二十八話 煙ト灰ト血
「その声、ごほっごほっ、ディーね。ごほっ、こっちよ、早く来て!」
煙が眼にしみて流れてくる涙を袖で乱暴に拭いながら、声を張り上げて自分がいる場所を示す。もう視界の上半分は灰色一色だった。
「ライカっ、どうしてすぐに逃げない――ミレイユ!?」
煙の中から姿を現したディーは、床に横たわっているミレイユを見ると驚きの声を上げた。彼の後ろからは複数の足音が聞こえてくる。どうやら塔の異変に兵士が気付いたようだった。
「ヴェルク将軍、如何なさいましたか!」
「ごほっ、ディー、早く! 早く彼女を医者のところにっ! わ、ごほごほっ、私じゃ運べないの!」
厳しい顔で部下を見下ろすディーを雷華は構わず急かす。彼女の傷口を押さえている服はもう血に染まっている。雷華の手も赤い。剣が邪魔で止血が上手くいかないのだ。だが、栓の役割をしている剣を抜けばもっと出血は激しくなる。医師のいない場で、そんな危険なことは出来なかった。
「……ライカは怪我をしていないのか」
「私は大丈夫だから、早く」
「分かった。離れずついてこい。お前たちは消火に当たれ。だが危険だと判断したら逃げろ」
「はっ!」
兵士たちがさっと散っていく。ディーはミレイユを抱き抱えると、渡り廊下に向かって駆け出した。雷華も袖で鼻と口を塞いで後を追う。
消火に向かう兵士とは逆の方向に、空が仰げる廊下をひたすら走る。塔から城までの距離がとても長く感じられた。
ようやく城の中に入り、ディーに続いて階段を一気に駆け下りる。すれ違う人たちが驚いたり短い悲鳴を上げたりしているが、雷華は脇目も振らず長い廊下を走り続けた。だから、こちらに向かってくる人たちがいることに、呼び止められるまで気付かなかった。
「ライカ!」
この場所で聞けるはずのない声。たった十数日聞いていないだけにも拘わらず懐かしいとさえ感じる。雷華は信じられない思いで声のした方に眼を向けた。
「ルーク、なの? どうしてここに」
「俺もいる」
「ロウジュまで……」
ルークの横に視線を移せば、紫水晶の瞳がこちらを見ている。二人とも雷華が初めて見る服装をしていた。
「怪我をしているのか!?」
「ううん、私はどこも……って、ミレイユさん! ディー、早く行きましょう」
服も手も血に塗れた姿を見て顔色を変えるルークに首を振って答えたところで、雷華は最優先でしなければならないことを思い出した。ルークたちの登場を雷華と同じように驚いているディーの腕を軽く叩く。
「あ、ああ、もうすぐそこだ」
はっ、となったディーはミレイユを抱え直し、再び走り出した。
「二人も一緒に来て」
言いながら雷華も走り出す。訊きたいことがあるのはお互い様だが、今はミレイユを助けることが先決だ。話など後でいくらでも出来る。
「ああ」
「分かった」
状況が掴めないまでも、一刻を争う事態であるということは理解しているようで、ルークもロウジュも何も訊かずただ頷いて雷華に従った。
何度か廊下を曲がった先にあった部屋の扉をディーが足で蹴り開ける。乱暴に開いた扉に驚く医師と看護師にミレイユを託し、雷華たちは部屋の外に出た。
「彼らは優秀だ。ミレイユを死なせはしないだろう」
「そう、ね」
廊下の壁にもたれかかり、額に手を当てようとして、自分の掌が真っ赤になっていることに気付く。ミレイユを助けようと無我夢中になっていたため、今まで気にも留めなかった。血に染まった掌と色の変わっている服の裾が、改めて彼女の出血の多さを教えてくれる。この世界の医療技術がどれほどのものなのか知らないが、助かる確立は五分五分か、それ以下のように思えた。
「死なないで……私はまだ貴女に言いたいことがあるの」
声に出さずに呟く。彼女のしたことは罪だ。だが、それでも生きて欲しかった。死に逃げるのではなく、生きて罪と向きあって欲しかった。
「着替えを持ってくる。それから何があったのか聞かせてくれ」
ディーの言葉にこくりと頷く。ミレイユの口から真実を聞いた以上、隠すつもりはなかった。
「貴方たちとも話さないとね」
医務室の前から去っていくディーを、鋭い眼で見つめるルークとロウジュに声をかける。二人はすぐにディーを睨むことを止め、雷華の傍に寄ってきた。
「ライカ、本当に大丈夫なのか。何故あの男と一緒にいるのだ。ライカを攫った奴ではないか」
「殺していい?」
自分を攫った犯人をルークが言い当てたことに雷華は眼を丸くして驚いた。あのテラスに他に人はいなかった。それにディーが手掛かりを残すようなへまをしたとも考え難い。誰にどこに連れて行かれたかなど、分かりようもないはずなのだが。
「よく分かったわね、私がディーに連れ去られたって。駄目よ、ロウジュ。この城にいることも驚きだし。どうやってここを突き止めたの?」
「それは――」
雷華に訊かれたルークは、彼女がいなくなってから今日までのことを話し始めた。




