92.帰城
すっかり陽が落ち、暗闇の広がる林を通る道でランタンを掲げながら走行する豪華な馬車の中からは楽しそうな声が聞こえていた。
「おいしー! このサンドイッチ、おいしいわ。アデリナも食べてみてよ、うちで出てるものより好きかもしれない」
当初の予定よりしっかりと時間を掛けてバイパス道の工事現場で視察を行ってしまったため先行するマクトル領軍の本隊との距離が広がっており、夕食は馬車の中で移動しながら食べることになった。
「ディアナ様、もう少し細かく口にしてください。ほら、お顔にソースが付いております。揺れる車内では気を付けてください。あら、確かにおいしいです」
口の横にサンドイッチのソースを付けながら喜ぶディアナとそれを甲斐甲斐しく世話をするアデリナの言葉を聞いたユタカは、自分もサンドイッチを食べながら後ろを走行する馬車の中に待機しているシャッツがガッツポーズをしている姿が目に浮かんだ。
「それにしてもとても静かな森ね、伝え聞いていた様子とは大分違うみたい。どれほど酷いのかと思っていたけど、少し拍子抜けね」
ボイオス総督領内の治安に関する情報は首都メルディの学校にいる間も話題にあがっており、両親と行っている手紙のやり取りの中でもマクトルに流入しようとする賊が多いと、愚痴の様に書かれていることが多かった。そんな公国屈指の危険地帯となった場所で夜間の移動をしているディアナであったが、ユタカ達が護衛している安心感からか冗談を口にする余裕があった。
「実はボイアテスに着いてすぐみんなに賊の掃討を行う指示を出したんだ。この辺りは二人も見たことのあるアルファとベータが二人で掃討作戦をしてたんだ。彼らは昼夜を問わず働き続けてくれたからね、大分静かになったと思うよ。俺たちが最初に通った時なんて少し進むたびに賊と当たるような道だったよ」
「ベータって、あのメイドの格好をしてた綺麗な子よね。学校や城で見せたあの力を持っている子が休みなく追いかけてくるなんて、なんだか賊なのに同情してしまうわ」
それから何事も無く順調に馬車を進めていくと野営の準備をすでに終了し、交代で休憩を取り始めていた本隊と合流することが出来た。
野営地の中心部付近に設置された豪華なテントにディアナ達を送り届けたユタカは、その近くに設置されている司令官用のテントに入っていくアルトナーに声を掛けた。
「明日の夕方までには到着できると思いますよ。ここからしばらく行くと公爵閣下から伺っているかと思いますが、大規模な道路工事が行われている区間に入るので大分速度が出せるようになるはず」
「それは助かる。あの峠を越えた際の疲労と悪い噂の絶えないこのあたりの治安で兵達にかなりの疲労が溜まっているようだ。警戒の具合はユタカ君が同行していることを考えればもう少し緩めてもいいのかもしれないけどね」
夜が明け、空が白み始めるころには部隊が移動を開始し、ボイアテスに向けて歩みを進めていた。アルトナーが警戒レベルを一段階下げたこととユタカ達が同行し周辺の警備を行うことが伝えられたことで、マクトル領軍の緊張感は適度に抜けていた。マクトル防衛戦に参加していた兵が多くいることもあってユタカ達の異常な戦闘能力を直接目にしていることによる安心感もかなり大きかった。
「ねえ、あの小屋は何かしら。今まで森しかなかったのに急に小屋がいくつも並んでるけど、町でも作るのかしら」
早朝の出発で眠そうにしていたディアナの瞼がしっかりと上がるころになると、道の横に切り開かれた森と建築されている簡易的な小屋がいくつも見えるようになった。作業している者には明らかに幼い者や年を重ね過ぎているように見受けられる者が含まれていたが、それぞれが自身の体力に見合った作業を黙々と行っていた。
「メルディで話した道路工事のための前準備だよ。ある一定距離ごとに工区を設定して作業員の宿舎や物資の集積所、作業所を建設してるんだ。この前の工区で工事完了の目途が立ったから、この二つ前の工区で建設してあった小屋とかの資材を分解してこの新たな工区の小屋として再利用して建築している最中だね」
「へー、よく考えられてるのね。でも、本当に子どもお年寄りも関係なく働いてるのね。あの子なんて草むしりしかしてないように見えるけど」
「別に工事を効率的に行うことが目的ではないからね。最初は町や村を賊に襲われ難民になった人たちが大半だったけど、その人たちの一部は治安の回復と共にそれぞれの故郷に戻って復興と日常生活の再開を行っているらしいよ。今増えてるのは比較的大きな町や都市部の人間かな」
最初期は大きな町の側に在った難民キャンプの者が中心となり作業員を構成していたが、ユタカ達の働きや各地から派遣されている兵士によって少しずつ治安の回復が出来た地域が広がり、元居た町や村に戻っていく者が増え始めた。それに反比例するように、今まで優先的に支援物資などが集中していたことで比較的食べていくことの出来ていた都市部の住人たちがユタカの政策によって働かない者に対して完全に物資供給を止めたため、備蓄していた食料が底をつき始める頃には工事の作業員を担うようになっていた。
