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第五話 尊い時間④

グロ注意。

 ◆

 女のか細い喘ぎ声がする。もうすぐこの女の命が尽き果てるという確かな兆しだ。女は衣服を脱ぎ棄てあられも無い格好でベッドに横たわっていたが、さらけ出していたのは肌だけではなく腹部の内臓までもをむき出しにして、ぴくぴくと痙攣していた。真っ白だったベッドのシーツは今や真っ赤に染まり血を吸いすぎたリネンは重く動く度にぐじゅぐじゅと嫌な水音を立てる。

 男は女の切り裂かれた腹部に手を伸ばした。中をかき乱してやると呼応するように女の身体の痙攣が激しくなり、また新しい血潮が噴き出した。男はその中からそっと内臓の一部を取り出す。血にまみれたそれに口づけると、次の瞬間迷う事なくかぶりついた。

 男が内臓を咀嚼する音が響く。男は一心に口の周りを真っ赤にしてそれを食べ続ける。


「……不味い」


 男は不機嫌そうに呟いた。そしてまた、今度は先ほどより乱暴な手つきで女の腹部を掻きまわし、違う臓器を取り出してまた口に運んだ。しばらくそれを繰り返していたが、やがて煩わしくなったのか、頭ごと腹部に突っ込んで直接むしゃぶりついた。

 女の痙攣が一層激しくなる。だが、それもしばらくの事でやがてその痙攣は女自身のものではなく、男が揺り動かす振動に転換した。


「……くそっ、やはり手ごろな人間ではダメだ」


 一頻り女の臓腑を喰らいつくし、血を舐めつくした男はベッドのふちに腰掛けて悪態をつく。先刻食らった肩の傷が痛みを増して、男は顔をしかめた。


 痛みと乾きが癒えない、何人喰らっても飢えが満たされない。

 その時手の甲がピキリと疼いた。男はそこに視線を落とすと舌打ちする。

 手の甲には先ほどまで無かった青黒い鱗がびっしりと生えていた。


(妙だ……、最近人間の姿を保つ事が難しくなっている。今までは一人の人間を喰らえば十年はもったのに)


 それなのに近頃いくら人を食べても安定しない。日がな一日、娼婦などの手ごろな女を誘ってはひたすら喰らっているが、まったく改善される気が無い。それどころか飢えはますますひどくなっているのだ。あまり喰いすぎると逆に精神の崩壊を招き、危険な状態になるという事はよくわかっているのだが、それでも止められない。


「……やはりあの女か?」


 この町に足を踏み入れてから数日後、ある女に出会った。まだあどけない少女だが、あれは確かにかつての知った女と同じ輝きをしていた。あれを見た瞬間から、男の身体の飢えが顕著になったのだ。

 男は直感で感じている。あの少女を喰わなければおそらくこの飢えは治まらない。少女の内臓を脳をこの腹に収めなければいけないのだと。だが、少女の元には忌々しき獣王が付いている。


 あいつらさえ、あいつらさえいなければ―――!


 男は我知らず怒りに肩を震わせていた。肩に受けた傷は癒える事無く男の身体を毒のように蝕んでいく。そして自分が情緒不安定になればなるほど手の甲の鱗は徐々に這い上がり、やがて顔を埋め尽くす。


 いけない、感情を乱してはまた化け物の姿に戻ってしまう。


「そう言えばあの男は何故あの女を食べないんだ?」


 男は女と共に居た同族の姿を思い出した。自分にしてみれば、それは狂気の沙汰としか思えない。あれほど力の強い存在だ、近くに過ごすだけである程度の英気を養えるとは言え、極上の餌を前に己の食欲を抑えているというのだろうか?果たしてそんな事が可能なのか―――?


「……とりあえず、メインディッシュだけ頂いていくか」


 くだらない事を考えていても仕方がない。男はもう動かなくなった女の無残な死体に向き直った。女の頭部を鷲掴みにすると、驚異的な握力をかける。男の触れた部分から青黒い鱗が感染し、女の肌を蹂躙した。


 グシャ


 圧力に耐えきれなかった女の頭部が破裂し、脳味噌が蕩けだす。男はそれを一滴残らず吸いつくした。

 今はこれでいい。これでしばらくの間、また人間の姿を保っていられる。

 一時的とはいえ腹を満たした男は満足げに部屋を出て行った。後にはベットの上に人間の形をかろうじて残している全身鱗におおわれた死体だけが横たわっていた。


 ◆

 それから三日が経った。イスカはローレンスに捕らえられてからずっと最初に通された部屋で過ごしている。部屋の入口には監視の兵、事実上の軟禁だった。

 考えて見れば当然の結果だ。蜥蜴の王ビルが狙っているのは他でもない自分。そんな人間をふらふらと出歩かせられるわけがない。抵抗する事も無く一日二日と過ごしていたが、軟禁も三日目に入ってさすがに外の事が気になりだした。


