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通常なら二時間以上かかってもおかしくないほどの準備を、女官たちを総動員して急かして30分ほどで終わらせたソフィアは急いでディナーの場所へと向かっていた。隣にはオリビアがソフィアに歩調を合わせて歩いている。
「オリビア、間に合うかしら・・・。」
「大丈夫ですよ、王女殿下。ご心配なさらず。」
「ええ・・・。」
サミュエルはソフィアと食事をとりたがる。幼い頃に母を亡くしたソフィアも父には懐いており、共に食事をとることや一緒に寝ることに特に抵抗を示したことはない。
さすがにランチは互いの都合が合わないことが多いので共にとることは少ないが、モーニングとディナーは必ず共にしている。
そして、サミュエルはソフィアの父とはいえドゥーレ王国の国王である。待たせるという無礼があってはならない。サミュエルはそれほど気を張る必要はないと言っているが、王宮にはいつどこに誰の目があるかもわからない。寝る時には皇宮とは少し離れたソフィアの宮をサミュエルが訪れているが、ディナーは皇宮でとるのだ。皇宮こそ最も油断ならぬ場所であり、ソフィアにとって自分の宮と皇宮とでは危機意識が全く違った。
そうすると先ほどオリビアに今のままではドゥーレ王国に勝ち目がないと口走ってしまったのも失敗だった。朝に時が巻き戻ったばかりなのだ、流石に混乱しているようだとソフィアは自分を落ち着けるようにそっと息を吐いた。
そんなことをしている間にいつの間にか皇宮についていた。ディナーの場所に着くと、門に立っていた騎士が扉を開けてくれる。
中に入ると、いつもと変わらぬ笑みを浮かべたサミュエルがいた。
「お待たせして申し訳ありません、へ・・・。」
「お父さまでいいよと言っているだろう。」
陛下と言いかけたソフィアの言葉を遮り、サミュエルが顔を上げるように促す。その言葉に従ってソフィアは顔を上げ、席に着いた。
「今日は書庫に篭っていたそうだね。随分と熱心に勉強していたようだと司書から聞いたよ。」
「そう・・・でしたか。」
驚いたように目を瞬かせるソフィアにサミュエルが笑みを深める。
「ソフィアはまだ6歳だろう?勉強するのはいいことだが、無理をしないように気をつけるんだよ。」
「はい、お父さま。」
ソフィアはサミュエルに笑いかけ、フォークとナイフを手に取った。
そのディナーで、ソフィアは一言もアドーナ帝国のロイダラート共和国侵攻について触れなかった。皇宮には誰の目と耳があるかわからない。ソフィアの宮でなら、目と耳は格段に少なくなるだろう。
サミュエルがソフィアの言葉を受け入れて明日の朝議でローレンス公国の裏切りの可能性について口にしても、ソフィアがそれを口にしたことを知っていれば幼い王女の妄言だと歯牙にもかけられないだろう。だが、ソフィアがローレンス帝国の裏切りについて口にしたことを知られなければ王の言葉として受け入れられるだろう。
年齢が全てを阻む、とソフィアは溜息を吐いた。
「ソフィア、寝る支度はできたかい?」
「はい・・・。オリビア、人払いをしてもらっていい?」
「わかりました、王女殿下。」
一礼して下がっていくオリビアを見送り、ソフィアはゆっくりとサミュエルに近づいた。
「お話したいことがございます、お父さま。」
「人に聞かれてはならぬことだね?」
サミュエルは先ほどのソフィアの人払い発言でそれを察したらしい。屈んで目線を合わせ、頭を撫でてくれる父に口元を綻ばせながらソフィアは口を開いた。
「今回のアドーナ帝国によるロイダラート共和国侵攻、援軍を送っても勝ち目はございませんわ。」
「・・・何故、そう思うんだい?」
ソフィアの援軍否定よりもソフィアがアドーナ帝国のロイダラート共和国侵攻を知っていることに驚いたらしく、サミュエルは目を瞬かせた。
「・・・お父さま、ローレンス公国のことをお忘れではございませんか。」
「ローレンス公国?」
「はい。私、ローレンス公国がアドーナ帝国と手を組んでいる可能性が非常に高いと思います。」
高いじゃなくて100%だけれど、とソフィアは心の中で訂正した。
「公国を開いたローレンス公爵は当時のドゥーレ王を信頼していたと聞きます。ですが、ドゥーレ王はローレンス公爵の信頼を裏切り公爵を未開の山脈に飛ばしました。それなら、ローレンス公がドゥーレ王国に同じ思いを味わわせてやろうと長年にわたって代々、策略をめぐらせてきたと考えるのは不自然ではないはずです。そして・・・。」
「そして?」
ソフィアは息を呑んだ。
そっとサミュエルの耳元に口を寄せて囁く。
「お父さまの側近であるブラウン子爵はローレンス公の犬です。」
「・・・っ!」
息を呑むサミュエルにソフィアはどくどくと波打つ胸を抑えた。
ブラウン子爵がローレンス公にドゥーレ王国の内情を筒抜けにしていたために、ローレンス公国はドゥーレ王国の軍勢と進路を正確に把握し効果的な方法でドゥーレ王国の軍勢に壊滅的な被害を与えた。
「ソフィア。」
「はい、お父さま。」
「ソフィアは我がドゥーレ王国の軍勢を倒せるほどの力をローレンス公国が持っているというのか?」
「はい。それは可能だったはずです。山脈の中であり、自然の要塞ともいえるローレンス公国に密偵を送り込むのは難しい。ローレンス公国にこちらの内情が筒抜けであっても、我が国はローレンス公国の情報を持っていないに等しいのです。・・・ですから、ローレンス公国が強大な軍を持つという証拠はありませんが同時に脆弱であるという保証もできないのです。」
真剣な目で見上げてくるソフィアにサミュエルは息を呑んだ。
―――こんな子だったか?
