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残滓の探偵  作者:


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第十章 残滓は未来へ



 リーナの部屋で、三人はこれからのことを話し合った。


「オードが黒幕」リーナはまだその事実を噛み締めているようだった。「術式捜査局の局長。誰も疑わない立場。だから兄の事件は迷宮入りした。捜査の最高責任者自身が、犯人を庇っていたんだから」


「カインがオードを足止めしている」蒼は言った。「だが長くは持たない。俺たちは態勢を立て直してカインを助けに行く。そしてオードを止める」


「相手は術式捜査局の局長よ」リーナは厳しい表情で言った。「局の権力も戦力も、すべて握っている。私たちだけでどう戦うの」


「正攻法では勝てない」蒼は頷いた。「だが——オードにも弱点がある」


「弱点」


「奴は黒幕であることを隠している」蒼は言った。「術式捜査局の局長という正当な立場の裏で、暗躍してきた。その二面性こそが奴の力の源だ。誰も奴を疑わないから自由に動ける。だが、もしその正体が公になれば」


「奴の力は崩れる」セレナが続けた。「局長という立場を失えば、捜査の権力も戦力も使えなくなる」


「そういうことだ」蒼は頷いた。「奴を倒すには、力でねじ伏せるんじゃない。奴の正体を暴いて世に明らかにする。そうすれば奴は追い詰められる」


「でも証拠がない」リーナが言った。「あなたの〈残滓読み〉も断片だけ。それだけじゃ局長を告発できない」


 蒼は考え込んだ。


 その通りだった。〈残滓読み〉は状況証拠にしかならない。オードを告発するには決定的な証拠が要る。




「証拠なら」蒼はふと顔を上げた。「カインが持っているかもしれない」


「カインさんが?」セレナが反応した。


「カインは元・灰紋の構成員だ」蒼は言った。「五年間、灰紋を内側から追ってきた。オードと灰紋の繋がりを確信していた。なら、その証拠を集めていた可能性が高い」


「でもカインさんは、今、オードと戦っています」セレナが言った。「もし彼が証拠を持っているなら——」


「奪われる前に助け出さなければならない」蒼は立ち上がった。「行こう。局へ」


「待って」リーナが止めた。「無策で突っ込むのは危険よ。オードは複数の高位術式を操る。あなたたちだけじゃ勝てない」


「策はある」蒼は言った。「俺の〈術式干渉〉だ。オードの術式を一瞬乱せる。その隙に、セレナの〈衝脈〉とカインの〈糸縛〉で畳み掛ける。三人がかりなら勝機はある」


「四人がかり、よ」リーナが言った。


 蒼はリーナを見た。


「私も行く」リーナは立ち上がった。「兄の仇を討つ。それが私が五年間待ち続けた瞬間よ。あなたたちだけに任せられない」


「リーナの固有術式は」蒼は問うた。


「〈共鳴視〉。術式の型を見抜く力」リーナは言った。「戦闘向きじゃない。でも、オードの術式の型を読めば、あなたの〈術式干渉〉を最適なタイミングで合わせられる。私が目になる」


