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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
三章 代理勇者の家族
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55.種明かし、される

 孤児院の門を抜けると、とたんに心細くなった。見慣れた景色が知らない場所のように思えてくる。靴の裏はたしかに舗装された道を踏んでいるのに、夢か幻の上でも歩いているような気分だ。


 自分だけ、世界から切り離されてしまったようだった。

 まだ薄暗い早朝の街は人もまばらである。孤児院の前の通りなど歩いているのは、ノイムと隣のヒルバールとかいう男だけだ。


 彼はシンシアの兄を騙って孤児院にやってきて、自らの主人と称してデビーの名前を出した。先日のイゴルの失踪騒ぎにも一枚噛んでいるだろう。モニカ襲撃犯のひとりでもある。ノイムがトパの街に来て間もないころから、熱心な信者を装って教会にも通っていた。

 これではまるで、最初からすべて――。


 胸のあたりで渦巻く暗雲を振り払って、ノイムはヒルバールに問うた。


「……あんた、最近デビーに雇われたの?」

「ご主人様に買われたのは、僕が子供のときさ。もう十年以上前になる」


 最悪だ。内側に立ちこめた暗雲は、たちまち雷雨を降らせてノイムの心をかき乱した。


「もしかして、春からこっち、教会で僕を見かけたのは偶然だと思ってた? 残念だけど、全部ご主人様の指示なんだ。君の動向を見張ってた。孤児院の連中に接触できるのは、教会に行くあの日くらいしかないからね」


 なにを期待していたのかを見抜かれたのも悔しかった。ノイムは腹いせに、ヒルバールの髪を睨みつける。朝日に照らされると、角度によっては赤色がちらついて見えるが、お世辞にも綺麗とはいえない。相性の悪い色同士を無理矢理混ぜたような黒っぽい色だ。


「その汚い髪、シシーの髪色に寄せたつもり?」


 これにはヒルバールが噴き出した。彼はくつくつと笑いながら、指先で自身の髪をすくう。


「辛らつだなあ。これでも綺麗に染まったほうだと思うんだけど」

「冗談やめてよ。どこが」

「ご機嫌ななめだね」

「誰のせいだと思う?」

「僕か……それとも、うちの主人かな」


 どっちもだよ、とノイムは吐き捨てた。歩く速度を上げる。


「そんなに急ぐことないだろ」


 ヒルバールはノイムの態度を面白がっているらしい。

 やけに弾んだ声を置き去りにして、ノイムは赤い石畳の目抜き通りに出た。


 道が広くなっても、人通りに大した変化はなかった。相変わらず閑散としている。だからノイムの小さな体が奏でる荒々しい足音もよく響く。


「焦ったところでなにも変わらないよ。それよりも、話をしよう」


 ふたたび横に並んだヒルバールは、わざわざ体を折ってノイムの顔を覗き見る。歩みは止めない。器用なものだ。転んでしまえと念じたが、通じなかった。


 代わりに厚い前髪がめくれて、隠れていた目元があらわになった。

 鱗がある。頬骨のあたりに、蛇のような鱗が数枚浮いていた。瞳孔が縦に割れた目はすでに見知っている。端々の特徴は完全に蛇やトカゲのそれだ。


 つい歩調を緩めて、まじまじと見つめてしまった。ついでに口から疑問が転がり出た。


「……蜥蜴族(リザードマン)?」

「あいにく、両親とも人間でね」


 ちろりと出した舌は、先がふたつに割れていた。


「僕はこの見た目でずいぶん苦労したけど、君が大変な目に遭うのはどうしてだろうね?」

「あんたの主人のせいでしょ」


 わずかな隙に、ヒルバールのペースに呑まれている。


「そこだよ。ご主人様は君のために、半年近くかけていろんなところに手を回したんだ。僕もあちこち走り回った」


 ヒルバールがノイムから顔を離した。乱れた前髪をいじって、元どおり顔の上半分を隠してしまう。ノイムは歩みを緩めたまま、その指先を見つめた。


「孤児院に新しく入るっていう商人の娘のことも調べた。彼女、なかなか利用しやすい立場だったね。父親はあまり熱心に娘を護るつもりはなかったみたいだし。アガータっていったっけ? あの女に接触するの、わりあい簡単だったんだよね。娘さんのことでお話がって持ち出したら、そりゃもうすごい食いつきで」

