030
シャロン公国の大公邸。
他の家々と大差ない一般的なその一軒家に、激震が走った。
「貴国の存続及び領有権を保障し、また、デサイア王国を植民地化した際には彼の国の領土を一部割譲する。その代わりに貴国は我が国に従属し、クリスの首を差し出すように。さもなくば貴国は明日にも滅亡するだろう……」
ダイニングテーブルに座り、公国の王子はビクトルから届いた降伏勧告の書状を読み上げる。
その表情は苦悶の色に染まっていた。
「先ほどの使者がよこした文だ」
王子の向かいに座る大公は、どうしたものかと頭を抱える。
齢70を超えて皺だらけとなった顔に、ますますの皺ができあがった。
「従属する分には理解できるが、クリスの首を差し出せとはどういうことだ?」
王子の問いに、大公は「分からぬ」と首を振る。
シャロン公国は王家も含めて世俗に疎い。
ドーアの先代聖女の名前がクリスということを知る者はいなかった。
もっと言えば現聖女の名前すら知らないほどだ。
「ただ、わざわざ降伏勧告にクリスを名指しするほどだ。ビクトルはよほどクリスにご執心と見える。従属は受け入れるがクリスの首は差し出せない……という回答では満足してもらえぬだろうな」
「でしょうな」と王子は頷く。
大公は顎の髭を摘まむようにして撫でたあと、鋭い目つきで王子を見た。
「お主、この件はどうするのがいいと思う?」
「答えは決まっている。が、まずはクリスに事情を伺うのが先かと」
「そうじゃな。では、皆を広場に集めてくれ。クリスだけでなく、皆にこの件を話そう。国に関わることで隠し事をするわけにもいかんからのう」
「分かりました」
王子は直ちに家を出た。
◇
「大事な話って何なのだろう?」
昼前、クリスは広場に来ていた。
彼女だけでなく、全シャロン国民が集まっている。
大公と王子から大事な話がある、と聞かされていたのだ。
(そういえば私、大公様と王子様のこと何も知らないや)
クリスがこの国について知っている情報は限られている。
ここに越してきた日にお爺さんから教わったことだけだ。
つまり、ここで過ごす限り無税ということのみ。
王族について知っていることも少ない。
聖女は第三王女――王子の妹が務めているということ。
あとは第一・第二王女が他国の一般人の家に嫁いだということ。
大公や王子については、名前のみならず顔も知らなかった。
「レイはどこだろ?」
クリスは顔を左右に動かしてレイを探す。
しかし、なかなか見つけることができなかった。
約2000人の人間が集まっているのだから無理もない。
「あっ、いたいた!」
それでも見つけることができた。
人だかりが左右に分かれてできた道をレイが歩いてきたからだ。
彼の隣には、この町に来た日に話したお爺さんもいる。
流石のクリスもハッとした。
「まさか……!」
案の定、レイと爺さんは広場の中央に移動する。
周囲の人間は十分な空間をあける形で囲んだ。
「集まってくれてありがとう。今日は大公ヒューゴラスとして、皆に話がある」
お爺さんこと大公ヒューゴラスが口を開く。
クリスの抱いた「まさか」は的中していた。
お爺さんは大公で、レイは王子だったのだ。
(私が「お爺ちゃん」と呼んでいた人が大公様だったなんて。いや、それよりも……)
クリスの目がレイに向かう。
レイはその視線に気づき、クリスを一瞥した。
(レイが……王子殿下……)
そう感じる節は今の今まで一度も無かった。
これはクリスが鈍感なのではない。
この国に一切の上下関係が存在しないからだ。
同年代の人間はレイを呼び捨てで呼び、他の人と分け隔て無く扱っていた。
ヒューゴラスのことをクリスが「お爺ちゃん」と呼ぶことも問題ない。
レイだってヒューゴラスのことを「ジジイ」や「おいぼれ」と呼んでいた。
同年代の他の人たちにしても似たようなものだ。
「実は今朝方、ドーア王国の国王ビクトルの使いが来た」
これに対して悲壮感を漂わせたのはクリスのみ。
他の人間の反応はまるで違っていた。
「あれ、王様ってたしかバルドレじゃなかったっけ?」
「代わったんじゃない? ビクトルってたしか王子の名よ」
「そうだったのかー」
あまりにも軽い。
この国の人間はそれだけ他国に興味がないのだ。
遊びに行くお金がないし、ここでの生活が気に入っている。
他国の文化に興味がある者は早々に国を離れていた。
レイの姉たちのように。
「それで、そのビクトル様がこんな国になんの用なんです?」
中年の男が尋ねた。
ヒューゴラスは頷き、話を進める。
「降伏勧告じゃよ」
「降伏勧告?」
「我が国にドーアの傘下に入れ――つまり服従しろと言っている」
「こんな何もない国にですかい?」
「本命はデサイア侵攻で、我が国はその道中にあるからに過ぎない。だからこの勧告に応じれば、我が国には特別な税を課すこともなく、今までとなんら変わりない自治権を保障するとある。むしろ領土は拡大されるかもしれん。デサイア侵攻がうまくいったあかつきには、デサイアの領地の一部を我が国に割譲するとのことじゃからの」
「それってどういうことです?」
男は首を傾げた。
それに対してレイが答える。
「ビクトルの勧告を言い換えるなら、連中がここを通ってデサイアへ行くことを認めろってことだ。聖女を誰にするかの指名権なども要求してきているが、これだって実質的には何もないのと同義だろう。元よりこの国では聖女に価値を見いだしてはおらん」
「なら降伏勧告に従えばいいんじゃないんですか? その言い分だと、断ったら我が国に攻めてきそうだ」
ヒューゴラスが「その通り」と答える。
「連中の要求を拒んだ場合、明日の朝に総攻撃を仕掛けるとのことだ。既にドーアの軍は国境付近で待機しているという。ビクトルは本気じゃろう」
「やっぱり従うしかない」
男の発言に「そうだそうだ」と皆が同意する。
そう、これだけだと勧告に従うのが一番だった。
まともな戦力のないシャロンが刃向かうだけ無駄である。
「ところが話はそう簡単ではないんだよ」
レイが言う。
「どういうことですか? 王子」
男の口調は相手がレイでも丁寧だ。
レイのことを「青年」ではなく「王子」と認識している。
それは他の人間にしても同じだった。
「ビクトルはクリスの首を要求してきている」
誰もが「えっ」と驚いた。
クリスだけが「やはり」と呟いた。
「我が国の自治権を認めるし、税制度の統一など政治的な干渉をすることは一切ない上に、デサイア攻略後はデサイアの領地を一部割譲する。その代わり、我が国の領土をドーアの軍が自由に往来することと、我が国の聖女を誰にするかの指名権を認め、且つ、クリスの首を差し出すこと――ビクトルの要求をまとめるとこうなる」
愕然とする一同。
「どうしてクリスが……」
あちこちからそんな声が漏れる。
「俺もそれが知りたい」
レイの視線がクリスに向いた。
「クリス、ここで話を聞かせてくれないか」
クリスの周辺にいた人間が道を空ける。
レイとクリスの間に人がいなくなった。
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