 蒼は頷いた。


「わかった。四人で行く」




 局に戻ると、状況は緊迫していた。


 局長室のある最上階から、まだ術式の衝突音が響いていた。カインがまだ戦っている。だが、その音は次第に弱くなっていた。


「急ごう」蒼は言った。


 四人は人目を避けて最上階へと向かった。局の捜査官たちは混乱していた。局長室での異変に気づいていたが、何が起きているのか把握できていないようだった。


 最上階に辿り着くと、局長室の扉が半壊していた。


 中に入ると、カインが床に倒れていた。


「カイン!」蒼が駆け寄った。


 カインは満身創痍だった。だが、まだ息はあった。


「……来たのか」カインがかすれた声で言った。「逃げろと言ったのに」


「あんたを助けに来た」蒼は言った。「証拠はあるか。オードと灰紋の繋がりを示す証拠は」


 カインは苦しそうに笑った。


「……懐に」彼は言った。「五年分の記録がある。オードと灰紋の、すべての取引の」


 蒼はカインの懐から、小さな記録用の魔導具を取り出した。


「だが、それを公にするのは」カインが言った。「簡単じゃない。オードは局のすべてを握っている。証拠を出しても握り潰される可能性が——」


「それは、こちらが許さない」


 声がした。


 オード=ナインが、部屋の奥から現れた。傷一つない姿で。




「カインはよく戦った」オードは淡々と言った。「だが、私には及ばなかった。そして君たちも、ここで終わりだ」


 オードの周囲に、再び〈封域〉が展開し始める。


「リーナ」蒼が鋭く言った。「型を読め」


「ええ」リーナが目を凝らした。〈共鳴視〉。オードの術式の型を見抜く。「〈封域〉の起点は右手。展開の中心軸がぶれる瞬間がある。蒼、合わせて」


「わかった」


 蒼はリーナの指示に従い、〈術式干渉〉を放つタイミングを計った。


 オードの〈封域〉が展開する。その中心軸がぶれる一瞬。


「今!」リーナが叫んだ。


 蒼の〈術式干渉〉が、その一瞬を突いた。オードの〈封域〉が、これまでで最も大きく乱れた。


「セレナ、カイン!」


「はい!」「ああ!」


 セレナの〈衝脈〉とカインの〈糸縛〉が、同時に放たれた。満身創痍のカインも、最後の力を振り絞った。


 〈糸縛〉がオードの両腕を絡め取る。同時に、セレナの〈衝脈〉がオードの胴体を捉えた。


「ぐっ……!」


 オードの体が吹き飛んだ。壁に叩きつけられる。


 だが、オードは倒れなかった。


「この程度で……」オードが立ち上がろうとした。


 その時。




「もう終わりだ、オード」


 蒼は手にした記録の魔導具を掲げた。そしてそれを、局の全館に繋がる通信用の魔導具に接続した。


「な……っ」オードの顔が初めて歪んだ。


「あんたと灰紋の、五年間の取引記録だ」蒼は言った。「今、これを局の全館に流している。すべての捜査官が聞いている」


 局長室の外。混乱していた捜査官たちのもとに、カインが五年かけて集めたオードと灰紋の取引の記録が流れ始めた。


 オードが灰紋に捜査情報を流していた記録。核石を巡る事件を握り潰してきた記録。ベルダ博士、ヴェイン=コルト、そして五年前のライルとハルト博士の殺害に関与していた記録。


 すべてが白日の下に晒された。


「やめろ……っ」オードが叫んだ。「やめろ!」


 彼は術式で通信を断とうとした。だが、蒼の〈術式干渉〉がそれを阻んだ。


「もう遅い」蒼は静かに言った。「あんたの正体は、もう局中に知れ渡った。あんたはもう局長じゃない。ただの殺人犯だ」


 局長室の外が騒然となった。捜査官たちが駆け込んでくる。だが、彼らはもうオードの味方ではなかった。


「局長を確保しろ!」誰かが叫んだ。


 オードは追い詰められた。彼の権力の源だった術式捜査局そのものが、今、彼に牙を剥いた。




 オードはなおも抵抗しようとした。だが、四人と駆けつけた捜査官たちに囲まれ、もはや逃げ場はなかった。


「……認めよう」オードは最後に低い声で言った。「私の負けだ」


 彼は蒼を見た。


「天宮蒼。転移者にして〈残滓読み〉の使い手」オードは言った。「君が来なければ、私の計画は完成していた。七つの核石をすべて手に入れ、世界を作り変えていた」


「あんたの理想は」蒼は言った。「ただの独裁だ。平等な世界なんて口実にすぎない。あんたは人を殺しすぎた」


 オードはしばらく蒼を見つめた。


「……かもしれないな」彼は呟いた。「だが覚えておけ。核石はまだ、すべて回収されたわけではない。ヴォルクがいくつか持っている。そして、核石を巡る戦いは、私一人で終わるものではない」


