1
明るいシャンデリアに照らされ数々の高価な調度品が並べられ、磨かれたガラスが太陽の光を反射してキラキラと輝く埃一つない清潔な部屋。
その部屋に置かれた天蓋つきのベッドに人影があった。
「・・・フィア。ソフィア。」
悪夢に魘されているらしい金髪の少女の傍らで心配げにその名を呼ぶ30代前半と思わしき男性。彼はここドゥーレ王国の王サミュエル・ハーリー・フィン・キャンベルであり、金髪の少女はサミュエルの娘であり王女ソフィア・ローズ・エミリア・キャンベルであった。
「・・・・・・ん・・・。」
ずっと呼び掛けに応じなかったソフィアが小さく身じろぎ、ゆっくりと長い睫毛に縁取られた瞼が開かれる。
「起きたかい、ソフィア。」
優しく微笑んで娘の顔を覗き込んだサミュエルに目を瞠り、直後ソフィアは勢いよく飛び起きた。
ゴツンッ!
あまりの勢いによけきれなかったサミュエルの額にソフィアの額が直撃する。その痛みに飛び起きようとしたソフィアはベッドに逆戻りする羽目になった。
「・・・・・・ソフィア、どうしたんだい、いきなり。」
「・・・お父さま?」
「お父さまだよ。」
「ほん・・・とうに・・・?」
ソフィアの瞳が潤む。
いきなり泣き出した娘におろおろとその顔を覗き込んだサミュエルは、やがてぎこちない手つきでその頭を撫でた。
「・・・うっ・・・ふっ・・・ぐすっ、お父さまぁ・・・っ。」
抱きついて涙を流す王女にこの国の王は戸惑うばかりだった。
「ソフィア、落ち着いたかい?」
ようやく泣きやんだソフィアの髪を撫で、サミュエルが微笑を浮かべる。
「はい・・・お父さま。」
「お父さまは政務があるからそろそろ行かなければならない。いい子にしているんだよ。」
「はい!」
もう一度頭を撫でられ、嬉しそうに笑ったソフィアに満足そうに笑みを深めるとサミュエルは部屋を出て行った。
その後ろ姿をぼーっと眺めていたソフィアは扉が閉まる音でハッと我に返ったかのようにベッドから立ち上がった。
「悪夢、だったのかしら・・・。」
そっと呟いて、ソフィアはそんなわけないと首を振る。そして、目覚める直前に見た夢を思い出した。
―――ソフィア・ローズ・エミリア・キャンベル。運命から見放された呪われし子。
ポタ、ポタ、と水滴の落ちる音に紛れて微かに聞こえてくる天上の調べ。
―――善を行くも悪を行くも、全ては主の意志次第。
―――主の呪いには主にしかわからぬ。主の呪いは―――。
はぁっ、とソフィアは盛大に溜息を吐いた。
「一体何なのよ、呪いって・・・。」
どうしてあそこで目覚めてしまったのだろう?そう思い、くるくると髪を指に巻きつけ―――ふと違和感に気づいて、ソフィアは自分の手を見た。記憶にあるものよりもずっと小さいそれに首を傾げる。
「・・・これじゃ、まるで、子供の手じゃない。」
振り向いた先にある鏡はその言葉を肯定するかのように、小さな少女を映していた。
「意味がわからないわ。」
ソフィアはぽすっと再びベッドに腰掛け、溜息を吐いた。
考えられることはただ一つだけ。
時が、巻き戻ったということ―――。
状況が何もわからない中では、何もできない。
とにかく情報を集めるべく、ソフィアはベッドから立ち上がって女官を呼んだ。
「お呼びですか、王女殿下。」
ずらっと並んだ女官たちを代表してそう言ったひっつめ髪の女官長にソフィアは目を瞠り、思わず叫んだ。
「オリビア・・・!」
夢だか現実だかは定かではないけれど、記憶の中で確かに最後まで自分に付き添ってくれていた侍女の姿がそこにあった。炎に包まれたはずのオリビアの姿に涙が浮かぶのを抑えて、気持ちを落ち着けるように深呼吸をする。
「・・・・・・少し、外に出たいの。支度をして頂戴。」
「どちらにお出かけなさいますか。」
目線を合わせて問うてくれるオリビアにうーんと首を傾げ、ソフィアは微笑んだ。
「書庫に行くわ。」
「わかりました。」
こちらですよ、とオリビアに導かれるままにソフィアは足を進める。ふと気になって、オリビアの横顔を見つめていると察しのいい女官長は微笑んでソフィアの方を向いた。
「どうかなさいましたか?」
「・・・あのね、オリビア。」
「何でしょう。」
