第三十八話
先刻の連絡は6-1全員とその保護者に行き渡ったのだが、初音たちの話がただの妄想と疑われぬように補強する意図があるのだろう。
伝承として伝わる鬼の闘いが事実であると、子供たち、そしてその保護者に納得してもらうために。
「……わかった。明日、何時ごろがいい?」
『朝。お昼からは色々用事があって、お祖父ちゃんいないから。
いつもはペット同伴ダメなんだけど、茶太郎ちゃんとコロちゃんも連れてきて。
さくらちゃんも勿論来るんでしょ?』
「う、うむ…」
ためらいつつ、さくらは寧々子に返事をした。
寧々子の頭の中では、さくらが来ることも既に決定事項だったらしい。
時間を決め、その後は寧々子が祖父である宮司に代わるということで、初音もスマートフォンを実に返した。
その後は実が先刻寧々子が決めた時刻の確認し、通話を終えた。
実は時刻をさくら達に伝え、その時間には出られるようにするように言う。
「急ですまないけど、さくらちゃん。そういうことになった」
「うむ、心得たぞ。神社の者がおるのなら、童子どもに訊かせるにも丁度良かろう」
さくらはすぐにこの話を了承した。
初音が覚悟を決めたことで、さくらも初音を支える意思を固めていた。
最初に魔妖夷に襲われた時のことを家族から聞いた時と同様、もし誰にも受け入れられぬとしても、自分も絶対に離れまいと。
隣に座る初音が緊張していることを気配で察し、さくらは初音の頭を撫でてやった。
「案ずるな、初音。皆良き子じゃ、しかと聞いてくれるであろ」
「さくらちゃん…」
初音の頬に赤みが差す。その表情にさくら自身も少し照れくさくなる。
先刻の浴室では目を逸らしてしまったが、さくらは今度は真正面から初音の目を見てうなずいた。
対し、初音は僅かにうなずいた後、再び視線を合わせてうなずきかえす。
僅かな挙動から、さくらはその心情を察した。
そして初音の頭から手を放し、全員の顔を見て言う。
「よし。では、今日はもう寝るとするかの。
明日は朝のうちに出掛けるのじゃ、とくに初音は早う寝た方が良いぞ」
「うん…じゃあそろそろ私寝るね。おやすみなさい」
「お休み、初音。しっかり寝るんだぞ」
両親に就寝の挨拶を済ませると、茶太郎をかかえて初音は立ち上がり、コロ左衛門を頭に乗せたさくらとともに洗面所に向かった。
その声は僅かに震えていた。本人としては精いっぱい隠したつもりであろう。
だが、その不安は家族にも、さくらにも、茶太郎とコロ左衛門にも伝わっていた。
歯磨きを終えて自室のベッドに座り、初音はいつもの童話集を手に取る。
さくらは布団を敷いており、茶太郎とコロ左衛門はペット用ベッドで寄り添って、既に眠りに落ちていた。
ページを開き、しかし1つの話を読むでもなく、ぺらぺらとめくる初音。
童話の中には不思議な物語がいくつもある。中には人間が怪物を斃す話も。
(……少しでいい。勇気が欲しい…)
――初音は先刻、魔妖夷という恐るべき怪物との闘いから、逃げまいと決めた。
もちろんただの子供である彼女が、アニメのヒーローや童話の魔法つかいのような能力など、持っているわけが無い。
実際に闘うのはさくらだ。それでも自分が殺される可能性はある…どころか、そもそも魔妖夷は自分を殺しに来ている。
可能性どころか、いつ殺されてもおかしくは無いのだ。
童話の中の英雄たちの中にも、初音と同じようにただの子供であった者達がたくさんいる。
いつ怪物に殺されてもおかしくない闘いに、彼らは自らの意思で踏み込んだ。
物語のこととはいえ、彼らがどれだけ恐ろしかったかを考えてしまう。
そして初音自身も、闘う意志こそ固めたが、まだ胸の内には恐怖がある。
少しでも童話の中の彼らの勇気にあやかりたいと、初音は本を閉じ、胸に抱いた。
布団を敷き終わったところで、さくらが照明のスイッチに手を伸ばした。
「明かりを消すぞ、初音」
「うん…」
初音は童話集を机の上に置き、布団の中に潜り込んだ。
さくらがスイッチを押すと、照明は暗いLED豆電球の光に切り替わる。
いつもなら目が暗さに慣れる前にすぐ眠りに落ちているのだが…
初音は目を閉じ、どうにか眠ろうとする。
だが夕暮れに魔妖夷に殺されかけた恐怖を思い出し、そのたびに目が覚める。
そのたびにさくら達が目を覚まさぬ様に息を殺し、額から流れる汗をぬぐった。
何度もそれを繰り返すが、一向に眠気が訪れぬまま、初音はさくらが眠る布団に目を向ける。
もぞもぞと体が動いている。まだ目が覚めているのだろうか。
初音はゆっくりと体を起こし、小さな声で呼びかけた。
「さくらちゃん、まだ起きてる…?」
すると、さくらは体を初音の方に向け、布団から顔を出した。
「どうした、初音」
「……そっち、行って良い?」
「――うむ」
さくらが掛け布団を半分ほどめくると、初音は枕を抱えてベッドから降り、さくらのとなりに潜り込む。
体に布団をかけると、全身がさくらの香りに包まれた。それだけで心がやすらぐ。
薄闇の中、目の前のさくらと視線が合うと、初音の胸が高鳴った。
安らぎと高鳴りが同時に訪れる。
初音は自分の手を包み込むさくらの手のぬくもりを感じた。
