37.壊れた水車②
村長が顔を上げる。
現れたのは、たくましい体格に前掛けを巻いた中年の男――村の大工の親方だった。
その後ろから、髪をリボンでまとめた少女が顔を覗かせている。
親方は言葉少なに、羽根の断面をまじまじと見つめた。
そして、低く重い声で呟いた。
「……修理は無理だな。これはもう、作り直すしかない」
村長が目を見開いた。
「そ、そんな……親方、どうにか修理で――!」
「支柱が割れとる。軸も曲がっとるし、屋根の骨組みまでズレてる。無理に直したら、次は倒壊するぞ」
淡々と断言された親方の声に、村長はぐらりと膝を崩しかけた。
そのとき――
リリアーナが一歩前へ出た。凛とした声が、周囲の空気を変える。
「親方……。私は、レーベルク女男爵の名代として、領主の代理を務めております。
村の皆さまのため、そして領のため――この水車小屋の再建を、正式にご依頼申し上げます」
その言葉に、親方は顔をしかめた。口を開きかけたが――何も言わず、目を逸らす。
クロエが一歩踏み込み、厳しく問いかける。
「断る理由を、聞かせていただけますか?」
親方は、渋い顔のまま、うつむいたまま黙っていた。
その沈黙を破ったのは、横から妹の声だった。
「……お兄ちゃん、言ってあげてよ。もし、ちゃんと材料と道具があればって……。
お兄ちゃん、腕はあるって、知ってるんだから……!」
少女の声音には、苛立ちと不安と、そして信頼が混ざっていた。
親方は顔をしかめたまま、しばらくの沈黙ののち、しぶしぶ口を開いた。
「……ああ。材料と道具が全部揃ってりゃ、まあ……建て直しにかかる期間で済む。
俺の腕なら、だがな」
リリアーナが目を細め、クロエと視線を交わす。
「材料と道具さえあれば、再建は可能……そのように受け取ってもよろしいのでしょうか?」
親方は唇を引き結び、渋々ながらも頷いた。
「……やれりゃ、やる。そういうことだ。道具と材料を用意できればな……」
親方の言葉を受けて、リリアーナがすっとユーリの方へと視線を向けた。
「執事殿。材料と道具の確保は、可能でしょうか?」
その問いに、ユーリが口を開くより早く、親方が片手を上げて遮った。
「おいおい、いくら何でも無茶を言うなよ。
こっちはイシュリアス辺境伯からの資材流通が滞ってるってのに。
木材に鉄材、何一つ満足に入ってこねえんだ」
親方の苦々しい顔に、村長もうなずく。
「確かに……それだけの量を揃えるには、準備だけで半日はかかるかと……」
しかしリリアーナは、微笑を浮かべたまま言った。
「大丈夫です。執事さんなら、できますわよね?」
ユーリは苦笑混じりに一礼すると、静かに言葉を返した。
「では、少々席を外します。確認してまいりますので」
そう言って、村人たちがぽかんと見守る中、水車小屋をあとにして小道の向こうへと姿を消した。
その背中を見送りながら、親方が呆れたように呟く。
「……あんまり追い詰めてやるなよ、あの旦那さん。
見たところ、根はいい奴そうだったぞ」
村長もうなずく。
「別にいじめてるわけじゃありませんよ」
リリアーナはくすりと笑った。
「ちょっと、領主の館や後宮の倉庫に材料が残っていないか、
確認に行ってもらっただけですわ」
そう口にした直後だった。
ゴトン、ギシィ、と遠くから木が軋むような音が風に乗って届く。
「……ん?」
誰かが小さく呟く。
音は徐々に近づき、やがて道の奥から一台の台車が姿を現した。
山のように積まれた木材、鉄材、そして工具類が整然と並べられている。
その中央には、信じがたいものが鎮座していた。
「……水車の……骨格?」
村長の声は裏返り、親方の目が丸くなる。
「う、うそだろ……組み上がってる!? しかも精度が……完璧ってレベルじゃねぇ……っ!」
続けざまに親方が叫ぶ。
「これ、工房でやったって一週間かかる作業だぞ!? 削り出しも、噛み合わせも、どうなってんだよコレ!!」
リリアーナも信じられないという顔で立ち尽くし、内心で全力のツッコミを入れていた。
(早すぎますっ、旦那様!? どう考えても城館まで戻ってませんわよね!? ていうか、なんで完成してるんですの!?)
台車の向こうから、ひょっこりと顔を覗かせたのは――ユーリだった。
汗一つかかず、いつもの微笑を浮かべて、朗らかにひと言。
「必要だって言われたので、つい……全部そろえちゃいました」
その瞬間、村の空気が完全に固まった。
ぽかんと口を開けたままの親方が、我に返ったようにユーリに駆け寄る。
「お、お前……何者なんだ……!? どこで、どうやってこれだけのものを……っ」
村長も慌てて駆け寄り、木材を指で弾く。
「この木……節がねぇ!? まるで銘木じゃ……いや、それより、釘の一つ一つが寸分違わず整ってる!? な、なぜ!?」
リリアーナは内心でツッコミを入れながらも、笑顔を保つのに苦労していた。
(なにこの人……“ただの執事”の顔して、とんでもない仕事量をこなしてるんですけど!?)
