二十七話 助ケ来ル人
活動報告におまけ話を載せています。今回は浦島太郎です。よろしければどうぞ。
雷華は、昨日と同じように凍土の地の調査報告書を読んでいた。積み重ねられた紙の束を黙々と読み進めていく。昼前にディーが一度部屋に来たが、忙しいらしくすぐに帰ってしまった。夕一の刻にまた来ると言っていたので、そろそろ来るだろう。昼三の鐘が鳴ってから大分経っている。
視線を文字に向けたまま、机の上のグラスを取る。口まで持ってきて中身が入っていないことに気付き、ようやく雷華は報告書から眼をはなした。
「うーん、ようやく半分ってところかしら。読み続けるというのも結構疲れるわ」
背伸びをして、固まった筋肉をほぐしながら立ち上る。
凍土の地がどういった場所なのか、おおよそ把握することが出来た。ディーが言っていた通り、春になっても雪が解けない地域。何故広がり続けているのかまではさすがに無理だが、雪が解けない理由だけならなんとなく分かった気がした。晴れている日がほとんどないのだ。報告書の中に天候について記されていたものがあったが、そのほとんどが曇り、または雪。これでは雪が解けないのも頷ける。
「冷獄の楔は多分この凍土の地のどこかにあるだろうし、一度は行く必要があるけど……もの凄い寒そうね」
寒い所が嫌いというわけではないが、それはあくまで今まで自分が経験したことのある場所であって、大地が凍てつくような極寒の地のことではない。凍土の地が、慣れない人間が足を踏み入れれば、簡単に凍死できそうな場所であることは容易に想像がつく。正直なところ、進んで行きたいとは思わなかった。
暖炉の火で暖まって快適な部屋で、どんよりとした気持ちを切り替えようと窓に近づく。今日は晴れていて空一面が綺麗な青空だ。窓を開けるとひんやりとした風が雷華の顔をなでていった。
「寒いけど気持ちいい、って、ん? 変な臭いが……」
何かが焦げているような臭いがする。どこからだろうと視線を巡らせると、一階下、二階の窓の隙間から煙が出ているのが見えた。
「火事!?」
この南の塔にいるのは自分だけだと思っていたが、下の階に人がいたのだろうか。それとも無人の部屋に自然発火する要因でも揃っていたのだろうか。何であれ、早く火を消さねばと、雷華は水差しを掴んで扉に走った。
「こんなものでもないよりはましなはず」
乱暴に扉を開けて、部屋の外に出る。階段はすぐそこだ。しかし、扉の陰から気配を感じ、雷華は咄嗟に反対側に大きく跳んだ。直後に剣の切っ先が眼の前を通り過ぎていく。身体が反応していなければ、確実に斬られていた。
「今のを避けるなんて……」
剣を雷華に向けたまま、襲撃者が呟く。外套を羽織り、フードを目深に被っているため、顔が見えなかったが、声でそれが誰であるか雷華には分かった。
「私の考え、間違ってなかったみたいね」
思い違いであればいいと思っていた。リュネーの町からこの王都に移動するまでの間、行動が読まれているようだとゼフマーは言っていた。それが意味するところは内通者がいる可能性。こちらの行動を把握し、それを敵に伝えることが出来、なお且つ一緒にいて怪しまれない立場にいる者。それら全てに当てはまる人物を、雷華は一人しか思い浮かばなかった。
「知って、いたのですか」
襲撃者がフードを取る。現れた顔は、やはり雷華の疑っていた、そして疑いたくなかった人物のものだった。
「貴女になら可能だったと推理はしていた。でも確証はなかった。違っていればいいと何度も思ったわ……ミレイユさん」
剣を携え、顔を隠して襲ってきたミレイユの顔を真っ直ぐ見据える。彼女の瞳には驚きと諦めの色が浮かんでいた。
「……シルグさんを殺したのは失敗でした」
剣先を地面に下ろしてミレイユはぽつりと零した。彼女から、殺意が消えた。
