スーパーフォートレス
西暦2018年8月6日午前6時35分
日本人民共和国 労農赤軍・防空軍 西部防空司令部
広島市に司令部を置く西部防空司令部の地下指揮所。
照明が抑えられている中、無数の液晶画面が放つ淡い光によって濃青色の制服に身を包んだ職員たちの姿がおぼろげに浮かび上がる
そんな司令部要員を見るともなしに見ていたこの司令部の主-すなわち西部防空司令官たる黒部信介中将-は部下たちに気付かれぬよう、ひそかに嘆息する。
今日の広島は快晴。文字通りの意味で、雲一つとして存在しない。こんな時には、地上8階にある司令官室から中庭の噴水群でも見ながら仕事をしていたいものだ。だが、生憎として、彼にはその自由が無かった。かわりに、こんな辛気臭い地下にこもっていないといけない。
全く忌々しい。どこの莫迦者が領空侵犯などしているんだ?
そんな恨み節とともに、将軍は中央スクリーンに映る3つの赤い記号( ^ )へと視線を向ける。
それは、午前6時30分ごろに突如として現れた所属不明の編隊だ。
何の前触れもなく電探画面上に突如出現したそれは、その時点で四国上空へと侵入しつつあった。無論、どの民間航空会社からも、その時間、その場所を飛行するといった飛行計画書は提出されていない(付け加えておくと、日本人民共和国では民間人の航空機所有は許可されていない)。また、その不審機は、四国上空で警戒任務に当たっていた空中警戒管制機からの敵味方識別信号にも応答しなかった。
無論、当直士官は直ちにその不審機に対し国際救難信号で呼びかけを行ったが、それにも応答なし。
領空侵犯だ。
かくして警報が発せられ、黒部将軍は地下50mに造られた防空指揮所に缶詰を喰らった。
一方、防空軍は、将軍の陰湿とした気分とは裏腹にその活動を活性化させていた。
高知基地より8機のMig-31J戦闘機が緊急発進。要撃を試みていた。また、築城基地からは追加でA-50空中警戒管制機が発進。レーダー体制の強化を図る。加えて、九州・中国・四国及び、関西(関西は中部防空司令部の管轄)で高射砲部隊が戦闘配置に移行しつつあった。
『司令部、こちらディリフィーン01。不審機編隊に接触……目視した』
要撃の為に上がっていたMig-31Jが報告を送ってくる。だが、その声音には緊張感がほとんどない。そのかわりに当惑しているのが、通信機越しもわかる。
『領空侵犯の3機にはすべて……アメリカ国籍を示すマークがある』
Mig-31Jのパイロットが報告を続ける。しかし、何とも歯切れが悪い。
黒部将軍は不審に思う。何を混乱する必要があるんだ? 米軍機が侵入しているというのではないのか?
『領空侵犯機はいずれも……そのB-29……“スーパーフォートレス”だ。補足すると、その内の一機には……エノラゲイと書かれている』
「は?」
その報告内容に、将軍は思わず呆然とする。
B-29? B-29と言えば第二次大戦時に日本各地を爆撃し、多数の民間人を殺戮した戦争犯罪機だ。大戦末期に出現したその怪物は、当時の大日本帝国戦闘機の性能不足と相まって赫々たる戦果を挙げている。
だが、なぜそんなものが今更? 今は21世紀だ。往年の傑作爆撃機も最早旧式化し、博物館の展示品に成り果てている。
いまさらそんな機体で領空侵犯などして、一体全体何になるというんだ?
