94.訓練風景
「ごめんなさい、ユタカ。私、ユタカの邪魔してるわね。昨日の夜そのことに気づいて、謝りたかったの」
「?」
場所は再び喧騒の広がるボイオス城内の大食堂。休息十分で意気揚々と一日の仕事のために食事を取る者や、夜通し続けた仕事の目途が立ち目の下に大きな隈を作りながらうつらうつらと食べる者が多々いる食堂の一角では公爵家の令嬢が殊勝な表情を浮かべながら頭を下げて謝罪していた。
「ディアナ様は昨日、自分達のために用意された部屋を見てからユタカ様にご負担をお掛けしているのでは、と気が気ではない様子でした」
朝食に用意された目玉焼きにナイフを入れようとしていたユタカは、突如ディアナが自分に向かって頭を下げ始め戸惑いのあまりナイフが黄身に到達寸前で停止していた。そこにアデリナからの補足説明が入ったところで再始動し、自分好みではない完全に火の入ってしまった黄身にナイフを入れ始めた。
「ああ、そういうこと。別に気にする必要はないよ、手掛けている施策も順調に動き出したし、新たに手を付け始めたものも今現状では様子見の状態だからね。決裁書類が減るわけではないけど、俺自身は意外と手が空いてるんだよ」
それを聞いたディアナはアデリナと目を合わせ、大きな笑みを浮かばせていた。その意味を理解できないユタカは首をかしげながら極めて質素な洋風の朝食を食べ進めた。
「ならユタカの側で仕事を見てていい? 別にどこかに連れて行ってくれる必要ないから」
「構わないけど、大半は部屋に籠もって書類を片付けてるだけだよ。さして面白いことはないけど、それでよければ好きにして大丈夫。なんなら城の中を自由に動いてもらって構わない、でも一つだけ注意。ボイオス総督領は町の外の治安を回復させているところだけど、町の中は未だ大きく手を付けられていないんだ、だから見て回るのは城の敷地内のみにして」
その日の午前中、ディアナはずっとユタカの椅子の後ろに立ち仕事の様子を黙ってみていた。しばらくすると凝ってもいないユタカの肩をニコニコとしながら同年代の女子と比べて強い力を使って揉み、好意ゆえ文句の言いづらかったユタカの顔をゆがませていた。
昼食を挟み、午後になると体を動かしたくなったディアナはアデリナとアルトナーを伴って大きな声が響き渡る練兵場に向かった。
「気をつけぇ!!」「敬礼ぇ!!」
「おい! お前ぇ、ずれてるぞ!! 肘を上げろ!」
ディアナの目の前には100人ほどのむさい男たちが等間隔に20列に並び、綺麗な白髪をたたえ厳しい表情張り付けたオーバストが大声で指示を出していた。きっと何かがまずかったのだろう、集団の後ろの少し離れた所に立っていた一人の男が注意を受けた者に近寄り、肘や腕の角度の微調整し始めた。
「第3訓練小隊、奴以外は全員腕立て伏せ50回!」
すると、集団の半分が揃って腕立て伏せを始める。中には崩れる者もいたが、先ほど微調整をしてあげていた男がつかさず駆け寄り、服を持ち上げながら支えていた。その最中、最初に注意を受けた男は泣きそうになりながら、ただ一人立ち続けていた。
「何これ? ユタカが始めた新手のいじめ? あの人もう泣き崩れそう。確か、前に立ってる白髪の人はオーバストって言ったかしら、ボイアテスに来るまではとても紳士的で穏やかな人だったのに」
「あーあ、まだこんなところで躓いて。オーバストも大変だなー。こんなんじゃ、先が思いやられるよ。結構、物資と資金を割いてるのに」
ディアナが青空の下、集団による陰湿ないじめまがいの光景に眉をひそめながら見ていると、すぐ隣にユタカと同じ意匠の黒い軍服を着た少女がぼやきながら現れた。
「あなたは確か、シャッツちゃんって言ったかしら。あそこで何をやってるのか知ってるの?」
「あれは基本教練を行ってるんだよ、お姫様の所でもやってるでしょ。今はボイオス総督領軍の再編に向けて候補生を選抜・教育しているところ。数は750人だよ」
城内の案内のために付いていくように言われたシャッツは前途多難そうな訓練の様子に不満感を隠せないまま、ディアナの質問に答えた。
「へー、でも時々ユタカやあなた達がしてた動作ってやっぱり敬礼だったのね。アルトナー先生、うちでもあんな訓練をしてたかしら」
「ええ、確かに行っています。ですが、ごく基本的なことのみです。あのように綺麗に整列したり、所作を整えたりするよりも、個人の戦闘能力を高める訓練に重きを置いてます。我が領軍だけでなく全ての軍がそうであると思うのですが」
アルトナーは目の前で繰り返し行われている訓練内容に疑問を覚えていた。将来的にはマクトルの隣の領内を守る力を担う領軍が見た目ばかりを重視した訓練をしていることは大きな不安要素になっていた。
「司令官の言う訓練を否定することは出来ないけど、ユタカさんが求める軍隊には規律が求められるんですよ。司令官の所では個、または集団としての強さを求めている。それに対して、ユタカさんはあのような小集団同士の有機的な連携による強さを求めてるんです。その為に位階による支配、命令者と被命令者の関係、隊員同士の連帯を重視した訓練計画を立てていますよ」
