月と闇の魔術師
単行本の発売祝いとして期間限定で公開していたお話です。
その日の空は真昼とは思えないくらい暗く、土砂降りの雨が降っていた。
「へへっ……オレらの仕事にゃもってこいの天気だぜ」
あちらこちらがひび割れ、薄汚れた革の軽鎧を身につけた男が言った。無精髭が顔の半分を覆い隠しており、虫歯だらけの歯のせいで口臭も酷い。
「おい、小僧! しっかり仕事しろよ」
男は自分のすぐ隣の草むらにしゃがみ込んでいる少年の頭を小突いた。
「……あの馬車を襲うんだな」
少し離れた場所から近づいてくる馬車を見て、少年が暗い声で呟いた。
「何だよ、今更怖気付いたんじゃねェだろうなあ?」
「まさか」
別の男のからかうような言葉を、少年は即座に否定する。
しかし、その指先は白く、唇はなにかをこらえるように引き結ばれていた。
彼だって、こんなことはしたくなかった。古い魔術師の修行法を選んだ父親の教えに従い、痛みに耐えてまで力を得たのは、人を助けるためであって、傷つけるためではなかったはずだ。
「──何なら、あんたを使って証明してやってもいいよ」
息をひと吹きして、唇から闇の魔力を揺らめかせる少年に男たちは黙り込んだ。山賊の手先になって、谷の下を通る人たちを襲い、金品を得るだなんて最低な所業だ。いつか自分も酷い死に方をするだろう。……それでも、彼には守らなければならないものがあった。
「おい! 今だ! 弓を放てッ、一気にたたみかけるぞ!」
合図役の男の声を皮切りに、山賊たちは雄叫びを上げながら馬車へと襲いかかる。少年は亡き両親へ詫びるように軽く目をつぶって、山賊たちの後へ続いた。
◆◆◆
「……酷い雨ですわねえ。いつまで降るのかしら」
雨の中をガタゴトと進む幌馬車の中で、老女が言った。白銀の髪を細工の細かい髪飾りで上品にまとめ、機能的ではあるが少し洒落っ気のある旅装束を身に纏っている。
「なんだ。体が冷えるのか?」
老婆の隣に腰をかけた赤髪の青年が、手のひらの中に小さな炎を作り出す。
「ありがとう、カルロ。でも、そうねえ……ふり始めてそう立っていないから、体はそこまで冷えていないわ」
老女の声を聞いて、御者台に座った中年の男が幌馬車の中を覗き込む。
「オイオイ。火なんか出しちまって、おいちゃんの大事な商品を燃やしてくれるなよ。そこにあるのが全財産なんだから、燃やされちまったら一文無しだ!」
中年の男は恰幅と愛想が良く、口も回りそうな人物であった。
「大丈夫ですよ、ケイン。カルロの炎は燃やす対象を選べる特別な炎なのですから」
「まあ、ばあさんがそう言うなら、そうなんだろうけどなあ。見ているこっちはヒヤヒヤしちまうよ」
「ごめんなさいね、先にお話をしておけば良かったわ」
ぼやく中年男──ケインへ上品な笑い声で返していた老女が急に口を閉じた。
「ルクレツィア、客のようだぞ」
「ええ、カルロ。……気づくのが遅れるだなんて、年は取りたくないわねえ」
「雨音のせいだろう。お前が気づかなかったら、俺も好きにやれるんだがな」
「ダメよ。あなたはやり過ぎるから、そこで待っていてちょうだい」
老女──ルクレツィアの口元から銀の光が流れ、魔術陣を形作る。陣が完成すると、光とともに、走る馬車を囲むような白銀の結界が展開される。
「なんだい、ばあさん。襲撃か?」
馬の手綱を握るケインの腕が、ブルブルと震える。
「あらあら、あなた、いくつになっても臆病なのね。わたくしがいるから、大丈夫よ。しゃんとなさい!」
ルクレツィア言葉と同時に空から矢が降り注ぎ、ケインは御者台から転げ落ちそうな勢いで、飛び上がった。
「ひいっ⁉」
矢自体はルクレツィアの結界が弾いたが、御者の制御を失った馬車は街道を外れ、草むらに突っ込む。
「野郎ども行くぞオオォォォ──ッ‼︎」
少し緩やかな谷の上から、武器を持った男たちが雄叫びを上げながら襲い来る。
