第75話 月の記憶
「え? 姫? な、何?」
驚いたレーシェが、背中を丸めてフェルムの背中に身を潜めた。
「ルーファス君、落ち着いて」
「あ、ああ。ごめんよ、フェルム君」
アクアスがパンッと手を叩く。
混乱したこの場の空気を変えてくれた。
「みんな、レストランへ移動しましょう。一旦状況を整理するわよ」
「アクアス様、コーヒーを淹れますね。あ、犬っころってコーヒー飲めるのかしら?」
ルーファスのことを犬っころと呼ぶシルヴァ。
ババアと呼ばれたことが、余程許せなかったのだろう。
冷たい視線をルーファスに送っている。
「の、飲めるよ」
「次に同じことを言ったら、覚悟しなさいよ?」
「は、はい……。本当にすみませんでした」
ルーファスは意外と素直だ。
というより、こいつは女に弱い。
「眷族の狼たちに罪はないものね。バーベキューの残りの肉をあげるわね」
「「「ウオォォォォン!」」」
「可愛いわね。ふふふ」
「「「クウゥゥゥゥン」」」
狼たちが喜んで尻尾を振っていた。
恐らくシルヴァを主人として認めたに違いない。
***
レストランへ移動し、全員がテーブルについた。
シルヴァとレーシェが淹れてくれたコーヒーから、香ばしい香りが広がる。
「さて、順を追って説明するわね。まず、青月破壊の件だけど、魔獣の長たちとは話がついているのよ」
アクアスがコーヒーをひと口味わってから、全員を見渡した。
「私たちは当時の魔獣の住処を保証したの。一応月に帰る提案もしたけど、彼らはこの星の生活が気に入っちゃってね。だから、魔獣たちは私たちの庇護に入ったのよ。とはいえ、魔竜に危害を加えた時は、その限りではない、ってね」
ルーファスが魔獣化したのは五百万年前だそうだ。
当然、この星で生まれているし、テラムが壊した月のことは知らない。
だが、魔獣たちの口伝により歴史を知る。
それからテラムを恨むようになり、何度もテラム平原を襲った。
テラムとしても負い目があるから、撃退するだけに留めていたそうだ。
俺はコーヒーを口に含み、アクアスの説明を頭の中で整理した。
「つまり、ルーファスは自分と関係ない数億年前のことに対し、勝手に恨みを抱いていたというわけか」
「そういうことになるわね」
俺は傭兵時代、何度も戦争を経験した。
祖国を滅ぼされた民は必ず報復する。
人間の争いは永遠に終わらない。
とはいえ、解決済みの数億年前の話を持ち出すことはどうかと思う。
俺はコーヒーを飲むルーファスに視線を向けた。
「お前、祖先のことなんて知らないだろ?」
「そ、そうだけど、許せないだろ……」
アクアスが小さく溜め息をついた。
「あのね、確かに青月が消滅したことで、他の月にいた魔獣たちも不安になってこの星に降りてきた。でも、残りの月は絶対に破壊しない約束をしたのよ。それでも彼らはこの星に住むことを決めたの。月よりも環境がいいからってね」
「なるほどね。自らの意思で、この星に住み始めたのか」
「そうよ」
「じゃあ、ルーファスを月に返したらどうだ? それでいいだろ?」
「そうね。そうしましょう」
「よし、俺が月までぶん投げてやるわ」
ルーファスが焦った表情を浮かべながら、突然立ち上がった。
「ま、待ってくれよ!」
「お前の不満はそういうことだろ? 月に帰って自分で開拓しろよ」
「い、いや……」
「不満ばかり言って自分で何もしない。他人を攻撃して鬱憤を晴らすだけ。最低だぞ」
「う、うう」
今度はマレムが立ち上がった。
「まあまあ、あまり苛めないでやってくれよ。こいつも悪い奴じゃないんだよ」
「マレムさん……」
「なあ、ルーファス。他の魔獣たちはこの星で楽しく暮らしてんだ。お前も過去に囚われずに楽しくやれって。そもそも、お前がテラムに敵うわけないんだ」
「は、はい……」
ルーファスが力なく椅子に座った。
さすがはマレムだ。
この人の声と話し方は、妙に説得力がある。
フェルムが姿勢を正し、ルーファスを見つめていた。
「ルーファス君。レーシェのことを姫と言っていたけど、あれは何だい?」
「ああ、フェルム君。そちらのレーシェ様は、魔獣の因子を持ってる魔獣でしょ?」
「そうだよ」
「俺たち魔獣は、なぜか月の姫の記憶があるんだ。レーシェ様は、その記憶通りなんだよ。魂の輝きまで一緒だ」
