Ⅱ
翌日。片翼のミカエルは、ホール前のベンチにドカリと座っていた。
あの後、つまりウィルの歌声を聴いた後は暫くその場から動けなかった。
「天使の僕が、あんな風になるなんて・・・。」
片ひじをついた手に顔を載せ、自分の未熟さにため息をついた。
圧倒的な歌の世界に我を忘れてしまった。
それにしても、あの少年は僕の事が分かるようだ。
天使の化身なのか?それとも悪魔の?
いやいや。悪魔なハズは無い。そんな邪気はまるで無かった。
なら、他に考えられるのは・・・。
あぁ、こんな事ならもっと天使の教養書を読んでおけばよかった。
色々考えているうちに、ホールから練習を終えた少年達が出てきた。
お互いにサヨナラの挨拶をして、それぞれの方向に歩いていく。
しばらく待っているとウィルが母親と連れ立って出てきた。
片翼のミカエルはベンチから立ち、ゆっくりとウィルの方へ進んでいった。
階段の手摺を持ったまま、ウィルは立ち止まった。
片翼のミカエルは、ウィルの正面に立つと単刀直入に聞いた。
「君は、僕の事が見えるのか?」
ウィルは、突然の質問にびっくりした様子だった。
「いきなり話しかけないでよ!今、何段目か分からなくなったじゃない。」
「君は、僕の事が見えるのか?」
もう一度、片翼のミカエルは聞いた。ウィルは何か違和感を感じたようだ。
「いや。僕には見えないよ。」
ウィルは、少し首を傾げながら続けた。
「“見える”というのが、よくわからないんだ。でも、そこに居るのはわかるよ。だって声がするし、気配も感じるんだから。」
「声や気配だけで居る事がわかるのか?」
「う~ん、そうかもね。それより、君は一体何者なの?」
“一体何者なの?か”
それはこっちが君に言いたかったセリフだ。
普通は見えない僕の存在を捉えることができるんだ。
「僕は片翼の天使だ。」
「へんよく?・・・??」
「二つある翼のうちの、一つが欠けている天使の事さ。」
ウィルはしばらく何かを考えるような顔をした。
「天使かぁ・・・・。へぇー。君って、なんていうのかな、いつも僕らが歌ってるような賛美歌の様なもんだよね?」
片翼のミカエルにはウィルの言う事がまるっきり掴めなかった。
ウィルの例えは、すごく抽象的だ。
「君は僕以外も見えないの?」
「うん。だから見えないって、さっきから言ってるじゃない。光や色という感覚はよくわからない。でも形は指先で触れられる範囲であれば、なんとなくわかるよ。」
そういいながら、ウィルは片翼ミカエルに手を伸ばした。
だが、彼のいる場所は空でしかなく、片翼のミカエルを触ることは出来なかった。
「ー・・・姿は存在しない。だからラルフにも見えなかったんだ。」
ウィルは、へぇと感心していた。少し先を歩いていた彼の母親が振り返り彼を呼んだ。
「僕、もう行かなくちゃ。ねぇ天使さん、僕は今、上から何段目にいる?」
「8段目だな。」
「ありがとう。後10段降りたらいいのか。じゃ、天使さん、さよなら。」
そう言ってウィルは階段の中央にある手摺を持ちながら慣れた風に歩き出した。
片翼のミカエルは去っていくウィルが、非常に気になった。
天使と会話ができる人間の子供なんてそうそういない。
「面白いじゃないか。」
片翼のミカエルは、しばらくの間ウィルの観察をする事にした。
「また付いてくるの?」
ウィルはうんざりした声で斜め上へ囁いた。
「あぁ。僕の事はお気遣い無く。」
片翼のミカエルは当然の風で答えている。
手を繋いでいたケインが不思議そうな顔でウィルを見た。
「?」
「君の友達、不思議そうな顔で君の事見てるぞ。」
「鬱陶しいハエの事だよ、ケイン。」
「ハエ?いないぞ?」
「・・・。」
ここ数日、何回目か分からないそんな会話を繰り返しながら、ホールの中の練習場へ向かう。
もっと小さな頃からこの建物に出入りしていたウィルには、ホール全体は自分の家のごとく、いろんな事を把握している。
表の階段は18段。正面入口を入ると、横の扉を開けてホール前、警備員のおじさんに挨拶する。
それから2階の練習場までは、まずロビー半周。
階段の所までくると、鳥の鳴き声がする。
これは人が来るとセンサーで働く仕組みで、ホールのオーナーが付けてくれた。
ウィルには、エレベーターを使うように言われていたが、彼がちっとも守りゃしないからだ。
楽団の仲間が一緒になれば無論、みんなと共に階段を上る。
それに自然に誰かがウィルの手をひいている。彼は、この“手”が大好きだった。
手摺に反対の手をかけ、上へ登る事ちょうど30段。
登り終わって右手に行くと、ようやく練習場に着いた。
練習場は空気がピンと張り詰めていた。
今日から本番まで一週間。もう総仕上げの段階だ。
みんな少しずつ適度に緊張を保っていて、日々上手くなっていっている。
ウィルは昨日より今日といい変化をみせ自由にそして高らかに歌い上げた。
片翼のミカエルは昔、本番前にマイクがカチカチになった事を思い出していた。
だが一旦歌い始めると、マイクは練習以上の歌声を聴衆に聴かせた。
きっと、ウィルも本番で彼の実力を見せてくれるに違いない。
「一週間後が楽しみだな。」
片翼のミカエルは、ウィルをそっと見守りながら呟いた。