「山賊ですわね」
「ですわね、じゃねーよ! ばあさん、どうすんだ⁉︎」
落ち着き払った様子で敵を見据える老女ルクレツィアへ、ケインがツッコミを入れる。
「俺が纏めて消し炭にしてやっても良いが……」
カルロが横目でルクレツィアを見る。
「おお! 竜のダンナ! 頼りにしてますぜ!」
ケインは期待を込めた目でカルロを見るも、ルクレツィアは首を横に振った。
「いきなり皆殺しと言うのも、どうなのかしらね」
雨の中、馬車から降りて、襲いくる山賊を出迎えるルクレツィア。そんな彼女を見て、山賊は舌打ちをする。
「なんだ、女かと思ったら、ババアかよ。生かしとく価値はねーな!」
そう言って容赦無く剣を振り上げた。
「まあ、ずいぶんなご挨拶ですが……お生憎様、生死を決めるのはねえ──」
ルクレツィアは言いながら体を半身に捻って剣をかわし、男の鳩尾を風の魔術陣で強打した。
「あなたがたではなく、わたしの方ですのよ」
上空に向かって派手に打ち上がった男は、激痛のあまり意識を失うこともできずに悶絶した。
「あらあら、この程度で沈むとは。鍛錬が足りませんね」
朗らかに笑いながら、次々と山賊たちを地に沈める老女。どこからどう見ても、暴力とは無縁な、品のよい老婦人なのに、その一撃に慈悲はない。
「おっしゃー! ばあさん、そこだ! やっちまえー!」
ケインもノリノリで応援していた。
「老年期に入ったのに、はしゃぎ過ぎじゃないか。冷えれば寿命が縮むかもしれないし、やはり、結界で雨を遮断するべきか」
カルロはカルロで何やら悩んでいた。
「クソッ! あのババア、魔術師だぞ! ライを呼んでこい!」
焦った山賊がとある人物の名前を呼んだ。
「魔術師には魔術師だろ! さっさとあの厄介なババアをブッ殺せ!」
山賊に引きずられるようにして出てきたのは、10代前半の少年だった。黒い髪に黒い瞳の少年の顔は傷だらけで、手足もどこか歪に曲がっている。
「この人を殺すんだね……──」
黒い瞳に孤独と絶望を宿した少年は小さく何かを呟くと、ふっと息を吐いて、闇色の魔術陣を形作る。陣が完成したと同時に氷の刃が生じ、老女に向かって突き刺さる──、はずだった。
「謝るくらいなら、人殺しなんておよしなさい」
少年の呟きを聞き取ったルクレツィア。苦言を呈する彼女の口元から白銀の魔力が流れ、彼の放った魔術陣を瞬時に相殺した。魔術陣は、正確に同等の魔力を込めた同型の魔術陣を重ねることで相殺できるのだ。
「なッ⁉︎」
「なんだ今の! あのババア、何をしやがった⁉︎」
これには山賊たちも驚き、慌て、浮き足立った。
「相手の放った魔術陣を相殺するのは、基本中の基本ですわよ」
その隙をついて、ルクレツィアは数多の風の魔術陣を構築する。
「……そんな高等技術が基本のわけ、ねぇだろ」
老女の力に圧倒されて少年は戦意を失い、一歩後ろに下がった。
「隠れていても、わたくしには勝てませんよ」
周囲に潜んでいた山賊たちも目ざとく見つけ出し、驚異的な魔力を持って容赦なく叩きのめす。
「命まではとりませんが、しばらくは眠っていて下さいな」
「……常々思ってんだけどよ。あのばあさん、中に武神でもいるんじゃね?」
圧倒的過ぎる勝利に、ケインは半目になってルクレツィアを観察した。最後に残ったのは、ライと呼ばれた少年だけだった。
「ああ、もう一人、残っていましたね」
老女の視線を受けて、ライはびくりと体を震えさせる。
「ッ……え、……?」
白銀の魔術陣が己の体を包んだ時、ライは死を覚悟した。しかし、彼に与えられたのは痛みではなく、心地よい癒しの魔力だった。
「あなた、お名前は? ずいぶんとひどい怪我でしたけれど、山賊にやられたのですか」
「名前はライ。……馬車が土砂崩れにあった時と、山賊らに抵抗した時にできた怪我だけど……」
