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第二話 家庭教師②

 リリスは宿屋夫婦の一人娘なのだが、生まれつき臓腑の病を患っていた。医者に言わせると、数十万人に一人発病する珍しい病で現代の治療方法では治る見込みは皆無だそうだ。だがすぐに命を落とすわけではないし、普段の生活が送れないという事はない。現に今のリリスの体調は健常な子供とほとんど変わらない。だがその一方で彼女の身体は常に爆弾を抱えている状況であり、いつそれが爆発するかわからないというのだ。

 そのためリリスは日がな一日をあの小さな部屋でぬいぐるみと一緒に過ごし、滅多に部屋から出てこない。


「お医者様の見解では一人でじっとしているより、身体を動かした方がいいという事らしいんだけどね。本人がずっとあの調子で、それを改善するために今までも何度か家庭教師を雇って相手をしてもらっていたんだけどね……。リリスが執拗に拒絶するもんだから皆長続きしなかったんだよ」


 リリスの部屋から戻ると、女将がイスカに娘であるリリスの事情を教えてくれた。食堂でお茶を飲みながら、イスカは彼女の話をただ黙って聞いている。


「確かに身体は心配だけれど、今はそれほど病状もひどくもない。だからあの子にもっと外の世界を見せてあげたい、友達を作って、もっと沢山の日々の喜びを知って欲しいんだ。……そうは思っていても、私も旦那もこんな客商売じゃ忙しくて、あの子に碌に構ってやれなくてね。それに……」


 女将はため息をつくと目頭を押さえて唸った。


「あの子がああなったのは私たちのせいでもあるんだ。私たちが不甲斐ないばかりに……だから少し余所からの人間の意見がほしいんだ。その方が、あの子にとってもいい刺激になると思ってね」


 正直な所、イスカはこの仕事を安易に引きうけてよいものか迷っていた。自分は余所者で一週間もすればこの町を出て行く身だ。そんな人間がリリスの様な事情を抱えた子にどう接すればよいのかわからない。


「正直な事を言うと私では荷が重いです。私は本当にお嬢さんの力になれるのかわかりませんし、中途半端に接すれば逆に彼女を傷つけるかもしれません」


 イスカがそう吐露すると、女将は悲しげに笑った。


「そんなに重く考えなくてもいいんだよ。ただ少しだけ……、この町にいる間だけでいいから、あの子の話し相手になってやって欲しいんだ」


 切に頭を下げる女将を見ると、イスカはどうしてもいいえとは言えなくなってしまった。


 ◆

 結局女将に押し切られる形でイスカはリリスの家庭教師を引き受けた。その日の午後、早速リリスの部屋を訪れてみる。

 カーテンの閉め切られた真っ暗な部屋の中でリリスは一人ぬいぐるみをいじっている。イスカが部屋にやってきても、リリスはまるでイスカが空気の存在であるかのように徹底的に無視をした。

 なかなか手ごわい。イスカは一瞬及び腰になったが、自分とてだてに私塾の教師をやっていたわけではない。時には言う事を聞かない子供たちも沢山相手にしてきた。そんな子供にだって臆することなく平等に接していかなければならないのだ。


「リリスちゃんは人形で遊ぶのが好きなのね。その子の名前は何と言うの?よかったら私にも紹介してくれないかしら?」


 リリスの手にあった赤毛の女の子のぬいぐるみを指して言った。だが、リリスからの返答はない。ぬいぐるみの服を引っ張ってひたすら手を動かしているだけだ。


 諦めたイスカは、今度は部屋の隅におかれていた大きな本棚に目を向ける。本棚に並べられていた何冊かの本とその下に置かれている箱の中身を見て、イスカはおや、と首を傾げた。


「リリスちゃんは本も読むの?」

「……」

「結構難しそうなのが並んでるし、それにこれ―――」

「―――!触らないで!」


 イスカが本棚に手を伸ばした瞬間、今まで黙っていたリリスが金切り声をあげた。リリスはそのくりっとした目を吊り上げて敵意を示している。


「あっ……、ごめんね」

「……どうせママに泣きつかれたんでしょ。いい加減諦めたら?」


 私は家庭教師などいらない、とリリスはそれだけ言って再び手元の人形に意識を戻した。イスカはどうしたものかと内心で窮した。


 だが、その一方で一人床に座って人形遊びに徹している少女を見ていると、どこか心が締め付けられた。先ほどのように感情を露わに怒る姿も、頑なに他人を拒絶する姿も、恐ろしさや怒りよりもむしろ哀愁に近い感情を抱くものだ。

 本棚の近くの床に座り込んだまま、イスカはじっと少女を観察する。怒ったような不機嫌そうな、それでいてどこか寂しげな少女の顔。確かに女将に懇願されたのは事実だが、こうして儚げな少女の姿を目の当たりにすると、イスカ自身もまたこの子の力になってあげたいと思ってしまう。

 余計なお世話なのかもしれないが、女将の言うとおり確かにリリスにはもっと新しい刺激が必要なのかもしれない。


 イスカは立ち上がると陽光を遮っていたカーテンを迷わず開けた。更に窓を開け放つ。新鮮な空気と朗らかな陽光が闇に包まれていたリリスの部屋に入り込んだ。


「ちょっと、勝手に触らないでって言ってるでしょう!」


 リリスが再び苛立った声で怒鳴ったが、イスカはあえてそれを無視した。窓の傍に立つと、雲の流れる空をそっと見上げる。


「リリスちゃんはこの町で一番景色が綺麗な所を知っている?」


 イスカが尋ねると、リリスは怪訝な顔をしてこちらを睨んだ。


「何よ急に?……知らないわよ」

「そうなの?お気に入りの場所とか無い?」


 リリスはますます訝しげな顔をした。しかしそれはイスカを鬱陶しがっているというより、どうしてそんなことを聞くのかという疑いの眼差しだった。


「知っていてもあなたにいう事じゃないわ」

「……そう、それは残念だわ。もう少しこの街の事知りたかったのに」


 するとリリスは初めて意外そうにイスカを見た。


「あなた、この街の人じゃないの?」

「――?ええ、そうよ」


 昨日この街にやってきた旅行者だと告げると、リリスの目が一瞬だけ輝いた気がした。だがリリスはすぐに目をそらしあさっての方向を向いてしまったので、それ以上みることは叶わなかった。


 それからまたしばらくリリスは独りでお人形遊びに興じていた。イスカも窓の外を眺めながら傍についていたが、部屋の空気は先ほどよりも幾分か和やかに感じた。

 イスカは少しばかり考える。何かきっかけが必要だ。些細でもいい、リリスと仲良くなるためのきっかけが欲しい。


 ◆

「家庭教師?」

「ええ。……と言ってもここの宿の娘さんの話し相手になってあげるのが主な仕事だけど」


 ジンロは夕刻戻ってきた。帰ってきたジンロにイスカは早速今日の報告をする。仕事を見つけたと言うイスカに、ジンロは少し眉を寄せた。


「上手く行きそうなのか?」

「……簡単にはいかないかも」


 イスカがリリスの事を話して聞かせると、ジンロは呆れたように肩を落としたので慌ててイスカは付け加えた。


「でも根は悪い子じゃないのよ、その……少し人見知りなだけで」


 それになんとなく放っておけない子なのだとイスカが説明すると、ジンロも納得したのかやれやれと苦笑した。


「なんでもいいけど無茶はするなよ。金は俺の稼ぎでも十分足りるし」

「わかってるわ。……それでね、ジンロに少し聞きたい事があるんだけど」

「……なんだ?」


 首を傾げるジンロに、イスカはそっと身体を寄せた。

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