43.邂逅
――王都での騒動から数日。
ユーリたちは、新たに仲間に迎えた冒険者ギルド《夕凪亭》のギルド長イレーナをはじめ、その配下の剣士エレノア、盾士ローラ、弓手シル、斥候メルリナと共に、レーベルク男爵領へ戻っていた。
高台への坂道を登り、後宮への入り口となる跳ね橋を渡る。
後宮御殿の玄関前には、セリーヌとリーゼロッテたちが並び立っていた。
馬車がゆっくりと止まり、扉が開く。
外の光を受けながら降り立ったユーリの傍へとセリーヌは、ごく自然な所作で一歩踏み出してくる。
腰のラインから流れるドレスの裾が風に揺れる。
「おかえりなさいませ、旦那様」
セリーヌの細い腕がふわりと自分の背にまわされ、柔らかな身体がためらいなく押し寄せてきた。
豊かなそれが、わずかに形を変えながら――
まるで彼の身体に馴染むように、静かに沈み込んでいく。
そして。
セリーヌは頬をかすかに傾けると、ゆっくりと――
濡れた唇を、ユーリの頬にやさしく押し当てた。
「お疲れでしょう? 無事に帰ってきてくださって、何よりですわ」
「えっ、なにこの歓迎、どうしたの?」
続いてリーゼロッテまで、控えめながらもぎこちなく抱きついてきて、そっと頬にキス。
「……お、おかえりなさいませ、旦那様」
(えっ、ほんとにどうしたの? 二人とも何か悪い物でも食べた?)
そんな戸惑いが顔に出ていたのか、馬車の後ろから降りてきたフィオナが、ぽつりと呟いた。
「……セリーヌ様、よっぽど心配だったんだね」
隣のリリィが小さく頷きながら、そっと声を添える。
「はい……毎晩“なるなる板”で、こっそり近況をチェックなさっていましたから……」
フィオナが思わず吹き出しそうになりながら、肩をすくめる。
「ま、旦那様って“おっきいの”が大好物なんだしさ。そりゃ――ちょっとは不安になるわけだよ~」
(いや、声大きいってば! みんな聞こえてるから!)
――そんな中、後方から、がたん、と控えめな音を立てて馬車がとまる。
ゆっくりと、馬車の扉が開いた。
風に揺れる旅装のマントの裾。
そこから現れたのは、淡い微笑みをたたえたイレーナだった。
「うふふ……どうやら、無事に着いたようですわね」
額にかかった髪を、指先でそっと耳にかける。
その仕草は何気なく、それでいてどこか気品に満ちていた。
「皆さま、降車のご準備をどうぞ。……ええ、慌てずに」
ひとりひとりに目を配るように、優しく言葉を紡ぐ。
その声は、まるで陽だまりに包まれるような温かさを含んでいた。
イレーナの言葉に応えるようにして、
剣士エレノア、盾士ローラ、弓手シル、魔導具士メルリナが次々と馬車を降りていく。
しかし――
足を地につけた彼女たちは、次の瞬間、目前に広がる光景に言葉を失った。
「……え?」
エレノアが、目をぱちくりさせたまま立ち尽くす。
視線の先――
ユーリの胸元に、ぴたりと寄り添いながら甘えるように抱きつくセリーヌ。
その隣で、頬をほんのり染めながら控えめに腕を絡めるリーゼロッテ。
「ちょ、ちょっと待って……」
エレノアがあんぐりと口を開いた。
「……信じられない……あれ、まさか本物? 淑妃セリーヌ様に、王女リーゼロッテ様まで……!」
ローラは盾をぎゅっと抱き直しながら、イレーナのもとへ歩み寄る。
「ギルド長……ユーリさんって、一体……何者なんですか?」
問いかけに、イレーナはふわりと目を細め、どこか懐かしむように微笑んだ。
「うふふ……ユーリ様は、淑妃セリーヌ様と王女リーゼロッテ様にご縁があって、女男爵夫となり……今では、後宮の秩序を預かる“小領公”として、王宮でも知られたお方ですよ」
「えっ!? 王族親子と、結婚……って、えっ、親子で!?」
ローラの声がひっくり返る。
するとシルが、きょとんとした表情でぽつり。
「まさかの……ロイヤル親子丼……」
ユーリは、一瞬硬直した。
聞こえた単語を脳内で反芻して、理解を拒絶しながら目を閉じ――
(……親子丼、て。王族で、親子丼て……)
心の中で地面を転げ回っている最中、追い打ちのごとく――
「うふふ……ちなみに、ユーリ様はイシュリアス辺境女伯を誘拐されて、一躍話題になって――とても有名になられたの」
イレーナは、紅茶でも語るような口調で、さらりと付け加えた。
(……いやーん、ホントだけど……ここで言わないで……)
ユーリが心の中で顔を両手で覆っていると、エレノアが眉間にシワを寄せる。
「ちょっと! それアルフォンスよりクズじゃないですか!?」
(……オレが……アルフォンスよりクズ……?)