常にじくじくと痛みライを苛んできた傷はもう癒えた。それが少年にとっては、急すぎたようだ。彼は唐突に与えられた癒しを受け止めきれず、呆けたような表情で老女を見上げた。
「なんで? アンタ、僕に何をした?」
「ライと言うのですね。わたしはルクレツィア。あなたの傷は、見ていて痛々しかったので治しました。この辺りで土砂崩れといえば、半月ほど前に起こったものでしょうね。規模は小さかったようですが、死者が出たと聞いています」
「ああ、それで間違い無いよ。僕たちの両親は亡くなり、山賊に拾われた。闇の魔力があったせいで、売られたり殺されたりせずに済んだんだ」
「なるほど。発動時に光を放たず、闇に溶け込める魔力は不意打ちや暗殺向きですものね。山賊たちはそこに目をつけたのでしょう」
もし山賊として使えなかったとしても、子供であれば伸び代があるし、高く売れると判断されたのだろう。ルクレツィアは苦々しいため息を吐いた。
「行くところがなくて、山賊のところにいるのであればわたしと一緒に来ると言うのはどうかしら。独り立ちするまで支援すると約束しましょう」
ルクレツィアの提案を聞いて、ライは小さく首を振った。
「いや、僕は行けない」
「行かない、ではなく?」
「妹がいるんだ。おいては行けない」
「では、妹さんを迎えに行きましょう」
「は?」
ちょっと散歩に行くような感覚で言ってのけるルクレツィアに、ライはポカンと口を開けた。
「ついでに山賊たちを一網打尽にするというのも良いかもしれませんわね」
大地に銀の魔力を走らせ、捜索の魔術陣で盗賊たちのアジトの大まかな位置を把握すると老女は歩き出した。
「ちょ、おい! 待て!」
「雨も小ぶりになって来て、視界も広がりつつあります。山賊の根城まで状況が伝わり、守りを固められると面倒なので、さっさと行くとしましょう」
ぬかるんだ地面に足を取られることなく、スタスタと歩いて行くルクレツィア。その後を追いかけながら、ライはケインを振り返る。
「そこのおっさん! ぼんやりみてないで止めろよ! アンタこのババアの仲間なんだろ⁉︎」
ライに言葉を聞いてケインは肩をすくめると、自身も弓矢を背負い、薬品の入った瓶など細々としたものを皮袋に詰め込んでゆく。
「おいちゃんもね、戦いは不得手だし、止めたいのは山々なんだけどさ。そのばーさん、何言っても止まらないんだわ」
「ケインの言う通りです。わたしは何を言われても止まりません」
「いやいやいや、そこの赤髪もなんとか言えよ⁉︎」
「そうだな。体を冷やすといけないから、一旦服を乾かすぞ。やはり、雨よけの結界は必須だな」
「雨より山賊と戦う方が心配じゃねーのかよ⁉︎」
ぶっとんだ老女と、老女を理解し、既に諦めが入っている中年男、心配する点が大分ズレている青年。色々とおかしい3人の同行者とともに、ライは妹の救出と山賊退治に挑むことになったのであった。
◆ ◆ ◆
「おいマジかよ、ババア。アンタ、一体何者だ。アジトまでひとっ飛びだなんて、信じられない!」
盗賊たちの根城は谷から少し離れた山の中腹にあった。元は魔石の鉱脈として採掘作業が行われていた場所だが、魔石が出なくなると放棄されたらしい。長らく放棄された鉱脈に山賊が住み着き、彼らの根城として作り変えられたと言うわけである。
「転移魔術陣で移動したので、早くて当然ですわ。あなたの魔術の知識は少し偏っているようですわねえ。……ケインの馬車も一応持って来ましたが、破損したらかわいそうなので近くの洞窟に隠して結界を張っておきましょう」
ルクレツィアはライから盗賊の根城の話を聞き終えると、ケインの馬車を隠して、探索の魔術陣で内部の状況を調べた。
「おいちゃんの大事な馬車だからなあ。強固な結界を頼むよ、ばあさん」
