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第二話 一人と一匹の旅①

 翌朝いつの間にかジンロは戻ってきていた。朝早く起きたイスカは泊めてもらった夫婦にお礼を言うと、二人してそそくさと家を後にした。


 家を離れてからしばらくすると、ジンロは周囲に誰もいないのを見計らって小鳥の姿になった。メルカリアを離れてからジンロはずっと人間の姿のままだったので、この姿を見るのは久しぶりな気がした。

 昨日、イスカが鳥のままでいろと言った事を律義に守っているらしい。律義というより意固地になっているだけだろうか。

 朝日を受けて輝く金の羽はいつ見ても美しい。イスカはこの色が大好きだ、ジンロはイスカの愛する鳥であり、誇りだ。

 彼は並木の枝や岩で羽を休めながらイスカの後をついて来る。いつもはイスカの右肩が定位置で、時にはその柔らかい羽を擦り寄せてくるのに。


(意地でも乗らない気なんだ……)


 昨晩の喧嘩からイスカたちは一度も口を聞いていない。イスカは黙々と真っ直ぐに続く街道を歩き続けていた。


 イスカは自分のペースで歩を進める。ジンロはそれについて行く。つかず離れず、一定の距離を保ちながら、パタパタと羽を動かす。

 その翼ならいくらだって速く高く、そして遠くまで飛べるはずなのに、ジンロは決してイスカから離れない。

 けれどもイスカには近づかない、触れてこない。昨日まであんなに怒りが収まらなかったのに、いつもと少しだけ遠いその距離が今はひどく寂しい。


(ジンロのバカ)


 声に出さないように、唇だけでそっと呟いた。気が付けばイスカの頭の中はジンロの事でいっぱいだ。不満や怒り、寂しさや懺悔。様々な感情がぐるぐると入り混じっては最後にジンロの不機嫌そうな顔を形作る。ここ数日の夫婦騒動だけじゃなくて、ジンロには聞きたい事や話したい事が沢山ある。それがつもりに積もってイスカの中で持て余し、昨日の喧嘩に繋がっている。そんな気がするのだ。謝るだけで済まないからこんなに苦しい。

 だからイスカは歩き続けた。食事すらとらずにひたすらにずんずんと。こうなってはイスカも意地だ。

 ジンロも昨日までなら「そろそろ休憩にしよう」とか「あまりとばすと後が辛いぞ」とか、忠告をしてくるのに、何も言ってこない。だからイスカもひたすらに歩き続けた、ジンロもそれについて来た。


 休むことなく歩いていると、前方に小川が見えてきた。平原を横切る様に流れる川は膝下位の深さで水は青く透き通っており、幅は五メートルほど。通行人が渡れるように桟橋がかかっていたので橋の上から川の底を覗き込むと、小さな川魚が流れに乗り、時に逆らいながら悠々と泳いでいた。


「……綺麗」


 イスカは無意識に呟いていた。メルカリアにも郊外に川はあったが、ここまで澄んでいるのは初めて見た。水面がキラキラして水それそのものが生き物のように蠢いており、水底は何か鉱石の類が混ざり込んでいるためか、時折乱反射を繰り返す。神秘的な光景はいつまでも見ていて飽きない。

 桟橋の上からぼうっと川の覗きこみながら、イスカはどことなく感傷的になってしまう。町を出て数日、徒歩とはいえメルカリアから随分遠く離れた所までやってきた。何故かここにきてその事を強く実感する。故郷から遠く離れて一人―――


(あ……、まずい)


 視界が滲む。キラキラと反射する川の水がますます乱雑な色合いになっていく。


 どうして今になって泣くのだ。故郷が恋しくなったにしても唐突すぎる。

 どうして?自分でもわからない。急に心臓が痛くなって苦しくなった。


 目頭が熱くなり、今にも涙が流れそうになった時、寄り掛かっていた桟橋の縁に小鳥が止まった。聞こえぬはずの小鳥の声がイスカの中に直接響き渡る、その時、


「――君、どうしたの?」


 鳥の声がかき消され、耳に直接声が届いた。声の方向を振り返ると、桟橋の先に三人の若い男がこちらを見ていた。

 三人はどことなくよく似た面影をしていた。おそらく兄弟か親戚か。三人とも質素で薄汚れた服装で、大きな荷車を押していた。年長者らしき男が泣いているイスカを見咎めるとこちらに近づいて来た。年はイスカの二、三歳上だろうか。男が傍に来るとふわりと木屑の香りが漂った。


「こんな所で何をしてるんだい?迷子か?」

「あっ……、いえ、私は……旅の者です」


 目に溜った涙を慌てて拭うと、イスカは顔を引き締めた。すると男は感嘆の声をあげて、


「へぇ、女の子一人でか。それは珍しいな」


 しみじみと言うものだからイスカは面食らってしまった。そして、一拍遅れてその事に気づく。


(そっか……、今ジンロ鳥型だから私『一人』なんだ……)


