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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
三章 代理勇者の家族
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60.慈悲、逆効果に

 シンシアが話しかけると同時、老婆はぴょんと飛び上がった。

 抱えていた籠からぶどうがひと房こぼれ落ちたのもそのままに、老婆はきょろきょろとあたりを見回す。ここでようやくノイムの喉も正常に作動し、シンシアと揃って何度か声をかけ直すことができた。

 老婆が荷台のノイムたちに気づく。


「驚いた……御者のほかにまだ人がいたなんて。かくれんぼかしら」

「出てくるなって言われてたの。おばあちゃん、助けて」


 縛られた手足を見せてやると、老婆は今度こそ、腰を抜かさんばかりに驚いたようである。彼女は壊れた機械のように何度も頷きながら、ぶどうの籠を地面に下ろした。

 曲がった腰からは考えられないほどきびきびとした動きで、傾いた荷台に乗ってくる。


 (いまし)めを緩めてもらいながら、ノイムは得意げに顎を上げた。

 馬をなだめているらしいヒルバールの姿が、御者台の向こうに覗いている。どうやらこちらを見ているようだ。


「これなら文句ないでしょ、ヒルバール」

「無駄だと思うけどね」


 彼はただ肩をすくめる。口を出す気はないらしい。それで十分である。


 ノイムとシンシアの縄が完全に解かれた。昼間のうちに手足の自由を取り戻すのは初めてだ。先に荷台を降りた老婆を追って、ノイムとシンシアも地面に降り立つ。


 ずっと日陰にいたせいで日の光が眩しい。

 青さを見せつける空の上で、雲の破片がドラゴンの肌のような鱗を作っていた。


「おいで、ふたりとも。お食べなさいな」


 老婆がノイムたちにぶどうを手渡した。ちょっと砂っぽくなっているが、ひと房まるごとである。


「いいの?」

「落としちまったからね」


 遠慮なくいただくことにした。ノイムはひと粒むしると、袖で慎重に拭う。ぱんぱんに張った厚い皮が、日の光を受けて白く輝いている。

 試しにそのまま口に含んだ。


 あまりの苦さに顔をしかめた。


「お気に召さなかったかい? ぶどう酒用のぶどうだからね」


 ノイムは渋い顔のままもうひと粒むしって、今度は丁寧に皮を剥いた。慎重に口に入れる。今度は苦くなかった。酸味はあるものの、味が濃くて美味しい。


 隣を見上げると、ものすごい形相のシンシアが目に入った。

 顔のパーツがすべて真ん中に集まってしまったような顔である。彼女も皮ごと食べたらしい。


「ぶどう酒もこんな味がするの? あんまり美味しくないね」


 なんとも素直な感想に、老婆が声を立てて笑った。

 苦いと感じることに相違はないが、ここまで渋い味ではない。ノイムは前世で飲んだぶどう酒の味を思いだしながら、皮を剥いたぶどうをシンシアの口に押し込んだ。


「こっちのほうが美味しいでしょ?」

「ほんとだ!」


 もごもごと咀嚼したシンシアの顔が輝く。


「こんな味なら、ぶどう酒も飲んでみたいかも」

「嬢ちゃんはぶどう酒を飲んだことがないのかね」

「ない。父さんがお酒にすっごく弱いから、もしかしたらあたしも弱いんじゃないかって、母さんが心配して飲ませてくれなかったの」

「そうかいそうかい。そんじゃ、村に行ったら薄めたやつを飲ませてあげよう」


 老婆の提案に被せるように、賑やかな声がした。

 振り向けば、道の向こうからどやどやとやってくる集団があった。デビーたちが村人を連れて戻ってきたのだ。


 外に出ているノイムとシンシアを見て、デビーがひくりと頬を引きつらせる。


「そのちいこいお嬢さんたちはどこから出てきたんだい?」


 しかし声をかけたのは老夫婦の夫のほうだ。先頭を歩いていたのが彼だったからである。


「荷台にいたのよ、手足を縛られて」


 答えたのはもちろん、老夫婦の妻だった。

 夫婦は揃って訝しげな表情を浮かべてデビーを見据える。


「どういうことだね、デビーさん。こんな幼い子供を縛る?」

「誤解だ、これには訳があってだね」


 ノイムは大きくあくびをすると、彼らの間に割って入った。視界がちょっとだけぼやける。涙で潤んでいるように見えるだろうか。


「私たち攫われたの。お父さんとお母さんのところからね」

「そうなのっ。あたしたちが逃げないように縄でくくってたんだよ」


 シンシアがあとを追って、ノイムの隣に並んだ。少女ふたりの訴えに、悲鳴のような声を上げた老婆が口を押さえた。


 その場の気温が一段上がった。気づけば村から連れてきたと思しき男たちも皆、こちらに注目している。誰も彼もが目にほのかな怒りをたたえていた。


 肌を切るような沈黙が下りる。

