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ごめん。今日から彼氏と食べるね。――隣にいるのは俺だと思っていた――  作者: てとてと


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第4話 帰処

 実家に戻ると、玄関口には明かりがついていた。

 そろりと引き戸を薄く開いて中の様子を伺う。


 母さんとは話したくなかった。


 そーっと靴を脱ぎ、できるだけ音を立てずに廊下を歩く。

 リビングの扉は開いていて、バラエティ番組の陽気な笑い声が聞こえてくる。


 ふと視線を感じると、キッチンの母さんと目が合った。

 母さんはすっと目を逸らし、ちらちらとこちらの様子を伺う。


 気付かないふりをして通り過ぎようとした。


「帰ったのか」


 どこに目がついているのか、父さんの声がした。


「ああ」


「飲むか」


 父さんは台所の母さんへ目配せして、縁側を顎で示した。


「もう飲んできた」


「少しだけだ」


 断る理由を探したが、見つからなかった。


「かあさん」


 と父さんが声をかけると縁側へ移動する。

 しぶしぶ隣に腰を下ろした。


 庭は暗かったが、母さんの好きな青紫の桔梗の花と、生垣のようなヒマワリが目に入った。


 母さんが、そっとお盆を置いた。

 瓶ビールにグラスが二つ、ザルに盛られた枝豆が乗っていた。

 何も言わずキッチンに戻る。


 風が凪ぐと風鈴の高い金属音が小さく響いた。


 父さんが瓶を構えた。

 グラスを持つとすかさず注がれる。


 綺麗に泡が立って流石だなと感心した。

 返したグラスからは、泡が無様に溢れ出した。


「ああ。ごめん」


「気にするな」


 父さんがグラスを上げる。


「乾杯」


「乾杯」


 グラスを合わせると、父さんは一息でグラスを空けた。

 ふぅと大きく息を吐いて、俺の顔を見た。


「すっきりしたな」


「そうか?」


「憑き物が落ちたような顔だ」


「……敵わないな」


「何かあったか」


 ヒマワリが風に揺れている。

 瓶ビールの表面には、水滴が浮いていた。


「ミ、美稲に会った」


「そうか」


「結婚してた。子供もいた」


「そうか」


「幸せそうだった」


「そうか」


 父さんはそれだけ言って、ビールを飲んだ。

 俺も飲んだ。

 炭酸と苦味が喉を通り過ぎていく。


「話せたんだ」


「ああ」


「好きだったって言えたんだ」


 父さんは少しだけ目を細めた。


「そうか」


「お前と結婚すると思ってたって」


「そうか」


「でもさ。美稲が初めて好きって言われて付き合ったって」


「ああ」


「何も言ってなかったんだ……俺」


 父さんは何も言わなかった。


「通じてるって思ってた」


「うん」


「分かるわけないよな」


「そうだな」


 庭の風を感じながら、目頭が熱くなった。


 三十手前の男が、父親の隣で……さすがに情けない。

 そう思ったが、どうにもならなかった。


 しばらく父さんは見ないふりをしてくれた。


「落ち着いたか?」

 

 涙声は聞かせたくない。

 頷くと、代わりに風鈴が鳴った。


 夜風が少し涼しくなっていた。

 母さんが瓶ビールを替えてくれた。


 無言で酒を酌み交わす。


「戻り、た……かった」


 俺が言うと、父さんは小さく頷いた。


「そうか」


 父さんは空を見上げた。


「ままならないもんだな」


「……悪かった」


「何が」


「十年、帰らなかった」


「母さんに言え」


「分かってる」


「俺にもたまには電話しろ」


「それは母さん経由で」


「俺にもだ」


「分かった」


「母さんは怒っていない」


「うん」


 グラスにビールを注いで間を置いた。


「母さんも悪かった。手を上げたのはな」


 一口だけ口に含んで話始めた。


「ああ」


「ずっと心配してた」


「電話するとな。大丈夫かしら?って」


「声が変わらないってな」


「変わらない? それはいいことだろ」


「あの頃のままって意味だ」


「俺には分からんが、母さんはわかったらしい」


 俺は何も言えなかった。

 父さんは庭を見たまま続けた。


「何があったか、はっきりとは聞いてない」


「……」


「母さんは何となく分かってたみたいだがな」


「ママ友ネットワークか」


「もしかするとな」


「最悪だな」


「田舎だからな」


 父さんは少し笑った。


 ビールを注ぎ直してグラスを傾けた。




 翌朝、目が覚めてもぼんやりと天井を眺めていた。

 あの汚れはなんでついたんだっけな?


 しばらくボーッと眺めていた。

 が、思い出せずそれでもいいかと記憶を辿っていた。

 微かにテレビの音が聞こえてくる。

 きっと母さんが朝食の準備をしているのだろう。


 何を話そう……。

 重い羽毛布団を跳ね上げた。


 顔を洗って台所に行くと、母さんが味噌汁の味見をしていた。


「おはよう」


 母さんがこちらを見ずに言った。


「おはよう」


 沈黙。


 父さんも起きていて新聞を読んでいた。

 明らかに聞き耳を立てている。


「昨日」


 俺は言った。


「言いすぎた。ごめん」


 母さんの手が止まった。

 視線が合った。

 つい表情を伺ってしまうが、仕方がないなと肩をすくめた。


「……私も、叩いて悪かったわ」


「痛かった」


「弱く叩いたつもりよ」


「嘘つけ」


 母さんは少しだけ笑った。


「ちゃんと食べなさい」


「大丈夫だよ」


「東京に戻っても、ちゃんと」


「分かった」


「あと」


 母さんが振り返った。


「無理に結婚しろとは言わないわ」


「うん」


「でも、好きになることまでやめないで」


 そっぽを向いて目頭を誤魔化した。


「……うん」


 朝食の味噌汁は、昔と同じ味がした。



 母さんの運転で病院まで来た。

 この独特の匂いはなんなのだろう?


