page 12 : 非道のミカエルと無罪のサタン
──人間界、岳陵第一高校。
梨人は、教室の清掃をしていた。
(あとは、机と椅子を全部戻して……)
端から椅子の上げられた机を運び始める。
「おい」
「………」
「おいってんだよ」
「はあ、なに?」
(名前も呼びやしない)
箒と塵取りを持った同じ清掃グループの一人、岩倉真二に声をかけられた。
「俺この後、用事あるから。後、頼みたいんだけど」
「……ああ、それだったら僕も今日は用事があるんだ」
梨人は、淡々と返事をする。
仕事を押し付けようとしていることくらい、お見通しだ。
「いやいや、俺と一緒にするな?お前は、机でも運んどけばいいんだよ」
相変わらず威圧的な態度の真二に、梨人は正論を突きつける。
「だから、僕にも用事があるって言ってるだろ。それに、よく考えてみなよ。二人でやった方が早く終わるとは思わない?」
(そもそも六人のグループのうち、二人しかいないっていうのが間違ってるんだけど……)
あろうことか、教室担当の清掃グループでは既に四人がサボっていた。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「……勘違い?」
「俺はな、わざとお前に頼むフリまでしてるんだ。こうしてまで何の取り柄もないお前に、人の役にたつ機会を自ら提供しに来た訳だ。分かるか?人の役に立つって、どれだけ素晴らしいことか」
(こういうことでは、よく頭が回るんだな)
梨人は、真二に作り笑いを向ける。
「気遣ってくれてありがとう。岩倉は優しいんだね。でも、決まりは決まり。ちゃんと最後までやるべきだよ。やるべきことができないなんて、それこそ格好悪いよ。」
梨人も、負けてなどいなかった。
「おいおいおい……どこまで勘違い野郎だ?そもそもお前は俺にも、他のやつにも、意見できる人間じゃねェだろうがよ。しっかり"立場"ってのをわきまえてもらわないと困るんだよなァ?」
「その、"立場"っていうのは何?僕も皆も、同じ学生でしょう?何が違うの」
真二は、ハァと大きなため息をついた。
「そうか……鈍いお前には、説明しなきゃ分からないか。いいか、カーストって分かるか?人間力を表すピラミッド。誰の役にも立たなければ、影も薄い。おまけに何を考えてるか分からなくて気味が悪い──皆が皆、お前のことをそう思ってる。お前という存在は、そのカーストの中にも属さない対象外。つまりは、このクラスの"お荷物"ってことなんだよ」
( ……カーストだって?くだらない)
"スクールカースト"──それは青春ストーリー系の創作でよく見かける設定に過ぎない思っていた。
百歩譲って、目に見えないカーストなるものでクラスや社会が分け隔てられているとして。
それを今時、人を測る「ものさし」として捉えるモラルの無さに驚きだった。
真二のその、チャラついた頭の中を見てみたい──
学校中の生徒をコマに、勝手な序列争いでも繰り広げられているのだろうか。
梨人は、全く以て理解できなかった。
「……もう、なんでもいいよ。でもそれは、掃除をサボろうとする理由にはならないんじゃない?」
梨人は、チラリと時計を見た。
今日は、塾の日。模試前の学習強化期間。
揉め事で授業欠席なんて、シャレにならない。
この言い合いをしている時間自体が、ただただ無駄だった。
(こんな茶番につきあってられるか)
「僕、今日本当に外せない用事があるんだ。本当は一緒にやるべきだけど、いいよ。お望み通り、僕がやっておくから。岩倉、用事があるんでしょ?帰っていいよ」
──次の瞬間。
バゴーン、ガシャーン!
癇癪を起こした真二が、椅子と机を蹴飛ばした。
倒れた机からはポーチが転げ落ち、中身が勢いよく床の上にばら撒かれる。
蹴飛ばされたのは、女子の机のようだ。
(ああ……)
梨人は転げたポーチの口を広げるとリップや、鏡や、ピン留めやら──飛び出た小物をテキパキと拾っていく。
(なに涼しい顔してやがんだ、コイツ……!)
気の済まない真二は、しゃがみ込んで物を拾う梨人の頭に足の裏を擦り付けた。
床に這いつくばる梨人に、我が正義だとばかりに彼の頭を踏みつける真二。
見覚えのある、この構図──
『ローマ後期の鎧を着た大天使ミカエル』
グイド・レーニによるイタリアバロック期の絵画。
そこには、大天使ミカエルが悪魔のリーダーであるサタンの頭を踏み付けにする様子が描かれている。
今の二人の状況はまるで、その絵画のようだった。
言うなれば──"非道のミカエル"と"無罪のサタン"。
「てめえの用事より俺の用事だろがよ!なんだ?その態度は。俺が悪いみたいに言ってんじゃねェ!」
真二は、声を荒げた。
(帰っていいよって言ったのに……怒る理由がまるで掴めない。抗うだけ無駄だ、さっさと片付けよう)
痛いの一つも言わず無言で拾う梨人──
その反応にムカついた真二が踏みつける頭を蹴ろうとした、その時。
「ちょっと、何してるの!?やめなよっ!!」
そこに、一人の女子生徒が止めに入った。