「貴女が言った“注意を怠らなければ”というのは、敵に対してでなく、シルグさんに対して向けられていた言葉だった。連絡を取っているところでも見られたのね」
水差しを地面に置いて、少しずつミレイユに近づく。徐々に煙の臭いが強くなってきている。
「何でもお見通しなのですね。本当に神子様ではないのですか?」
「違うわ。未来が視えてたらもっと早くに貴女を止めてる。ディーは貴女を、いえ貴女たち全員を信頼していた。信頼していなければ極秘の任務に同道させたりしないでしょう。だから彼には何も言わなかった……リュネーの宿で主人を殺したのは、夜に死屍の森を通らせるため?」
雷華の言葉にミレイユが頷く。もう何も隠すつもりはないようだった。
「そうです。でもあんな襲撃で貴女を殺せるとは思っていませんでした。将軍は当たり前ですけど他の三人も優秀な人たちですから」
「じゃあどうして」
「そこまでは分からなかったのですね。いいですよ、教えてあげます。何度も襲撃させたのは私が疑われないためです。貴女を殺す役目を負っていたのは最初から私一人だった。もちろん、死んでいった人たちは、そんなこと知らされていませんでしたけど」
階段から煙が上がってきているのが視界の端に映る。すぐに塔全体が煙で覆い尽くされるだろう。逃げるには階段の奥にある渡り廊下しかないが、雷華は動かなかった。逃げることよりもミレイユと話すことを優先させた。
「そういうこと。襲撃がないうちに私を殺せば怪しまれる。だけど、襲撃が続くなかで殺せば、襲撃者、つまり強硬派の仕業だと簡単に偽装できる。シキルリラ家の紋章が入った腕輪でも私の死体の傍に置いておけば、完璧だったでしょうね。でも、そうはならなかった。何故? いくらでも機会はあったはずよ」
「……私にも、分かりません。何度も殺そうと思いました。でもどうしても出来なかった。シルグさんまで、この手にかけたのに……」
ミレイユの剣を握る手が震える。彼女の葛藤がそこに表れていた。
「迷ったのね」
「そうです。結局殺せないまま王都に着いてしまって。でも……今日殺さないとお前は用なしだって言われました」
ぽたり。ミレイユの瞳から一滴の涙が零れる。
「誰に言われたの」
「私はあの方に拾われて、ずっとあの方のためだけに生きてきた。軍に入ったのも内通者になったのも、全てはあの方のお役に立つため! あの方に捨てられたら私は存在する理由が無くなってしまう!」
止めどなく零れる涙を拭いもせず、ミレイユが叫ぶ。雷華の声は彼女には届いていないようだった。
下の階から火が爆ぜる音が断続的に聞こえてくる。これ以上この塔に長居するのは危険だった。
「だから、だからこうするしかないのよ――!」
ミレイユは叫びながら両手で剣を持ち、大きく振り上げた。そして、
「ミレイユさん!」
雷華は悲鳴を上げながら、崩れ落ちるミレイユの身体を抱きとめた。腹には深々と刺さった剣。彼女は振り上げた剣を、雷華ではなく己の身に沈めたのだ。見る間に赤い血で彼女の服が染まっていく。
「どうして!」
「初めから、こう、すれば、よかった……そうすれば、ぐぅっ……シル、グ、さんを……さずに、すんだのに。……様、お役に立て、ず、申しわけ……ございませ…………」
かくり、とミレイユの身体から力が抜ける。
「ミレイユさんっ!」
慌てて心臓に耳を当てる。微かにではあるがまだ動いていた。出血により気を失っただけのようだ。だが、今すぐに治療をしなければすぐに死んでしまうだろう。
「誰かっ! 誰か助けて! お願い! このままでは彼女がっ!」
自分の服でミレイユの腹を押さえながら、雷華は叫び続けた。煙が充満してきており、かなり息苦しい。しかし、彼女を見捨てて逃げることなど出来るはずがなかった。
「ライカっ、どこにいる!?」