 背後に隠れていたジンロを盗み見る。桟橋の縁に止まっていたジンロは、どことなく不安げな表情(おそらくイスカにしかわからないであろう表情の変化だ)をしていて、そわそわと落ち着きがない。だが、ジンロはそれ以上何も行動を起こそうとはせず、ただ成り行きに任せる事にしたのか、こちらに尾羽を向けてしまった。


(……何その態度)


 少しむっとしたイスカにまた男が話しかけてきた。


「どこから来たの?」

「……メルカリアから」

「副都か、確かメルカリアでこの間大きな災害があったって聞いたけど、大丈夫だったのか?―――あ、ひょっとしてそのせいで逃げて来たとか?それで故郷が恋しくて泣いていたとか―――」

「い、いえ。そういうわけでは……」


 立て続けに質問されてまごついてしまう。行きずりの人間にあまり深い事情まで話す必要もないだろう。だが質問してくる男の口調は親しみやすく人懐っこい。初対面の人間でも物おじせず、すぐに仲良くなるタイプなのだろう。

 イスカが言いにくそうにしているのを察したのか、男も「そうか」と言ってそれ以上は追及してこなかった。代わりにイスカに向けて手を差し出す。


「俺はディータ。上流の森で(きこり)をしている。後ろにいるのは俺の弟たちだ、背の高いひょろっこいのが真ん中のデルタ、ちっこい方が一番下のマルタだ」

「……よ、よろしく」


 イスカはディータと名乗った男と握手を交わしつつ、後ろに控えているデルタとマルタにも軽く会釈をした。二人はにこにこと微笑みかけながらこちらに手を振ってくる。

 その笑顔に悪意は見えない。ディータにしてもしかりだ。爽やかな森の樵の兄弟と言った感じか。イスカは少し警戒を緩め同じように小さく笑うと、……緊張を緩めたせいか盛大に腹の虫が鳴った。


「――!す、すみません……」


 そういえば出発してから何も食べていなかった事を思い出す。日はすっかり頂上に登りやや西に傾きつつある。ピリピリしていたせいで気に留めていなかったが、身体は食事を求めていたのだ。

 するとその音が聞こえたのであろうディータが笑った。


「はははっ、お腹すいたのか?旅は体力勝負なんだから、しっかり食べなきゃだめだぞ」

「ううっ……」

「そうだ、なんならうちに来ないか?御馳走してやるぞ、君がよければ客室も提供する」


 さらりとディータが言ったのでイスカは面食らった。


「えっ、でも御迷惑じゃ……」

「いいんだよ。女の子一人で旅をしているなんて凄い事じゃないか。俺たちにも労わせて欲しい。両親も歓迎してくれるさ」


 そんなに女一人で旅をするのが珍しい事なのだろうか?意気揚々と話すディータはイスカと出会えたことが心底嬉しそうに笑っている。


「俺たちの家はあそこだ。あの森の奥」


 ディータが指示した方角には大きな森があった。イスカが今いる川もその森から流れている。距離はさほど遠くなく、歩いても数分の距離だ。


 イスカは逡巡する。いくら外の世界に慣れていないと言っても、知らない人間に簡単に付いて行くな、なんていうのは子供たちにも教えていた事だ。それが男性なら尚更、女性だから安全と言うわけでもないが、警戒心は倍に跳ね上がる。

 だが、ここ数日見ず知らずの人間の元でお世話になっていた事もあって、そういう事に少し免疫が無くなってきていた。それに何より、


「……」


 再びイスカのお腹が盛大になった。手持ちには昨日泊めてもらった夫婦がくれたパンと携帯食しか残っていない。お腹は膨れるだろうが正直少し食べ飽きていた。


(御馳走……どんなのだろう)


 不覚にも食べ物につられそうになっている自分に、しっかりしろと問いかける。返事を待つディータの元で悶々と葛藤していると、視界の隅に金色の小鳥が映った。

 成り行きを黙って見ていたジンロは、今度は少し焦ったような不機嫌そうな複雑な(やはりイスカにしかわからない)表情をしている。


(なにその顔……)


 なんだか凄く諭されている気がする。イスカより小さな鳥に、「何を考えているんだ」と窘められている。直接訴えてこないのがまた癇に障る。


 だからイスカはムキになった。


「……わかりました。是非伺わせていただきます」

「本当かい?それは光栄だな。さあ、行こう。俺たちも今から家に帰るところなんだ」


 承諾を受けたディータは本当にうれしそうにイスカに笑いかけた。横に佇むジンロからなんだか威圧感のある視線を送られてきたが、意地でも気にしない事にした。

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