ユーリは軽く台車の端を叩きながら、申し訳なさそうに一言。
「ちょっと……気合い、入れすぎましたかね?」
その一言に、村人たちの中から小さなどよめきと、乾いた笑いが起こった。
――まさに、“できすぎる男”の本領発揮である。
しばしの沈黙のあと。
親方はじっと完成済みの水車を見つめていた。
その頬が、ぐぐっと引きつるように動き――やがて、ふっと息を吐いた。
「……ここまで、素人に先をやられちゃあな」
ぽつりと漏れたその言葉に、村人たちの視線が一斉に親方に向く。
親方は、黙って腰に巻いた前掛けの紐をぎゅっと締め直した。
「職人の端くれとして、これは黙って見過ごせねえ。
納得いくかいかねえかで言えば、いかねえが……
やらねえって選択肢は、もうねえよな」
ぐいっと袖をまくると、日焼けした腕が現れる。
工具を持つその手には、迷いのない動きと、年季が刻まれていた。
「じゃあ……やるか。あとは俺が、ちゃんと仕上げてやる」
その言葉に、どこからともなく歓声と拍手が起きた。
村人たちが息を吹き返したように、顔を輝かせる。
親方はユーリのほうへちらりと目を向け、やや不機嫌そうに口を動かす。
「なあ執事さんよ。お前がやったのは確かにすごい。
でもな――ここから先は、職人の仕事だ。文句あっか?」
ユーリは少し驚いたように目を見開いたが、すぐににっこりと微笑む。
「いえ。プロに任せるのが、一番ですから」
「ならいい」
そう言い捨てて、親方は水車に向き直った。
リリアーナはその背を見つめながら、心の中でぽつりと呟く。
(……ふふ、やっぱり村の皆さん、こういう人がいてこそ、なのですね)
そして、ユーリに小さく微笑みかけた。
(……だけど、旦那様。あなたの“やりすぎ”が、ちゃんと届いたようですよ)
作業が一段落し、村人たちが工具や部材の運搬に移り始めたころ。
水車小屋の隅、日陰に差しかけた木箱のそばで、ユーリが休憩していると――
一人の少女がそっと近づいてきた。
親方の妹だった。
先ほどまで兄の背中を見守っていた少女が、ぎこちなくスカートの裾をつまみ、頭を下げる。
「……あの、執事様。今日は……本当に、ありがとうございました」
その声は小さかったが、はっきりと芯があった。
ユーリが少し目を見開き、苦笑しながら答える。
「僕はたいしたことしてないよ。ただ、ちょっと運んできただけで」
「でも……あれがなければ、村は……きっと今頃、絶望してました」
続けて彼女は、そばにいたリリアーナにも深く一礼する。
「リリアーナ様も……ありがとうございます。兄が、あんなふうに動くなんて、久しぶりです。あの人、自分からやるって言ったんです。信じられないくらい」
リリアーナはその言葉に、少し驚いたように目を瞬かせてから、穏やかな笑みを浮かべた。
「それは、あなたのおかげですよ。彼に声をかけてくれたから、動いたんです」
少女はふと視線を落とし、少し黙った。
そして、ぽつりとこぼす。
「……でも、こんなこと、変じゃないですか?」
ユーリが首を傾げる。
「変……?」
「うちの村って、普通なら流通する資材が、急に入らなくなって。最初は天候とか、事故だって思ってたけど……。でも、最近、必要な道具や材料だけ、都合よく“届かない”んです。毎回、同じ物ばかり」
リリアーナの眉がわずかに動いた。
「それは……偶然にしては、できすぎていますね」
少女は続ける。
「そして、“それならこちらをどうですか?”って紹介されるルートがあるんです。
別の商人さんたち。でも、値段が倍以上で……しかも、領外の業者ばかり」
ユーリは静かに目を細めた。
口には出さずとも、頭の中で情報が繋がっていく。
(流通妨害、高額代替品の押し売り、経済的締め上げ……これは“潰しにきてる”動き?)
少女は、ぽつりと吐き出すように言った。
「……誰かが、うちの村に“やめろ”って言ってるみたいで。
全部、やめちまえって……そんな風に思えるくらいなんです」
リリアーナが口を開きかけたが、その前に――
ユーリが立ち上がり、そっと言った。
「詳しく聞かせてもらえるかな。その話、すごく重要だと思うんだ」
その声は、柔らかく、でもどこか鋭かった。
【あとがき】
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