「眠れぬのだな、初音…やはり恐ろしいか」
囁くさくらの声に、初音は頷いた。薄闇の中でもさくらはその気配を察知したらしい。
「…そうよな、魔妖夷にいつ殺されるかもわからぬ。
童子どもに恐れられるのも、あ奴らを巻き込むのも、恐ろしいな」
「うん…童話の主役みたいに、怖いものを乗り越えられたらって、思ったけど…」
「難しいな」
「うん」
もう一度頷く初音。そして続けて、気になったことをさくらに尋ねた。
「…さくらちゃんは、初めて魔妖夷に遭った時、怖かった?」
「まあの。それはもう、恐ろしゅうて恐ろしゅうて。あれは幼子のころ…いつであったか。
父上に付き添っての退治であったが、その日の晩は飯が喉を通らず、夜通し情けなく震えての」
苦笑しながらさくらはこたえた。
幼少期から邪気に満ちた怪物と闘っていたというが、初めてのそれがどれだけ恐ろしかったのか。
それでも今、彼女は笑って答えた。笑い飛ばせるほどに、乗り越えたのだ。
故にさくらの眼差しは優しい。己の恐怖を乗り越えたのなら、次は乗り越えようとするだれかの手を取るのが己の役目と、悟っているからだ。
子供ではあるが、おぞましい怪物との闘いを幾度も乗り越え、人々を助けてきたからこその優しさだ。
「…初音。一人で恐ろしさを越えるのは難しいのだ。
わらわは父上、母上、里の者達に助けられ、鍛えられ、今は一人でも戦える。だから」
自らの手を包むさくらの手に、僅かに力が籠るのを初音は感じた。
「わらわがお主を助ける。お主ができぬ分があれば、わらわが支える」
「さくらちゃん…」
「それに――わらわも、お主を喪いとうない。喪うのは恐ろしい」
さくらの言葉に、初音はハッと気づいた。
出会ってから僅かな日々しか過ごしていないが、初音はさくらの事を大切に思っている。
それはさくらも同じだったのだ。ただ護る対象というだけではない。
ともに時を過ごす者として、そばにいる者として、大切に思ってくれているのだ…
「共に越えるのだ、初音。恐ろしいものは、わらわとお主、2人で」
その言葉は初音を支えるという決意にも、初音に生きのびてほしいという懇願にも聞こえた。
――同じことを想っている。
初音はさくらの想いに、また胸が熱くなるのを感じた。
「……うん…一緒に、だね」
「そうじゃ。そうして、スクナを斃して――それで、全て元通りじゃ」
さくらはそこで言葉を切った。初音の胸の内に、ちくりと何かが刺さる感覚があった。
スクナを斃し、それからのこと。平穏な日々に戻る時を迎える。
さくらがかくれ里に帰り、初音は平和な日々を送り、大人になる。
――さくらとの別れ。
元通りという言葉に含まれるその意味を、さくらは言葉にしなかった。
「…もう眠れるか?」
さくらに尋ねられたところで、初音は自分の心が安らいでいるのを実感した。
枕に顔をうずめれば、眠気が訪れた。
「うん」
「左様か。お休み、初音」
「うん。お休み」
さくらと就寝の挨拶を交わす。
その直後、意識が急に途切れた。安らかな寝息と共に、初音は眠りに落ちた。
翌朝、花咲家の面々は桜ヶ守神社に来ていた。
長い階段を上り切り、初音は少し前に訪れたばかりの場所を不思議な気分で眺めた。
幽世のどす黒い雲の下で見た時とは全く異なる、静かで厳かな空間。
それでいて、大きな桜の樹と美しい花のおかげで、どことなく安らぎも感じる。
神仏の力に護られた場所というさくらの言葉を思い返し、納得した。
そして振り向き、初音と茶太郎は最上段から町を見下ろす。
緩やかに吹く風に桜の花びらが舞い、初音の黒髪がなびいた。
桜ヶ守神社の石段最上段からは、小さな町が一望できた。
ところどころに桜の樹が立ち、淡い色の花が咲き乱れている。美しい光景だった。
「わあ…」
「綺麗であろう、初音」
隣にさくらが立ち、初音と共に町を見下ろした。
舞い散る花びらの中にたたずむさくらの姿に、初音は一瞬見とれる。
すぐ我に帰り、町を見下ろしながらうなずいた。
「前にも言うたが、この地は桜の花に護られておる。
いたるところに桜の樹があり、力なき妖怪程度なら近づけはせぬ」
「そうなんだ…」
さくらの発言が事実であれば、確かに魔妖夷から身を隠すには最適の場所であったわけだ。
同時に、その護りを食い破ってきた魔妖夷の恐ろしさがどれだけのものか、初音にもわかった。
少し遅れてきのめ、そして実と成子が辿り着く。
夫妻は汗をかき、すっかり息が上がっていた。
「ここを上ったのは久ぶりだな…こんな長かったっけ」
ハンカチで汗を拭く夫妻の横で、意外にもきのめは多少汗をかいた程度で、さほど疲労した様子は見られない。
「お義母さま、お疲れじゃないんですね…?」
「ええ、何度も上っていましたからね。それにコロちゃんが一緒でしたし」
「フニ~」
「ありがとうね」
コロ左衛門はふよふよ浮きつつ、きのめの杖代わりの支えとなって共に上った。
感謝とともにコロ左衛門をモフモフ撫でるきのめであった。
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