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天の川に花束を ~Lost Love Song~  作者: RUIDO
第一次空襲警報 未確認飛行物体
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第六話 苦難、困難、女難の相 後編

 月曜日の朝、神崎颯太かんざきそうたは学校が楽しみで仕方がなかった。

 こんなに学校が楽しみと思ったことはない。あったとすれば、人生最初の遠足だ。

 弁当を作るために早起きすると豪語していた母親を目覚ましよりも早く起こしたほどだ。あんなに早起きしたことは、あの時一回きりだ。

 今日もいつもよりは早起きだった。いつもなら忌まわしい目覚ましが怒鳴り声を上げるよりも早く目を開き、目覚ましが起きる前に息の根を止めてやった。

「あら、今日は随分早いね」

 朝食を用意する母親は卵焼きを作りながら、ぽかんと口を開いていた。

 母は颯太が思春期を迎えた頃から、朝に弱くなったことを感じていた。いつも朝は気怠そうに学校へ行く。よほどいいことがないとさわやかな朝を過ごせないということを知っていた。

「彼女でも出来たか?」

 新聞を読んでいた父は紙面から顔を上げると颯太に問いかけた。父に問われて、初めて自分の頬が緩んでいたことに気付いた颯太は急に仏頂面になった。

「べつに」

 悟られまいと取り繕った仏頂面だったが、直前の表情はしっかりと両親に見られていた。

 父と母は互いに顔を見合わせてにこりと笑った。

 今日は赤飯ね、と母は声もなく満足そうに笑った。

「母さん、そりゃ昔の考えだ」

 だが、久しぶりに赤飯を食べるのも悪くないと、今のうちに夜の胃袋を赤飯用に開拓しておく。

 心なしか洗面所から聞こえる颯太の歯磨きの音はリズミカルだ。

 そのリズムに合わせて、母は弁当に入れるためのキャベツを刻んだ。

 朝から最愛の妻の楽しげな姿を見て、父はひっそりと今日はケーキを買って帰ることを決めた。

「いってきます」

 朝食もそこそこに声を出すと、自分でも思った以上に声が出た。その声に父は驚きつつも笑顔で見送ってくれた。

 さながら初陣に出る三等兵だ。

 父上、母上、お国のために死んできます。いやいや、死んじゃだめだ。

 家の前の坂道を下る。心なしか足取りは軽かった。

「おーす」

 坂道を降りきったところで、山村達人やまむらたつひとの背中を見つけ、勢いよく手のひらをたたき付けた。

「お、おう」

 痛みに顔を歪めながら、山村は振り返った。

 心なしか元気がない。

「どうした?」

 高揚する心を抑えつけて、颯太は問いかけた。

 まるで、敗残兵のようだ。祖国のために死ぬことも出来ずに拷問にでもあってきたかのような凄惨せいさんな顔をしていた。

「あぁ、ちょっと三国がな」

 日曜日の夜。山村は合コンという名の合戦に勝利したと言っても過言ではなかったのだ。なんせ女子全員の連絡先を仕入れたのだ。

 これは大金星と言ってもいい。

 家に帰るなり、山村は女子全員に連絡した。

 まずは、三国直子みくになおこに電話したのだが、それが間違いだった。

 今日のお礼を告げて、電話を切る予定だった。そして、大本命の三浦紗枝みうらさえに電話する予定だった。だが、これでもかというくらい三国との電話が盛り上がってしまった。

 最終的に恋バナをして、三国は電話越しに泣き出した。基本的に女子には寛容かんような山村だが、それが災いした。

 電話越しに横綱はわんわん泣いた。今までの失恋の数々を思い出しては、山村に励ましの言葉を求め続けたのだ。

 受話器を置いたのは夜中の二時を過ぎていた。三浦に電話することを諦めてシャワーを浴びて寝たのは三時近かった。

 今は午前七時前である。イガグリ頭がどれだけ準備など必要のないヘアスタイルであろうと、モテる男、もとい、モテたい男である山村は朝から入念な洗顔、ぶつぶつの顔でも乳液は忘れない。

 イガグリ頭でもこだわりがあり、ワックスで毛先を遊ばせ、わずかにウェット感を持たせる。

 極めつけは匂いだ。女子は男子のにおいを気にするのだ。思春期という時期にいい匂いを標準装備とすることを心がけるのだ。耳の裏、脇、パンツの中にもシュッとひと手間。だが、つけすぎてはいけない。いい匂いでもつけすぎて臭いと言われることも想定しなければならない。

 こうして顔以外はイケメンへと山村は昇華する。その手間ズバリ四〇分。いつもなら起きてシャワーを浴びるのだが、今日はさすがにそこまで時間を割くことは出来なかった。

「お前、大変だな」

 本気でモテたいと願い、その努力が不憫にも報われていない事実を知ったうえで、颯太は告げた。

 ふん、と鼻を鳴らして、山村はニヒルに笑って見せた。

 山村には余裕があった。なぜならモテるためだ。しばらく歩くと藤田由香里ふじたゆかりの背中を見つけた。

「おーす」

 颯太が声をかけると由香里は山村よりもはるかにくたびれた顔で振り返った。

「どうした」

 由香里が返事をするよりも早く山村は尋ねた。

 そもそも由香里は朝練があるから、と早々に帰宅したはずだったのだが、この時間から朝練などしていたら、ホームルームには間に合わない。

「もうホンット最悪」

 由香里はことの顛末てんまつを話した。

 大沼健二おおぬまけんじという男はさわやかなイケメンで通っているが、実際は粘着質なハナクソみたいな男だ。ほじくり出そうと指を突っ込めば突っ込むほど奥に奥にと逃げて行って、一番嫌なところでとどまるタイプのハナクソだ。

