故郷Ⅰ
次の日、昼を少し過ぎた頃、
小四郎は篠田家に着いた。
「小四郎か? 一体どうしたのじゃ。」
と父の喜左衛門が驚愕の表情を見せる。
「流行病に見舞われたと聞き、
心配で急ぎ帰郷したのですが。」
「えっ? 江戸にまで
話が広まっているとは思わなんだ。
我が家は誰も罹らなかった。
心配かけて悪かったな。」
「そうですか。
安心しました。」
そこへ母と兄嫁の由岐が顔を出す。
「母上も息災で何よりです。」と小四郎。
「小四郎様、急なお帰りで
未だ部屋の用意が出来ておりません。
直ぐに空けますので御容赦下さりませ。」
と由岐。
「義姉上、数日で江戸に戻りますので
御心配は無用です。
何なら宿を取っても構いませんので。」
「数日なら
客間に泊まって貰えば良いでしょう。
由岐さん、
御蒲団の用意だけお願いね。」
「はい、承知しました。」
そんなやり取りの後、
小四郎は直ぐに屋敷を出た。
仁衛門が家にいる可能性は低いと思ったが、
百十両を懐に入れて斯波家を訪れる。
案の定、仁衛門は居なかった。
明日が非番だと聞いて、
明日、昼過ぎの再訪を家人に言伝る。
斯波家からの帰り道、
小四郎は幼い頃遊んだ場所へと立ち寄った。
だが、そこに昔の面影は丸で無い。
遠くから一本杉が無い事は見て取れた。
切られたか倒れたかと思って近付くと、
辺り一面、田圃が広がっている。
一本杉だけだったら
造作も無く開墾出来ただろうが、
半分地中に埋まっているような大岩が
ゴロゴロしていた筈だ。
それらを全て取り除いたのだろうか。
余程大掛かりな掘削が行われたに違いない。
五年余りの歳月の経過を
小四郎は朧気ながら実感した。
屋敷に帰り着いて
父の喜左衛門と雑談をしていると、
思い掛けない人物が小四郎を訪ねて来た。
高橋五郎兵衛だった。
一体何の用だ、と小四郎は訝しむ。
「通りでお主を偶然見かけてな。
江戸から戻って来たのか?」と五郎兵衛。
小四郎は剣の師として五郎兵衛には
感謝している面はあるものの、
道場を追い出された身だ。
五郎兵衛の訪問には困惑している、と
言って良いだろう。
「いえ、流行病の事が気掛かりで
立ち寄ったまでの事。
直ぐに江戸へは戻る予定です。」
「何だ、そうだったのか。
では無理かも知れんな。」
「何の事で御座りましょう。」
「うむ、実はお主に
道場を買い取って貰えぬか、
と思っていたのだ。」
小四郎は御前試合で対戦した
柏原光斎たちの事を思い出す。
三人とも故郷に道場の用地を確保している、
と言っていた。
江戸では、どんなに剣技が優れていようとも
商才に長けた者しか成功しない、
とも言っていた。
この先、小山内家の仕事が
どうなるかも分からない。
自分もあの三人に倣うか、
と言う考えが少し頭を掠めた。
幸い切り餅(二十五両)は篠田家に
置いて行かなくとも良さそうである。
「おいくらで御座りましょう。」
それを聞いて五郎兵衛は目を輝かせた。
「五十両なのだが。」
「えっ? それはとても
手が出せる額では御座りませぬ。」
「いくらなら出せるのだ?」
「聞かんで下され。
とても届かぬ額で御座る。」
「良いから言ってみてくれ。」
「二十両なら何とか。」
「うーむ、それでは無理だな。」
「お役に立てず申し訳御座らん。」
「いや、こんな話を持ち込んで悪かった。」
「何か急な入り用でも?」
「うむ、実は高里を離れる事になってな。」
「えっ? どちらへ行かれるので?」
「うむ、大坂の方へ行こうと思ってな。
あっ!
この事は他言無用で頼む。」
と慌てたように言って、五郎兵衛は
そそくさと篠田家から去って行った。




