四話 陽ニ誓ウ時
一夜明け、太陽が目覚めのときを知らせる。
雷華のいない部屋で、ルークは短い眠りから覚めた。睡眠などとりたくもなかったが、眠れるときに寝ておくのも騎士の務めだと自分を納得させ、黒犬の姿に戻り冷たい床の上で無理矢理眼を閉じた。
ベッドを使う気にはなれなかった。ベッドを使えば雷華の不在を否応なしに実感してしまうことになる。それがとてつもなく恐かった。
「こんなにも弱い人間だったとはな」
綺麗に整えられたベッドに飛び乗り、自嘲気味に呟く。
雷華と出会う前、国を護ることしか興味がなかったころには、まず抱かなかった感情。自分が一人の女にこれほど惚れこむなど。あのころは恋愛になど見向きもしなかった。
いずれ婚姻しなければならないことは分かっていたが、相手が誰になるかなど気にしたこともない。煩わしいと思ったことはあっても、自ら望んだことなど一度たりともありはしなかった。
女など弱くて鬱陶しいだけ、着飾ることと己の保身しか考えていない醜い存在だと決めつけていた。
だが、雷華は違った。自分の身分を知ったときも驚いただけだった。
媚びることもなく、知る前と何ら変わらない態度で接してくれた。それが例えようもなく嬉しかった。困っている人間を見捨てず、悪事を働く人間を許さず、どんなときも決して諦めない彼女の強さにどんどん惹かれていった。旅が終われば永遠に離れ離れになるのだと分かってはいても、この感情を止めることなど出来なかった。
雷華のことを考えれば考えるほど、肺が、心臓が、痛みを訴える。呼吸が出来ないほど、苦しい。
「失礼致します。サーゲイト様より書簡が届いております」
扉が叩かれ、バルーレッドの落ち着いた声する。「入れ」と言いかけて黒犬の姿だということを思い出し、急いで人間の姿になって服を身に着けた。
「いいぞ」
「失礼致します。こちらが書簡になります」
「すぐに読む、しばし待て」
そう言って、蜜蝋で封じられた手紙を開き丁寧な字で綴られた文章に素早く眼を通す。
リーシェレイグに会いに彼の滞在する迎賓館に赴いたとき、ルークは自分と同じ特務騎士のミシェイス・サーゲイトに、ある頼み事をしていた。その結果を訊ねた手紙を昨日の夜にしたためいて、返答に期待をよせていたのだが、内容はとても短く、知りたかったことの半分も書かれてはいなかった。
(四日で全てが分かるはずもない、か)
落胆しそうになる気持ちを、軽く息を吐いて浮上させる。結果が得られなかったからといって落ち込んでいる暇はない。さっと気持ちを切り替え、次に打つべき手を考えた。
「望みは薄いが……バルーレッド、モクランを、いやライカの馬を館の前に用意してくれ。行きたいところがある」
手紙から顔を上げ、直立不動で扉の前に佇んでいる壮年の執事に告げる。
可能性は低いが、当たってみて損はないだろう。雷華を攫った奴を追うには少しでも情報が必要なのだ。ロウジュの戻りをただ待つなどという選択肢は最初から存在していない。
「畏まりました」
「それと何か食べるものはあるか。少し腹にいれておきたい」
空腹を感じているわけではないが、睡眠と同じで食べれるときに食べておいた方がいい。いつ急を要する事態になるか分からないからだ。
「すぐにお持ち致します」
「すまない。迷惑をかける」
まだ朝も早いというのに、嫌な顔一つせずルークの頼みを了承するバルーレッドに、申し訳なさを覚える。こんな感情を抱くようになったのも雷華と出会ってからだ。
「いえ、ライカ様を救いたい気持ちは私も同じでございます。何なりとお申し付け下さいませ」
「……感謝する」
バルーレッドは深々と一礼をして、静かに部屋から去っていった。
(皆、ライカを助けたいと思っているのだな)
至極当たり前のことを改めて気付かされたルークだった。
軽く首を振って深く息を吸って吐く。冷静でいられていると思っていたが、どうやらそうでもなかったようだ。朝食を食べる前に顔でも洗って頭をすっきりさせておこう。そう思ったルークは、水差しを取ろうとしてはっと手を止めた。
「これは……」
机の上には雷華のチョーカーが置かれていた。先端の紅玉石が朝の陽を受けてきらきらと輝いている。何故これがここに、と思いかけてルークは最後に見た雷華の姿を思い出した。生誕祭に出席するためにフィエマ商会に用意させた深紅のドレスを着た彼女の胸元で煌いていたのは、このチョーカーではなく深い蒼色の首飾りだった。
壊れ物に触れるかのようにそっとチョーカーを手に取り、石の感触を確かめる。誰のぬくもりも感じない冷たい石は、ルークに何の希望も与えてはくれなかったが、彼に強い決意を抱かせるには十分だった。
(何があろうとライカを取り戻す)
四半刻後、バルーレッドの案内で外に向かうルークの首元には、寄り添うように揺れ動く二つの紅玉石があった。
「はあ!? ライカ姐がさら、むぐぐぐぐっ」
ルークが木蘭で向かったのは下層区画にある孤児院だった。不在の可能性もあったが、幸いにして双子はいた。一人で現れたルークを見て首を傾げるキールとマールに、挨拶もせず雷華の身に起きたことを説明する。二人はぽかんと口を開けたまま、しばらく声も出ないほど驚いていたが、先に我に返ったキールが大きな声で叫ぼうとしたので、ルークは容赦なく彼の口を手で塞いだ。
「ディーを捜している。どこにいるか知らないか」
「むーんむむむぐぐむむーむむむむー!」
「攫われたのはライカ姐様なのにどうしてディーを捜すんっすか! って言ってますー」
マールの言葉にキールがこくこくと何度も首を縦に振る。孤児院の庭で遊ぶ小さな子供たちが、不思議そうにルークたちを眺めていた。その中にはロベルナの姿もあったが、雰囲気を察してか近づいては来なかった。
「理由は……確証を得てから話す」
「むぐむむー!」
「約束っすよー! って言ってますー。じゃあ、行きましょうですー」
「どこにだ?」
軽い口調で言って歩きだすマールに問いかける。すると、二人の口から同時に答えが返ってきた。
「『むむむぐ』」「『星狩り』ですー」