異世界モノなのに異世界に行かないプロローグって必要ある?
今の状況はこうだ。
現在地は異世界(推定)の森の中。
つい先程まで近所の公園にいたはずなんだが……
目の前には俺が淡い思いを抱いているクラスメイトの女子。
俺とグータッチの状態で唖然としている。
それもそうだよな、俺も全く状況がわからん。
これは……異世界転移モノってことか?
俺、植井龍太は恋をしていた。
その相手とは、クラスメイトの多田くるみだ。
彼女のルックスについては、教室の隅で文庫本を読んでそうな大人しい子を想像してほしい。
きっとメガネとおさげ髪を連想したと思うが、まさにその通り。
だが、彼女の身長が180センチを超えている事を想像した人はいないだろう?
俺は多田を放課後の公園に呼び出している。
もちろん俺の恋心を多田に伝えて……その、良い仲になるためだ。
多田は夕飯の買い物の後なのか、大きなエコバッグを持っている。
なんだそれ、ずいぶん大きいが本当にエコバッグか?
多田はドカベンと称されるほど大きな弁当を毎日持ってきているが、家でもそうなんだな……。
パクパク旺盛な姿もプリチーだぜハニー。
話はそれたが、あとは勇気を振り絞って、この胸の内に秘めた思いを伝えるだけでいい。
俺が買ってきた大量のジュースやパーティグッズの用途が祝勝会になるのか、残念会になるのか……。
既に俺の家では悪友たちがスタンバイして俺の結果報告を待ってくれている。
冷たい木枯らしの中で爪先はかじかんでヒリヒリするのに体の芯は溶鉱炉のように熱い。
心臓の鼓動は削岩機のごとく高速で脈打ち今にも飛び出してしまいそうだ。
緊張で水分の失われた口を開き、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。
これまで育んできた思いの全てを伝えるべく絞り出した俺の言葉とは――――
「ウェーーーイ!」
拳を突き出しながら叫んだそれは公園の構造物に少しだけ反響し、寒空へと消えていった。
あれだけの決意と覚悟を決めていたのに口から出た言葉がそれか?なんで俺はそんな言葉を口にした?
グッバイ、俺の初恋。
「うぇ……うぇーい?」
そうだよな、急にそんな事を言われたら多田も困るよな。
遠慮がちに近づいてくる拳は天使の右ストレートか?
その拳はゆっくりとこちらに伸びてきて俺の拳にコツンと触れた。
ラッパーとかパリピがよくやっているグータッチというやつである。
もしくはフィストパンプとも言う。
なぜ俺がこんな事をしていて、多田も応えたのか……?
わからない、おそらく多田も混乱している事だろう。
手が触れていた時間はそう長くはなかったし、ほんの小さな接触面積だった。
だが多田の拳はほんのり温かく、その温もりは春の日差しのように俺の手に伝わる。
氷のように冷たい俺の手は雪解けを歓迎して芽吹く大地のように歓喜に満ちていた。
困った顔で俺を見る多田が本当に可愛くて脳みそを直接揺さぶられている気分だ。
きっと今この時間が命日に違いない、もちろん死因はキュン死だ。
俺はもうこの右手を洗わないと固く決意したのだった。
そして、自らの昇天を感じた瞬間、走馬灯のようにこれまでの17年間がフラッシュバックした。
どうやら俺には語彙力というものが全く無いらしい。
嬉しい時も楽しい時も、感動した時や落ち込んだ時でさえ一つの言葉でそれを表現してしまうのだ。
「ウェーイ!」
どれだけ美味しいものを食べても、どんなに美しい風景を見ても、涙で前が見えなくなるほど感動しする映画を観ても……その感動を言葉にすることができず、“ウェイ”という謎の感嘆詞のようなものを口にしてしまうのだ。
誤解の無いように言っておくが、言葉を知らないというわけではない。
読書家というわけではないが本は読むし、国語の成績も決して悪くはない。
ただ、自分の心に湧き出す感情を正しく言語化できない違和感のせいで感情が高ぶると“ウェイ”以外に何も言えなくなってしまうのだ。
実は、その悩みを10年来の悪友に相談した事がある。
「別に“エモい”とか“ヤバい”でいいんじゃね?」
親友とも呼べるそいつは教科書の坂本龍馬に泥棒髭を書き足しながら雑に答えたが、もしかしたらそれこそ現代を生きる若者の模範解答なのかもしれない。
実際、俺自身も“ウェイ”という言葉だけでいいと感じ始めていた。
深く考えるような問題ではない……と、これまでの自分なら思っていた。
ところがどっこい、今の俺にはそれを容認できない理由があるのだ。
俺は何としてでも多田くるみに愛を伝えなければいけない。
この恋心を何とかして伝え、すごく良い仲になって手を繋いだりチューしたりしたい。
グータッチ温もりが伝わる接点に全神経が集中する。
まるで俺の全てがこの一点に吸い込まれてしまうような感覚だ。
そう、俺のハートは恋の万有引力によって多田に引き寄せられる運命なのだ。
そうか、これすなわちブラックホールの正体に違いない。
恒星よりも高質量を誇る高密度の恋心は超重力を発生させて時空を歪ませ、
光どころか魂さえ脱出不可能に陥ってしまうのだ。
グータッチが始まってからここまでコンマ5秒程度。
気がついたら俺たちは、異世界の森に立っていたのだ。
さて、自分語りがずいぶん長くなってしまったが、ここからようやく物語が始まる。
この続きは前置きなしで異世界ライフが始まるから安心してほしい。
中世ヨーロッパ風のファンタジー世界でチート能力を持つ主人公がラッキースケベハーレムを形成するのが見たいんだろう?俺だって大好物さ。
全力で実現していきたいと思ってるので、ぜひとも期待していていてくれ。