「・・・どうしてあの時、部屋に残ったの?逃げればよかったのに。」
「あの時・・・と、言いますと?」
不思議そうに問い返したオリビアにソフィアは首を振った。
「ううん、何でもないの。」
どうやら時が巻き戻っているらしいのは自分だけのようだと思い、ソフィアは書庫で現状を把握しようとオリビアを見上げた。
記憶の中では火に包まれたはずの彼女が自分の目の前にいるというのが、どうしようもなく嬉しかった。
「こちらが書庫です。」
「ありがとう。オリビアは私に着いてきて。後の女官は好きにしていいわ、今日は一日中書庫にいるつもりなの。ディナーの時間になったら呼びにきて頂戴。」
「承りました。」
一斉に礼をして女官たちがソフィアとオリビアを見送る。彼女たちに見送られて書庫の中に入ったソフィアにオリビアが声をかけた。
「王女殿下、どのような書物をご所望でしょうか。」
「司書に聞きたいことがあるの。どこにいるかしら?」
「司書の方でしたらこちらです。」
「ありがとう。」
素直にオリビアに従って歩きながら、ソフィアは天上まである書棚を見て口元を緩めた。幼い頃から本が大好きで、いつになっても読書はソフィアの癒しであり喜びだった。
「王女殿下、ようこそお越し下さいました。本日はどのようなご用事で?」
「書庫にはどのような書物があるの?」
「ドゥーレ王国で出版された書物は全て所蔵しております。」
「それなら新聞はあるかしら?」
「はい。どのような新聞をご所望でしょうか。」
「そうね・・・。今日と昨日の新聞をすべて用意してくださる?」
「承知いたしました。そちらにお座りになられて、少々お待ちください。」
オリビアに導かれてソフィアは司書カウンターの脇にあるソファに腰掛ける。
「ふぅ・・・。」
「珍しいですね、新聞を読まれるとは。」
「そうね・・・。」
「王女殿下が新聞をお読みになられると知られたら、陛下も喜びましょう。」
「お父さまが?どうして?」
「王女殿下が市井や政治に興味をもたれたということですから。王女殿下は未来の王ですから、市井や政治に興味をもつのも必要なことです。」
「そう・・・王、ね。」
「どうされましたか、王女殿下。」
「いいえ、何でもないわ。」
ソフィアが誤魔化すように微笑んだ時、カウンターから声がかかった。
「王女殿下、新聞がご用意できました。」
「ありがとう。」
オリビアが司書から新聞を受け取り、テーブルまでソフィアを案内する。ソフィアはテーブルに置かれた新聞を手にとり、目を通し始めた。
『アドーナ帝国、ロイダラート共和国に侵攻』
新聞の見出しにソフィアは息を呑んだ。
慌てて記憶を掘り返す。
アドーナ帝国がロイダラート共和国に侵攻したのはドゥーレ暦745年のことで、その事実はドゥーレ王国を不安にさせたものだった。ロイダラート共和国は小国ローレンス公国を間に挟んでいるものの一部ではドゥーレ王国と領地が隣接している。しかしロイダラート共和国はドゥーレ王国とは同盟関係にあり、国家間の結びつきを重視するサミュエルはロイダラート共和国に援軍を送った。援軍はロイダラート共和国を救うには十分の兵力のはずだったが、結果は大敗だった。
それは―――ドゥーレ王国、ロイダラート共和国と不可侵条約を結んでいたローレンス公国が裏でアドーナ帝国と繋がり、アドーナ帝国とローレンス公国でドゥーレ王国の軍勢を挟み打ちにしたから。
ソフィアの背中の裏を冷たい汗が伝った。
「・・・オリビア・・・。」
声をかけてからオリビアが立ったままでいることに気づいて手で座るように示す。ソフィアはオリビアが席についてから口を開いた。
「ロイダラート共和国はドゥーレ王国と同盟関係にあるわよね。」
「はい。」
「援軍は出すの?」
「おそらくは。明日、陛下が援軍を出すかどうかの協議を行う予定でございます。」
「・・・オリビアは、何でも知っているのね。」
波打つ心臓を抑え、ソフィアは顔を上げた。
何としてでも、援軍を送ることを阻止するか想定よりも多い軍勢を送るように仕向けなければならない。
そうでないとロイダラート共和国は滅び、ドゥーレ王国の援軍は壊滅的な被害を受けてしまうのだから・・・。