87.望外の宝
「ユタカ総督閣下、先日ご提案のありました領軍に関する件ですが順調に希望者が集まっており、旧領軍所属の一部と合わせて700名ほどとなっております。希望者はまだいることが想定されますが、オーバストさんとの打ち合わせでこのあたりで一旦募集を中止して次の段階に進むことを確認しております」
元騎士の急な来訪から数日してボイオス総督領軍の発足に向けた小さな一歩が踏み出されたとマインラートからの報告を受けたユタカは、その体に対して大きすぎる椅子の上で腕を組んで満足そうに頷いていた。
「さすが、皆さんの仕事は早いですね。領軍に関しては委細をマインラートさんとオーバストに任せます。私の決裁が必要なものがあれば回してください。その領軍について一つ注文を付けようと思います。以前、マインラートさんに調べてもらっていた騎士達の動向ですが、少なからず自分達の義務を果たそうとし続けている者達が居ました。その者達をボイアテスに集めてもらえませんか、少し考えていることがあります」
「承知いたしました。それとご報告ですが、1号線バイパス道に建設中の仮称第一トンネルが貫通したとのことです。ですが、そこに至るまでの被害も大きく収容していた犯罪者の3分の1が崩落事故等で死亡したと現場のフェリクスから報告がありました」
「素晴らしい、貫通できたのか。じゃあ、フェリクスにはその先の山間部の道を切り開いて行くように伝えて。どうせ補充の犯罪者もまだ出てきてるんでしょ」
マインラートはユタカの問いに「減りつつありますが」と答えつつ、バイパス工事を担当しているフェリクスからの定期連絡に必ず書き添えられている悲痛な訴えを思い出して、工事現場の方角に頭を下げずにはいられなかった。
フェリクスはマクトルからの出向と聞いているが毎回手紙には帰りたいと綴られてて、読むのが辛いんだよな。これで無能な奴なら閣下にすぐに故郷に返されるんだろうけど、なまじ有能だから閣下も重用してるし、彼がマクトルに帰れる時がいつ来るのやら。
「道路工事の方は順調?作業員が必要以上に集まってるぐらいだから人手には問題は無いだろうけど、資材とか色々あるでしょ」
「かなり順調です。最初はひどく痩せて体力を消耗していた領民たちも支給される食料や賃金でかなり回復しており、重労働に耐えうる人員が増加したことから採石場の稼働率が向上しております。このままで行きますと当初予想していたよりも早く1,2号線の工事が終了見込みです」
「うん~、早く終わるってことは他に何か対策を考える必要があるかな。また道路とか作るか、今度はボイアテスから南に向かってさ」
それを聞いたマインラートはユタカの執務室の一角にしまってあったボイオス総督領の地図を机の上に広げ始めた。
「これまでは物資の輸送面を重視して北のシュトツェル子爵領、西のマクトル公爵領に繋がる道の整備を行ってきております。一方、ボイアテスの南側には主に穀倉地帯が広がっており北側と比べてまだ幾分かましな状況です。まあ、町の荒廃具合はひどいものですが」
「だからこそ治安維持のために兵士を送ってたりはしてたけど、これからはそちらへの道も整備しようと思うんだ。将来的には穀倉地帯とボイアテス結ぶ重要な道になることは間違いないからね」
ボイオス総督領の地図なんてこんなにまじまじと見たことがなかったな。目の前のことで精一杯だったから全体を見ることが出来てなかった。正直もっと早い時期に見ておかなきゃいけなかったな、ん?
「マインラートさん、南の領境にある大きな山は何ですか。地図上ではかなりの大きさのようですが」
「ああ、ビトゥリゲス辺境伯領との境の一部がこのパボニス山となっております。ヨルン大陸最高峰でありヨルン大山脈の西端に位置する独立峰です。人はどうしても高いところ登りたくなるようで過去から現在まで多くの人が登頂を挑んでいるようですが、山頂から帰って来た者は誰一人としていないそうです」
「どうしてですか、何か強力な怪物が生息しているとかですか」
「いえ、怪物どころか標高が高くなるにつれて植物さえ生えていない環境だそうです。登頂の難しさの一つは最高峰ともあって道のりがかなり長いことです。ここからでも晴れた日には時々見ることが出来るんですよ。美しい山容ですから一度見たら忘れることは無いはずです」
ここに来てから窓の外をのんびり眺めてる時間がなかったから全然見た記憶がないや。はあ、外の景色すらまともに見る時間がないなんて前の世界で働いてた時には経験したこともないぞ。
「そして、最大の理由はこの世の果てにある楽園とも地獄とも評される世界が広がっていることです。これまで登頂を途中で断念して戻って来た人達の話がまとめられているのですが、一様に美しい光景が広がっていたと証言しているのです。見たことのないほど美しい沼と色とりどりに彩色された岩が一面に広がり、地面から湧き出す湯気の合間から見える光景はこの世のものではないとのことです。それまでの身を凍らせるかのような空気が春を思わせる暖かなものに変わり、その楽園へと思わず足を踏み出すと前触れもなく一瞬で仲間たちが死んでいくそうです。それはまさに地獄と、記載されていました」
マインラートが以前に読んだパボニス山の記録を記した書籍を紹介しているとユタカが突然立ち上がり、
少し離れた所に座っていたテヒニクに視線を向けた。そして、テヒニクの方は口角を最大に上げてユタカの近くに歩いていった。
