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page 65 : 赤鼻の救世主

「………さんぶい(寒い)。」


呼吸に合わせて、空気中に白い(もや)が逃げていく。

まだ薄暗い待夜家の玄関先で、蛇遣いは両手にゴミ袋を下げていた。

寝起きに恵からゴミ捨てを頼まれた彼は、成り行きでTシャツ一枚のまま外に来てしまったのだ。


「凍っちまう〜〜〜っ」


裸足サンダルの足元が、寒い寒いとステップを踏む。

駆け足でゴミ捨て場に向かうと、先に一人の女性が居た。

後から来た彼を見るなり、その人は嬉しいような、驚いたような表情を浮かべた。


「あっ!金髪のお兄さん!どうしてここに?」


(げっ……またこの女……)


長い髪を片側に流し、厚手のジャンパーを着込んだその女性は、苫井英里(トマイエイリ)

苫男(トマオ)──苫井鈴央(トマイレオ)の姉である。


苫男姉の登場に、蛇遣いのステップが止む。


「すごい、偶然〜!この辺に、お住まいなんですか?」


距離を詰めようと、グイグイと迫り寄る英里に蛇遣いの顔は引き攣っている。


──昨日の夕方。梨人の塾を待ちながら、身体を動かしていた蛇遣いと猫好きA。

その際、休憩に立ち寄ったミニスポットの店前で蛇遣いは英里に声を掛けられていた。


「こんばんは、お兄さん!お一人ですか〜?」


「い、いえ。連れ(ボス)が中に──」


「ああ!そうなんですね。そのスポーツドリンク、美味しいですよね〜!私も好きで、よく飲むんですよ〜!」


「ああ、コレ?へ、へえ……」


出会い頭に慣れ慣れしい奴だなと、その場を離れようとする蛇遣い。

異界の地での不必要な接触は、避けておきたい。


「ちょ、どこ行くの!待ってよ、私が話してるのに!!」


蛇遣いを引き留めようと、英里は彼の腕を掴んだ。


「──!!」


接触から、わずか1秒。蛇遣いの頭に、英里の魂胆が映し出される。


"顔にカラダに……この男、結構良いかも。"


蛇遣いの脳内で、英里の私欲が声となって(あらわ)になっていく。


"私のモノにできたら──"

 

「……ッ!!」


蛇遣いは、身の毛がよだつような気持ち悪さに彼女の手を振り払った。


「離してくれ……!」


腕を思い切り振るった後、蛇遣いは一瞬、我に返った。


(あっ………)


何故、手を振り払ったはずの彼が、そんなにも傷ついたような表情をしているのだろうか……

キョトンとした顔をする英里を残して、蛇遣いは足早にその場を後にした。


英里は、人間。力加減のミスで壊れてしまうような、生命──。

それを知る蛇遣いは、抗うにも神経を使わなければならなかった。


「なによ、まるで私の手が汚いみたいに。」


機嫌を悪くした英里は、腕を(さす)りながら逃げる蛇遣いの背中を目で追った。


「マスター?あれ。マスター、どこ〜??」


コンビニの自動ドアが開き、買い物を終えた猫好きAが出てきた。

蛇遣いのセクハラ被害を知らない彼は探しながらも、呑気に買ったばかりのアメリカンドッグに齧りついている。


「モグモグ……待っててって、言ったのになぁ。はむ、モグモグ。」


歩き食べながら、猫好きAは英里の前を通り過ぎる。


(汚っ。なんなのコイツ。)


口に衣をつけた男に軽蔑するような眼差しを向ける英里(加害者)と、完全マイペースな猫好きA。

そして……土地勘が無いにも関わらず性悪女を退避して明晰ゼミナール辺りまで逃げ帰った蛇遣い(被害者)


──ここまでが、一連の流れである。


「フフフ、まだ寝ぼけてるみたいですね?」


引き攣った顔の蛇遣いの青い瞳の中に、厚着をした性悪女の姿が映る。

その女は、あろうことか蛇遣いの顔へと手を伸ばそうとしていた。


(ダメだ、また触られる……でも、手を出したら……!)


脆いと知ってしまった人間相手に、蛇遣いは抵抗することができない。

下手に動いて致命傷を負わせてしまったらと、最悪の事態を恐れているのだ。

猫好きAの楽観性とは反対に、彼は心配性な一面を抱えていた。


一歩引くという選択が彼の脳を掠めた時──誰かに、Tシャツの裾ごと後ろへと引っ張られた。


「はあっ、はあっ……コルク、母さんが。これも、捨ててって。」


蛇遣いが振り向くと、そこにはパジャマの上からジャンパーを着た、赤い鼻の梨人がゴミ袋を持って立っていた。


「お、おう。」


(た、助かった……!ナイスタイミング。)


蛇遣いは梨人からゴミ袋を受け取ると、急いで捨てに向かった。


「……あれえ、待夜くんじゃない。おはよ、早いんだね。」


邪魔に現れた梨人に英里は白い息を吐きながら、胡散臭い笑顔を向ける。


「……おはようございます。」


梨人も負けじと、嘘に塗れた笑顔を返す。


「で、彼は?待夜くんの親族の方?名前、コルクさんっていうのね。」


(はな)から警戒している相手に、教えることはない。


「ええ、そうですね。同居人、それだけです。」


梨人の言葉に、英里の顔から作りものの笑顔が消える。

ただでさえ長居すべきではない早朝の寒さの中、二人の間は更に冷たく(こお)りつきそうだ。


「なあ、梨人。はやく……中に。中に、入ろう。俺が凍っちまう……!」


ゴミ捨てを終えた蛇遣いは、梨人の隣でサンダルをパタパタと鳴らす。

彼を英里(キケン)から離すことで、頭がいっぱいだった梨人。

対立する英里から目を離し、改めて横でステップを踏むサンダル姿の男を見るなり……声を上げた。


「って、ええ!?なんでそんなに薄着なんだよ!!」


「いや、俺もなんでこんな格好で来たのか……へへ。」


「へへ、じゃないよ、もう!これで風邪引いたらどうするんだよ!早く入るよ!」


梨人は蛇遣いの腕を掴むと、英里への挨拶も無しに家に向かってズカズカと歩いていった。

心配された嬉しさから、自然と笑みを浮かべる蛇遣い。

梨人に腕を引かれる彼は、ふと英里の方を振り向いた。


(うわ、怖え……)


そこには先までの猫を被った彼女ではなく──梨人への妬みを隠しきれない、酷い顔をした女の本性があった。


「なによ……私の手は払った癖に!」


そう呟いた英里が睨みつけるのは蛇遣いではなく、その奥の……梨人。


──ガコンッ!

帰り際にダストボックスへ一発、蹴りを入れる。


電線に止まっていた雀が驚き、一斉に空へと飛び立つ。


「あのメガネ男……ほんっとムカつく!!」


独り、顔を真っ赤にして苛立つ英里は……冬に似合わない、嫉妬に狂った形相。

気性の荒い彼女は地団駄を踏みながら、元来た道を戻っていった。


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