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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
一章 代理勇者の出奔
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8.救世主、見つけたり

 派手に器をひっくり返してしまった。

 ここぞとばかりに飛び散ったスープがノイムの服を濡らし、かさ増しするようにごろごろ入っていたひと口サイズの芋が、これまたごろごろと転がって床に落ちる。


(ううん、不器用……)


 匙を握ったまま、ノイムは台無しになった朝食を呆然と眺めた。

 幼子とは難儀なものである。特に、代理勇者時代の感覚で体を動かそうとしてしまうノイムは、こうして思うように手足を動かせずにやらかすことが増えていた。


 ノイムが二度目の転生を果たしてから三年。

 立派な三歳児として、今日もノイムは子供らしい日常を送っている。


 まずはどこから片づけるべきだろう。テーブルの上で逆さまに伏せている器か、スープに濡れたテーブルや服か、床に散乱した芋か。


「なにやってるの!」


 途方に暮れたノイムに、苛立った声が投げられた。

 アリサである。彼女は、腕のなかで大きく体をのけ反らせて泣きわめく赤子を必死に抱きすくめながら、ノイムを睨んでいた。


「ちゃんと自分で片づけなさい」

「はあい」


 ノイムは椅子から下りて、転がった芋を集め始めた。もったいないことをしてしまった。孤児院の床はあまり綺麗とはいえないし、ここで口に入れてお腹を壊すのは避けたいところだ。惜しいが諦めるしかない。


 ところで、ノイムの朝食はどうなるのだろう。

 拾った芋を見つめるノイムがなにを考えているのかを察したようで、アリサがふたたび口を開く。


「落としたものは口に入れない。みんなのお食事が終わってまだお鍋にスープが残っているようだったら、もう一度よそって食べてもいいわ。なかったらお昼までおあずけよ。いいわね」


 反論を許さぬ剣幕でまくし立て、また別の子供に声をかけた。少し離れた位置で、ノイムと同じテーブルについていた少年である。


「カデル、手伝ってあげなさい」

「なんでおれが」

「あなたがお兄ちゃんだからよ」


 テーブルの下に半身を突っこんでいたノイムは、その名前に跳び上がった。

 ごん、と鈍い音が響き、テーブルの足がわずかに浮く。拾った芋を見事に手からこぼして、ノイムはうずくまった。


(い、今、カデルって……?)


 ノイムはテーブルの下から這いだした。

 すぐ傍に、(くだん)の少年が立っていた。


「……おまえ、とろいんだな」


 この世のすべてが気に入らないと言いたげな仏頂面。子供には似合わない表情だが、彼だって立派な子供だ。

 ノイムよりふたつかみっつほど年上の――幼児である。


 カデルと呼ばれたその男の子は、口をぽっかり開けて固まるノイムをそっちのけで、腰を折ってテーブルの下に潜りこんだ。ノイムよりもかなり器用だ。あっという間にすべての芋を集めてしまった彼は、テーブルの上でひっくり返っている器を表にして、拾った芋をなかに放りこんだ。


「なにしてる。はやくきがえろよ。びしょびしょだぞ」

「う、うん……ありがと」


 ノイムはカデルの顔を見つめたまま、もたもたと立ち上がった。

 今度は椅子に膝をぶつけた。骨に響いた痛みに、ノイムがきゅっと唇を噛む。


 すぐ横でため息が聞こえた。いたたまれなくなって、ノイムはそそくさと食堂をあとにする。ぼろきれのワンピースの裾からスープの雫をぽたぽたと垂らしながら、厨房を突っ切って廊下を進み、二階へ上がった。


 ノイムが向かうのは奥の部屋だ。手前はベビーベッドが並んだ赤子専用の寝室で、その奥の二部屋が成長した子供たちの部屋なのである。実は突き当たりにもうひと部屋あるのだが、なぜか板が打ちつけられていて入室不可になっていた。子供たちの間では、「お化けが出る」という噂がまことしやかに囁かれている。


 寝室に入ったノイムは、隅の籠に積み上げてある服の山から自分のサイズに合ったワンピースを引っ張り出した。


 濡れた服を脱ぎながら、カデルの顔を思い出す。


 硬い黒髪に、胡乱な目つき。長い睫毛の奥に押しこめられた、宝石のように鮮やかな緑の瞳。その特徴は、ノイムの記憶を刺激した。別に今まで彼の存在を知らなかったわけじゃない。

