第9話 誰だって後ろめたいものを抱えてる
日が完全に落ちていくばくか。
夜闇に溶け込んだ辺りは静かだ。
木々の茂みの先から大きな命の気配は感じられない。
この調子なら、今夜は平穏に終わるだろう。
パチパチと小気味良い音を立てて燃える焚き火に視線を移す。
女魔道士は地図と睨めっこして、あの子はうつらうつらと船をこいでいた。
…眠いなら、馬車の荷台で寝ればいいのに。
どうしようか僕が悩んでいたら、ようやく考え事の整理がついたらしい魔道士が顔を上げて、
「あれま」
隣の様子に気づくと、そそくさと彼女を荷台に担いで運んでしまう。
相変わらずの行動力だと眺めていたら、戻って来た魔道士は僕を睨みつけた。
「アンタ、もう少し気を利かせてくれても良くない?」
「………」
「シカト? あんだけドカ食いしておきながら太々しい態度ね…。お陰でこちとら、小一時間は旅程を練り直す羽目になったってのに」
「…。…出発前に、食料はもっと多いほうがいいと言った」
「理由も添えられずポツリと急に言われただけじゃ通じないっての」
「燃費が悪いんだ」
「口下手か!? そういうところを改善しろって……あぁ。もういいわ」
無駄だと悟ったのだろう。嘆息をつきながらブツブツ言い始めた。
「アンタ、そんなんでよく今までやってこれたわね」
…そんな、とはどれのことを指しているのだろう。いずれにせよ余計な世話だ。
「詮索屋は短命になるよ。少しは見ならったら?」
「嫌よ。無理して我を抑圧するのなんてアタシの主義に反するし」
「…アンタには、そう見えているわけか」
主語はなかったが、僕達が指す共通人物なんて一人しか居ない。
「そーね。ホントにあの苛烈女の妹なのかと疑っちゃうぐらいいイイ子すぎる…。素性不明の男と一緒に行動させるのをアタシが心配しちゃうのも無理からぬと思わない?」
「…ついてきている理由はそれ?」
「四分の一ぐらいはね」
「はは。…やっぱアンタ、短命になるよ」
「美人薄命って言うものね。でもお生憎様。二十数年、元気に無事に生きてるわ」
…やっぱり、この魔道士は強い。
つくづく僕なんかとは根っこが違う。
「大したもんだよ…。眩しすぎる精神性で目が潰れそうだ」
「アンタも大概、卑屈よね。それ、疲れない?」
誰が好きで──と喉元まで出かかったけど堪えた。
そんな不毛を口にしても、心が余計に荒むだけだ。
「難儀なもんね。誰しも大なり小なり抱えるものではあるけど…アンタのは特に重症そう」
無言を貫く僕を見兼ねたのか、魔道士がカラッと話しかけてくる。
「折角だから聞くけどさ。そもそもアンタは何であの子と旅を共にすることにしたのよ?」
「…成り行きだよ。気の迷いとすら言ってもいい…。でも、もう無理だ」
「? どういうこと?」
「僕が付き合えるのはローラシアまでだ。それが今日、ハッキリと分かった」
魔道士の表情が軽蔑に歪む。
「あの子を放っていく気?」
「ローラシアに行けば、お姉さんが居るんだろ。元々、そこまでの話だったんだ。問題は何もないでしょ…」
我ながら弱々しい発言だ。
でも、仕方がないだろう。
無理なものは無理だ。世の中には出来ることと、出来ないことがあるんだから。
また小言を言われると思ったけれど、魔道士は「そう」と頷くだけに留まった。
「フィナ、寂しがりそうね」
「どうせすぐに忘れる。寧ろ……」
忘れて欲しい。
口には出さないけれど、僕は本気でそれを願っている。
そんな僕の陰鬱さに参ったのか「はー」と魔道士が盛大に息をつく。
「分かった分かった、降参する。下手に突いて悪かったわ。誰にでも言いたくないことはあるものね」
…そうだ。
誰にだって、後ろめたさや隠したいことはある。
それは、この魔道士も例外ではないはずだ。
「──アンタの師匠がしていた研究の題材とか?」
魔道士の鋭い目線が僕を射抜いた。
今にも魔法をぶつけてきそうな敵意だ。
肌を刺すようなプレッシャーに腰が引けたけど、退くわけにはいかない。
これは、将来の自分を守るための情報収集なのだから──
縮こまる身を律して、僕は声を絞り出した。
「睨まないでよ…。意趣返しみたいなものだろ」
「だとしても、タイミングが最悪」
「今ぐらいしか聞けるタイミングがないと思ったんだ。…悪かったよ」
「…。…その一言を聞いたから、許す」
なかなかの不躾を働く僕を、この魔道士は今の謝罪で流してくれるらしい。
油断はならないけど…存外、人が好いタイプみたいだ。
「で? 何が気になってるのよ」
「君の昼間の話を振り返ると…この地方で起きている失踪事件の犯人は、君の恩師の研究を盗んだ輩と同一人物である風に聞こえた。
そこから連想してみたら、そもそも君の恩師の研究は失踪人を必要とする研究だったんじゃないか、って思ってさ。…そんな研究の題材、禄でもなさそうだろ」
「…そうね。ちょっと発想に富んでれば、そう思うわよね」
「そう考えてないのは…あの子ぐらいなんじゃない」
「そうね。分かってるのか分かってないのかは知らないけど、ありがたいものよね」
くつくつと、魔道士が自虐的な笑みを浮かべる。
彼女がするには珍しいそれは、彼女やあの子の寛大さに付け入っている僕にも向けられている感じがして…ちょっと、心に滲みた。
「アタシから口に出来るのは、命や魂に関わる研究だったってことぐらいよ」
「…命…」
「そう。良い事にも悪い事にも使える題材でしょ?
だから多くの人が犠牲になっているようなことに悪用されるのは許せない。アタシの目的なんて、それぐらい私的なものよ」
どこか遠くを見ながらそう語った彼女の顔は、真剣そのものだ。
決意、覚悟、悲壮感…それらが綯い交ぜになった表情。
それ以上の事は分からなかったけど、僕にはそれで十分だった。
──大きく伸びをしながら魔道士が立ち上がる。
「ちょっと、気分転換に川で頭を冷やして来るわ。見張りを頼める?」
「どうぞ」
彼女が大股で歩き去ったのを確認してから、僕は頭を抱えた。
…集まって欲しくもないパズルのピースが、どんどんと僕の中で揃っていく。
このままでは最悪なことになるという予感が止まらない。
右脇腹をさする。
数日前にようやく塞がったはずの傷口が痛んだ気がしたからだ。
「…またあんな痛い思いをするのは、御免だ…」
心の内で膨張する恐怖を吐き出すように、僕は嘆いた。
2章・完です。
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