将軍は自問するが、疑問は直ぐに氷解する。今日が何の日かを思い出したからだ。そう8月6日だ。忌々しい厄災の日。B-29が破壊の女神を投下した日付だ。
いかんな。将軍は胸中で呟く。徹夜明けで朝帰りしようとしたところに、警報騒ぎで呼び出されたため、頭が上手く働かない。もう年だな。以前はこんなんではなかったんだが……。
「将軍、どうしますか? いつでも撃墜できますが……」
幕僚の一人がそう言って、将軍へと声を掛ける。確かに、彼の言うとおりだ。将軍はその評価に同意した。B-29とMig-31。両者の性能差は分かりすぎるほどに明白だ。半世紀も前の超旧式機など、やろうと思えば何時でも撃墜できる。
問題は……
「それは政治的影響が大きすぎる」
他の幕僚が疑義を呈する。彼の言うとおりだった。今年四月にハンガリーで起こった騒動以来、欧州方面では北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構との間には極度の緊張状態が続いている。
双方がそれぞれ一千機以上の航空機と、万の大台に達する戦車部隊を投入し、にらみ合いを行っているのだ。そのような状況下で、西側のものと思われる航空機を軽々に撃墜するのは―たとえ相手が領空侵犯機であるとしても―危険だった。
「態々8月6にB-29を、それも広島方面に向けて飛ばすなどと……。帝国主義者どもの意図は明白です、将軍。こんな安っぽい徴発に乗る必要はありません」
幕僚はそう指摘する。
「バカを言うな! 貴様! こんな露骨な挑戦を受けて! 指を咥えて見ていろというのか!」
先任幕僚の一喝。多分に感情的な言動の多いこの先任幕僚は、父親が最高人民会議幹部会議員でなければ少将の階級章を手に入れることはなかっただろうというのが、司令部幕僚たちのおおよその見解だった。
「先任幕僚、無論のこと、帝国主義者たちには教訓を与えてやるべきです。しかし、それが今である必要はありません。後日、外交ルートを通じて正式に抗議すればいいでしょう。70年前に民間人を虐殺した機体を、態々このような日に広島方面へ飛ばすなどと……国際社会は受け入れないでしょう。我々は何もする必要がありません。帝国主義者どもの権威はたちどころに崩壊するに違いありません」
そう言って、先程の幕僚が先任幕僚の説得にかかる。
「たわけ! 貴様の首の上についているその頭は何のためにある! 考えんか! 8月6日にB-29が広島上空を飛行してみろ! 防空軍と共和国の権威も丸潰れではないか!」
先任幕僚がそう言って反論する。
ふむ。先任幕僚にしてはマトモなことを言う。将軍は先任幕僚の意見に心を動かす。確かに、そのような事態を許せば、人民の防空軍への信頼は急転直下すること間違いない。また、人心の反発を和らげるため、政府はスケープゴートを必要とするだろう。そうして今回の場合、スケープゴートの対象になりそうなのは、西部防空司令官である彼になる可能性が大きい。
やはり、撃墜すべきか? 将軍はそう自問する。
「待ってください」
そこで、別の士官が発言する。通信管理中隊の中隊長だ。
「目下のところB-29は全て退役し、博物館に展示されているか、航空機愛好家が個人で所有しているのみとなっている筈です。少なくとも、現役のB-29が存在しているなど聞いたこともありません」
その指摘はもっともだった。
「ふうむ。ではこの状況をどう見る」
将軍はそう言って、中隊長へと先を促す。
「恐らくあれらの爆撃機は、アメリカかどこかの大富豪が個人所有しているものでしょう。コレクションを見せびらかしたいとか、原爆投下の正当性をPRしたいとか、そういった目的で態々8月6日を選んで飛行させているものと推測できます。政治的な危険が大きすぎるため、アメリア政府は無関係であると考察いたします」
将軍は思案する。確かに、この中隊長の発言にも傾聴すべき個所がある。将軍の知識でも、B-29は実戦配備状態にはない。もしかしたラモスボール状態で保管されている機体もあるのかもしれないが、余りにも旧式で実戦で使用できるとは思えない。となると、米軍が関与している可能性は低い。中隊長が指摘するように、民間機であると考える方が自然だ。そして、そうであるならば、撃墜までしてしまうのは少々過剰反応の感もある。
