14 食欲 -I'm hungry-
梨人は、実箏と下駄箱の前で別れた。
「じゃあ、また明日ね。バイバイ。」
「うん。また、明日。」
自転車通学の彼女は、膝丈のスカートを揺らしながら駐輪場の方へと歩いていった。
(また明日だって。久々だ、この感じ。)
教室に居ても邪魔者扱いされる梨人は、こんな風に他の生徒と普通に挨拶を交わすのも久しぶりだった。
ギュル……
梨人のお腹が鳴った。
(何か、軽くコンビニで買ってから行こう。)
今朝は母が剥いてくれたデザートの林檎すら食べられなかった梨人だが、今度は何かを"食べたい"と思えるようになっていた。
精神状態によって食欲が増減するのはよくある話だが、梨人の胃腸はこの環境から相当なダメージを受けていた。
昼間も、購買で買ったハーフサイズの焼きそばパンにミーツメイドの葡萄ジュースだけだった。
「あなた、それだけでいいの?」
周りの育ち盛りの男子生徒がパンやおにぎりを3つ、4つ抱える中、梨人はハーフサイズの惣菜パン。
購買のおばちゃんに心配されるのも無理はない。
しかし、これが梨人の日常だった。
このハーフサイズが、今の自分には一番合った選択だった。
梨人は、パンをすぐに食べ終えると教室の空気から逃げるように読書にのめり込んだ。
本当に読みたかった『青龍の愛し子』ではなく、図書室で何気に手にした『悪党コンプレックス』であったが──。
そんな梨人だったが、実箏と交わした何気ない話のおかげで一時的でも、いつもの体調に戻りつつあるのを実感していた。
誰かの言葉一つで、こんなにも人間は変わるものなのだ。そして案外、人間というものは単純であった。
梨人は高校を出て少し歩いた先にあるコンビニ「ミニスポット」に立ち寄った。
レジ近くに貼られたメニュー表には美味しそうな期間限定の栗のパフェと、さつまいものソフトクリームが並んでいる。
「美味そう……。」
梨人は、今が旬の黄金タッグに目を奪われていた。
(いけない、今から勉強しに行くんだから。)
本来の目的を忘れるなと自分に言い聞かせ、メニュー表から顔を背けた。
(また今度、紘と一緒に買いにこよう。きっと喜ぶだろうな。)
そんなことを思いながら、梨人はいつもの昆布おにぎりとCM「元気ナミナミ!」でお馴染みのオトナミンCを買った。
コンビニで買う間食は、たまに気分によっておにぎりの具が変わるくらいで大抵はこのセットだった。
梨人は、あまり冒険するタイプではなかった。
「ありがとう、ございやした〜。」
レジの兄ちゃんの声を聞きながらコンビニを出ると、外がなにやら煙臭かった。
「……ケホッ。」
苦い香りに突然、気管支を刺激された梨人は思わず一度咳き込んだ。
隣を見ると、ニッカポッカを履き、首から汚れたタオルを下げたおじさん二人が煙草を吸っていた。
おじさんたちが煙草を吸っているこの場所は、灰皿スタンドには少し距離がある、入り口に近い位置だった。
「おい、さっきの見たか。流れ星。」
「ああ、変な光が降りよった。ありゃ多分、流れ星じゃなくて隕石だ。間違いねえ。」
「でもよ。隕石って、あんなに明るいか?」
「知らねえ。」
おじさん達も実箏と同じ、異様な光景を目にしたようだ。
(こんなところで吸うなよな、全く。)
梨人は息を止めてその場を離れると、駅へ続く道を歩いていった。
梨人の通う塾は、最寄り駅から二駅先にあった。
東岳陵で電車に乗り、二駅先の春御峠で降りる。
ホームの目の前には、大きな塾の看板が掲げられていた。制服を着た男女のモデルが爽やかな笑顔でポージングをとっている。
"だから私は、自分を誇れる。"
"やりたいことへの全力には、まず学びの全力から。"
"レッツゴー、明晰。"
見慣れた三つのキャッチフレーズ。
(なんか……胡散臭いんだよな。)
梨人は電車を降りる度、毎回同じ感想を抱くのであった。
──どこの塾も、こんなもんである。
改札を出てすぐ右手に見える建物。
一階にはおみやげ屋が展開されており、2階から5階が塾になっていた。
(よし、いっちょ頑張るか。)
梨人は階段を上がり、明晰ゼミナール春御教室に入って行った。
──塾の向かい側。
ラーメン屋・青二才と、空きテナントの間の裏路地。
二つの影の間から、つぶらな瞳の白い蛇がシュルリと舌を出した。