「なるほど、あのマクトル防衛戦の時も細かい部隊を繊細に動かして、数以上の攻撃力を発揮していた。ああいった戦いに必要な軍隊は君が言う様な意識づけが必要なのか」
シャッツとアルトナーの間で難しい話になってしまい付いていくことが出来なくなってしまったディアナが必至になって頭を動かしているとシャッツが笑っていた。
「ははは、お姫様、噛み砕いて説明するとね。位がきっちりしてるからもし、部隊の隊長が死んでも次の人、次の人って具合でちゃんと部隊が纏まって動けるの。それと同時に部隊同士を合わせたり、分解したりしてもちゃんと機能することが出来るわけ。その為に命令できる人を育て、命令を聞ける人を育てているんだ」
自分とそう変わらない年齢に見えるシャッツに笑われながら優しく教えられたディアナは頬を思わず膨らませてしまい、それを見たシャッツの純白のポニーテールが激しく揺らした。
「ふ~、面白かった。あそこで基本教練をしているのは二個小隊だね。他の訓練小隊は体力錬成や剣術、司法を学んでるはずだよ。それを順繰り順繰りに行っていくんだ。そうすると、だめな奴は逃げるし仲間のカバーを受けて踏ん張れる奴とかが出てきて、最終的に残った者が領軍に採用される寸法」
シャッツが説明しているうちに泣きそうになっていた男が大声で何度も腕立て伏せを志願し、声が嗄れ始めたところでオーバストが認め、今度は二つの訓練小隊全員で50回の腕立て伏せが行われた後、訓練が終了した。
オーバストや後ろの離れた所にいた数人の男が前に立ち、訓練生が行った一糸乱れぬ敬礼に答礼をして去って行くと、泣きそうになっていた男が仲間達と抱き合って笑顔を浮かべていた。
「なにあれ」
「あれが連帯ってやつじゃない。私は特性上良く分からないけど」
目の前で繰り広げられたむさい男たちによる感動の友情物語がクライマックスを迎えると、三人の女性陣は奇妙そうに眺め、アルトナーだけが何か納得したように何度も頷き、小さく拍手を送っていた。
そして、練兵場で基礎教練を行っていた部隊は自分達に用意された宿舎の方へ向かい整った行進を始めて去って行った。その後、しばらくすると二体のマネキンに前後を挟まれるような形で同じく100人ほどの訓練生がボロボロになりながら練兵場の広場に走り込んできた。それを待ち構えていたかのように別の訓練小隊が水や塩などを手に抱えて走り寄り、ケアを行った。しばしの時間が過ぎると走っていた訓練生たちがヨロヨロと立ち上がり、しゃがれた声でマネキンに向け敬礼を行った。
「ああ、あれは持久走ですね。ユタカさんの理想とする軍は移動にも重点を置いているのでしっかりと走り込みを行うんです」
「そ、そう。あの黒いのってユタカの人形よね。確か体力の概念がないはず、そんなのと一緒に走らせて大丈夫なの」
「そこは考えてあるんじゃないですか、オーバストが。多分設定した時間で走るようにして、遅れた者は後ろを走るマネキンが剣を抜いて追いかけ回すようにしてれば管理が出来ますよね」
自動人形による生身の人間の訓練において傭兵を相手にして最初に行ったシャッツは何でもないかのように語り、それを聞いた3人は肩を抱かれたり、二人掛かりで運ばれたりしていく訓練生に憐憫の情を抱いた。
「あ、そろそろ夕食にするって。ユタカさん達が食堂に向かうらしいから私達も行こう」
ユタカの覚醒者としての超常の力を食事の連絡に使うシャッツにため息をつきながらディアナは食堂に向かった。
「聞いてください、ユタカさん。あの訓練生たちはまだ敬礼で躓いているような出来ですよ。貴重な物資をやり繰りしてるのに学習意欲が低すぎます」
「オーバストの報告では懸命に取り組んでるって聞いたよ。基礎教練とか司法の勉強は馴染みが無い者が多いからしょうがないんじゃない。それに、敬礼に関しては俺の方が怪しいし」
相変わらず賑やかな食堂の一角でシャッツが真っ白なポニーテールをぶんぶんと揺らして文句を言っていた。
「確かに私が思い描く訓練の内容とはかけ離れた部分も多くあったが、参考にしてみたいところも散見できた。ぜひ、指導をしている者と話をさせて欲しいね。いいだろうか、ユタカ君」
アルトナーは見たことのない内容の訓練の中にも今後自分達にも取り入れるべきものがあると感じ、オーバストとの情報交換を求めた。ユタカはオーバストの時間が許す限りで許可をだして、後を任せることにした。
「ディアナはそんなの見てて楽しかったの?」
「ええ、なにやら妙に演劇のような場面もあったけど、この後どんな軍が出来てくるのか想像が付かなくて楽しかったわ。次にここに来た時には出来上がってるのかしら」
「どうだろうね、今の候補生がどれだけ残れるかも分からないし。でも、マインラートさんやオーバストが頑張ってくれてるから、マクトル領軍とまではいかなくてもそれっぽい集団にはなってるかもしれない」
そう言いながらユタカ達は昨日と変わらないメニューの料理を口にしていた。
次回は5月17日午前0時の投稿となります。
誤字・脱字、語句の選びの間違いなど指摘いただければと思います。