これまでソフィアは政治にも皇宮にも無関心だった。いくらサミュエルがそういう話をしようとも、興味がないの一言で切り捨ててきたというのに。
「今まで政治に首を突っ込まなかった私が今さらこのようなことを言っても信じてもられないと思います。・・・ですが、これを吹きこんだのが私だと知られなければ、お父さまの考えだと思われれば、大した根拠がなくても通用します。お願いです、お父さま。ドゥーレ王国の繁栄のためにも、ロイダラート共和国に援軍を送ることはよくお考えください。ローレンス公国が、虎視眈眈と復讐の機会を狙っているだろうことも。そして、ブラウン子爵の内通についても。」
ブラウン子爵の家系はもともとローレンス公爵の家令だったが、ローレンス公爵を追放するとともに当時の王はブラウン家の家令を引き抜いたのだ。子爵位を与えられたブラウン家代々の当主は王家に忠誠を示してきたためローレンス公爵との内通を疑われることはなかった。今から思えばこれはドゥーレ王国の油断に他ならない。
ソフィアは極度の緊張の中で父の返事を待った。
「ソフィア、今日書庫にこもっていたというのはそれを考えるためだね?」
「・・・はい。」
「貴重な意見をありがとう。それは十分に検討の余地がありそうなものだ。」
「ありがとうございます、お父さま・・・。」
肩の荷が下りたような気がして、ソフィアは自然と微笑んだ。これで、あの歴史は避けられるはずだ。
「そろそろ寝ようか?眠くなってきた頃だろう。書庫にも行って疲れただろうし・・・。」
「はい、お父さま。」
夢の中で、ソフィアは暗闇の中にいた。
ピチャン、ピチャン、と一定の間隔で水が落ちる音が聞こえる。
『ソフィア王女』
声が響き、ソフィアはバッと振り返った。
「誰っ!?」
『そう怯えるでない・・・。我が名はソクルア。』
「ソクルア・・・。」
ハッとソフィアは口を抑える。
「ソクルアって、運命を司る女神・・・。」
『左様である。そなたの運命がそなたの従弟によってあまりにもねじ曲がってしまったため、時間を巻き戻したのだ。』
「・・・そんな。」
『そなたなら、ドゥーレ王国を守り、長き繁栄に導くことができるだろう。』
「・・・じゃあ、私は本当に時間が巻き戻ったの?」
『その通り。そなたがドゥーレ王国の王になるはずであったのだから。』
「・・・ドゥーレ王国の王。」
『前世とでも言うべき記憶を持つそなたならば、運命を正常な形に戻すことができるだろう。』
「運命!?」
『そう。人間だけが運命を自分の手で切り拓けるのだ。それゆえに、そなたの前世は本来の運命から逸れたものになったが。』
「・・・わかりました。私が、ドゥーレ王国を繁栄に導く王となるのが今世の試練なのですね。」
『そなたが呼べば、我は夢に出でることにしよう。何か用があったら遠慮せず呼ぶといい。』
「何故です?」
『我がそなたを気に入ったからだ。』
「・・・随分と滅茶苦茶だわ。」
『神とは滅茶苦茶なものゆえ。』
「私が一度死んだということはわかってすっきりしたわ。一つ聞きたいのだけれど、昨日の夢で私に呪いがどうのって言ったのは貴女?」
『その通り。察しが良い子だ。』
「私の呪いっていうのは何なの?」
『そなたが王となりドゥーレ王国を良い国に導かぬ限り、永遠に時が巻き戻り続けるという呪いじゃ。応援しておるぞ、ソフィア。言っておくがその呪いをかけたのは我ではないからな。』
「・・・それは、また、面倒な呪いを。」
『それでは我は今日はこの辺りで暇しよう。それではな、ソフィア。』
「ええっ!?ま、待ってっ!」
ソフィアが手を伸ばしても、ソクルアは待ってくれなかった。
「何なのよ、本当、もう・・・。」
※運命を司る女神ソクルア・・・どの神話にもこんな女神は存在しません。私の創作です。