「はいはい。野生の竜にでも遭遇しない限り大丈夫だから、安心なさい。……それにしても、内部に人が多すぎてどれが妹さんだか分かりませんわね」
ルクレツィアは側に立つカルロを見上げた。
「ふむ、では俺の遠見で探すか。人間の女を探したらいいのか?」
「ええ、10代前半の少女が捜索対象です」
「──よし。見つけたぞ」
カルロは言うが早いか、3人を連れて少女の元へ転移した。
◆ ◆ ◆
床にわらが敷かれた粗末な洞窟の中で、少女はうずくまっていた。綺麗に手入れされていた黒髪は、見る影もないくらいボサボサで、黒瞳も暗く濁っている。
「ライ兄さん……ごめんなさい……」
双子の兄であるライが山賊の片棒を担ぐ羽目になったのは、自分のせいだと彼女は思っていた。馬車を襲った土砂崩れから、両親が身を呈して二人を守った。怪我した足をかばいながら街道を歩いていると今度は山賊に捕まって、売られるか、仲間になるかの選択を迫られた。売られる場合は2人バラバラに売られると脅されて、ライは山賊の仲間になった。少女はライが逃げ出さないための人質である。
「私さえいなければ」
──兄が人殺しにならずに済むのでは?
そんな考えが少女の脳裏に浮かんだ時、陽の光を思い起こさせるくらい明るく、温かい光が薄暗い洞窟内に広がった。
「眩しい!」
捕まってからずっと洞窟の中にいた少女の目は、急に与えられた光の強さにくらんだ。
「アンジー!」
光の中から現れたのは「今日はコイツの初仕事だ!」
山賊に連れていかれたはずのライだった。
「え? ……どうして兄さんがここに⁉︎」
驚いてライへ飛びつくアンジー。怪我をしているどころか、元からあった傷まで癒えているライを見て、少女はひどく驚いた。
「えっと、それが、僕にも良くわかっていないんだ」
珍しく歯切れの悪いライの言葉を聞いて、アンジーは彼の視線を追う。少年の背後には、銀髪の上品な雰囲気を漂わせた老女と精悍な顔つきをした赤髪の青年、髭面の中年男が立っていた。
「……だれ?」
「まあ、そう言う反応になるよね。信じられないかもしれないけど、このババア、山賊を1人で圧倒して僕の傷を治してくれたんだよ」
「このおばあさんが?」
奇妙な組み合わせの3人組は、山賊には見えないが、2人を助けに来た騎士にも見えない。
「わたくしの名前はルクレツィア。こっちの赤髪がカルロで、このおじさんがケインよ」
「私はアンジー。ライの妹です」
物言いたげなアンジーの視線を受けて、ルクレツィアは穏やかな笑みを浮かべた。
「こんにちはアンジー。さて、挨拶も終わったことですし、ここの山賊を退治して、さっさと帰るとしましょうか」
穏やかな表情でとんでもないことを言ってのける老女に、アンジーは目をむいた。
「……えっ?」
「帰るところがないのなら、ライと2人でわたくしの所へいらっしゃい」
微笑むルクレツィアを見て、アンジーは狼狽した。
「ええッ! ね、ねえ! ライ、これってどう言うことなの?」
慌てふためくアンジーをなだめながらライは首を振った。
「僕にもわからない。このババアが何を考えているかなんて知らないけど、山賊退治をしてくれるってんなら、大歓迎だ」
「で、でも、危ないよ。魔術師のライがひどい目にあわされたのに、こんなおばあちゃんじゃ、殺されちゃうよ!」
老女を心配して涙目になるアンジー。彼女の正面にしゃがみ込んで、ケインはグッと親指を立てた。
「安心しな、お嬢ちゃん! このばあさん、殺しても死ぬような玉じゃねーから!」
商人特有の胡散臭い笑顔で太鼓判を押すケインの背後で、カルロも頷く。
「ルクレツィアは山賊程度に遅れをとる人間じゃない。まあ、老年期に入っているから、多少機能は落ちているが……もしもの時は、俺が山ごとブッ飛ばすから大丈夫だ」
カルロの過激な言葉を聞いて、アンジーは黙り込んだ。
