアは花が綻ぶような笑顔を見せると、さっそく一枚手に取り――


「んっ……やっぱり美味しいですわ、さすが旦那様……」


 さらに甘く、幸せそうな表情でクッキーを頬張った。


(ちょ、ちょっと待って……その顔、反則なんですけど!?

 っていうか……まさか、あのクッキー――ユーリ様が作ったの……っ!?)


 そこへ、資料に目を通していたユーリが、驚いたように声を上げた。


「うわ……ここ一ヶ月で、魔獣の確認数が一気に増えてる。これ、誰が調べてくれたの?」


「はーいっ! 私とアメリアで行ってきましたぁ!」


 元気よく手を挙げたのは、フィオナだった。


「……えっ? メイドが、魔の森に?」


 エレノアは思わず呟いてしまう。


(いやいやいや!? 魔獣うじゃうじゃの森に、たった二人で……!?)


「ああ、そっか。二人ともありがとう。よく頑張ってくれたね」


 ……あっさりとねぎらうユーリ。


(えええ!? そこ、もっと突っ込もうよ!?)


「ねぇ、旦那様……私たち、すご~く頑張ったんだよ?」


 フィオナが頬を染め、うるうるとした瞳で上目遣い。


「だから……ご褒美、欲しいなぁ……?」


「ぶふっ!?」


 隣のアメリアが、飲んでいた紅茶を盛大に吹き出した。


 エレノアも完全に固まる。


 一方、ロザリーがにこやかな微笑みを浮かべながら、じんわりと圧のこもった視線をフィオナに向けていた。


「フィオナさん……? さすがにそのお願いは、少々図々しいのではありませんか? 王都でも、かなり旦那様とご一緒されていたと記憶しておりますが……?」


「あ、あれはそれ、これはこれだもんっ!」


 そして今度は、リーゼロッテが遠慮がちに口を開いた。


「あの……今日は、わ、私とお母様の日ですわよ?」


 その一言に、オフィーリアが鋭く切り返す。


「ちょっと、リーゼロッテさん。私のことも忘れてないかしら?」


 にぎやかな空気が一気にヒートアップしていく中、アイナが軽やかに手を挙げた。


「皆さま? 旦那様の夜の英雄譚はまた今度にして、そろそろ魔獣の活性化調査に集中しませんか? 旦那様の精力なみに魔獣が湧いておりますので」


(せ、精力なみにって……!?)


 顔を真っ赤に染めるエレノア。


(もしかして……この人、アルフォンスより女ったらしなんじゃ……)


 そっとユーリを見れば、今までののんびりとした態度が、なぜか急に“それっぽく”見えてくる。


(そ、そういえば……ここって、後宮なんだよね……?

 わ、私も夜伽に呼ばれたりとか……あったり……?)


 ごくり、と喉が鳴った。


 今さらながら、エレノアは思い知る。


 自分は、とんでもない場所に足を踏み入れてしまったのだと――





【あとがき】

読んでいただきありがとうございます!


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