25.未来設計、婉曲する
ラヴィアスと再会して、ノイムの未来は――。
未来は、ただやりにくさを増しただけだった。
「最後はあなたですよ、ノイム。行きましょうか」
ラヴィアスは本当に責任を取ってくれた。
どこをどう頼ったのか、それから三日のうちにはもう各所に話をつけていたのである。
院長とアリサの罪は明らかにされ、そこに関わっている奴隷商のデビーには追手がかけられた。子供たちの境遇は近隣の人里に知れ渡り、助力を申し出る施設や人々が孤児院を訪れた。彼らへの応対も、ラヴィアスが一手に担ってくれた。
逆に言えば、おとなのやり取り以外の部分はすべてノイムに丸投げされた。
料理当番や洗濯当番、赤子の世話の割り振り。アリサがやっていた仕事である。
しかしこの際、日常生活のあれこれに関する仕事はどうでもいい。
一番の難関は、皆がこれからバラバラに暮らすこと――特に、院長やアリサとはもう二度と会えないことを説明する部分だった。子供たちすべてを納得させなくてはいけない。自分より年長の子たちもだ。これには本当に苦心した。
ノイムが杜撰な説明で子供たちを納得させると、間髪入れずに、ラヴィアスが子供を分配した。苦労をさらりと流されたようでいささか不満が残ったが、ラヴィアスの手腕には素直に感心した。
手際が鮮やかすぎて、どうしても、分配としか言いようがなかったのである。
仲の良い子供たちはできる限り一緒に。
世話のかかる赤子はそれぞれ別の孤児院に、または子供をほしがる夫婦のもとに。
年長の子は、どこぞの店やお屋敷へと直接奉公に出した。
カデルが攫われて一週間。
ノイムがラヴィアスと再会して一週間。
院長とアリサが殺されて一週間。
たったそれだけの間に、ラヴィアスはノイム以外のすべての子を送り出してしまった。
今日は最後に残ったひとり、ノイムを預け先へ送り届けるところなのである。
「なんで私だけトパ孤児院なの?」
「不満でしたか? ひとりのほうが都合がよいかと思ったのですが」
大通りに向かって開かれたトパ孤児院の正門を前に、ラヴィアスが片目を瞑った。
「名前、不便じゃありませんか」
「それは……」
彼は気づいていたのだ。子供たちがノイムを呼ぶときの名前と、ノイムが自分で名乗った名前が違っていることに。ノイムが本当に使いたいのは自分で名乗っているほうだと当たりをつけて、子供たちから離してくれたのである。
新しい場所で、ノイムがノイムでいられるように。
「そんなら、ラヴィーさんが私を引きとってくれたほうが何倍も……」
「私は子供の世話はしません」
「自分の世話は自分でできるよ」
ガーネットの瞳に、冷やりとした気配が走った。
内臓に直接触るような低い声がノイムを撫でる。
「どうして私が人間の子を連れて歩かなければいけないんです」
ノイムの喉が凍りついた。縫い留められてしまって、身じろぎひとつできない。ノイムはただ、ラヴィアスの静かな目に睨まれていた。
膠着状態が続くかと思われたとき、孤児院からひとりの女が走り出てきた。ふくよかな体を思いきり揺すっているからか、結い上げた髪がどんどんほつれている。
とたん、ラヴィアスがころりと表情を変えた。申し訳なさそうな笑顔である。
「すみません、予定の時間より早く着いてしまって」
「いえ、いえ! それは結構ですけれども」
ふたりの前に立った女は、ヘラというらしい。彼女が表に立ってラヴィアスと話をしてくれたのだと、事前に聞いていた。
「どうかこれっきりにしてくださいませね。領主様がよいとおっしゃってくださったからいいものの、本来うちではこういったことはお引き受けしていないんですから」
「もちろんです。無理を言って申し訳ありませんでした。改めて、領主夫妻にも謝罪とお礼を伝えておいていただけますか」
殊勝な態度のラヴィアスに、ノイムは目を見張った。
まさかこの人、一度断られておきながらノイムを無理矢理ねじ込んだのだろうか。
(トパの孤児院に行くってあたりから、もうおかしいとは思ってたけど……)
トパの街の孤児院は、このあたりの領主が直接経営に携わっている。
潤沢な資金、身元のしっかりした職員、不自由のない生活環境。領主が今後の孤児救済の政策のために試験的に建てた施設ということもあって、ここに預けられる子供は、ほとんどが領主の口利きでやってくる。身の安全のために親元を離れなければいけなくなった訳アリの子供――速い話が、表に出せない貴族の庶子などである。
だからこの孤児院では、親の顔もわからぬ孤児というのはあまりいない。
助けを求めてやってきた浮浪児は一時的に保護されたのち、領主の伝手をたどって別のところに預けられるのが常だった。ノイムだってその待遇を狙うつもりで、レオとタランにトパの街を目指させたのである。
(それが、私が暮らすことになるなんて)
よそからやってきたただの孤児であるノイムを入れろとは、ずいぶん無茶を言ったものだ。それで本当に受け入れられてしまうのだから、ここはラヴィアスの口の上手さに驚くべきだろうか。
「ほら、ご挨拶なさい」
そっと背を押されて、ノイムは我に返った。ヘラの前に進み出て、お辞儀をする。
「ノイム・トツヅキです。お世話になります」
お返しの挨拶が来るまでに間があった。不思議に思って顔を上げると、ちょっと驚いたような、戸惑ったような顔でヘラがノイムを見つめている。
「しっかりした子ですね……わたし、てっきり」
ノイムを見ながら、その台詞はノイムには向けられていなかった。
頷いたのはラヴィアスだ。彼は髪と同じ銀に輝く睫毛をそっと伏せた。躊躇いがちに、その薄く色づいた唇を開く。
「この子は以前の孤児院でたったひとり、院長が裏で行っている商いのことを知っていました。よくここまで耐えて、無事でいてくれたと思います」
頬にかかった絹糸のような髪。毛穴ひとつないきめ細かい肌。長い睫毛の奥に潜んだ深紅の宝石の瞳。優しげに垂れた目尻。筋の通った鼻と、薄い唇。その隙間から覗く真っ白い歯。
どこを切り取っても美形の男は、表情を完璧に繕って儚げに微笑んでみせた。
ノイムはうっかり見惚れてしまって、彼の発言が脳に浸透するまでにわずかな時間を要した。
よく耐えて無事でいてくれた。ラヴィアスは今、そう言ったのか。
(……白々しい!)