「ということは、レーシェは魔獣の長の生まれ変わりなのかな?」
「分からないけど、俺にはそうとしか思えないんだ」
「なるほど……。アクアス姉様、ご存知ですか?」
フェルムがアクアスに視線を向けた。
「五億年前のことだもの。ちょっと待ってね。えーと、月の姫は確か……」
アクアスが記憶を辿っているようだ。
というか、五億年前の魔獣の顔を憶えているのだろうか……。
「アクアス、ワシも思い出したぞ。確かに月の姫に似ておる」
「そうね。私も思い出したわ。間違いないわね」
アクアスとグラキャスが言うのであれば、間違いないだろう。
「私が……月の姫? ど、どうすればいいの?」
「気にしなくてもいいさ。レーシェはレーシェだよ」
婚約者らしく、フェルムがレーシェに優しい言葉を投げかけていた。
「いや、フェルム君。そういうわけにはいかないんだよ。俺たち魔獣は月の姫を守る。そう魂に刻まれている。だから、これからも魔獣たちが集まってくるよ」
「本当かい?」
「ああ、きっと他の魔獣たちも気づくと思う」
ルーファスの言葉を聞いて、俺は少し悩んだ。
「魔獣が来るのか。この村の住人が増えるのは構わんよ。だが、なんか違うような気がするんだよなあ」
「そうね。レーシェを慕ってくるのであれば、ちょっと違うわよね」
シルヴァも俺に同調してくれた。
ここは俺の村ではあるが、俺とテラムが開拓した村だ。
魔竜たちは兄弟たるテラムの元に来ているし、ありがたいことに俺の村ということを受け入れている。
もし魔獣たちがレーシェを慕って集まってくるのであれば、レーシェがいればどこでもいいはずだ。
であれば――。
「レーシェ。お前はこの村を出て国を作れ」
「え?」
「ルーファスは月の恨みを持っていたんだ。さすがに月に返すのはかわいそうだから、姫のお前が責任を持って、新たな土地で魔獣の国を作ればいいだろ?」
「そ、そんな、急に言われても……」
「まあ別に強制じゃないが、考えてみるといい。もちろん、このままここに住んでも構わんさ」
「うん……」
レーシェは困惑しながらも、小さく頷いていた。
***
夕食の時間を迎えた。
シルヴァとレーシェが全員分を作り、レストランで食卓を囲む。
なぜかルーファスも座席についていた。
そして、テラムよりも大量に食っている。
「お前、遠慮というものを知らんのか?」
「アレファスさん! 姫の手料理が食べられるなんて幸せ過ぎます! 本当に旨い! ああ、ここに来てよかった! 最高だ!」
「こ、こいつ……」
ついさっきまでテラムのことを殺すと言っていたのに、この態度。
ムカつくを通り越して、もはや清々しいと感じるほどだ。
「おい、ルーファス。滞在するのはいいけど、お前働けよ。ここでは魔竜だって働いてるんだ。グラキャスもだぞ」
「え! グ、グラキャス様も!」
「そうだ。働かないと飯はないぞ」
「はい! 頑張ります!」
ルーファスの食欲も酷いが、眷族の狼の食料が半端じゃなかった。
先日のグラキャスの狩りがなければ食材は足りなかっただろう。
こいつら異常なほど食う。
働かせないと、すぐに食料不足に陥る。
食事を終え、ルーファスは率先して片付けを行っていた。
いい心がけだ。
片付けも終わり、各自自分の家に戻っていった。
「さて、シルヴァ。俺たちも帰るか」
「そうね」
シルヴァがルーファスに視線を向けた。
その表情は氷のように冷たい。
「犬っころは外でも眠れるでしょ?」
「い、いや、シルヴァさん。俺もベッドで寝たいなあ、なんて……」
「仕方ないわね。ちょうど客室を作ったから、そこで寝ていいわよ」
「あ、ありがとうございます」
マジでシルヴァが怖い。
テラムも若干引いている。
「シ、シルヴァ……さん。明日の朝食は、自分とアレファスが作りますです」
「あら、テラム様。そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ。私が作りますから。ふふふ」
「は、はい。ありがとうございますです」
シルヴァを見るテラムの顔は、グラキャスに対するそれと全く同じだった。
もしかしたら、テラムは女性の圧力に弱いのかもしれない。
シルヴァもまた、魔人から魔王に覚醒したかのような、圧倒的な覇気をまとっていた。