 一つは共に捕らえられたスクラの処遇だ。さすがに捕らえて即刻で死刑なんて事は無いだろうから、イスカと同じようにどこかに拘留されているのだろうが、やはりローレンスの話を聞いた限りでは心配だった。

 もう一つは家の事だ。最後に子供たちと出かけてから一度も家に帰っていない。さすがに放置しておくのはまずい。そこで定期的に顔を出すローレンスにその旨を伝えると、ローレンスは短時間なら監視と護衛付きで家に戻ってもいい、と許可をくれた。


 許可が貰えると思っていなかったイスカはその処置に驚いたが、更に驚いたのが監視兼護衛役としてイスカを迎えに来たのが他でもないローレンスだった事だ。


「仕事はいいの……?」

「これも仕事だ」


 ローレンスはそれだけ言って、さっさと馬車を付けてある玄関へと向かってしまう。イスカも慌てて後を追った。




 ローレンスに連れられて兵舎の回廊を歩いている途中、奇妙な男に会った。黄色のゆったりとした流し着を身に纏った、異国の男だ。


「やあ、マクミラン殿」

「これは閣下、ご機嫌麗しゅう」


 ローレンスはその男と知り合いだったらしく、恭しく頭を下げた。その仕草から、その男が高位の人間であることが見て取れた。


「本日は何用で?あいにく、私と団長は手が空いていないのですが」

「いや、なに。今日は例の男に会いに―――」


 男の口が止まった。彼の目には、戸惑うようにローレンスの隣に佇むイスカの姿があった。

 男はまるで亡霊でも見たかのように目を皿のように開き、そして笑った。恍惚と安堵が入り混じった笑みだ。


「……ああ、やはり思った通りだ」

「えっ、あの……」

「確かに面影がある。本当に……良かった」


 男はイスカの前にするりと立つと、イスカの髪を一筋掬い取り指に絡めた。それは恋人に仕掛けるような愛おしげな仕草だが、突然の事にイスカは驚いて飛びのいた。


「ああ、失礼。ご婦人の髪に勝手に触るなど、とんだ無礼だった」

「いえ……、そういうわけでは……」

「失礼ですが閣下」


 言いよどむイスカを庇うようにローレンスが割って入ってきた。


「この者は何の地位もないただの町娘です。あなた様のようなお方が戯れに手を出すほどの価値はございませんよ」

「そうか……、そうだったな」


 男はまだ少し名残惜しそうにしながら、ゆっくりとイスカから距離を取る。

 イスカは不思議な気持ちだった。この男は今日初めてであった人間なのに、なぜか懐かしさを感じる。痛烈に離れがたさを感じるのだ。

 だがそれも一瞬の事、男がその場を去っていくとそれは霧散し跡形もなく消えていく。


「……行くぞ。俺も忙しいんでな」

「あ、……うん」


 ローレンスの後についていく。一度だけ後ろを振り返ったが、そこにはもう誰の姿も見えなかった。


 ◆

 湿っぽい牢に一人の男が入れられている。その男は絶望するでもなく悲観するでもなく、怒りすら見せず、ただ泰然と高い天井の縁にある小窓から漏れる日の光を見つめていた。男の他には誰もおらず、看守すらここにはいない。静かな空間だった。


 するとそこにがたがたと騒がしい雑音が響いてきた。何事かと男が眉を寄せると、柱の向こうから場違いなほど剽軽な男の顔が現れた。見覚えのある懐かしい顔に男は驚きを隠せなかった。