ヘラが目を潤ませたので、ノイムはなおさらたまらなかった。
胸をかきむしりたい衝動に駆られたが、なんとか我慢する。
代わりに、ラヴィアスの服を力いっぱい握った。彼のこめかみがぴくりと動いたので、もしかしたらうっかり肌も一緒につまんでしまったかもしれない。
「もしかして、それでわざわざこちらの孤児院へ……?」
「ええ。このとおり利口な子ですから、思いだして気を病んでしまうでしょう。以前の孤児院の子供たちとは離したほうが、この子にとってもよいのではないかと思って」
「まあ……まあ、まあ! そんなご事情で……わたしたちったら、自分のことしか考えないでお断りしようなんて」
「とんでもない。当然の判断です。職員の方々の手が回らなければ子供たちも苦労しますから」
いつの間にか立場がすっかり逆転している。
先ほどまでの腰の低さはどこへやら、ラヴィアスはなぜかヘラを気遣う側に回っていた。
「ノイムちゃん、ここではひどいことをするおとなはいませんからねっ。これからは安心して暮らせますよ!」
どうも、このヘラという女は流されやすいらしい。いや、ただラヴィアスの綺麗な顔に騙されただけかもしれない。とにかく、彼女はすっかり感極まった様子で、鼻をすすりながらノイムを抱きすくめた。
全身を包んだやわらかな感触に、今度はノイムのほうが戸惑うことしきりである。どう答えるべきかと考えあぐねながら傍らのラヴィアスを見上げた。
いい笑顔だった。
「これほどまでに歓迎されておきながら、まさか否とは言えまい」と書いてあるようだ。
(それが狙いか……)
やけに同情を買う言い回しをすると思ったが、彼はノイムを引き取るのがよほど嫌らしい。意地でもトパ孤児院に置いていこうとしている。
(でも、ラヴィーさんが助けてくれるのは、子供たちの行き先が決まるまでって約束だったもんなぁ)
ラヴィアスは神官の女を追っている最中だった。どうして狙っているのかはわからない。しかしノイムたちを助けることを「多少の寄り道」として一時的に追跡を打ち切ったくらいだから、かなり長い間……あるいは、長い目で見て動いている。
それだけラヴィアスにとって重要な事柄であるということだ。
せっかく孤児院を出たのに、新たな孤児院に留められてしまう……ノイムとしてはかなりの痛手だが、この感じだと、ラヴィアスも意志を曲げてはくれまい。黙っておくのが賢明だろう。そこまで考えて、ノイムは渋々、ヘラの背中に手を回した。
「……よろしくお願いします」
「わたしが素敵な家族を見つけてあげますからねっ」
それはちょっと困る。できれば独り立ちさせてほしい。
しかし、独り立ちできたとして、それはいったい何年後になるのだろうか。何年も経ったあとでも、カデルの足取りを追えるだけの材料はこの地に残っているのだろうか。カデルを思い浮かべると、どうしようもない焦りがノイムを急かしてくる。思考が鈍って、未来が霧がかったように不透明になってしまう。
せめてラヴィアスが、カデルの捜索を引き受けてくれたら。
少なくとも、このどうしようもない焦燥は治まるのに。
(もうすでに一回断られてるしなぁ)
かなり切羽詰まった状況で、必死に頼んで、面と向かってきっぱり拒否された。この短期間でラヴィアスの気が変わっているとは思えない。
思えない、が。
ひとつ、ひらめいた。
(断れない状況に追いこんじゃえば……?)
もしかしたら、もしかするかもしれない。
ノイムは、自分を力いっぱい抱きしめているヘラのつむじを見つめた。
唇を舐め、腹に力を入れる。怯んだり揺らいだりしたら負けだ。ただ一心に、無邪気を装ってラヴィアスを詰めなければいけない。
「ね、ラヴィーさん」
「うん?」
深い深いガーネットの瞳が、ノイムを映す。
これを口に出したら、その目が絶対零度の冷ややかさをもって睨んでくるかもしれない。
でも、逸らしたら駄目だ。
ノイムは息を吸った。
「カデルはどうなるの?」
ラヴィアスの頬が引きつった。




