最終話・モコ=レイラルドはいかにして、その刃に全てを捧げるに至ったか。
15年前。 ……全てが始まった丘。
今の僕が、今の僕になる為の一歩目を踏み出した丘。
あの日何もない草原が広がっていた平地は、広大な麦畑に変わっていた。
「リンコはどうして……死んでしまったんだ」
「お、お前に復讐するためにっ! 大切な人を取り返すために……俺を置いて旅に出た……! 」
少年は笑っている。 笑おうとしているように見える。
気持ちが良かっただろう。 僕にナイフを突き立てた時、きっと今まで味わったことのないような爽快感が、彼を包んだのだと思う。
「どうなったと思う! わかるか!? ……ハハハッ、迷宮で魔物に食われたのさ! 惨めで無様だろ!? 俺の元に帰ってきたのはそのナイフと……ブローチだけだ! 何もかも全部お前のせいだ! 」
「そうか。 復讐をするなら……君の成長を待ってから旅に出ても良かったな」
「な、何言ってんだこいつ……バカなのかお前っ! 」
少年は腰が抜けて立てないようだった。
横腹に突き刺さっているナイフと、草原を侵食していく血だまりを見て震え始める。
「お前はのうのうと……酒場でエールなんか飲んで……チヤホヤされていい気になりやがって…… !」
僕が吐血したタイミングで、少年はボロボロと涙を零し始めた。 少しでも気を抜けば顔が歪んでしまうだろう。 この気が遠くなるような痛みと、苦しみを、彼に悟られる訳にはいかない。
「僕はこんな刃物じゃ絶対に死なない。 安心しなさい」
「くっ! 来るなぁぁあ!」
「落ち着いて僕の話を聞いて欲しい。 今の君に僕は殺せない……絶対に、どんな手を使っても不可能だと断言する」
腹に刺さったナイフを抜き、足元に置く。
吹き出した血が彼の顔にかかってしまった。
「……そこで、僕から提案があるんだ」
「もう動くなっ……喋るなモコ! 血が出すぎてる!」
相棒の声が随分遠くから聞こえてくるように感じた。
『献陣魔抛擲・聖刃創製の儀』
血に塗れたナイフに膨大な魔力を注ぎ込む。全身から噴き出した魔力が吸収されていくような、奇妙な感覚。
「禁忌魔法陣……? 何する気だ! やめろモコ!」
向かってくる相棒を重力魔法で食い止める。
「邪魔をしないでくれ……! 最後のお願いだ、相棒」
「いい加減にしろぉっ! お前の償いは……もうとっくに終わってんだ! うぐっ……この魔法を解けっ、馬鹿野郎がっ……! 」
ナイフが僕の血を吸いながら大剣へと成長していく。雷のような青白い光が立ちのぼり、大地を揺らしていた。人生で2回目の禁忌魔法だ。どんな呪いが返ってくるかはわからない。
……だけど、僕に迷いはなかった。
「最初は使いこなせないかもしれないけど……必ず強力な武器になる。 いつの日か僕を殺すことだって出来るだろう」
仕上がった大剣を地面に突き立てる。
「使うか使わないかは君の自由だ。 気味が悪ければ売ってもらっても構わない」
「いや、気味悪いに決まってんだろバカかこの野郎! 」
「茶々を入れるな……相棒」
「茶々も入れたくなるだろうがバカ野郎が! 」
僕は相棒の顔を見て、笑ってしまった。
「……どうして君が泣くんだよ」
「……うるせぇ! 心配だからに決まってるだろうが……! せめて止血をしろぉ!」
さすがに意識が朦朧としてきた。
相棒の言う通り血を流しすぎているし、禁忌魔法の魔力消費も大きすぎる。
「君は必ず強くなる。 ……僕はね、君が強くなる事を知っているんだ。 調理室でナイフを握らせておくには惜しいと思ったから……強力な武器をあげたかった」
少年は歯をカチカチ鳴らしながら、それでも僕を、懸命に睨んでいた。
「この剣は……ちょっと重いけど、必ず君を守ってくれる。 そして……君の志を支える柱にもなる……」
フータとリンコの息子。
全身を震わせながら泣いている。
人を刺してしまった事を実感して怖くなったのか、血まみれで喋るゾンビが怖いのかは判別できなかった。
「僕を殺しに来てもいい……。 誰の為でもいい、何の為でもいい! ……何かと闘いたい、と少しでも思ったら……。 この剣を……握ってみて……欲しい、んだ……」
流れてくる涙を止められない。
血なんか、いくら流れてもいい。
この涙だけは止まってほしい。
そう思えば思うほど、涙が溢れ出してくる。
「モコ! 副作用が……!」
呪いの術式が黒い帯となって全身を覆い始める。 背筋が凍るような不快感。
——フータの肉体を蘇らせた時と同じだ。
ただ、今はそんな事よりも、今の搾りカスのような魔力では王都まで飛べない、という事実が頭を悩ませていた。
——目が霞む。
周囲の音が遠ざかる。
相棒が駆け寄ってきた。
必死に何か叫んでいる。
大丈夫だよ、僕は絶対に……。
絶対にこのまま、死ぬ訳にはいかないんだ。
