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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
三章 代理勇者の家族
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54.杞憂、なし

 今年の夏は、腹が立つほど晴天続きだった。

 人が次々と行方知れずになってもお構いなしである。真っ青な空は上機嫌であることを見せつけてくるし、それを見上げるノイムは気分最悪だった。


 イゴルが失踪してからきっかり七日。

 ノイムは荷馬車に乗っていた。


 がらがらと音を立てる車輪は、露悪な道を突き進む。荷馬車はどこまでも人里から離れていく。トパの街は遥か後方で平べったい背景と化して久しい。


(背中、痛ったいなぁ)


 車輪が路傍の石ころを噛むので、荷台がひっきりなしに揺れた。つまり床に転がっているノイムも揺れる。板張りなので振動が直に背骨を叩くわけである。頭も何度かぶつけた。馬車が停まるまでに、こぶのひとつやふたつはできていそうだ。

 座れば今よりも楽になるのだろうが、ノイムの手足は縛られている。


 あまり穏やかでない格好だった。

 気分はドナドナされる子牛だ。末路もたぶん、子牛と大差ないだろう。なお悪いかもしれない。


 ノイムは寝返りをうった。視界が反転すると、視界に映る色が青から赤に変わる。


 高い位置で結ばれた、ボリュームのある真っ赤なポニーテール。

 シンシアである。


 彼女もまた、ノイムと同様に手足を拘束されていた。馬車のへりに背中を預けて座っている。天真爛漫な彼女に珍しく、その表情は硬かった。自分を見つめるノイムにも気づかずに、じっと荷馬車の床板を見つめている。

 不安を押し殺す顔だった。


 とたん、ノイムの胸に罪悪感がこみ上げてくる。シンシアがこんなところにいるのは、ノイムのせいだ。ノイムが厄介ごとを抱えたまま彼女と仲良くなってしまったからである。


 ノイムはシンシアに深く入り込みすぎた。

 シンシアの家に引き取られるかもしれないとなったときにも似たような後悔をしたが、その比ではない。

 今やノイムの後悔は、ずっとずっと重い意味を持つようになってしまった。


 シンシアから目を離し、荷台の奥――御者台の側を見やる。御者台に背を向けて座っている男がいる。

 でっぷりと肥えた体が、山と積んだクッションに沈んでいる。毛髪の薄い頭は、ノイムに言わせればイモのようでいびつだ。できればもう二度と見たくないと思っていた顔が、つまらなそうに外の景色を眺めている。


 以前の孤児院で散々()()()()()()、奴隷商のデビーである。


(なーんでこんなことになったんだか……)


 七日前、ノイムを迎えに教会へ向かったはずのイゴルが消息を絶った。

 その日じゅうに彼は見つからず、言葉にしにくい不安を抱えたまま、翌朝、ノイムは孤児院に帰った。それから二日、三日と経っても朗報はなく、ただいたずらに時間だけが過ぎていった。


 そして五日目。

 シンシアの兄と名乗る存在しない人間が、トパ孤児院を訪ねてきたのだ。


 ▽ ▼ ▽


 その日の朝、ノイムは誰かに揺り起こされて浅い眠りから浮上した。

 ひどい気だるさを、頭を振って追い払う。かけ布をめくってベッドから身を起こすと、からからになった喉に唾液を送って口を開いた。


「イゴルさん、見つかったの?」


 壁の時刻晶が示すのは土の終刻(あさのよじ)、カーテンが薄ぼんやりと光る明け方である。


「ええ、近くの病院で保護されていたんですって。なかなか目を覚まさないから身元もわからなくて、おうちに連絡が取れなかったそうよ」


 ノイムは開ききらないまぶたをこすって、ベッドの脇に立っているヘラを見上げた。


「じゃ、イゴルさんは無事なんだ……よかった。でも、なんで今?」

「私もいま聞いところなの。シンシアちゃんのお兄さんが来ていてね」

「シシーのおにいさん? なにそれ?」


 一気に目が覚めた。

 シンシアの兄。そんな人がいるなんて、ノイムは一度も聞いたことがない。シンシアの家には何度も通っているが、あの家にいる子供はシンシアひとりだ。彼女の両親ともずいぶん仲良くなったが、シンシアに兄がいるなどとは話題に上ったためしもない。


「実家を離れて暮らしていたそうよ」


 その兄とやらが、ノイムに会いたがっている。時間が時間なので一度は断ったのだが、どうしても今でなくてはいけないというので、ヘラは仕方なくノイムを起こしにきたという。


「シンシアちゃんのお父さんね、とにかくひどい熱で、もう自分は駄目かもしれないってすっかり弱気になってしまっていて」


 いつ死ぬともしれない身だから、今のうちにノイムに大事な話をしたい。だから家に呼んでくれと言っているらしい。つまり、ノイムに会いたがっているのは、シンシアの兄とやらではなく、イゴルなわけである。