胃がぎゅっと縮こまる。
その名を聞くだけで顔が引きつるような、王都屈指の嫌われ者ランキング一位と同格にされたら、そりゃもう、自分の存在意義を見直したくなる。
(いやいやいや……待ってくれ。
そりゃ確かに、“結果的に”女伯様を連れて帰ったり、後宮で酒池肉林したり――ロイヤルな親子丼をご馳走になったりはしたけど……)
(……それでも、アイツよりはマシなはずだ……たぶん……いや、きっと)
「あらあら、エレノアは羨ましいのね」
「羨ましくないです。……破廉恥すぎます!!」
(……オレの尊厳、誰か拾って)
――そんなやりとりを横目に見ていたセリーヌが、ふっと目を細めた。
そして、ユーリの腕にそっと頬を寄せたまま、小さく呟く。
「……あれが、噂の受付嬢さんなのね。
ふふっ、旦那様の後宮にお迎えするに相応しい方かどうか――
この私が、しっかり見極めさせていただきますわ」
その声は囁くように低く――しかし確実に、隣のユーリに届いていた。
(うわっ、やっぱりそう思われてた!?
いや、違うんだってセリア! 俺は決して“おっぱいだけ”で選んでるわけじゃ――)
ユーリの心の叫びは、もちろん誰にも届かない。
そして次の瞬間。
セリーヌはすっと背筋を伸ばし、手を腰に添えて一歩前へ出る。
きゅっと胸を張ったその動きと同時に、たゆんと揺れた。
まるで、そこに意志が宿っているかのように――
「……ようこそ、レーベルク男爵領へ。ギルド長殿。
この地を治めております、セリーヌ・フォン・シュトラウスと申しますわ」
声音は穏やかに、所作は優美に。
けれどその瞳には、確かな火花が宿っていた。
「――目の肥えた旦那様の視線を奪うだなんて。
さぞや王都でも、冒険者たちの注目を集めていらしたのでしょうね?」
にっこりと微笑むその顔は、絹のように柔らかい。
「せ、セリアさんっ!?」
隣で見ていたユーリが盛大にむせ返る。
視線が忙しく行き場を失い、助けを求めるように彷徨っていた。
対するイレーナは、笑みを浮かべ、そして、恭しくスカートの裾をつまみ、優雅に一礼する。
「このたびはご招待に預かり、誠にありがとうございます。
レーベルク男爵領領主、セリーヌ・フォン・シュトラウス様。
冒険者ギルド《夕凪亭》ギルド長――イレーナ・ヴァレンティーヌと申します」
その声は穏やかで、丁寧。
胸元にそっと手を添え、あえてその豊かな質量を隠すことなく、堂々と表を上げる。
「うふふ、視線は慣れておりますし……いちいち数えていたら、仕事が止まってしまいますわ」
静かな物腰に、にじむ誇りと芯の強さ。
イレーナの表情はあくまで穏やかだったが、その背筋には一点の曇りもなかった。
ユーリは思わず額に手をあてた。
――まあ、王都の荒くれ者たちが集まるギルドで長を務めてきたのだから、それくらいの鋼メンタルでなければ務まらないのかもしれない。
(でもお願いだから、やめてくれって!
俺だって必死に我慢してるのに、つい目がいっちゃうんだよ……
仕方ないだろ、俺だって男なんだから!)
互いに柔らかく微笑み合いながらも、背後には見えない雷が静かに走る。
ローラがぽつりと呟いた。
「……あれ? なんか、こっちのほうが魔獣討伐より殺気立ってない……?」
シルが腕を組みながら頷く。
「うん……見た目だけ“華”なんだけど、中身が“嵐”だわ、あれ」
ユーリはごくりと喉を鳴らした。
このままじゃ何かが爆発する――そんな予感。
(でも……念のため……念のためだから。こんな光景二度とないかもしれないし……)
(記録、大事……だよね?)
そろりとポケットに手を伸ばし、スマートフォンを取り出す。
周囲に気づかれぬよう、角度を調整して――カメラを、そっと構えた。
だが。
「ユーリ様? いったい何を撮られてるのですか?」
すぐ下から――
ぴたりと身体を寄せていたリーゼロッテの声が、首筋をやわらかく撫でる。
(あ、やべ、いつも過ぎて忘れてた)
体を離す隙もなく、視線を逸らす余裕もない。
その声音は、微笑みを湛えたまま、穏やかで、そして確かに――少し、冷たい。
な微笑みを浮かべていたが――その目だけが、微妙に笑っていなかった。
「えっ、いや、その……違うんだロッテ。これはその、資料としてというか、参考画像というか、観察記録というか……! あの感動を記憶にしないなんて、勿体なくて……」
しどろもどろになるユーリに、リーゼロッテがくすっと微笑んだ。
「……では、あとで一緒に見せてくださいね。
私も旦那様と一緒に感動を分かち合いたいですから」
その笑顔は柔らかくて――けれど、絶対に逃がさないタイプのものだった。
【あとがき】
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