……叫び続ける相棒の肩に手を置いて、空間転移の魔法陣を展開した。
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「レイラルド様。 サーン様が到着されたそうです」
『ありがとう。 僕は先に行っているから、フータの所に直接案内してくれないか 』
「畏まりました。 それともう一件、ソータがまたレイラルド門下の魔導師達と大喧嘩を」
『どうなってる?』
「御子息様が止めに入ったようですが、まだ暴れているそうです」
『僕に止めろと? 放置で構わないよ。 ソータはまだ、ロコには敵わないと思う』
「畏まりました。では、サーン様をご案内して参ります」
『悪いね、ありがとう』
フータとリンコの息子である「ソータ」に刺されてから、五年が経つ。 ソータは約一年前、あの大剣を背負って王都に乗りこんできた。
今は騎士団で見習いとして訓練する傍ら、街で僕の門下生に片っ端から喧嘩を売っては捩じ伏せられる日々を送っているようだ。
一度、野次馬根性で彼らの喧嘩を見に行った事があるが、その実力の高さに驚いて、思わず見入ってしまった程だった。
王宮は彼がフータの隠し子だという事実を認知していて、近い将来、僕の息子である「ロコ」と共に騎士団の中核を担う存在になるだろうと噂されている。
あの日彼に渡した剣が、もう僕の喉元まで迫っていると思うと感慨深いものだ。
——今日は、サーンが相棒の弔いに来てくれた。
相棒が病に倒れたのはつい先日だった。
突然身体の不調を訴え、みるみるうちに衰弱していくと、半月も保たずに息を引き取ってしまった。
彼は自分の死期を悟っていたかのように、怯えることも慌てる事もなく、抱えていた仕事を全て片付けて逝った。 誰にも手の打ちようがなく原因不明の病とされていたが、僕だけは自分なりに納得のいく答えを出している。
相棒は恐らく、二度の禁忌魔法をその魂に受けていたのだ。
禁忌魔法の発動は膨大な魔力を消費して行う為に、魔力の乏しい者には使えない。 しかし、長い年月をかけて少しずつ魔力を注いでいくような方法があるとすれば、その前提は覆されることになる。
彼は僕と知り合ったあの迷宮で20年間、「育ての親」から禁忌魔法を受け続けていたのではないか。
生まれついての奇形などではなく「ゴブリンの知能を高める禁忌魔法」の呪いによって、醜い姿に変わっていったのではないか、と僕は考えた。
その発想が浮かんでからすぐ、あの迷宮を隅から隅までしらみつぶしに調べ上げた。
何度目かの探索で、普通に潜っていたら目にも止まらないような岩陰の亀裂の奥に小さな空間を見つけ、その内部に潜り込んだ。
——そこで見たのは、壁いっぱいに彫り込まれた「手打ち」と呼ばれる魔術式と、白骨化した男性の遺体。
「手打ち」とは、通常魔力を操って空間に展開する術式を物理的に描く手法で、本来なら魔法を覚えたばかりの者が身体に感覚を馴染ませるために行う「魔法の練習」のようなもの。
壁に刻まれた術式がどんな効力を持ったのか、相棒が何故その事を隠していたのか。 今となっては知る術はないし、僕もそれ以上の詮索をやめた。
……だって、相棒の人格がどうやって生まれたかなんて……。 僕たちが出会って一緒に歩んできた人生には、何一つ関係がないんだから。
僕はあの日、人生で二度目の禁忌魔法を使ってから、身体に異変を感じるようになった。
魔力は半減してしまったし、その扱いも思うようにいかない。 魔導師としての実力は全盛期の半分以下だろう。
常に頭に靄がかかったような感じで、大好きだったエールだって飲む気にもならない。
不思議な感覚だけど、もう自分はこの先長くないな、という確かな予感がある。
——相棒は死の間際、僕に一通の手紙を残した。
僕に命を貰った事への感謝、これまで2人で歩んできた人生で楽しかった事、嬉しかった事。 書いていて恥ずかしくなかったのかと思うほど、目を伏せたくなるような照れ臭い言葉の羅列。
手紙の締めくくりにはこうあった。
【本当は、お前が死ぬまで隣にいてやりたかった。 もっともっとお前の役に立ちたかった。 俺はずっと、お前を理解してやれる、唯一の存在になりたかったんだ。 心残りがあるとすれば、それだけさ】
充分、唯一の存在だったよ。
まったく……この面倒で寂しい世界からさっさとトンズラこきやがって。 もっともっと面倒で寂しくなっちゃうじゃないか。 クソッタレの馬鹿野郎め。
——王宮を出て、相棒の墓に向かう。
王都は夕暮れの橙色に染まり、人々の明るい表情と夕飯の匂いに満ちていた。
街を抜け、相棒の墓前に立つ。ミルクと、ワインと、ナッツと、それから花束を供えて手を合わせる。
——きっとここには、あの迷宮の最深部で彷徨っていたフータの魂も帰ってきているだろう。