 最初に口を開いたのは、老爺だった。


「……この間、隣の村から子供が消えてしまっての。そのとき聞いたんだが、最近、サニアの国では人攫いが増えているらしい」


 デビーがノイムを睨んだようだが、ノイムの目にはほとんど入らなかった。ただ心臓がばくばくと激しく鼓動を打っている。


 ひやりとした肌が片手に触れた。

 シンシアだ。緊張で顔が固まっている。ノイムは彼女の手をきつく握り返した。


「まさかあんた――」

「誤解だと言っているだろう、アダムさん」


 老爺――アダムは、厳しい顔でデビーに詰め寄った。


「なにが誤解なんだ。現にあんたは、その子らに不自由をさせていたんだろう。そうだね、マルタ?」

「ええ、間違いないね。この手で解いてやったんだから」


 マルタと呼ばれた老婆は、しきりに頷いてノイムとシンシアの背を撫でた。村の男たちが色めき立つ。もう荷馬車どころではなかった。皆でぐるりとデビーを取り囲む。


 ノイムは勝利を確信した。


 心臓が高鳴っている。ノイムとシンシアはこの村の者たちに保護しされるだろう。あとはトパの街まで送り届けてもらうだけだ。長いようで短い奴隷生活だった。昨日まではあれほど思い悩んでいたというのに、いざ運が巡ってくるとあっさりしたものである。


 デビーが深いため息をついた。

 勘弁してくれとでも言いたげだ。「それで、俺の話はいつになったら聞いてくれるんだ?」とわざとらしく両手を広げてみせる。


「あんたらが満足するなら、この子らを故郷に帰してやればいい、アダムさん、マルタさん。そしたら俺は彼女らの両親から金を取り返す。彼らはあんたたちにさぞ感謝するだろうね。せっかく生活が楽になると思ったのに、また養い子ふたりと貧乏暮らしの始まりだ、と」


 俺は止めないぞ、ここからずっと南にあるトパの街だ。さあ行くがいい。おっとその前に馬車を引き上げてもらわねばな。

 一気にまくし立てたデビーは、うんざりしたように腕を組んだ。


 ノイムは開いた口が塞がらなかった。まぶたもだ。おかげでせっかく濡らした瞳がすっかり乾いてしまった。


「そ……それじゃ、この子たちの親は、この子たちを」

「遠くに奉公に出したがってた。ただ、父親が病弱で、母親は家を離れられない。だから俺に頼んだんだ。あんまり哀れだから少しの金を渡してやった。あんたらは奴隷の売買とそう変わらんと責めるかもしれないが、俺は間違ったことをしたとは思っていない」

「縛ってたのはなんでだね」

「家に帰ると言って聞きやしねぇから、仕方なしにだよ。まさか馬鹿正直に、おまえらの親はおまえたちを売ったんだと教えてやるわけにもいかんだろうが」


 今度はすべての耳目がノイムとシンシアに集中した。

 間の悪いことに、ふたりは硬直していた。絶句していたのである。


「こうやって面倒ごとになるから隠してたんだがな」


 デビーはノイムとシンシアの背後に回った。まるで哀れむようにふたりの肩に手を回す。


「そういうわけだ。諦めるんだな。ノイム、シンシア」


 姉妹は同時に彼の手を叩き落とした。


(まずい……)


 流れが一気に変わってしまった。デビーはあらかじめ、嘘と真を巧みに混ぜたこの言い訳を用意していたに違いない。でなければ、こんなに雄弁に語ることなどできない。ノイムは必死に頭を回したが、思考は上滑りするだけだった。なにかを言わなければならないが、下手なことを言えば逆効果になる。


 ノイムは混乱したまま口を開いた。なまじ成功を確信していただけに、動揺が大きすぎる。荷台からマルタに声をかけようとしたときとは別の意味で、舌が震えていた。


「そ、そんなわけないでしょ……」


 あまりにも力がない声だった。これはどう考えても()()()()()である。我ながらショックを受けて意気消沈しているようにしか見えない。ノイムは現実から目を逸らすようにまぶたを閉じた。


 めげなかったのはシンシアだ。彼女はノイムよりもよっぽど立ち直りが早かった。芯もしっかりしていた。


「父さんと母さんがそんなことするわけないじゃないっ!」

「ほうらこのとおりだ。見てらんねぇだろうが」

「この大噓つきっ」

「残念だが本当のことだ」


 ことさら悲しげに呟いたデビーは、とびきりの同情の目をシンシアに向けた。彼だけじゃない。今やアダムもマルタも、連れてこられた村の男たちも、同じ目で幼い姉妹のことを見つめていた。先ほどとは大違いだった。


 誰にも信じてもらえない。

 おしまいだ。


 ノイムたちの負けである。ノイムは苦い思いでシンシアを見上げた。

 同時に、シンシアのぱっちりとした目がなみなみと水をたたえる。瞬きと同時に一筋こぼれ、白い頬を伝った。


 落ちた雫が乾いた地面を濡らす。

 その涙すら、今や人々の確信を深める以外に意味を持たなかった。

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