「おい、ババア。あの赤髪、一々発言が物騒なんだけど、この山ごとブッ飛ばすだなんて、冗談だよね?」
「安心なさい、ライ。その前にわたくしがカタをつけます」
「答えになってないんだけどー⁉︎」
山賊の根城の奥でわいわいと騒ぐ5人組。
「そんな人数で忍び込んで騒ぐたァいい度胸じゃねぇか!」
彼らの周囲はいつのまにか、山賊たちに囲まれていた。
「アンジー、奥の方で身を潜めていなさい。ほら、ライも」
2人を奥へ通しやるとルクレツィアは洞窟を背にして、辺りを見回した。
「ここは結構奥の方だと思うのですけれど、首領は来ていらっしゃるのかしらね」
すると周りを囲んでいた山賊たちが左右に別れ、壮年の男が現れた。ヒゲは伸びっぱなしで薄汚れた身なりではあるが、毛皮を纏い、金や銀、魔石などの装飾品を身につけている。装飾品の所々に傷があるのは、他者から奪う際に破損したからであろう。
「オレの城に侵入者が現れたと聞いたが、なんだ、ババアじゃねぇか! 若い娘ならともかく、こんなババアじゃ、金にもならねぇぞ! さっさと殺せ!」
首領の号令に従い、山賊たちが武器を手にして殺到する。
「全く、もう。どこに行っても年のことばかり。いささか聞きありましたわね」
小さく溜息を吐くと、ルクレツィアは空中に10を超える風の魔術陣を紡ぎ、発動させる。坑道内が崩れないように手加減はしたが、山賊たちはいくつもの風の壁に殴られ、坑道内の土壁に激突して血反吐を吐いた。
「クソッ! こうなったらガキを囮にして……」
行動奥の洞窟にいる2人の子供へ向かっていく山賊の目の前で、何かが爆発し、視力と聴力を奪った。
「子供を人質にするなんて、汚いよねー。おいちゃん、そういうの、大嫌い」
「瓶に込められた魔力で無力化したのか」
5感の一部を奪われてうずくまる山賊の襟首を掴んで、カルロが無造作に投げ飛ばす。
「そう。この瓶は魔道具の一種でね、投げつけたれた対象の視力と聴力を一時的に奪って無力化するんだよ。便利なんだけど、高いからなるべく使いたくなかったんだけどなあ」
ケインは魔道具で、カルロは素手で、次から次へとわいてくる山賊たちの相手をする。
「……ッ」
アンジーは男たちの怒号や悲鳴、争い合う音に怯えるように目を瞑って、耳を塞いだ。
「大丈夫だ、アンジー。僕がいるから」
ライはアンジーを安心させるように肩を抱くと、ふ、と呼吸に魔力をのせ、黒い魔術陣を描いた。
「ぐッ……オレの足があッ!」
気配もなく紡がれた黒い魔術陣から生えた氷刃に、右足の腱を断たれ、山賊の首領が叫び声をあげた。
「ババア!」
混戦の中、首領の場所をルクレツィアに教えるため、ライが叫んだ。首領は意図に気づき、踵を返すが、ルクレツィアの方が早い。
「逃がしません!」
転移魔術陣を使い、瞬時に首領の背後へ迫る老女。
「このッ、化け物ババアがーッ‼︎」
恐怖に引きつった表情で山賊の首領は壁に叩きつけられた。
「ち、ちくしょう……捕まって縛り首になるくらいなら、オマエらも道連れにしてやる!」
山賊は首から下げていた魔石のネックレスをむしり取ると、それを地面に叩きつける。ガラスの割れるような音がして、魔石が割れると、坑道内が大きく揺れた。
「騎士団が襲撃に来ても、罠にはめて逃げおおせるように、鉱脈内に魔道具を仕掛けておいた。まもなく坑道は崩れ、オマエらも生き埋めだ! 化け物ババアめ、ざまあ見やがれッ!」
崩れゆく坑道内に、山賊の首領の笑い声と子分たちの慌てふためく声が響き渡る。
「ざまあと言われましても、わたしはここをお墓にするつもりはありませんよ。ねえ、カルロ?」
「当然だ」
カルロが笑みを浮かべると、赤い閃光が洞窟内を満たす。次の瞬間、5人は空中にいた。雨は止んだようで、空は見事な茜色に染まっている。眼下では山賊の根城であった坑道が崩れ、土砂に埋もれていく。
「──え?」
