130.核心、突かれる
ラヴィアスが短いため息をついた。
手元の皿から視線を持ち上げて、ゆっくりとノイムを見やる。深いガーネットの瞳に動揺は見られなかった。ただ柳眉が不快げに寄せられる。
「なんです、その顔。まるで私に人の心があるのが信じられないかのような」
ノイムがあまりにもあまりな顔で驚愕しているので、気分を害したらしかった。わずかに交差した視線が、つ、と逸らされる。
そのリアクションがかえって、シャティアの発言を裏づけることとなった。
ではラヴィアスは本当に、ノイムのことを案じていたのだ。それで本当に、シャティアに「自分が代わりにシャティアの肉親を埋葬しに行くから、シャティアはノイムの傍に残ってくれ」などと頼んだのだ。
ラヴィアスは何ごともなかったように食事を再開したものの、ノイムの手からはむしろフォークがすべり落ちた。皿に当たって跳ね返ったカトラリーは音を立てて床に落ちる。控えていた給仕が素早く寄ってきて回収していったが、そんなものはノイムの意識の端にも引っかからなかった。ラヴィアスが落ち着いているぶん、そのしわ寄せがすべてノイムに来ているような心地さえした。
ノイムの動揺は口からそのまま出た。
「ふたりして私のことからかおうとしてる?」
「それであたしに何の得があるんだよ。本当だってば」
すかさず否定したシャティアは、面白がる表情から一転、いささかの困惑を含んだ眼をノイムに向けた。
「ラヴィアスさんと喧嘩でもした?」
「そういえば最近、なんだかぎくしゃくしていたね。主にノイムさんが」
立て続けにシャティアとエクシアから繰り出されたのは、奇しくもついこの間のシンシアと同じセリフだった。それをラヴィアスがいるこの場で口にするあたり、ふたりとも豪胆というべきか、無神経というべきか。いや、彼らのことだから、それをわかっていてあえてそうしたのだろう。
おそらく「このままだとまずそうだから、ラヴィアスとノイムの間を取り持ってやらねば」と思われている。それだけノイムの態度がわかりやすいのだった。
ノイムはむっつりと押し黙った。
そこにラヴィアス以外のすべての耳目が集中する。
特に隣のシンシアの視線が痛かった。興味津々といったふうで、大きな瞳がきらきらと輝いている。以前この件について話したときはたしか、シンシアが「恋」などというふざけた単語を持ち出したところで強制打ち切りになったのだ。なぜノイムがこれほどラヴィアスに対して過敏になっているのかには終ぞ触れることがなかった。好奇心旺盛な義姉は知りたくてたまらないに違いない。
しかしまさか、馬鹿正直に答えられるわけもなく。
今のノイムの状態では上手い言い訳を考えつくはずもない。こんなことになるとは思わなかった。
ノイムは少々、拗らせた。拗らせすぎたのかもしれない。
最初は自分がラヴィアスを避けていたことにすら気づいていなかった。それでもラヴィアスに言われたことを過剰に引きずっている自覚は持っていた。「あなたはどうも、私の情に訴えるのが上手い」……ああ言われては気まずくなるのも当然だと思うのだが、こうしていちいち反芻してしまう自分には嫌気が差す。
脳内で何度繰り返しても、ラヴィアスの真意はノイムには量れない。
何しろ前世では裏切られるその瞬間までラヴィアスをこちら側の人間だと信じて疑わなかったノイムである。人生を数年ぽっちやり直したくらいで彼の心の内を理解できるようになるなんてあり得ない。
結局これは、ラヴィアスに直接たしかめることでしか解消できないものだった。
だから彼女は三人ぶんの疑念を綺麗にスルーして、ラヴィアスに向き合うことを選んだ。これ以上引き伸ばしては余計に拗らせることになる。すでに食堂内の空気は、得も言われぬ奇妙なものに変じてしまっていた。
「…………なんで?」
ノイムの口からこぼれたのは、彼女が抱いて然るべき疑問だ。
少なくともノイム自身はそう思っていた。
他人の目にどう映ろうとも、ラヴィアスのノイムに対する心象はすこぶる悪い。今世で彼と出会ってからのノイムはすべてを間違え続けていた。衆人環視を利用してラヴィアスの退路を断ち、ノイムの事情ばかりを押しつけている。ラヴィアスが絶対に人間の味方になり得ないことを知りながら、彼がおそらく人間のことを憎んでいるのだろうと思いながら、そこまで察していながらノイムは自分勝手に振る舞ってきた。