「ちょっと待って、なに?」


 動揺した。つんのめって立ち止まる。

 何歩か先を行ったヒルバールが、首を傾けて振り向いた。


「なにって、なにが?」

「アガータって、モニカのお義母(かあ)さんでしょ。接触した? まさか、あんた……いや、デビーは」


 モニカがトパ孤児院にいると、アガータに教えたのか。

 孤児院からは情報漏洩がないように徹底していたはずだ。だからヘラも、アガータがモニカの居場所を突きとめて突撃してきた際は困惑していた。話がどこから漏れたのかわからない、と。


「そうだよ」


 ヒルバールはあっさり頷いた。


「モニカって子は、義母に殺されかけて孤児院に逃げてきたんだろ。だから、その義母に娘の居場所を知らせてあげれば、間違いなく人を使って暗殺しようとする。そこに協力するって体で僕がくっついていくと――」


 あくまでも黒幕はアガータだ。目的も、モニカの暗殺以外にない。

 協力者であるヒルバール……つまりデビーは、アガータの名のもとに孤児院に侵入し、暗殺対象であるモニカと同室のノイムに手が出せる。モニカと一緒にノイムが死んでも「モニカの暗殺を勘づかれたから口封じをした」と言い訳ができる。


 犯行が露見したときに差し出されるのは、あくまでも、モニカを狙ったアガータの首ひとつである。

 デビーが表に出ることはない。


(……私を、殺すために)


 最初から仕組まれていたことだったのだ。


「最初は殺人だってわからないようにしようと思って、井戸に放りこんで凍死を狙ったんだけど――」


 あとの話はほとんど耳に入ってこなかった。

 あの夜の雨の音が再生される。


 ノイムが教えた魔法の呪文を繰り返すモニカの声が、気丈に振る舞う顔が。井戸から助け出されたときの喜ぶ姿が。背中を刺されて驚愕に見開かれた瞳が。

 口からこぼれる血が。

 血が、


 ノイムの視界が真っ赤に染まる。気づけばヒルバールに飛びかかっていた。


「うわっ、こら!」

「あんたらのせいでッ」


 肩のあたりを足場にして、胸倉を掴み上げる。ノイムの全体重を胸から上に乗せる無茶な体勢だが、ヒルバールは倒れなかった。忌々しいことに背中を軽く反らしただけで耐えてみせる。それが余計にノイムの怒りを煽った。


「私が目的なら私を直接脅せばいいでしょ! 教会に行く途中でひとりになることなんていくらでもあったのに!」


 ノイムはよく孤児院の一行からはぐれていた。接触するならそのときにいくらでもできた。モニカの居場所を義母に教えて、命を狙わせて、その襲撃の場に紛れ込むなんてまどろっこしい真似が必要だったとは思えない。


「モニカを死なせる意味なんて」

「その子を殺したのは僕じゃない。僕の――僕たちの作戦は、誰も殺せずに失敗するはずだった。そこに手を出して、ひっくり返したのはアーサーとか呼ばれてた彼だろ」

「凶器はあんたのナイフだよ。あんたが隙を作った」

「わざと落としたわけじゃないさ」


 そこでヒルバールの上から振り落とされた。受け身も取れずに尻もちをつく。


「最初は君たちを助けに来たみたいだったし、たしかに、あの状況にならなかったら、彼はモニカを殺したりなんかしなかったのかもね。その点で言えば、襲撃なんてして、ナイフを落として、チャンスを与えた僕にも、計画をしたご主人様にも責められる理由はある」


 襟元を正しながら、ヒルバールは続けた。


「でもさ、なにかひとつ忘れてないかい」


 道行く人がふたりに注目している。ヒルバールが膝を折って、ノイムの前に屈んだ。


「前の孤児院で、君はご主人様に盾突いた。大事な取引先をひとつ潰して、ご主人様の恨みを買ったのは自覚してたよね。見逃されるわけがないなんてわかってたことだろ」


 顔がぐっと近づく。吐息がかかる距離。彼の唇が、耳に触れた。


「そもそも君がいなければ、あの子は死ななかったんじゃないの」


 なにも言い返せなかった。


「なぁんてね。そんなこと言ってたら、君とあの娘を同じ部屋にしたトパ孤児院の職員も、娘をあそこに預けた父親だって、人殺しに加担したことになる。キリがないや」


 ヒルバールがけらけらと笑う。彼は立ち上がって伸びをしたらしいが、ノイムからは見えなかった。ヒルバールに振り落とされた格好のままでへたり込んでいる。視界に映るのは朝日を受けて照り映える真っ赤な石畳と、ヒルバールの履き潰した靴だけだ。瞬きする間にそれも滲んで見えなくなった。