「イゴルさんの大事な話って?」


 訊いてから、ヘラに聞いても仕方ないと思った。ところが、彼女は内容を知っているらしい。躊躇いがちに明かしてくれた。


 聞いてみれば、なんのことはない。

 ノイムをシンシアの家で引き取りたいという話だった。


「ノイムちゃんは知らなかったでしょう。実はね、以前から相談を受けていたの。そろそろあなたにも、どうしたいか聞こうと思っていたのだけれど」


 イゴルに先を越されるかたちになった。イゴルはノイムを呼び寄せて「うちの子にならないか」と尋ねるつもりなのだろう。


「帰ってきたら、ノイムちゃんがどんな答えを出したのか、私にも聞かせてね」


 ヘラはノイムの頭をひと撫でして、ぎゅっと抱きしめた。彼女のふくよかな体は、痩せぎすのノイムをすっぽり隠してしまう。ついでに力が強いので、ノイムはベッドからちょっと浮いた。

 温もりに埋もれながら、胸の内で唸る。


 失踪したイゴルが戻ってきた。高熱を出して、死の淵をさまよっている。そしてノイムを呼んで、家族に迎え入れたい旨を伝えるつもりである。

 いくらなんでも急展開すぎる。


(きな臭い……けど、知らんふりするのはやめたほうがよさそう)


 イゴルの件が嘘にせよ本当にせよ、とにかくシンシアの兄とやらの顔は見ておきたい。ノイムはヘラの腕を叩いて抱擁から解放してもらうと、身支度に取りかかった。


 着替えて顔を洗って、食堂にいるという客人のもとに向かう。

 食堂はがらんとしていた。まだ子供たちも全員寝静まっている時間である。人の気配といえば、ノイムと、うしろからついてきたヘラ、そして真ん中のテーブルについて静かに待っている青年だけだった。


 ひょろりとした体の青年だった。くたびれた服を着ている。質の悪い染料で無理矢理染めたような汚い色の髪が、肩のあたりで乱雑に切りそろえられていた。よくよく目を凝らせば、赤みを帯びているように見えなくもない。

 ノイムが来たことに気づいたのだろう、彼は振り返った。


「……げっ」


 ノイムは思わず後ずさった。

 青年の顔は見えなかった。毛量のある前髪が重く垂れて頬から上を覆っている。ものすごく見覚えのある髪型である。


「やあ、君がノイムちゃんだね」


 おまけに聞き覚えのある声だった。


「あんた……」

「妹がいつもお世話になってると聞いたよ。仲良くしてくれてありがとう」


 立ち上がった彼は、ゆったりした足取りでノイムとの距離を詰める。

 反射的に半歩下がった。しかしまさか、逃げるわけにもいかない。ノイムは目の前に立った青年を見上げる。


「あんた、誰なの」

「そこのお姉さんから聞いたろ? シンシアの兄、ヒルバールだ。初めましてだね」


 大嘘だ。

 だって彼は、以前、ノイムの部屋の窓をぶち破って侵入してきた。仲間と一緒にノイムとモニカを捕らえ、井戸に投げ込んだ。襲撃者である。


「それ本名?」

「間違いなく」


「少なくとも名前はね」と、青年――ヒルバールは小声であとをつけ足した。つまり名前以外は嘘である。シンシアに兄はいない。

 髪は染めているのだろう。

 シンシアの兄を騙るのに、緑色の髪では違和感がありすぎる。赤に染めようとしたのだ。だから黒に近い汚い色になっている。


 ヒルバールの前髪の隙間から、縦に伸びた瞳孔が覗いた。目が合ったのはほんの一瞬だ。彼は素早くノイムの耳に口を寄せる。

 ノイムがなにかを言う隙もなかった。


「余計なことは言わないほうが賢明だと思うよ。シンシアって子と、その家族が大事ならね」

「……なにが目的」

「ずばり、君だ。君がおとなしく僕についてきてくれればそれでいい」


 主人が君に会いたがってる、と彼は続けた。


「デビーって名前には聞き覚えがあるだろ?」


 ノイムは息を呑んだ。


 デビー。奴隷商のデビー。

 以前の孤児院で子供たちを売りさばいていた男だ。子供だけを扱う奴隷商人だった。


(よりによってあの男……)


 つまり、このヒルバールという青年は、デビーの従者だか奴隷だかなのだろう。


(じゃあ――いつから?)


 デビーはいったい、いつからノイムを狙っていたのだろう。ノイムがヒルバール(デビーの手下)を初めて見たのは、トパ孤児院に来て最初の休息日だ。

 背筋がすっと冷たくなる。


 できれば回れ右をしてすべて聞かなかったことにしたい。部屋に戻って、ベッドに潜って、かけ布を頭から被って眠りに落ちることができたらどれほど楽だったろう。


 しかし、相手がデビーとなるとそうもいかない。

 シンシアの身が危ない。イゴルやマーリアだって危険にさらされる。おとなしくついていくしか道はないのだ。


「わかった、行く」


 ノイムが小さく答えると、ヒルバールの唇が弧を描いた。満足そうである。腹が立つ。


「それじゃ、ノイムちゃんはお借りします。行こうか」


 差し出された手を叩き落として、ノイムは自分から食堂を出た。


「いってらっしゃい、ノイムちゃん」


 ヘラの朗らかな声が背中に届く。

 いってきますとは、とても返せなかった。

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