 病室は大部屋でベッドは6つ。

 じいちゃんは入り口近くのベッドだった。


「お義父さんおはよう」


 母さんが声を掛けると、じいちゃんは操作していたタブレットから顔を上げた。


「いつも悪いねえ」


 俺には目もくれず、母さんに返事を返した。

 気が付いたのか、こっちに話を振ってくれた。


「今日は香一も来てくれたのよ。ほら、香一よ」


 そう言って、母さんは着替えや日用品を交換し始めた。

 じいちゃんは不思議そうな顔をしている。


「じいちゃん久し振り」


 声で気が付いたようで、嬉しそうな顔になった。


「ああ。香一だったか。大きくなったな」


「ありがとう。全然帰ってこれなくてごめん」


「いや、高校も大変だろう?」


「えっ……」


「もう、お義父さんたら。香一はもう働いているのよ」


 戸惑っていると、横から母さんが繋いでくれた。


「おうそうだったか!」


「うん。まあぼちぼち頑張ってるよ。じいちゃんはどう?」


「歳はとりたくないな。転んだだけで骨折るなんてなあ」


「大変だったね」


「彼女さんとはどうなんだ?」


「えっ?」


「ほら、何度か家にも来ただろう?」


 そうだった。

 じいちゃんの家はバスで三十分くらいのとこにある。

 一本で行けるから子供でも行きやすく、美稲も何度か連れて行ったことがあった。 


「あっ、うん。元気にしてるよ。ミイも心配してた」


 そういえば、じいちゃんの事を話すの忘れてた。


「そうか。気立てのいい娘だった」


「うん」


「大事にしなさい」


「うん。ありがとう。大事にするよ」


 大事にしたかった。

 でも、これくらいの嘘なら許されるだろう。


「じいちゃんも早く良くなってね」


 帰りの車の中。


「驚いたでしょ?」


「うん?何が?」


「おじいちゃんよ。新しいことからどんどん忘れてるの」


「みたいだね。俺高校生くらいだったし」


「ほんとねえ。あんた老けたから一瞬、分かってなかったわね」


「入院してから?」


「そう。ボーッとしてたのが良くなかったのかしらね。慌ててタブレット用意したのよ。アプリで頭使えるでしょ?」


「そうなんだね」


「そう。腰の骨だから運動もできないし、可哀想よね」


「でも……話、合わせてくれてありがとう」


「いや。大丈夫だよ」


 しかし、美稲の話題が出るとは思わなかった。

 このまま、たくさんの事を忘れていっちゃうのか?


「母さんもありがとう。じいちゃんの世話してるんだね」


「私が一番手が空いてたから。まあ順当よね」


 数日過ごした昼過ぎ、東京へ戻る新幹線に乗った。

 席に座り、窓の外を見た。


 昨日、もう一回じいちゃんに会いに行った。

 また美稲を大事にしろと言われ、素直に大事にすると応えた。

 まさか同じ会話を繰り返すとは思わなかった。

 

 時間は残酷だ。

 勝手に進んでしまうし、気まぐれに戻ったりする。


 列車が動き出す。


 ホームで母さんは何度も手を振っていた。

 父さんは片手を上げただけだった。


 駅のホームが流れていき、母さんと父さんの姿があっという間に小さくなった。

 故郷が少しずつ遠ざかっていく。


 スマホが震えた。

 通知は美稲からだった。


『元気でね』


 短い文。

 しばらく画面を見つめ、帰り道の会話を思い出した。


『ありが……』


 返信を打とうとしてやめ、スマホを伏せた。


 車窓を眺めると青々とした田んぼが広がっている。

 畦道では稲の香りが立っているはずだ。

 東京では感じることのない香りが鼻をくすぐった気がした。


 向こうには見えるはずの稜線に薄く雲がかかっている。

 どこまでが山で、どこからが雲なのか、境は見た目には分からない。


 美稲のことも、きっとこんなぼやけた境界みたいなものだと思う。


 どこまでが恋で、どこからが思い込みだったのか。

 どこまでが彼女のせいで、どこからが俺の逃げだったのか。

 曖昧にしてずっと雲がかかったままだった。

 今でも、はっきりとは分かってはいない。


 たぶん、これからも全部は分からない。


 でも……スマホを手に取った。


『元気で』


 短く返信した。

 きっとこれでいい。 


 ゴウっと音がしてトンネルに入った。


 耳が痛くなって、息を止めて唾を飲み込む。

 耳鳴りが止んで、窓を見ると冴えない顔が映っている。


 窓に映る俺の顔は、やっぱり頼りない。

 けれど、来た時よりは少しだけましだと思えた。


 列車は進む。

 俺の家へ。

 今の、これからの俺の場所へ。


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― 新着の感想 ―
こういう時綺麗に別れようとするのなんなんだろう。逆に情けないわ。 最後に、じゃぁなくたばれクソ女ぐらい送ったれよ。2度と会わないんだろうし。
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