空に広がる幻想的な赤紫の夕焼けと、吹き抜ける風の気持ちよさに、ライは言葉を失った。
「ライ、空だよ」
アンジーの言葉をライは肯定する。
「どうして僕らは空に……?」
久々に見た晴れの空、そして、人生で初の上空からの景色。ふわりと身も心も軽くなったような感覚がした。現実感の伴わない光景にしばし見惚れるも、ライは自分の頰を軽く叩いて、現場を確認する。ライとアンジー、ルクレツィア、ケインの4人は何か赤くて大きなものに乗って空を飛んでいるようだった。
「あの、赤髪の男は……?」
「あなたの下に。洞窟が崩れる前にカルロが私たちを上空へ転移させ、自身の背に乗せてくれたのですよ。竜の背に乗るだなんて滅多にないことなのだから、よく見ておくと良いですよ」
「竜⁉︎ 竜って、あの、竜かよ⁉︎」
「あのと言われても、現在、竜はカルロしかいないと思うのですが」
「鱗も赤いし……本当にあの、太陽の竜なの?」
アンジーの言葉にルクレツィアが微笑む。
「本人は赤竜と言っているけれど、そちらの呼び方の方が広まってしまったようですね」
「いやいやいや! 太陽の竜といえば、幾度となく世界を救った大英雄、月の魔術師の相棒だろ⁉︎ マジかよ」
急に興奮しだしたライは、自身を乗せて飛んでいるカルロに向かって叫んだ。
「後で月の魔術師の話を聞かせてよ! 僕は彼の英雄に憧れて魔術師になることを選んだんだ!」
ライの言葉を聞いて、カルロは呆れたように言った。
「聞かせるも何も、本人に聞いた方が早いんじゃないか」
「……それは、どういう……」
混乱するライの肩をケインがポンと叩く。
「坊ちゃんの隣にいる、ばあさんが竜の相棒にして、天下に英名轟く偉大なる月の魔術師。ルクレツィア=ガブリーニってこった」
「えええええーッ⁉︎」
ライもアンジーも口を大きく開けて絶叫した。
「おいちゃんもまた、子供の頃にこのばあさんに救われてな。助けてもらって悪いけど、子供だけでこの世界をまともに生き抜けるかよって毒づいた事があるんだよ。そうしたらこのばあさん、なんと言ったと思う?」
遠い昔を思い出すような表情で言うと、ケインは苦く笑った。
「自らの価値を決めるのは、他ならぬあなた自身です。まともに生き抜きたいのであれば、その場所を自らの力で勝ち取りなさい。勝ち取るのはあなた自身ですが、あなたは1人ではありません。あなたが力を得るために、わたしは可能な限りの支援を約束すると誓いましょう」
過去に告げられた言葉を一言一句違えずに言ってみせたケインに、今度はルクレツィアが苦笑した。
「……覚えていたのですか」
「あんなの、忘れられるわけがねーよ」
独り身である自分が死ぬ時に思い出す光景は、きっとあの光景だろう。ケインはそう思いながら言葉を続けた。
「覚悟しな2人とも。これから忙しくなるぞー。このばあさんはスパルタだからなあ」
笑いながら2人に脅しをかけるケインをルクレツィアが睨みつける。
「まあ、ケインってば。相変わらず口が減らない子ですわねえ。あなたも一緒に鍛え直してあげましょうか?」
「え、い、いや……おいちゃん仕事があるし、忙しいからちょっと無理かなー」
「──ルクレツィアの誘いを断るのか?」
「勘弁してくれよ、竜のダンナあ……」
空を仰ぐケインを横目に、ルクレツィアはライとアンジーへ声をかけた。
「ある程度出来るようになったら好きな国を選ぶといいわ。あなたたちが独り立ちするまでは、支援することを約束しましょう」
どの国がいいかしらねえ、と朗らかに笑う老女へ、ライがなんともいえない表情で質問をする。
「どうしてそこまでしてくれるんだ、ババ──いや、月の魔術師さま」
「ババアはどうかと思うけど、月の魔術師と呼ばれるのも変な感じがするわ」
「はいはい。じゃあ、おばーさん、どうして見ず知らずの人間のためにそこまでする」