 オードは捜査官たちに連行されていった。


 その背中を見送りながら、蒼は考えた。


 オードは倒れた。だが、ヴォルクはまだいる。核石もすべては回収されていない。戦いはまだ続く。だが、一つの大きな山は越えた。




 事件の後始末は、数日に及んだ。


 オードの罪状が次々と明らかになった。彼が握り潰してきた過去の事件も、再捜査されることになった。その中には、五年前のライルとハルト博士の事件も含まれていた。


 カインは一命を取り留めた。


 彼は灰紋の元構成員として、そしてオードの罪を暴く証拠を提供した者として、複雑な立場に置かれた。だが、彼が五年間、贖罪のために戦ってきたことは認められた。


 セレナはカインの病室を訪ねた。


「カインさん」セレナは言った。「あなたは私の父を死に追いやった一人です」


 カインは目を伏せた。「……すまない」


「でも」セレナは続けた。「あなたはその罪を背負って戦ってきた。父を殺した本当の敵を追って。そして、私たちを助けてくれた」


 セレナはしばらく黙った。


「許せるかどうかは、まだわかりません」彼女は正直に言った。「でも、あなたが生きて罪を償ってくれることを望みます。死んで逃げるんじゃなく」


 カインはセレナを見た。その目に、深い感謝があった。


「……ありがとう」彼は絞り出すように言った。「君の父上のような立派な人の娘に、そう言ってもらえるとは」


 セレナは小さく頷いて、病室を後にした。


 その目には涙が滲んでいた。だが、それは少しだけ救われたような涙だった。




 ある夜。


 蒼はリーナとフィンの三人で、リーナの部屋にいた。


「兄の事件が再捜査される」リーナは静かに言った。「五年間迷宮入りしていた兄の死が、ようやく解明される。それだけでも、あなたが来てくれてよかった」


「俺はただ」蒼は言った。「ライルが遺した術式に呼ばれて、ここに来ただけだ」


「それでもよ」リーナは微笑んだ。「兄が遺した最後の術式。それがあなたを呼んだ。あなたは兄の意志を継いでくれた」


 フィンが二人の会話を聞きながら言った。


「ねえ、蒼」フィンは言った。「俺さ、思ったんだ。蒼が術式捜査局の協力者になって、すごい事件を解決して。それを見てて、俺も何かできるんじゃないかって」


「フィン?」


「俺、術式が使えない」フィンは言った。「ずっとそれがコンプレックスだった。でも蒼は言ってくれた。俺の観察力と記憶力は、術式より役に立つって」


 フィンは顔を上げた。


「俺、決めた」フィンは言った。「術式捜査局の見習いに応募する。術式がなくてもできることがある。蒼みたいに、誰かを助けられる人間になりたいんだ」


 蒼はフィンを見た。そして頷いた。


「あんたならできる」蒼は言った。「あんたの目は本物だ」


 フィンが嬉しそうに笑った。


 その様子を、リーナが優しく見守っていた。




 その夜遅く。


 蒼は一人で窓辺に座っていた。


 オードは倒れた。だが、ヴォルクはまだいる。核石もすべては回収されていない。戦いはこれからも続く。


 だが、蒼はもう一人ではなかった。


 〈共鳴視〉で戦いを支えてくれるリーナ。〈衝脈〉で共に戦うセレナ。観察力で新たな仲間になろうとするフィン。そして、贖罪のために戦うカイン。


 みんな、それぞれの想いを抱えて、この戦いに身を投じている。


 蒼は自分の手を見た。


 〈残滓読み〉と〈術式干渉〉。ライルが遺した術式によって与えられた、二つの力。


 最初はただ戸惑うばかりだった。なぜ自分がこの世界に来たのか。なぜ自分がこの力を持っているのか。だが今はわかる。


 自分はライルの意志を継ぐために呼ばれた。核石を悪用から守り、この世界を救うために。


 それは選んだ運命ではなかった。だが蒼は、その運命を受け入れることに決めた。


 断片は繋がった。自分がなぜここにいるのか。その問いの答えが、ようやく見えた。


 扉がノックされた。


 セレナだった。


「まだ起きていたんですね」彼女は言った。


「考え事をしてた」蒼は答えた。


「何を?」


「これからのことを」蒼は言った。「ヴォルクはまだいる。核石も残っている。戦いは続く」


 セレナは蒼の隣に来て、窓の外を見た。


「ええ」彼女は頷いた。「でも、一人じゃない。私もリーナさんもフィンも、カインさんもいます」


「ああ」蒼は頷いた。「そうだな」


 二人はしばらく並んで、夜のレイアスを見ていた。


 魔素の光が、街を静かに照らしている。


「蒼」セレナがふと言った。「あなたが来てくれて、本当によかった」


 彼女の頬がわずかに赤く染まっていた。


「俺も」蒼は言った。「あんたが相棒でよかった」


 セレナはその言葉に、少しだけ複雑な顔をした。「……相棒、ですか」


「違うのか」蒼は不思議そうに言った。


「いえ」セレナは小さく笑った。「いいんです。今は、それで」


 蒼はその言葉の意味を、深くは考えなかった。


 セレナはそんな蒼を見て、また小さくため息をついた。だが、その顔はどこか幸せそうだった。




 夜空に、見知らぬ星々が瞬いている。


 別の世界の空。


 蒼はその空を見上げた。


 自分は別の世界から呼ばれた。ライルの術式によって。核石を守る戦いを継ぐために。その戦いはまだ始まったばかりだ。ヴォルク=エスナ。残された核石。そして、世界に七つ存在する核石がすべて揃ったときの脅威。


 多くの謎がまだ残っている。


 オードは倒れたが、彼は最後に言った。「核石を巡る戦いは、私一人で終わるものではない」と。その言葉の意味を、蒼は考えていた。


 オードの背後に、まだ何かがあるのか。それとも、核石そのものに、もっと深い秘密が隠されているのか。


 わからない。だが、いつかわかる。


 断片はいつか繋がる。〈残滓読み〉の映像が、最初はバラバラで、論理で繋げば意味を持つように。この世界のすべての謎も、一つずつ手繰っていけば、いつか形になる。


 蒼は立ち上がった。


 窓の外には、レイアスの夜景が広がっている。魔素の光に彩られた、別世界の街。


 最初は、知らない天井で目を覚ました。知らない空の下で。


 だが今は、ここが自分の生きる場所だと思えた。


 仲間がいる。守るべき世界がある。そして、果たすべき使命がある。


 蒼は夜空に向かって、静かに呟いた。


「次の断片を探しに行こう」


 その声は誰にも聞こえなかった。


 だが確かに、新しい物語の始まりを告げていた。


 残滓は、過去を映す。


 だが、その過去を繋ぐ者の足取りは、未来へと続いていく。

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