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プロローグ 前夜祭

前回までのあらすじ


故郷メルカリアを離れ、相棒のジンロと共に旅を続けるイスカ。

道中ジンロと喧嘩したり、見ず知らずの人間に危うく騙されかけたりと、困難はあれどそれでも旅は続いていく。

そんな2人に今、獣王の中でも最も危険な存在が忍び寄ろうとしていた。

 ◆

 さあ寄っておいで 見ておいで

 今夜限りの楽しいショーの始まりだ

 主役は僕?それとも君?

 いいや今夜は皆が主役

 この町皆が出演者

 味気ないランプは花火に変わり

 質素な石畳は絨毯に変わる

 何が起こるかわからない 何が起こっても不思議じゃない

 さあさあショーの始まり始まり

 大人も子供も寄っておいで

 いい子も悪い子も皆歓迎

 人も獣も皆歓迎

 魔女の前では皆同じ

 魔女のショーの始まり 始まり



 窓の外では夜だというのに煌々と明かりが灯り楽団の音色があちらこちらから響いて来る。この時期のラージュはいつもこうらしい。もうすぐ始まる謝肉祭、仮面を付けた陽気な道化師が町じゅうを練り歩き、花やお菓子が子供たちに振り撒かれる。年に一度のお祭りだ。

 本番のパレードまではまだ一週間以上あるが、すでに町はお祭り騒ぎで、前夜祭と称して道端には露店が並び広場ではイベントショーも開催している。客寄せの楽団員たちが奏でる行進曲が、ここにまで聞こえてきた。


「何か見えるのかい?」


 明りのつけていない暗がりから気だるげな男の声がした。窓の傍に立っていた女の元にゆっくりと影が近づいて来る。

 外の光源に照らされた男は上半身に何も身に着けておらず、引きしまった胸板や割れた腹筋が露わになっていた。だが、女は気にも留めなかった。なぜなら女の方も一糸纏わぬ姿でそこに立っていたのだから。

 男が女の腰にやんわりと腕を絡める。先ほどまでの情事でお互い上気した素肌は心地よく離れがたい。


「魔女のショーですって、一体どんなマジックを見せてくれるのかしら?」

「ああ……、毎年やってくる楽団だね。あそこの劇は面白い、僕も小さい頃よく見に行っていたよ」


 抱いた女の身体を弄りながら、男は懐かしそうに窓の外を眺めている。


「君は見た事がない?ラージュの町は初めてだっけ?」

「いいえ、この町にはもう何度も来ているけれど、楽団の催し物は見た事がないわ」

「それは勿体ない、今は街全体がお祭り気分なんだ。楽しまなきゃ損だよ」

「そうね……、でも今はいいわ。祭りに参加するよりあなたとこうしている方がよっぽど盛り上がれそう」


 女は甘い声で男の欲情に応える。お互いに見つめ合えば情事の再開。ここはさほど高度のないアパートの一室だが、こんな風に窓際で事に及んでも誰も気にはしない。

 今は前夜祭、町の者は皆浮かれ気分で些細な事は気にも留めないから。

 そう、祭りの期間は特別だ。皆どこかふわふわとして、いつもはしない、考えない事も平気で出来る。こうして行きずりの名も知らぬ男と肌を重ねたって誰も咎めない。


「……可愛い、早く君の名前を知りたいな」


 この男はこの町の工場で働く若者の様だが、それ以上の事は知らない。女も彼にはただの旅行者だとしか言っていない。彼は今日たまたま同じ酒場で酒を飲んでいて、たまたま意気投合してこうして抱き合っているだけ。


 誰も私たちの繋がりを知らない、誰も私たちを咎めない。誰も、―――


「―――フィオナ=スペント」

「え?」

「フィオナ=スペント。私の名前よ、いい名前でしょう?」


 男は呆けた顔をしていた。名前を知りたいと言ったのは自分なのに、なんとも間抜けで、愚かな顔だ。


 ズブリ


「―――へ?」


 男がまたしても呆けた返事をした。その瞳が大きく見開かれ、視線は自身の腹部に注がれる。その目には、肉を抉り深々と差し込まれた女の長い爪が映っていた。


 一拍遅れて男が情けない悲鳴を上げた。腹筋が動く度女の爪が喰い込み、痛みで更に悲鳴が濃くなる。


「――!!―――!」


 爪が深く沈みこむにつれ男は声を発する事も出来なくなり、白目を向いたままパクパクと口を開閉する。女は至近距離で男が狂った様に痙攣し絶命していく様を見届けていた。


「……なんだかつまらないわ。もっと怒り狂ったり抵抗したり、そういう事してくれてもいいのよ?」


 女は腹部に刺した爪を思い切り横に払った。湿った音と共に鮮血が飛び女もその血を全身に浴びる。男は力尽きたまま仰向けに倒れ込んだ。上半身を晒したまま、ぴくぴくと痙攣し泡を吹いている。


「お、お前は、まさか……連続殺人犯の……」

「連続殺人犯?……ああ、まさか蜥蜴君の事?悪いけどあんな下品なのと一緒にしないで頂戴」


 ここのところ世間を騒がせている鱗を生やして人を殺す殺人鬼、風の噂では捕まっただの死んだだの色々言われているが、正直そんな事はどうだっていい。


「あんな奴と同類に思われるなんて心外だわ。私はあんな風に死体を喰い散らかしたり醜い痕を残したりしない。もっと優しく愛でて、食べつくして、最後にはちゃんと埋葬してあげる」


 ゆっくりと男の身体に跨った。切り裂かれた腹部を撫でると男の身体がびくりと震える。


「ああ……、いいわぁ、あなた凄く―――美味しそう」


 恍惚の笑みを浮かべ女ははみ出した臓物の一部を口に運び嚥下した。血の濃厚な香りが口いっぱいに広がる。蕩ける様な触感に頬が落ちそうだ。


「他の連中は男の身体は筋が多くて不味いって言うんだけど、私はそんな事ないと思うのよね」


 女は甘ったるく呟きながら男の臓物を口に運び続ける。気が付けば室内は血の匂いが充満し、先ほどまでの艶美な空気はすっかりと掻き消えていたが、女は先ほど以上に高揚し頬を赤らめ胸を高鳴らせていた。


「あぁ……、最高……、そうは思わない?…って、もう聞こえてないか」


 いつの間にか事切れていた男に女はがっかりと肩を落とした。つまらない、美味しいのにちっとも面白くない。


「こう言うのも悪くないけど、やっぱりたまには極上の一品を食べたいものよね」


 一頻り食事を終えた女はまた窓辺から町の様子を観察する。まるで猫の様に瞳孔を開き、この世界のどこかにいる、彼女にとっての極上の獲物の存在を察知しようと目を爛爛と光らせる。


「ああ……、早く会いたいわ、どこにいるのかしら?話では可愛い女の子って聞いたけど本当かしら?」


 猛獣のように鋭い瞳が街灯の光を受けて妖しく輝く。煌々と輝く肉食獣の瞳は潤んでいる。彼女はまだ見ぬ獲物に想いを馳せていた。


「早く見つけて食べたいわ……万物の奏者レーディンレル!」


 血の海となった部屋の中で女は一人、恍惚とした表情を浮かべていた。

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