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更なる高みへ

かつて古い文献で本能寺の変の際に天狗が目撃されたと言われている、

しかし、真実は遥かなる時の向こう側、

この本能寺の変は未だに八洲史上最大の謎となって語り継がれていた、


1590年、全国統一、

この偉業は主に織田信長の参謀であった豊臣秀吉の優秀さが照明された、

と同時にこの年から織田信長は目前の大洋である太平洋の横断と言う一大事業に取り組むこととなる

1592年より始まった朝鮮貿易とともに鎌倉時代よりの八洲の見果てぬ夢、

太平洋の横断船団が出発、これの指揮官として後の扶桑の近代化を担うことになる徳川家康を抜擢、


しかし、この一大事業を成し遂げられたその道は決して簡単な物ではなかった、

まずは大型帆船の建造をやったことがないということだ、

これには全国から船大工を召集したが、

造ったこともない大型帆船がやはり大きな壁となって立ちふさがった、

これまで八洲が造ってきた帆船は精々中型までであり、これでは予想される長期航海には耐えられなかった、

おまけに帆は水分を吸い込みやすい素材を使用していたため嵐と遭遇した際の転覆の危険性も指摘された、

こうして最初の一年は無駄に過ぎていった、


この状況を見てみぬフリをする織田信長ではなかった、

当時日本に来航していたポルトガルの大型帆船を参考にしろと鶴の一声、

こうして完成した八洲最初の大型木造帆船は大洋を東へと航海することから扶桑丸と命名された、

この頃から、八洲の造船技術の発展は始まっていたのかもしれない、


およそ15隻の船団で東進した横断船団だが、

どの様にこの大洋を渡るのか、これを模索するのにもかなりの時間を費やした、

そして導き出されたのは海流である、

八洲の北へ流れる海流を利用し、さらにその先にある島を使うことで島伝いに移動するのだ、

こうして、徳川家康率いる横断船団は北東へと、進路を漸く進め、

ついに未知の大陸、アメリゴ大陸に到達する、


その丁度同じ時期に織田信長は八洲海の対岸を沿岸州として領有化し、

さらにカムチャツカ半島なども領有化した、


後にここアメリゴ大陸でロッキー山脈以西の土地を八洲は領有化することになる、

これが江戸時代の扶桑植民地宣言である、

その際に徳川家康はこの扶桑の開拓と統治を任せられることになる、

1600年から信長が築いた関東地方の大都市江戸で信長が幕府を開いたことで始まった江戸時代、

豊臣秀吉は信長からの誘いを断り、最後の最後まで大阪から出なかった、

後の秀吉自身の手記の発見によってこれの理由が明らかとなっている、


時期を同じくしてスペインの南米侵攻により南方からの難民が扶桑になだれ込んできた、

それと同時に優れた計算技術もなだれ込んできた、


そして幾多の時が過ぎ、

1700年代、第一次欧州動乱が始まった、

欧州列強によるアメリゴ大陸の領有化戦争、ヨーロッパ本土での内乱や継承戦争、

産業革命も1700年代半ばに起きた、


そして運命の1775年、

第一次米諳戦争、別名独立戦争である、

この戦いにおいて、ガリア領のルイジアナを跨いだ扶桑から支援物資や後方支援隊が派遣されるもロッキー山脈に進路を阻まれ難航を極めた、

すでに動乱の欧州情勢も味方し、アングリアも本腰を入れるわけにも行かなかった、

結局河川を小型のボートで下り、アメリゴ入りすることになるも、

やはりその道の過程でロッキー山脈が障害となった、


ちょうど時期が重なるが沿岸州やカムチャツカ、アラスカにも欧州列強の手は伸びていた、

帝政ロシアである、沿岸州、カムチャツカ、アリューシャン、アラスカを割譲しろと圧力をかけてきたのだ、

結局交渉の末1799年、ロシアはこれを領有化した、

これに困惑したのはもちろん扶桑のほうであった、

勝手に自分たちの土地を売られたからだ、

もちろん本国の八洲も窶れ顔で、頭上がロシアだったため大きくは批判が出来なかった、


こうして構想されたのが一国とその領土で一個の軍隊を持つのではなく、

二つの国家で二つの軍隊を持てば柔軟に対応できるのでは?と言うものだった、

つまり、わざわざ本国の駐留軍を動かすのではなく、扶桑を独立させもうひとつの軍隊を作ればと言うものだった、

まとめて言えば一人より二人の方が強いということである、


こうして、1800年代は八洲と扶桑は近代化を急務としていたが、

もはや老体政府となった江戸幕府は積極的ではなかった、

これが、明治維新へと繋がっていくということを、


この時はまだ誰もし知る由も無かった、

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