晴れた空
西暦2018年8月6日午前8時11分
日本人民共和国 広島市
広島市北部に広がる山の中腹。山道の脇に設けられた退避車線。そこには周囲を威圧するようにして、装甲車が六台停車していた。停車しているのはいずれもBTR-21装輪装甲車。21世紀での現代戦に対応するべく大々的に導入された、ソ連軍の主力装輪装甲車だ。
停車する六台の中の一台――指揮通信型のBTR-21――そこに彼はいた。彼は、車内に設置された液晶パネルの一台に映し出された広島市街地を見ていた。名前はビクトル・シャハリン。KGBの大佐だ。体格はやや肥満気味。白髪の混じり始めた淡い金髪を短く刈り揃えている。
彼の仕事は単純だ。原爆犠牲者追悼式典の為に集まったソ連大統領たちの護衛。それだけだ。無論、大佐の仕事は大統領たちの直接の警護ではない。追悼式典は広島市の中心部で行われている。それをやるには距離が離れすぎていた。
大佐の役回りは二つ。一つは、広島市の外周から全体を見回すこと。もう一つは、広島市内のホテルの一室に設けられた警護指揮所が破壊された場合に、警護部隊全体の指揮を継承することにあった。
そんな彼は多数のモニターを確認しつつ、車内に流れる大統領の演説を聞くともなしに耳に入れる。
『73年前の今日。雲一つない朝。空から厄災が振り下ろされ、人々と世界は一変いたしました。炎と衝撃、放射線によって、一つの都市が完膚なきまでに破壊されたのです。これにより、アメリカが人類それ自体を滅亡させる兵器を手に入れたことが、世界に対して明示され……』
と、無線の音が耳に入る。
『CP02、こちら巡回22』
『巡回22。CP02』
『……である以上、私たちが作り上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があるのです』
『県警本部へ。こちら警邏102号』
『CP02、巡回22。広島市南部より複数の航空機が接近中。パレード飛行の予定があるとは聞いていない。スケジュールの確認を求める』
『……思い起こしていただきたい。米国が核兵器を誇らしげに掲げ、世界中の国々を恫喝し始めたときを。我が祖国が、これに敢然と立ち向かったことを』
『警邏102号どうぞ』
『CP02了解。飛行予定を確認する』
『……今日、我がソ連が、世界第二位の核兵器保有大国になっていることは、歴史の皮肉であるという以外に、表現の手段を……』
『平和大通り福島町停留場にて不審者発見。職務質問をこころみたところ逃走。現在追跡中。応援を……』
そんな無線内容を右から左に聞き流しながら、大佐はあくびを噛み殺す。退屈だ。何もないことは良いことだが、だからと言って暇は暇。大佐は時間を持て余していた。
『注意! 注意! CP02より各隊へ。広島市上空に不審機接近中。米軍機の可能性あり。各隊注意せよ』
米軍機? 大佐は不審に思う。防空軍の連中は何をしているんだ? さっさと追い払えばいいものを。それに、「警戒せよ」とは……。大佐は唸る。どうやって航空機相手に気を付けろというんだ? こっちは装甲車なのに……。
『……しかしながら、我々ソヴィエト連邦と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理を超越し、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければな……』
『CP02へ。こちら巡回22。不審機が何かを投下したようだ。落下傘が開いている』
『こちら県警本部。平和大通り福島町停留場にて不審者。紅いセダンに乗って逃走中。付近の警邏車両は……』
『……しかしながら、それだけでは不十分です。今日の世界では、粗雑なライフルに農薬、トラックでさえも、恐怖すべき大規模な暴力を可能にするからです。戦争に対する……』
『巡回22、CP02。何かとは何か? 判別できるか?』
『県警本部へ。こちら警邏115号。不審者了解、現場に向かう』
『……。警邏131号も了解』
『こちら十日市交番、巡査の林中です。交番のすぐ目の前の交差点にて、交通事故発生。事故車両の一台は外交官ナ……』
『……。判別不能。距離がありすぎる。』
『……暴力ではなく話し合いによって紛争を終結させ、また争いそれ自体を回避する努力をするべきなのです。軍事力ではなく信頼……』
『中央警察署より、十日市交番。詳細を報告せよ。外交官の安否は? 負傷者はいるのか?』
大佐は訝る。外交官用車両が交通事故? 不審だ。交通規制はどうなっているんだ?
それに米軍機のこともある。何かを投下したとは一体……。
何かがおかしい。
彼は命令を発した。
「各員、警戒配置」
指揮通信車内が慌しくなる。彼の指揮下にある車両は全部で15台。この内、指揮車とともにいるのは五台だけ。残りの九台は分散し、安佐北区と安佐南区に配置されていた。それらの車両にも命令を伝えねばならない。
「軍曹、各車に通達。30mmの準備もしろ」
「は? 30mmもですか?」
軍曹は懐疑的だ。目下、30mm機関砲が必要な状況にはない。そう考えているのだろう。確かに、彼の言うとおりではある。交通事故にしろ米軍機にしろ、30mm機関砲で対処できる類のものではない。
だが、大佐の勘は最大限の警戒が必要だと教えていた。そして、彼は自分の勘を信じるタイプの人間だった。事実、それに従って危機を逃れたことが幾度もある。
「そうだ、30mmもだ。自動擲弾銃も忘れるな」
大佐は重ねて命じる。
「了解。 直ちに準備いたします」
軍曹も今度は逆らわなかった。それは彼の仕事ではないからだ。