「あそこで木の枝を払っている人なんて明らかに場違いな服装をしてるわ。それにすごく不満そう」
不満があってやりたくないならすぐにでもやめればいい。別に強制をしている訳でもないし。あの女の人は良いところの家のお嬢さんだったんだろうけど、そんな人でも食料が入手できなくなってるんだな。
ユタカは自分の行った支援物資の統制がきっちりと実行されているのをドレスのようなものを着ながら枝打ちをする女性を見て確認していた。そんな光景が広がるエリアからしばらく走ると現在進行形で工事が行われ、多くの作業員が行きかっている区間に差し掛かっていた。
それまでの悪路から明らかに揺れが減少し速度も上がっているせいか、馬車の窓を流れる景色も心持ち速くなった。
「これがユタカの言っていた工事の成果ね、すごいわ。全然お尻が痛くならない。すごく快適よ」
「それだけのクッションの上にいるディアナ様は今までの道でもさして痛くなるようなことはなかったのでは。ですが、確かに乗り心地が良くなっていますね」
サスペンションの無い馬車に乗っていると直接路面の状況が車内に伝わり、舗装工事の偉大さが主にお尻を通して実感できた。
以降は順調に舗装された1号線を進み、空の赤みが残るうちにボイアテスに到着することが出来た。領都のメインストリートとは思えない程に閑散としている光景にマクトルからの面々は驚きを隠せないまま、城の衛兵に迎えられながら城内へ入った。
「総督閣下、おかえりなさいませ。申し訳ございませんがマクトル公爵閣下からの支援物資に関しては私の誘導に付いて来ていただければと思います」
もはや自然に還り始めた状態の城の庭ではマインラートの部下が待っており、物資の集積場所への案内をしていた。マクトル領軍はそれに従って作業を行い、一部の兵とディアナ達やユタカ達は城へ入城した。
中の様子は相変わらず多忙を極める役所のような状況でディアナ達が過ごしている優雅さと気品の溢れるマクトル城とは全く異なる様子にしばらく固まっていたがユタカは気にせず自室へ案内した。
「うわ! 予想を裏切らない積み上がった書類の量。少し散らかってるけど気にせずそこに座って」
ユタカの執務室にある席数の少ない応接用のソファーにディアナ達を座らせ、ユタカは自分の席から使用人を呼び、お茶を出すように指示を出した。
「人数分のお茶を出して、あとこの部屋の近くの空き部屋を使えるように清掃してくれない。彼らの泊まるところ準備しないといけないから」
「かしこまりました」
領主の部屋とは思えない程に書類が雑然と積まれ、身の丈に合っていない執務机と椅子にいるユタカを見たディアナは少し目を濡らしながらユタカの後ろから頭をなで始めた。
「え? なにしてるの?」
「ごめんなさい、我が儘言って突然ここまで来てしまって」
「別に気にしなくていいよ。でも、今度来るときは前もって言って欲しいね。今回通って来た道は特に重点的に賊を排除するようにしていたけど、他の地域ではまだまだ治安が悪いんだ。だからディアナを連れるには準備がいることも多々あるんだよ。このことを分かってくれればいいよ、お茶の飲んで一服したら飯を食いに行こう」
「うん」
お茶が来るまでユタカは溜まっていた書類を少しでも減らそうと確認を行い、そのそばにはユタカの座る大きすぎる椅子に体重を預けるようにしてディアナが立ち、笑みを浮かべながらユタカの仕事ぶりを見ていた。アルトナーとアデリナはそんな二人の様子をソファーに座り微笑みながら見ていた。
「オーバスト、ここ数日引っ張りまわしてごめんね。後は大丈夫だから訓練生達の訓練に集中して」
「分かりました、ユタカ殿。しっかりと鍛え上げて心身ともにユタカ殿の兵に相応しいものに仕上げましょう」
執務室に運ばれて来たお茶を飲み終えたところで、ユタカは始まったばかりのボイオス総督領軍の候補生の訓練を護衛のために急遽取り止めさせていたオーバストに訓練の再開を指示した。それを受けたオーバストは笑みを浮かべながら意気揚々と執務室を出て、訓練所としている建物へ向かって歩き出した。
「どんなことをやらすのか知らないけど、オーバストのあの表情を見ると楽なことではないのは確かだな。哀れな訓練生たちが無事に立派な兵士になることを祈ろう。じゃあ、俺達は夕飯を食べに移動しますか」
明るいうちにボイアテスに着くように急いで移動していたため昼食もまともに取れていなかったディアナ達は足早でユタカの先導の下、喧騒溢れる城の大食堂へ向かった。
次回は5月3日午前0時の投稿となります。
誤字・脱字、語句の選びの間違いなど指摘いただければと思います。




