五話 神ノ囀ル星
サブタイトルは、カミノサエズルホシ、です。読み難い漢字ですみません。
ディーが去ったときと寸分違わぬ位置に立ちつくしたまま、どれだけの時が過ぎたのだろうか。喉が渇いていたはずなのに、粗末な机に置かれた水筒を取りに行くこともせず、雷華はただ立っていた。
過去から推理したとおり、彼はクルディアの兵士だった。しかも将軍という兵士を束ねる地位の人間だという。だが、それが何だというのだ。答えが分かったところで、今のこの状況の説明になりはしない。
頭の中を埋め尽くしているのは、何故、どうして。理由を問いかける言葉ばかりだ。答えなど分かるはずもないのに、同じ言葉が何百回、浮かんでは消えていく。
「失礼します、神子様。将軍より薬をお持ちするよう仰せつかりました」
扉の外から先ほどの女の声がして、雷華の身体がぴくりと動いた。堂々巡りだった思考に一筋の糸が垂らされる。
(くすり……? ああ、そういえば頭が痛いのか訊かれたわね……)
薬を用意させるなど、どういうつもりなのか。本当に冷たく接するつもりならば、薬など必要ない。頭は痛いが死にそうになっているわけではないのだから。彼の優しさに凍りついていた心が震えた。
「まだ、信じてもいいのかしら」
なんて甘いことを考えるのだと、自分で言っていて可笑しくなる。もしルークやロウジュに聞かれたなら、鼻で笑われただろう。あるいは、苦虫を大量に噛み潰したような顔をされるか。
「二人に……ルークとロウジュに会いたい、な」
今ごろ二人はどうしているだろう。きっと自分のことを捜してくれているのだろうが、喧嘩してはいないだろうか。自分の身よりもそんなことが心配になることに、思わず雷華の口から笑みが零れた。
「神子様、あの、入っても構いませんか?」
「あっ、ええ、どうぞ」
女が来ていたことを忘れていた。慌てて入室を促す。勝手に入って来られたとしても、文句を言える立場ではないのだが。自分の置かれている立場がいまいちよく分からない。
「失礼します。こちらが薬に……神子様、食事を召し上がっておられないのですか」
全く手のつけられていないパンを眼にした女の表情が曇る。
「ごめんなさい、すぐにいただきます。あの、さっきから気になっていたんですけど、えっと……ミラさん、そのミコサマって何なのですか?」
気になっていたことを訊ねる。すると、雷華がミラと呼んだ『星狩り』の食堂兼酒場で給仕をしていた女の顔がますます曇った。
「覚えておいででしたか。でもミラは偽名なんです。本当の名はミレイユ。騙すようなことをして申し訳ありません」
「謝らないで下さい……なんだか調子が狂うわ。じゃあミレイユさん、もう一度訊きますけど、ミコサマってどういう意味ですか。私が誘拐されたことと関係があるんですよね?」
「クルディアの伝承にある、未来を視る力を持った神より遣わされた御方のことです。選ばれた人のみが神子に未来を視てもらえるのだとか。その御力があれば世界を統べることも――」
「ちょちょちょっと待って!」
熱い口調で神子について語るミレイユの言葉を、血相を変えて雷華は遮った。
「意味が分からない、いえ、ミコサマの意味は分かったけど、その神子が私だというの!?」
「違うのですか?」
「違うわよ! 私は未来を視る力なんて持ってない。誤解もいいところ。誰がそんな勘違いを」
確かに“力”は持っている。神に遣わされたというのもあながち間違いではない。だが、自分は過去が見えるだけだ。世界など統べられるわけがないし、そんなことしたくもない。この“力”は《色のない神》を見つけるためにあるのだと、雷華は思っている。
「将軍です。でも悠久の理を探し出した話を聞いて、みな貴女が神子だと信じています。もちろん私も信じています」
「そんな、だって、あれは……」
疑いのない眼で見つめてくるミレイユに、何と言い返せばいいのか分からず口ごもる。全てを説明するほどには信用出来ない。かといって、ただの偶然だと言ったところで彼女は信じないだろう。
「賊のような真似をして、イシュアヌの王城から神子様を連れ出したことは幾重にもお詫びします。ですが、私たちにはどうしても――」
「ミレイユ」
扉の陰からディーが姿を現した。ぞっとするほど冷たい視線を向けられたミレイユは、一転して顔を青くして小刻みに震え出した。
「もう出る。準備を急げ」
「はっ、はい!」
将軍の眼から逃れるようにミレイユは部屋から出ていった。ディーを恐れていることは彼女の様子から明らかだった。
『星狩り』の酒場で見た親しげなやり取りと、あまりにも違いすぎる。こちらが本来の関係なのだろうが、演技とはいえよくあんな態度が取れたなと素直に感心した。
「無理にでも食べておけ。まだ先は長い」
「……言われなくても食べるわよ」
きっ、と眼の前の将軍を睨みつける。言いたいことはたくさんあるのに言葉が出てこない。
「…………」
雷華の視線を正面から受け止めていたディーだが、もう用はないと思ったのか、さっと身を翻した。
「……薬、ありがとう……ディー」
離れていく背中に向かって囁く。ぴたりとディーの足が止まりかけたが、しかし、彼は振り向くことなく部屋から去っていった。
一人になった雷華は、水筒に手を伸ばして水を飲む。二日ぶりの水はひどくぬるく、苦くて切ない味がした。




