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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
一章 代理勇者の出奔
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24.希望、見出す

 もの言わぬ死体となったアリサが、院長の上で四肢を投げ出していた。

 アリサを放ったラヴィアスは、ひと仕事終えたと言わんばかりに手を打ち払う。縛られたノイムからも目を離して、執務室をぐるりと見回した。


「仕掛けも粗末でしたが、なかも粗末ですね。隠すほどの部屋ですか?」


 一周した彼の視線が、ふたたびノイムの上で止まる。

 これはもしかして、答えを求められているのか。しかしノイムの口は猿ぐつわで塞がれている。まともな言葉を紡ぐことなんてとても――。


 と思ったら、きつく縛ってあった布がはらりとほどけた。ノイムの口が自由になる。


「……契約書とか、取引の手紙とか、いろいろあるんだと思う」


 そっとラヴィアスの疑問を解消してやれば、彼は得心がいったように頷いた。

 死体が転がっているとは思えないほどなごやかな空気である。


 院長はすっかり腰を抜かしてしまったらしい。のしかかった死体をやっとのことで押しのけると、足を引きずって後ずさり始めた。

 紙のように真っ白になった顔は、一気に二十も老けたようだ。

 悠然としていた普段の面影はどこにも残されていなかった。哀れなほどに怯えていて、レオを殴りつけた手も、孤児院の正体を知ったノイムを見下ろす冷たい目も、カデルの誘拐を告げたときの嫌な笑みも、ノイムの脅威となっていた彼のすべてが、今はラヴィアスから逃げることだけを求めて動いている。


 院長は黒檀の机の下で背中を丸めた。そうやってどうにかこうにか隠れたところで、机ごと真っ二つにされるのが落ちだ。

 彼が未だに生きているのは、当のラヴィアスから綺麗さっぱり無視されているからである。

 

 相変わらず微笑みをたたえたまま、ラヴィアスはノイムの前にゆっくりと膝をついた。


「その姿勢、辛いでしょう。解いてあげましょうね」


 猿ぐつわは手も使わずにほどいたくせに、実にわざとらしい。

 ことさら優しく話しかけてくるのが逆に怖かった。自由になった手足が反射的に逃げの姿勢を取ろうとするのを必死に抑えて、ノイムはラヴィアスを見上げる。


「どうして……?」

「目の前であんな顔をされてはね」

「ど、どんな顔?」

「目前に迫った死に恐怖するときのような」


 アリサに引っ掴まれて孤児院のなかに引っこんだとき、ノイムはそんなにひどい顔をしていたのか。例えが具体的なのがまた嫌な感じである。


「助けてって言ったときは断ったのに」


 ラヴィアスは肩をすくめた。こんなときでも、恐ろしく絵になる仕草だった。


「あれとは別です。身内を思いだしたんですよ、あなたを見て」

「身内?」

「弟もあなたと同じくらいの年でした。おとなの小脇に抱えられて、同じように恐怖でこわばった顔で、私に助けを求めながら死んでいった」


 初めて聞く話である。しかもこの人、笑顔を貼りつけたままあっさりと語った。

 ノイムは黙ってしまった。ラヴィアスの顔を見ていられずに、そっとガーネットの瞳から目を逸らす。


 院長が四つん這いで扉に向かっていた。


「あっ」

「……ん」


 ノイムの視線を追って、ラヴィアスが振り返る。


「堪え性のない方ですね。私はお話が終わるまできちんと待って差し上げたのに」

「た、たすけてくれ……」

「聞いてます?」


 つかつかと歩み寄ったラヴィアスは、ドアノブへと伸ばされた院長の手を掴んだ。上に引き上げるようにして立たせる。


 院長はほとんど宙吊りの状態になった。


「ま、待ってくれ! こども……そうだ、私がいなくなれば、ここの子供たちは路頭に迷うことになる。ひとりくらいは保護者を生かしておくべきだとは思わないか?」


 土壇場で息を吹き返したらしい彼は、必死に言葉を連ねる。見事に上滑りした、心どころか皮膚にも響かない台詞だった。


 ラヴィアスは答えない。

 ただ、空いた手を無造作に院長の胸に突き入れた。


 腕一本でどうしてそんな芸当ができるのかわからない。ノイムは思わず目を逸らした。それでも音は、しっかり耳に届いた。ラヴィアスが刺した腕を引き抜き、院長の胸に空いた穴からどっと血があふれる。


「あ……がっ……」


 どさり、と院長の体がくずおれる。

 血臭が狭い部屋を満たした。人の死にざまは前世でもずいぶん見てきたが、これほど間近で惨殺劇を披露されたのはさすがに初めてだ。ノイムは床を睨みつけながら、こみ上げてくる吐き気と必死に戦った。


「さて、と」


 びちゃり。聞こえたのは、ラヴィアスが血だまりを踏んだ音だろう。


「……バケツでも持ってきましょうか?」


 ノイムはのろのろと顔を上げた。

 気の毒そうなラヴィアスの様子が、ノイムの表情がどんなものだったかを物語っている。青を通り越して白くなっていたに違いない。


「いや……いい」


 ノイムは今度こそ吐き気を噛み殺した。


 折り重なるように倒れているアリサと院長の死体にも、もう動揺しない。

 動揺はしないが、虚しい気持ちにはなった。

 この五年間、ノイムは彼らに対する反抗心を燃やしに燃やして生きてきたのである。あのふたりから逃げるために様々な策を考えて、体を張って、カデルを引き入れて……いろいろやってきたのに。