「ユタカ、最高だな、この領地は。マクトルの工房から引き離されてイライラしてたが、今となってはどうでもいいことだ。俺は今すぐにでもパボニス山に行きたいぜ」
「ああ、俺もボイオス総督領に送られて初めて良かったと思った。今すぐに確かめたいけど、もう少し我慢してくれ。領地の安定化はしないとどちらにしてもやりたいことが出来ない。南に向かう道路の舗装工事は行うのは決定だな。後は、マインラートさん、パボニス山が最後に噴火したのっていつですか?・・・いや噴火、あー、山の上とかから赤いドロドロしたものが流れて来たり、真っ黒な煙を大量に吐き出したりとかですね」
噴火という言葉が理解できなかったマインラートだが、ユタカの説明したような現象は今まで読んできたパボニス山関連の文献に記されていることはなく、付近の住人の言い伝えにもそれらしきことは無いようであった。
いつになくご機嫌な様子のユタカを見てマインラートは今日の話のどこにそんなに機嫌を良くする様なものがあったのか悩みながらも、自分の仕事を処理するためにユタカの執務室を後にした。
ユタカとテヒニクの方はどこに自分の土地を確保するかについて地図上で候補地を挙げて、最良の場所を見つけようと盛り上がるも、ゼクティアが決済待ちの文書の山を叩きながら説教を始めたところで、継続課題となった。
パボニス山の認知から幾日が経ち、テヒニクは時折外出の許可をユタカから得て数日の間単独行動をすることが増えた。オーバストも領軍の候補生を相手にした訓練が始まり、ユタカと一緒にいる時間が少なくなっていた。
「終わりっと、少し書類の量も減って来たかな。以前までは書類の山がいくつもあったけど、マインラートさんが一人で持ってこれるぐらいにまでなったよね」
「おそらくは、最初期に一気に立ち上げた事業が軌道に乗り始めて安定してきたのではないでしょうか。ここに来てすぐにあれだけの事業を一度にまとめて始めましたので、それに伴う準備やら問題の解消やらで忙しかったのでしょう」
昼食を取ってしばらく書類を片付けたところで、決済を待っていた書類は全て片付き時間を持て余すよになっていた。総督であるユタカが暇をしているからといってマインラート達役人が暇な訳ではなく、城の一角では今も変わらず走り回る姿や机に倒れ込む姿などが散見された。
「オーバストから報告では基礎訓練を始めたばかりですが、前領軍所属の兵と希望者との間で体力的な能力差はあまりないようです。希望者達はみな訓練前は道路工事に従事していたので体力がかなり向上しているようですが、前領軍所属の兵の方は領軍が実質的に崩壊した後まともな訓練が課されることもなく明らかに基礎体力が低下しているそうです」
「ふ~ん、マインラートさんからのお願いだし逃げだしたりしない限りは鍛えてもらおうか。腐っても前職は兵士なんだから経験値が少しでも生きる場面があるはずだし。あ、そうだ今日だっけ騎士達がやって来るのは」
以前にマインラートに動向調査の結果、義務をしっかりと果たそうと努力している職務意識のしっかりとした騎士を選んで城に集めるように依頼していた。それが、この日の夕方に一同に集められる運びとなり夕方ごろからユタカとの会談が設定されていた。
「夕方になるなら一緒に食堂でご飯でも食べながらにしようか。そっちの方が効率的だし」
「分かりました、そのように手配するを進める準備をします」
新たな領主となった総督なる人物に呼び出された10名ほどの騎士達はみな困惑した様子で食堂の椅子に座っていた。周りを見れば役人と思われる人物たちがふらふらになりながらやって来ては、食事を掻き込んで短時間で去って行ったり、酒を頼んで仲間内で楽しんでいる使用人たちの姿もあった。
アンスガー・ボイオスの死の前から治安の維持に尽力してきた騎士達は新たな領主となった人物の情報収集にも努めており、仲間内でそれらを共有していた。ボイオス伯爵領軍に甚大な被害を与え、類まれなる戦闘力を持つ傭兵団のトップ、年若いながらも現実主義者で目的のためなら前例にとらわれない措置も平然と行う冷徹な人物と認識されていた。実際にボイアテス到着後すぐに物資の配給方法を変更し、それが功を奏し僅かであっても領民生活の改善の兆しが見え始めている。そして、騎士達に対しては一部の騎士を即座に解雇するという平民が行うことは出来ないと思われたことを強行した。
「ゴットハルト殿、いきなりこのような場所に通されるというのは、やはり我らも騎士の地位を剥奪されるのでしょうか」
食堂の隅で正装で身を包み、座っている騎士達の一団の中で最も若い騎士が老年の騎士へと不安そうな表情で話しかけていた。
「モルゲンシュテルン卿、我らボイオス騎士は敗残兵なのだ。当然の沙汰であろう。しかし、どういう訳かすぐに捕らえることもなく麾下の兵を動かして賊の退治などを許しなく行っていても黙認されていた。しかし、それも終わりということであろう」
ゴットハルトと呼ばれた老年の騎士はどこか諦観したようなような表情で若き騎士に語り掛け、それを聞いた他の騎士達もあきらめたかのように手元のお茶をすすった。
しばらくして食堂の利用者も増え始めた頃、喧騒漂う食堂の一角で騎士達が纏った重苦しい雰囲気を切り裂くように真っ黒な服で統一された一団が現れた。
次回は3月29日午前0時の投稿となります。
誤字・脱字、語句の選びの間違いなど指摘いただければと思います。