警戒心を捨てきれないライ。アンジーは「命の恩人に対して失礼だよ!」とライの服の裾を引っ張って訴えていた。
「そうしたいと決めたからよ。この世界には理不尽なこともたくさんあるけれど、わたくし、その理不尽ってのが嫌いなのよねえ。苦労した人たちは苦労した分も幸せになって欲しい、そう思うの」
真っ直ぐな瞳で言い切って笑うルクレツィア。その視線から逃れるように、ライは顔をそらした。
「……あのさ、おばーさん。人が良すぎだから。いくら強いとはいえ、そんなんで良く生き抜けたね」
「あら。心配してくれているの? あなた、口は悪いけど優しい子ですのね」
ルクレツィアは憎まれ口を叩くライの言葉も笑顔で受け入れる。
「安心しろ。ルクレツィアの好意を踏みにじる理不尽は俺が焼き尽くす」
鼻を鳴らして言い切ったカルロの言葉を聞いて、ライは背筋を震わせた。
「なあ、ばーさん。あんたの相棒、怖いんだけど」
「カルロは竜だから、人間とは少し考え方が違うのよ。これでもずいぶんと人の世に慣れたのだけれど……」
「いや、竜だからって言うより、明らかにあんたのことが好きなんじゃないの?」
竜と老女の友情みたいなものだろうか、とライは考えた。
「お前いいこと言うな。俺は嫁に欲しいと言っているんだが、いつになったら首を振るのやら」
「嫁ッ⁉︎ いやいや、自分で言っててなんだけど、ばーちゃんだよ?」
カルロから告げられた言葉が衝撃的すぎてライはツッコミを入れずには居られなかった。
「年をとったら、とったなりの良さがある」
「そう言うレベル、超えているから!」
「竜のダンナはな、もう何十年とこうだから、多分ばあちゃんの墓までついていくぞ」
訳知り顔でケインはそう言った。
「墓⁉︎」
「縁起でもないことを言うな。ルクレツィアの寿命はまだ先だ」
好き勝手に自分の話をしている男どもを咳払い一つで黙らせて、ルクレツィアは肩をすくめた。
「全く、どうしてわたしの寿命の話なんかになったのかしらね。ほら、前をご覧なさい。海が見えるわよ」
紫の視線が指し示す先には、空と海の境界である水平線が見える。話し込んでいるうちに陸地を超えて海に出たのだ。
「──凄い!」
アンジーとライが同時に呟く。
「でしょう? わたしも初めて見た時は感動したわ」
夕焼けに赤く染まり、金色の光を放つ海。絶景に感動する2人の子供の姿に、昔の自分を思い出だすと、ルクレツィアは小さく微笑んだ。
──願わくばこの2人の行く先に多くの幸せな出来事が待っていますように。そのためにも、自身の持てる全てを持って彼らの支援をしようと、ルクレツィアは心に誓ったのだった。
「……あんまり無茶をするなよ。俺はまだお前との旅を終えるつもりはない」
はしゃぐ子供たちを見つめ、黙り込んだルクレツィアを心配してカルロが声をかける。
「ええ、カルロ。わたしにはまだやるべきこと、そしてやりたいことがたくさんありますからね。墓に入っている暇はありません」
竜の鱗をひとなでしてルクレツィアはしっかりと前を見据えた。
こうして、出会いと別れを繰り返し、長い年月を経てもなお、彼女の冒険と伝説は紡がれ続ける。
「まあ、いざって時は僕が助けてあげるよ」
ライが言って笑うと、アンジーも控えめに主張する。
「わ、私も頑張る……!」
今回の出会いは、ルクレツィア=ガブリーニの逸話の一つであり、それと同時に、新たな伝説の始まりの一歩でもあった。
のちに、月の魔術師の弟子にして、英傑ホフレ=リストスキーの再来とも呼ばれる闇の魔術師ライ。
未だ伝説を歩み続けるものと、新たにその道を歩み始めるもの。
これはその、出会いの物語であった。
発売からそれなりの年月が経過しておりますが、外伝的なお話があれば読みたいとのお言葉を頂きましたので、公開することにいたしました。