 大沼はずっと由香里を狙っていた。それこそ弓道部の部長と仲がいいからということで、大した拒絶もしなかった由香里にも非があるが、こともあろうに夜遅くに家に電話してきたのだ。

 今日のアレ見た?てか、由香里は大丈夫だった?雷みたいにピカピカドンドンうるさかったじゃん。怖くなかったかい?ごめんね、そういうときに俺が側にいてあげたらよかったんだけど。次、また変なことがあったら、俺が必ず守るよ。

「寒気がしたわ」

 その後も延々とキザなセリフを並べ立てていた。

 誰もそんな事求めていないし、そもそも何時かわかってんのか。てか、電話番号教えてもいないのに知ってるとかストーカーと変わんねぇじゃん。

 いい加減しびれを切らして、話もそこそこに、眠い、とだけ吐き捨てて受話器をたたき付けた。そしたら、朝から家にやってきたのだ。

 昨日、ごめんね。疲れてたよね。俺、由香里が心配なんだ。だから、迷惑なのはわかってるけど、俺の話を聞いてほしいんだ。

 いいから帰れ。

 化粧もしていないドスッピンで怒鳴ってやった。その後もグダグダと長ったるい言い訳を並べ立てて挙句の果てには半べそで縋りついてきた。

 手まで握ってきたので、それを強引に振り払って二度寝を決め込んだのだ。

 おかげでなかなか寝付けずに、朝練には間に合わなかった。

「ホンットあの手のタイプの男はダメだわ」

 中学生の頃から由香里はモテていた。その話は颯太も聞いていた。だが、由香里の恋愛至上最も厄介なタイプの男だった。

「なんかこのまま学校行ったら校門で待ってそうだな」

「やめてよ」

 山村がさもおかしそうに笑ったが、その笑顔はすぐに消えた。

 校門が見えてきた。そこには門を背にして物憂げな顔をしている大沼が立っていた。

 先ほどの話を知らなければ、なんとも絵になりそうな図だったが、あいにく今の三人には不気味なストーカーにしか見えない。

 大沼は由香里に気が付くとにっこりと笑みを浮かべた。まるで、朝のことなんて気にしてないよ、とでも言いたげだ。

「うわ」

 最悪と小さく付け足して、由香里は颯太の影に隠れた。それを見て大沼の目が一瞬だけ色を変えた。

 怒気を孕んだ視線がまっすぐに颯太を見ている。

「やめろよ、俺を巻き込むなよ」

「だって、アイツ長いんだもん」

 目の前を通り過ぎる。さわやかイケメンの嫉妬の渦を巻くドロドロの視線が突き刺さる。

 颯太は出来るだけそれを気にしないように速足で玄関へと向かった。

「あいつ後で絶対颯太のこと呼び出すよ」

 山村は顔を引きつらせながら笑った。

 助けを求めるように由香里を見たが、由香里は颯太の目から顔をそらして、そそくさと一人で教室に逃げ込んだ。

 せっかくのさわやかな朝が台無しだった。だが、教室に入るとそれも吹き飛んだ。

「おはよ」

 入口付近にいた天川結衣あまかわゆいが小さく声を出した。それは颯太にしか聞こえない暗号のようなか細い声だった。

 近くにいた山村にも聞こえていたが、山村はなぜ天川が颯太の顔を見て、少しだけ頬をほころばせたのかがわからない。

 一体どういうことだ。いつの間に、何が起きた。

「一体どういうことだ。いつの間に、何が起きた」

 席に着くなり山村は心の中で思った疑問をそのまま颯太にぶつけた。

「え?えへへ、別に」

 緩んだ颯太の顔に苛立ちを覚える。先ほどまでうんざりしたような顔をして、わずかに同情していたのに、今の颯太の顔を見ると大沼の代わりにぶん殴ってやろうかと思った。だが、そこはモテる男、山村だった。無理矢理にニヒルな笑みを浮かべてみたが、颯太は見ていない。

「おはよ、山村」

 何気ない様子で三国が現れた。颯太などまるで見えていないみたいだった。

「お、おう。三国」

 横綱のような体型をした三国は、わずかにくねくねしながら自分の席へと戻っていった。

「なぁ、どう思う」

 颯太に問いかけると、颯太はニヤリと笑い、ずばりと言った。

「コイだな」

「どっちかっていうとクジラだよ」

「クジラは魚じゃねぇよ」

「サイズの問題だ」

 良くも悪くも恋心とはあまり大きく持たないのがコツのようだ。

 颯太はそれを肝に銘じて、ちらりと天川を見た。

 天川の視線とまじりあうのがわかると、どちらからともなく視線を外した。

「こっちのコイも大変だね」

 山村は自分のことなど忘れて、余裕の笑みを見せた。

 なぜなら余裕のある男はモテるからだ。

 クジラに。

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