ラヴィアスに好かれる行動は一度もしていない。その自覚があった。
「ラヴィーさんは、私のこと嫌いなんだと思ってた」
聞こえた息を呑む音は、当事者ふたりを除いたギャラリーのものである。ノイムの視界の端で、互いに目くばせをし合うシャティアたちが見えた。
「またずいぶん飛躍しましたね」
ラヴィアスはカトラリーをテーブルに置いた。知らぬ間に食事を終えている。周囲が話しこんでいる間、彼はほとんど食べることに専念していたから、当然といえば当然だった。
「私としてはむしろ、どうしてあなたがそう思ったのかを聞きたいところですが」
椅子が蹴倒される音がした。「そうだよ!」とノイムの耳元で炸裂したのは、言わずもがなシンシアの声である。
「そりゃ、ノイムがなんか悩んでるのは知ってたけど、でもラヴィアスさんは――もごご」
勢いのまま言いかけた彼女は、背後から伸びた手によって口を塞がれた。
知らぬ間にシャティアが立ち上がって、テーブルのこちら側に来ていた。やわらかな手のひらでシンシアの口を覆う彼女のうしろでは、静かに食堂を出ていくエクシアの後ろ姿がある。
(……待って、これ)
ラヴィアスとノイムをふたりきりで残す気か。
ノイムの思考がそこに至ると同時に、おざなりに宥められたシンシアが連れていかれた。食堂の扉が閉まる直前、シャティアがぱちんとウインクをしてみせる。
そして静寂が訪れた。
ノイムが顔を正面に戻すと、目を瞬くラヴィアスがいた。さしもの彼も驚いたようだ。
それも当然、シャティアたちの去り際は鮮やかすぎた。まるで最初から計画されていたかのように。
(まさか本当に最初から……?)
仕組まれていたことだったのだろうか。少なくともシンシアは何も知らなかったようだが――いや、興奮しすぎて忘れてしまったという可能性も、あの義姉であればあり得なくはない――シャティアとエクシアなら事前に示し合わせていても不思議はない。
「してやられましたね」
その考えに至ったのはラヴィアスも同様だった。しかも彼はノイムの一歩先を行く。まるで予想はついていたとでも言わんばかりの落ち着いた態度でティーカップを傾ける。
ふたりきりにされたところで、特別何かをするつもりはない。
ラヴィアスの態度は、ノイムにそう言っているようでもあった。口火を切るのはあくまでノイムの役割だ。無論、ノイムだってそのつもりで覚悟を持って彼に「なんで?」と問いかけたわけなのだが、こうまでお膳立てされてしまうとかえって続けにくい。
ノイムはいつの間にか補充されていたフォークを手に取って、食事を再開した。
見れば食べかけなのはノイムただひとりだ。シンシアもシャティアもエクシアも、きっちり食べ終えてから退室している。しばしの間、ノイムの皿の上に残った料理を片づける音だけが食堂に響いていた。
当然のことながら、味なんてほとんどわからない。
おまけに最後のひと口を口に含むときは胃がきりきりと痛んだ。
ごはんを食べて緊張で胃が痛むってなんだ、と我ながら情けなく思ったが、それで心が軽くなるわけでもない。これが終わったらいよいよラヴィアスに挑まなければならないのだ。だから最後のひと切れの肉が、味のしなくなったガムのようになっても、ノイムはまだ咀嚼を続けていた。
「まるで親に叱られた子供のようですね」
ふ、と短く息を吐いたラヴィアスが言う。
必死に会話を始めるタイミングを引き伸ばそうとしているノイムを見かねたようだ。あるいはただ、あからさまにびくびくしている彼女が鬱陶しかっただけなのかもしれないが。とにかく、結局のところ最初に口を開いたのはラヴィアスだった。
「先に私からひとついいですか。ずっと気になっていたことがあるんです」
「な、なに?」
ノイムはやや躊躇いがちに、ラヴィアスと目を合わせた。
彼女を見つめて小首を傾げたラヴィアスが、明日の天気でも尋ねるような調子で告げる。
「あなた、いったい何者です? からだは幼い子供として順当に成長しているようですが、中身は違うでしょう。魂がわずかばかりズレている」
瞬間、ノイムの心臓はたしかに止まった。
あと一話か二話でこの章が終わりますが、いつ投稿できるのかについてはもう言及しないでおきます。私は愚かだ……。




