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 シャロン公国の大公邸。

 他の家々と大差ない一般的なその一軒家に、激震が走った。


「貴国の存続及び領有権を保障し、また、デサイア王国を植民地化した際には彼の国の領土を一部割譲する。その代わりに貴国は我が国に従属し、クリスの首を差し出すように。さもなくば貴国は明日にも滅亡するだろう……」


 ダイニングテーブルに座り、公国の王子はビクトルから届いた降伏勧告の書状を読み上げる。

 その表情は苦悶の色に染まっていた。


「先ほどの使者がよこした文だ」


 王子の向かいに座る大公は、どうしたものかと頭を抱える。

 齢70を超えて皺だらけとなった顔に、ますますの皺ができあがった。


「従属する分には理解できるが、クリスの首を差し出せとはどういうことだ?」


 王子の問いに、大公は「分からぬ」と首を振る。

 シャロン公国は王家も含めて世俗に疎い。

 ドーアの先代聖女の名前がクリスということを知る者はいなかった。

 もっと言えば現聖女の名前すら知らないほどだ。


「ただ、わざわざ降伏勧告にクリスを名指しするほどだ。ビクトルはよほどクリスにご執心と見える。従属は受け入れるがクリスの首は差し出せない……という回答では満足してもらえぬだろうな」


「でしょうな」と王子は頷く。


 大公は顎の髭を摘まむようにして撫でたあと、鋭い目つきで王子を見た。


「お主、この件はどうするのがいいと思う?」


「答えは決まっている。が、まずはクリスに事情を伺うのが先かと」


「そうじゃな。では、皆を広場に集めてくれ。クリスだけでなく、皆にこの件を話そう。国に関わることで隠し事をするわけにもいかんからのう」


「分かりました」


 王子は直ちに家を出た。


 ◇


「大事な話って何なのだろう?」


 昼前、クリスは広場に来ていた。

 彼女だけでなく、全シャロン国民が集まっている。

 大公と王子から大事な話がある、と聞かされていたのだ。


(そういえば私、大公様と王子様のこと何も知らないや)


 クリスがこの国について知っている情報は限られている。

 ここに越してきた日にお爺さんから教わったことだけだ。

 つまり、ここで過ごす限り無税ということのみ。


 王族について知っていることも少ない。

 聖女は第三王女――王子の妹が務めているということ。

 あとは第一・第二王女が他国の一般人の家に嫁いだということ。

 大公や王子については、名前のみならず顔も知らなかった。


「レイはどこだろ?」


 クリスは顔を左右に動かしてレイを探す。

 しかし、なかなか見つけることができなかった。

 約2000人の人間が集まっているのだから無理もない。


「あっ、いたいた!」


 それでも見つけることができた。

 人だかりが左右に分かれてできた道をレイが歩いてきたからだ。

 彼の隣には、この町に来た日に話したお爺さんもいる。

 流石のクリスもハッとした。


「まさか……!」


 案の定、レイと爺さんは広場の中央に移動する。

 周囲の人間は十分な空間をあける形で囲んだ。


「集まってくれてありがとう。今日は大公ヒューゴラスとして、皆に話がある」


 お爺さんこと大公ヒューゴラスが口を開く。

 クリスの抱いた「まさか」は的中していた。

 お爺さんは大公で、レイは王子だったのだ。


(私が「お爺ちゃん」と呼んでいた人が大公様だったなんて。いや、それよりも……)


 クリスの目がレイに向かう。

 レイはその視線に気づき、クリスを一瞥した。


(レイが……王子殿下……)


 そう感じる節は今の今まで一度も無かった。

 これはクリスが鈍感なのではない。

 この国に一切の上下関係が存在しないからだ。


 同年代の人間はレイを呼び捨てで呼び、他の人と分け隔て無く扱っていた。

 ヒューゴラスのことをクリスが「お爺ちゃん」と呼ぶことも問題ない。

 レイだってヒューゴラスのことを「ジジイ」や「おいぼれ」と呼んでいた。

 同年代の他の人たちにしても似たようなものだ。


「実は今朝方、ドーア王国の国王ビクトルの使いが来た」


 これに対して悲壮感を漂わせたのはクリスのみ。

 他の人間の反応はまるで違っていた。


「あれ、王様ってたしかバルドレじゃなかったっけ?」


「代わったんじゃない? ビクトルってたしか王子の名よ」


「そうだったのかー」


 あまりにも軽い。

 この国の人間はそれだけ他国に興味がないのだ。

 遊びに行くお金がないし、ここでの生活が気に入っている。

 他国の文化に興味がある者は早々に国を離れていた。

 レイの姉たちのように。


「それで、そのビクトル様がこんな国になんの用なんです?」


 中年の男が尋ねた。

 ヒューゴラスは頷き、話を進める。


「降伏勧告じゃよ」


「降伏勧告?」


「我が国にドーアの傘下に入れ――つまり服従しろと言っている」


「こんな何もない国にですかい?」


「本命はデサイア侵攻で、我が国はその道中にあるからに過ぎない。だからこの勧告に応じれば、我が国には特別な税を課すこともなく、今までとなんら変わりない自治権を保障するとある。むしろ領土は拡大されるかもしれん。デサイア侵攻がうまくいったあかつきには、デサイアの領地の一部を我が国に割譲するとのことじゃからの」


「それってどういうことです?」


 男は首を傾げた。

 それに対してレイが答える。


「ビクトルの勧告を言い換えるなら、連中がここを通ってデサイアへ行くことを認めろってことだ。聖女を誰にするかの指名権なども要求してきているが、これだって実質的には何もないのと同義だろう。元よりこの国では聖女に価値を見いだしてはおらん」


「なら降伏勧告に従えばいいんじゃないんですか? その言い分だと、断ったら我が国に攻めてきそうだ」


 ヒューゴラスが「その通り」と答える。


「連中の要求を拒んだ場合、明日の朝に総攻撃を仕掛けるとのことだ。既にドーアの軍は国境付近で待機しているという。ビクトルは本気じゃろう」


「やっぱり従うしかない」


 男の発言に「そうだそうだ」と皆が同意する。

 そう、これだけだと勧告に従うのが一番だった。

 まともな戦力のないシャロンが刃向かうだけ無駄である。


「ところが話はそう簡単ではないんだよ」


 レイが言う。


「どういうことですか? 王子」


 男の口調は相手がレイでも丁寧だ。

 レイのことを「青年」ではなく「王子」と認識している。

 それは他の人間にしても同じだった。


「ビクトルはクリスの首を要求してきている」


 誰もが「えっ」と驚いた。

 クリスだけが「やはり」と呟いた。


「我が国の自治権を認めるし、税制度の統一など政治的な干渉をすることは一切ない上に、デサイア攻略後はデサイアの領地を一部割譲する。その代わり、我が国の領土をドーアの軍が自由に往来することと、我が国の聖女を誰にするかの指名権を認め、且つ、クリスの首を差し出すこと――ビクトルの要求をまとめるとこうなる」


 愕然とする一同。


「どうしてクリスが……」


 あちこちからそんな声が漏れる。


「俺もそれが知りたい」


 レイの視線がクリスに向いた。


「クリス、ここで話を聞かせてくれないか」


 クリスの周辺にいた人間が道を空ける。

 レイとクリスの間に人がいなくなった。


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