10.外出、ねだる
ちぎられたパンが宙を舞った。
孤児院で焼くパンは、基本的になにかしらのイモを小さく刻んで混ぜている。つまりかさ増しだ。ごろっと質量のあるイモが含まれているので、投げればそりゃあ、綺麗に飛んだ。
だからといって、パンを投げて遊んでいいわけがない。
(ほんと馬鹿……)
スープのなかにちぎったパンを放りこみながら、ノイムは頬を引きつらせた。
今日も今日とて、レオとタランはやりたい放題だった。
「ほら、つぎ! えいっ」
「うおーっ!」
レオが投げたパンを、跳び上がったタランが口でキャッチした。
食事の席にあるまじき遊びである。
しかもきちんと受け止められなかったパンの欠片があちこちに落ちていた。どうせ彼らは掃除をしない。尻拭いをさせられるのは、いつだって同い年のノイムと、年上の子供たちだ。
どうしてノイムは朝っぱらからこんな、頭が痛くなる光景を見せられているのだろう。
「ふたりとも! いい加減にしなさいっ」
当たり前だが、アリサの怒声が食堂に響き渡った。レオとタランの手から、パンが取り上げられる。
「食べもので遊んじゃ駄目でしょう。何度言ったらわかるの!」
「だって、イモパンあきたんだもん」
「ずっとおんなじあじじゃん」
「遊んでいい理由にはなりません!」
そのとおりである。飽きても工夫して食べればいいのだ。ノイムのように、塩味のスープに入れれば多少の味変にはなる。
「悪い子にはごはんはあげないからね。片づけるわよ」
アリサはパンに引き続いて、悪ガキふたりのスープも回収した。
彼らが食事を抜かれるのは、もはや日常茶飯事である。だんだん罰としての効果がなくなってきていることにアリサは気づいているのだろうか。
厨房に引っこんだアリサを見送ると、レオもタランも余裕の笑みを浮かべた。
「べつに、あきたし食べなくてもいいよな」
案の定、まったく悪びれることなく頷き合っている。
(私より厄介なガキだな……)
アリサや院長が外出するたびに「わたしもおそとに行ってみたい!」と騒いで困らせるノイムなんてまだ可愛いものだ。自分で言うのもなんだが、上には上がいるものである。
結局、床に散らばったパンの欠片はノイムが片づけた。
本人たちにも一応、箒を持たせることには成功したものの、チャンバラを始めてしまったので意味をなさなかった。むしろレオとタランの無法ぶりを増長したかたちになる。カデルが早々に取り上げてくれなかったら、誰かが箒でぶたれて泣いていたかもしれない。
「あいつらにあと片づけをさせようとか考えるな。いいか?」
「うん……」
そういうわけで、なぜかノイムがカデルに叱られることになった。解せぬ。
▽ ▼ ▽
夕方になると、アリサが出かける支度を始めた。
「アリサ! お買いもの? お買いもの?」
編み籠を抱えて食堂を突っ切った彼女に、ノイムはすかさずすがりつく。
「そうよ。あなたは連れていけないわ」
あまりにも外出をせがみすぎたためか、ノイムが「連れていって」と言いだす前に断られてしまった。しかしノイムは諦めない。万が一がある。自分の有用性を示せば、アリサの気も変わるかもしれない――とは、すでにノイムが何十回と考えた言い訳である。
「だめ? どうしても? わたし、おにもつ持てるよ! お手伝いできるよ?」
「駄目よ。何度も言っているでしょう」
無理だった。
「守ってくれるお父さんお母さんがいないあなたたちはね、孤児院の外に出ると病気にかかってしまうの。意地悪でお外に出さないわけじゃないのよ」
(いや、純然たる意地悪だろうが)
ノイムは無邪気な笑顔を困り顔に変えながら、心のなかで毒づいた。
孤児は外に出ると病気にかかるなんて、逃亡を阻止するための方便にすぎない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。いや、馬鹿にはできないか。純粋な孤児院の子供たちは、アリサや院長のこの嘘を見事に信じて、外出を恐れているのだから。
なおも渋るノイムの手が、うしろから掴まれた。見れば、カデルである。
「あまりアリサを困らせるな」
いつの間にか食堂が静まり返っていた。
遊び回っていた子供たちの視線が、ノイムに集中している。いずれも、得体の知れないなにかを見るような。理解できないものに向けられる視線だった。
最後にカデルを見る。エメラルドグリーンの瞳には困惑が浮いていた。
なるほど、ここらが潮時か。
「わかったよ……もう言わない」
「わかってくれて嬉しいわ」
アリサの柔らかい手が頭を撫でる。ちっとも嬉しくない。叩き落としてやりたい気持ちを抑えこんで、ノイムはただ頷いた。
「這いイモをふかしてむいておいてちょうだい。お夕飯にはデザートをつけましょうね」
機嫌を取るように言い置くと、アリサは扉に手をかける。
静かだった食堂がにわかに騒がしくなる。ノイム以外のほとんどの子供が、デザートという言葉に踊らんばかりの喜びを表していた。彼らの頭から、「ノイムが外に出たがっている」ことなどは吹き飛んだだろう。
アリサはきっとそれも見越して、普段は絶対につけないデザートなんて言いだしたのだ。子供たちの意識を、外の世界から逸らすために。
アリサの背を見送ったノイムは、タコのように口を尖らせる。
「そんな顔をするな。ふかしイモなら、俺も手伝ってやるから」
「……べつに、おイモをふかすのがいやなわけじゃないもん」
「じゃあなんだ? そんなに孤児院の外に行きたいのか? 俺たちには危ないって、いつも言われてるだろ」
「そんなの――」
そんなものは。そのあとの言葉は続かなかった。
ノイムたちの話に食いついてきた影がふたつ。
ぶつかる勢いで飛びだしてきたのは、もちろん、レオとタランである。
「そうだそうだ! なんでそんなに外がいいんだよ?」
「なんかおもしろいものがあんの? びょうきになるのに?」
厄介なふたりに目をつけられてしまった。ノイムがあまりにも繰り返しアリサに詰め寄るものだから、とうとう彼らの好奇心を刺激してしまったらしい。
これは本当に、ここが潮時なのだろう。
もう二度と外出したいとは言うまい。
ノイムが孤児院を出るときは、正真正銘、この檻から脱走するときだけだ。
「アリサがいっつも、たくさんお買いものして帰ってくるから。お手伝いしたかっただけだよ」
「なぁんだ。つまんねー」
「いい子ちゃんぶってら」
どうやらノイムは、うまくふたりの興味を削ぐことができたらしい。
「ほら、行くぞ。アリサが帰ってくる前に終わらせなくちゃだろ」
「そうだね」
カデルに促されて、ノイムはようやく厨房に意識を向けた。思えば、ノイムがこの体で調理台に立つのは初めてだ。うっかりお湯をひっくり返して火傷したりしないように気をつけなければならない。
頭を切り替えよう。楽しいことを考えよう。
たとえば、これからふかす這いイモをつまみ食いすることとか。これは調理に携わる者の特権だ。もちろんバレれば怒られる。
(ふかしたあとに切っちゃえば、ちょっと減っててもバレないかな……)
ノイムの意識はイモに向いていた。
だから、レオとタランが意味ありげな目配せをしたことには気づかなかった。
自分がとっくに、引き際を誤っていたことにも。