「あれ、泣いてる?」

「……るさい」


 目元に力を込めると雫が落ちた。

 ヒルバールの言葉は、ノイムのやわらかい部分を痛烈に抉っていた。


(私がいなければ――)


 たとえばノイムが前世など持たぬただの捨て子だったなら、以前の孤児院は今も健在だった。ノイムはなにも知らずに院長やアリサを信頼した。奴隷として売られるだなんて思いもしなかっただろう。疑いを持つことすらせず、あの場所で十を過ぎるまで成長していた。

 トパの街の孤児院になど縁もゆかりもないまま、奴隷として売られていったに違いない。

 しかしそうはならなかった。だからノイムは以前の孤児院を潰してデビーの恨みを買い、モニカよりも先にトパ孤児院に入ることになった。彼女と同室になった。


 ノイムが代理勇者として働いていた前世の、同じ時期。

 モニカはひとりであの部屋に入っていたのだろう。

 義母に居場所を漏らす不届き者は存在しない。義母にまつわるすべての片がつくまで、平穏に過ごした。ツィリル(アーサー)にまとわりついて、彼が内心でモニカのことを疎んでいたとしても、命を奪う機会は訪れない。


 前世でモニカは生きていたはずだった。

 今世では死んだ。ノイムがいたからだ。


(私がいなければ)


 ノイムの存在が、本来死ななかったはずの人間をひとり、死なせたのである。


「参ったなぁ、君がまだ小さい子供だって忘れてた。悪かったよ、そこまで傷つくとは」


 ヒルバールは心から申し訳なく思っているようだった。それはそうだろう。彼にとって今のは、適当に放った戯れ言だ。本気でノイムに刺さるなんて考えていなかった。だって、彼は知らない。ノイムが一度死んで赤子として転生したなんて、知り得るわけがないのである。


 弱ったな、とぼやきながら、ヒルバールはノイムの脇に手を差し込んだ。一向に立ち上がる気配がないので、抱いて運ぶつもりらしい。


「とりあえず、早く行かないとご主人様に叱られちゃう。君も、この期に及んで怒鳴られたくはないだろ? ま、君が泣いてるのを見たら機嫌よくなるかもしれないけど」


 それは嫌だ、と思った。

 しかし、涙を拭おうにも手が動かなかった。ノイムは手足をだらんと垂らしたまま、ヒルバールに抱えられて移動する。


 もう、何も言う気にならなかった。


 そのうちに通りを何本か抜け、シンシアの家がある南の住宅街に入る。

 ノイムはようやく、ぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭った。何度か瞬きを繰り返せば、視界もくっきりクリアになる。


 シンシアの家の壁に描かれている花の色絵は独創的でよく目立つ。

 幼いシンシアと、彼女の母親が一緒に描き上げたものである。おかげでノイムはこれまで、シンシアの家を訪ねるたびに愉快な気持ちになった。これからもそうだと思っていた。

 これほど暗い気分で見上げることになるのは初めてだ。


 ヒルバールはノイムを抱えたまま、玄関のドアをノックした。

 なかから返ってきたのは、シンシアの声でも、マーリアの声でも、ましてやイゴルの声などでもなかった。今や聞くだけで不快になるだみ声である。


「なにをもたもたしてたんだ。遅すぎるぞ、馬鹿が」


 開いた玄関扉の向こうに、でっぷりと肥えた体の男がいた。

 こちらに背を向け、我が物顔で食卓の椅子に座っている。彼は顎と首の境目がわかりにくい頭を重そうに動かして、玄関を振り返った。


「久しぶりじゃねえか、生意気なガキ。気分はどうだ? 束の間の自由は楽しかったか?」

「おかげさまで」


 答えたノイムは鼻声だった。咳ばらいをする。


「あんたがいなけりゃおばあちゃんになるまで謳歌できたんだけどね」

「そりゃ残念だったな」


 男は、奴隷商人のデビーは、愉快そうに笑った。

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