「リマンジャ……!?」

「ようジンロ、久しいな。二十年ぶりか」


 最後に見た時から何一つ容姿の変わらないリマンジャは檻に閉じ込められているジンロを見て、にやにやと口角を歪めた。


「『どうしてお前がここにいるのか』って顔だな」

「何を今更。いつだって唐突に現れる癖に、もう驚かねえよ」


 精一杯の強がりで吐き捨てると、リマンジャも満足げに頷いた。


「さっきそこで彼女に会ったぞ。例の若造に連れられて外に出るみたいだった」

「―――!」

「……気になるか?」


 リマンジャはにやにやと面白そうに笑いかける。その狡猾な憎らしい笑みが、彼が今回の一件に関して全てを把握しているという事の表れだった。


「さては、あの餓鬼に俺の事を話したのはお前だな?それとあの閃光も!」

「そうがなるな。厄介事を片付けている最中にお前の事を聞いたんだ。こうでもしないと会っちゃくれないと思ってな」

「……誰に聞いた?」

「決まっている。―――兎だ」


 ジンロは鉄格子を捻じ曲げんばかりに強く握りしめた。


「……っ、あの糞兎……!」

「お前に彼を責める資格などないさ。むしろ責められるべきはお前だからな」


 その時、今まで決して笑みを絶やす事の無かったリマンジャの顔から笑みが消えた。亡霊のように冷たい、絶対零度の憤怒の表情。見るものを圧倒する姿が顔を覗かせた。


「何故あの娘―――【万物の奏者レーディンレル】の存在を黙っていた?」

「……」

「万物の奏者は我々にとって崇めるべき神にして極上の贄だ。俺たちの様な獣にも人間にも成代われない曖昧で中途半端な存在にとって、何よりもまず手中に収めるべき者。俺たちがただの獣である事を捨てた時から、ずっと望み続けなくてはならない、悲願だ」


 リマンジャの右手が鉄格子の隙間を縫って伸びる。狭いとは言え牢の中はそれなりの奥行きがある。逃げようと思えばいくらでも逃げられるのに、ジンロはその手に軽々と喉を掴まれた。


「それなのに何故、お前はあの娘を隠そうとする?自ら食う事もせず、ただ傍で生かすだけ。……気でも狂ったか?」

「俺たちは元々狂ってるだろうが!」


 ジンロは乱暴にその手を撥ね退ける。ただ手を払いのけるだけなのにひどく憔悴した。


「俺はどんな事があってもあいつを守る。お前らなんかに喰わせてたまるか!」

「……『自分も喰わない』とは言わないのか?」

「―――!」


 ジンロは喉を鳴らす。痛いところをつかれた、そう顔に書いてあるのをリマンジャは見逃さなかった。


「……まあいい、俺もそれどころじゃないからな。今は彼女をどうこうしよう何て思っていない、少なくとも『今』はな」

「なに……?」

「言っただろ?厄介事だと。わざわざこんな遠方を訪ねてきたのは別の理由だ」


 そう言うとリマンジャはいつの間にか元のひょうきんな笑みに戻っていた。凍るような威圧感も燃えたぎる憤怒もそこには無い。軽薄な男の姿がただそこにある。


「ジンロ、俺の権限により後数時間もすればお前は自由の身となる」

「お前の権限?何言って―――」

「自由にしてやるからその足で蜥蜴の野郎にとどめを指してこい」


 リマンジャは傲慢な口調でさらりとそう言った。


「奴はあの娘を狙っているんだろう?ならさっさと殺すんだな。お前に独占されるのは癪だが、あの男に喰われるのはもっと好かん」

「……俺一人でやれってか?」

「出来るだろ?いくら俺たちの中でも落ちこぼれとはいえ、仮にも鳥の王ともあろうものが出来ないはずがない。相手は死に損いの亡霊だ。とっとと楽にしてやれ。……まあ、黙っていた事はそれでチャラにしてやるよ」


 返答も待たずにそれだけ言い残してリマンジャはジンロに背を向けて去っていく。いつ見ても嵐のようだとジンロは思った。が、リマンジャは出口付近で「ああ、それから」と最後にくるりとこちらを向いて忠告を置いていった。


「蜥蜴の討伐が終わったら、あの娘を連れてとっととこの町を出た方がいいぞ。兎は俺たち全員に彼女の事を知らせたからな。無関心な栗鼠や事なかれ主義な鮫はともかく、虎と狼は間違いなく彼女を狙ってやってくるぞ」

「―――!?それを早く言え!この阿呆猿!」


 さっそうと去りゆく背にジンロは一際大声で怒鳴った。ジンロの怒号が静まり返った牢獄にわんわんと響き渡った。



 数時間後、異国の宰相に命じられ一人の囚人の釈放が決定した。だが、命を受け錠を解きに来た看守が目にしたのは、牢の中に散らばった瓦礫、高窓があったはずの天井付近には巨大な大穴が開けられ、血のように赤い夕暮れが牢の内部を照らしていた。

 牢の中には人っ子一人見当たらない。ただ地面には一枚の金の羽が落ちていた。極彩の黄金色に少し虹色がかった美しい羽だった。

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