 ぽっと現れた魔王の手で、ノイムはあっさり自由を手にしてしまった。


「助けてくれてありがとう。あなた、名前は?」


 ラヴィアスは答えなかった。教える気はないということだろうか。

 しかし、教えてもらわねば困る。人生三周目のノイムは、すでに彼の名前を知っている。ふとした拍子に間違えて呼んでしまうかもしれない。


 ノイムはしつこく食い下がった。


「私はノイム。ノイム・トツヅキ。あなたは?」


 瞬きする間も惜しんでラヴィアスを見つめ続ける。すぐに目が乾燥して、ひりひりし始めた。


 ラヴィアスが短く息を吐いた。

 ノイムの勝ちである。


「……ラヴィアス・レタール」

「じゃあ、ラヴィーさんね」


 流れるように愛称をつけたノイムは、おぼつかない足取りで立ち上がった。改めてラヴィアスと向き合えば、その顔が奇妙に歪んでいる。


「なあに?」


 ガーネットの瞳には、得体の知れないものを見るような色が乗っていた。ぱちぱちと瞬いて長い睫毛が揺れるたび、そこから戸惑いがこぼれ落ちていく。


「あなた、年はいくつです」

「五つ。もうすぐ六つになるけど」

「本当に?」


 ノイムの心臓が嫌な跳ねかたをした。内心の動揺が表に出ないように、精いっぱい胸を張る。これでもかというほどふんぞり返って、ラヴィアスを下から睨めつけた。


「どこからどう見ても五歳でしょ?」


 そうだ、ノイムは今、どこからどう見ても五歳児である。中身がなんであるかだとか、前世でどんな終わりを迎えたかとかは、外からでは判別しようがないはずだ。


「そういうもの言いが子供らしくないんです。変な子ですね」

「ひどい」


 口元をほころばせたラヴィアスに、今度はノイムが奇妙な顔をする番だった。

 カデルもしょっちゅう、ノイムのことを「変なやつ」だと言っていた。ラヴィアスも同じことを言う。ノイムはこんなにも一生懸命、幼女として生きているのに。

 ノイムはしょせん、無力な子供である。これは本当のことだ。


 院長とアリサの手から孤児院を解放したのだって、ノイムではなくてラヴィアスだった。

 

(それにしても、いきなり殺すのは予想外だったけど……)

 

 おかげで彼らは、ノイムが罪を暴いて処刑台に引きずり出す前に死んでしまった。

 終わってしまったことは仕方ない。死んだ者は返らない。

 返ってほしいとも思わなかった。


 鼻を突く血の匂いは不快なばかりで、目をかっと見開いた死に顔も無様なだけだ。ノイムの頭に悲しみはなかった。いい気味だとすら思わなかった。死体の片づけはどうするのだろうとか、孤児院の経営はどうするのだろうとか、そういう心配ばかりが巡っていた。


 しかし、未来に対する不安はない。

 たとえノイムが知るラヴィアスという人とは性格がかけ離れていたとしても、目の前にいる彼は、ここまで手を出しておきながら途中で放棄するような(たち)ではないはずだからである。


「孤児院の首がラヴィーさんにすげ替わったってことでいい?」

「私は子供の世話はしません」


 ノイムは頭を抱えた。もうなにも信じられない。

 同時に怒りが湧き上がってきて、ノイムはラヴィアスに食ってかかった。


「あのねぇ――ぶっ」


 大きな手のひらがノイムの顔面を覆った。


「あなたは、彼らが子供奴隷の売買に携わっていたことを知っていたのでしょう? ()()()()()()()()()()、どうするつもりだったんです?」

「……ほかの町の孤児院に助けを求めようかと」


 ラヴィアスの手の下で、もごもごと答える。


「では、そちらは私が担いましょう。すべての子供たちの行き先が決まるまでは、ここにいます」


 思わず、彼の手首を掴んで引っぺがした。


「いてくれるの? しばらく?」

「ええ。保護者を殺してしまったのは私ですし、それくらいの責任は取りますよ」

「でも、やることがあるって……」


 あの状況から見れば、それは神官の女を追うことであるはずだ。あまり長くここに留まってしまえば、それだけ逃げる時間を与えることになる。

 指摘すると、ラヴィアスは苦笑した。


「どうせもう逃げられています。多少の寄り道くらいはね」


 ノイムは慌てて頬の内側を噛む。うっかりにやけてしまいそうだった。

 ノイムの顔に死んだ弟が重なった――なんて、手放しで喜べる理由ではない。それでもラヴィアスの気が、ノイムにとってありがたい方向に変わったことはたしかだ。


「ありがとう、ラヴィーさん」


 たとえば。

 たとえば前世のように、ここから仲を深めることができたのなら。


 ノイムの未来は――。

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