僕は今、そんな風に考えている。
年に一回、自分の心を守る為にやっていたあのくだらない「供養」の真似事も、本当はもう必要ないと思っているんだ。
そして今日、僕はサーンに全ての真実を打ち明けるつもりだ。
きっと信じてもらう事は出来ないだろう。
信じてもらうには、長く生きすぎてしまった。
僕はモコ=レイラルドという名を、あまりに飾り立て過ぎた。
そのまましばらく墓前でぼんやりしていると、背後に人の気配を感じたので振り返る。
こちらに歩いてきたサーンが、深く頭を下げていた。
「モコ様、大変ご無沙汰しております。 王都までの案内、護衛を付けていただき、心より感謝申し上げます」
『そんなに畏まらないでくれ。 久し振りだね。 危険なことはなかった? 元気そうで安心したよ』
「あの田舎町から王都までの間、見たこともない壮麗な風景や、様々な町……お二人に所縁のある土地を見て参りました。 本当に、とても貴重な経験をさせていただきました」
『向こうは、どうだい? 宿屋のおじさんは元気? 』
「はい。 お陰様でみんな、穏やかな毎日を送っています。 ……言い換えると、単調な日々ですが……」
サーンは優しく微笑んだ。
その穏やかな表情が、彼女と、周囲の人たちの幸せを物語っている。
「……モコ様、お身体の方は?」
彼女は五年前に会った時よりも血色がいい。
錯覚だろうけど、若返ったような気さえするし、相変わらず美しく、溌剌としている。
『僕もこの通りだ。 ピンピンしているよ』
サーンはフータの墓に花を添えると、両手を合わせてしばらくの間じっとしていた。
上を向いて涙を堪えている彼女の肩に手を置く。
彼女は振り返って僕を見つめ、手元にゆっくり視線を落とす。
『あいつはきっと、地獄でも楽しそうにお喋りしているよ』
彼女は頬に伝う涙を拭い、また優しく微笑んだ。
「英雄は地獄に落ちるものですか?」
『彼も僕も、地獄に落ちるんだ』
「どうして?」
サーンは次の言葉を待っていた。
首を傾けて、僕の手元を覗き込んでくる。
『我儘に生きてきたから』
そう書いて筆談のノートを手渡すと、サーンは眉を顰めて困ったような顔を僕に向けてきた。
「お二方は……私のような凡人には想像もつかない人生を歩んできたのだと思います。 ……私には、次の言葉が見つかりません」
サーンの肩越しに、こちらへ走ってくるソータの姿が見える。
目の前まで来て、剣の切っ先を僕に向けると、肩を弾ませながら口を開いた。
「やっぱりここかぁ! おい、やっと息子に勝ったぞ! 次はアンタだ、今すぐ決闘しろぉ!」
ソータは僕の、大切な友達だ。
「おい」とか「アンタ」とか「決闘しろ」とか。 そんな砕けた言葉でとんでもない提案を僕にしてくるのは……。 相棒がいなくなった今、この王都中を這いずって探し回っても、このソータしかいない。
かつてのフータとそっくりな彼の顔を見てサーンは驚いている。目を見開き、口元を手で覆った。
僕は少し迷ったけど、筆を走らせてから、筆談のノートを彼に手渡す。
『今日は大事なお客様が来ているんだ。 決闘は明日からにしよう』
ソータはサーンに視線を送って身体を向けると、上目遣いでお辞儀をした。 彼女も姿勢を正し、丁寧にお辞儀を返している。
どこか気品を感じさせるお辞儀だ、練習をしてきたのかもしれない。
「初めまして。 レイラルド様の友人の、サーン=アスカルティと申します」
「あ、こんちわ。 騎士団見習いのソータ=トラスフィードっす」
トラスフィード。 リンコの姓を聞いて、サーンは全てを察したのか、また口元を手で覆った。
「お客なら仕方ねぇか……。 今日のところは引いてやる」
僕はソータの頭に手を乗せて、治癒魔法をかけてやった。 息子との戦闘直後で、立っていられるのが不思議なくらいの消耗をしているのがわかったからだ。
「あっ? ……敵に情けをかけるのかよ」
僕は笑った。
つまらなそうに口を尖らせて、ソータが踵を返す。
ポケットに手を突っ込んで、何歩か進んだところで一瞬だけこちらに顔を向けると、「サンキュー」と口が動いた。 僕は軽く手を上げてそれに応える。
「モコ様……。 あの子……」
——これから始まる『決闘』の日々と。
彼の背中の眩しさに、目を細める。
——僕は今。 強く、強く願っている。
明日もまた、生きていられますように。
何度でも、何度でも『決闘』を重ね。
いつの日かソータが、僕を追い越していく、その日まで。
——どうか、生きていられますように。
僕は【フータ=ジルギース】の墓に、もう一度。
長い長い、祈りを捧げた——。
fin.
【あとがき】
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