 ただ、名前を知らなかっただけだ。

 カデルという名前を聞いてしまったら、もうノイムの脳裏に浮かぶのはただひとり。


(代理勇者のとき、私が必死に勧誘した……)


 かつての旅の仲間、東洋の剣士である。

 三年前、ノイムが拾われたときにちらりと彼の顔を思い出したが、まさか同じ孤児院にいるとは思わなかった。たしかにサニアの生まれだとは聞いていた。この孤児院で育って院長の手で奴隷として売り払われたのであれば、遠い東の国に根づいていたのも頷ける。


「こんなことって、ある……?」


 なんという偶然。なんという奇跡。今すぐにでも、この国で崇められている神に感謝したい気分だった。食堂にある壊れた女神像の前で祈ろうか。散々放置されていたのにいきなり敬虔な祈りを捧げられても怒りを買うだけかもしれない。では、像を直すところから――。

 テンションが上がるあまりくだらない方向に進み始めた思考は、ノックの音で遮断された。


「おそい。なにしてるんだ。泣いてるのか?」


 ノイムは慌てて新しいワンピースを被った。ほとんど同時に、ドアが開く。


「なんだ、きがえおわってるじゃないか。かたづけちゃったぞ」

「ご、ごめん」

「おなべはからっぽだった」

「そっか……」


 これでノイムが今朝の食事にありつけないことは決まったわけだ。肩を落としながら寝室を出る。昼食は誰よりも先に取りに行こうと固く決意した。


 階段を半ばまで下りたあたりで、ひとりぶんの足音しか聞こえないことに気づいた。振り返れば、カデルがいない。戻ってみると、彼はドアを閉めた部屋の前に突っ立っていた。

 なにやら俯いて思案し、激しく迷っている様子だ。


「どうしたの」

「……おれの」

「の?」

「おれのあさごはんを、はんぶんこしてやる」

「えっ」


 顔を上げたカデルの口は、への字に曲がっていた。どう考えても乗り気ではない。ものすごく嫌々提案している。


「おれは、お兄ちゃんだから」


 お兄ちゃんと言ったときだけ、ちょっと誇らしさが透けて見えた。


 この孤児院ではおとながふたりしかいないからか、ある程度年がいくと、自分より年下の子の面倒をよく見てやるようにと口を酸っぱくして言われる。十歳を越えてくる年長組はもっぱら赤子の世話を任されるため、五歳を超えるとほとんどがお兄ちゃんお姉ちゃん扱いされるのだ。

 その年になってくると、子供たちのほうは子供扱いされることを嫌がる傾向がある。そういうわけで、お兄ちゃんお姉ちゃんとして頼られた彼らは喜んで年下組の面倒を見ようとするのである。


 カデルもその例に漏れないようで、アリサに言われた「お兄ちゃん」がお気に召したらしい。だから苦渋の決断として、自分の朝食を分けようとしている。


 朝食にありつける喜びとはまた別の、むずがゆい感覚が心をくすぐった。ノイムの唇が奇妙に歪む。


(いやいやいや、おもしろがっちゃ駄目。私のほうが年下なんだし、こんな……うーん、可愛い)


 前世での彼も面倒見のいい兄貴分だった。ノイムに対してだけではない。十代の若者が多かった代理勇者の仲間のなかで、彼はいつでもみんなを引っ張ってくれていた。ルーツはここにあったのか。


 ついうっかり、にへっと頬が緩んでしまった。

 慌てて両手で口を押さえる。

 見れば、カデルがドン引きしていた。考えは読めなくとも、今の歪んだ笑みが彼にとって不本意な意味を含んだものだということは、本能で察してしまったようだった。


「わらいかた、きもちわるい」

「ひどい」


 いや、自覚はある。文句はいえない。誤魔化すようにカデルの手を取る。


「ありがと、カデルおにいちゃん! ごはんいこっ」

「お兄ちゃん……」


 食堂に下りるまで、カデルが「お兄ちゃん」を噛みしめる声は続いていた。

俺がメインヒーローだぜみたいなツラしたショタが出てきましたが彼はただのお兄ちゃんです。今後も、俺がメインヒーローだぜみたいなツラしてノイムの隣に居座りますが、お兄ちゃんです。

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