実際、つい先月には、コラ半島に誤って侵入したウィンザー航空551便をソ連防空軍が撃墜。結果、国際社会から非難の集中砲火を浴びる事態が発生している。この事件の余波が冷めやらぬ現在、民間機(少なくとも、そう推察される)を撃墜するのは危険だ。そうでなくともここ数年は、東西冷戦が激化しつつあるのだ。
「ふうむ……」
将軍はしばらく黙考したのち、結論を下す。
「領空侵犯中のB-29は民間機の蓋然性が高い。従って、撃墜しない。警告し退去するよう命じるにとどめる」
「司令官! しかし!」
先任幕僚が反対しようとするが、将軍はそれを手で制する。
「先任幕僚の言いたいことは分かる。このような日にスーパーフォートレスを飛ばすなどとは……侮辱も良い所だ。だが、感情に任せて行動するのは、名誉ある赤軍のすることではない。どっしりと構えることだ。どの道、あれはデモンストレーション飛行に過ぎないだろう」
そう言って、将軍は議論を打ち切り、珈琲の入ったマグカップを持ち上げる。
「……まあ、司令官がそうおっしゃるのであれば……」
そう言って、先任幕僚は引き下がる。
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「……スーパーフォートレスにつげる。こちらは日本人民共和国防空軍だ。貴編隊は日本人民共和国の領空を侵犯している。直ちに進路を変更し、こちらの誘導に従え。繰り返す……」
彼、長谷川恭平少佐はウンザリしていた。
長谷川少佐は今年24歳になったばかり。防空軍の戦闘気乗りとして、この年齢で少佐というのは、平均的な階級にいるとはいい難い。そんな彼の異例の昇進の幾らかは、空軍総司令官である祖父の影響によるものであって、戦闘気乗りとしても編隊長としても、彼の能力は平均程度だった。
そんな彼が乗るのはMig-31J。傑作要撃戦闘機であるMig-25に大幅な設計変更を加えたMig-31を、三菱航空機設計局の“ヘンタイ”技術者たちが再設計したもの。ステルス性能に関しては気休め程度しか備えていないものの、高性能なAESA電探を搭載。懸案だった下方捜索機能が向上。さらに、戦術情報共有装置によって友軍部隊と膨大な情報を共有でき、友軍のセンサーが捉えた目標に向かって攻撃を加えることも出来る。
もっとも、如何に改設計を施しているとはいえ、基本設計は半世紀前の物。ステルス戦闘機の配備が進む2018年現在では急速に旧式化しつつあり、新型のMig-41への更新が行われていた。全てのMig-31Jは、10年以内に二線級部隊へと移管される予定となっている。
そんなMig-31Jに乗った彼は、四国上空に不明機編隊が侵入していると聞いて、愛機で緊急発進。要撃を試みたものの、発見した相手は超旧式のB-29。
発進時の高揚感はどこへやら、これではやる気が出るはずもない。
B-29は、先ほどから行われている英語・ロシア語・日本語での警告をすべて無視。そのままの飛行を続けていた。
「司令部、こちらディリフィーン01」
彼は司令部を呼びかける。応答は直ぐに来た。
「ディリフィーン01、こちら司令部」
「目標は警告をすべて無視。誘導に従う気配は見えない。警告射撃の許可を求める」
これは面倒な手順だった。実行射撃を行うならともかくとして、警告射撃で一々司令部の許可が必要だとは。一体誰が、こんな複雑な武器使用基準を考えたんだ。長谷川少佐はそういぶかる。
まあ、いいか。彼は考え直す。どうせすぐに許可は下りるだろう……。
だが、司令部からの返信は予期しないものだった。
「ディリフィーン01、武器使用は許可できない」
「司令部。目標は既に領空内に進入し、こちらからの呼びかけにも一切応答していない。警告射撃の要ありと認む」
何かの聞き間違いだろうか? そう思いながらも再度許可を求める。だが、返信内容は変わらない。
「ディリフィーン01、武器使用は許可できない。武器使用以外の手段で変針を促せ」
どういうことだ? なぜ武器使用が許可されない?
彼は訝る。これは奇妙な状況だ。だが、祖父が空軍元帥であろうとなかろうと、命令を受けた以上、それに従うよりほかに道はない。
「ディリフィーン01了解。このまま通信での警告のみ行う」
彼はそう送信し、B-29の“パレード飛行”を見物する作業に戻る。