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守る華・守られる花  作者: ミシル
第三章 サザンクロス

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111/113

111.閉ざせぬ扉

9月30日 13時。


明日はいよいよ、サザンクロスとReの第二弾コラボ商品発表会。


この二か月――。


蓮の記憶は、まだ戻っていないはず。

琴音も田中さんも、その名を口にすることはなく、まるで私を守るかのように、蓮の話題を避けてくれていた。


けれど、私は蓮を忘れられない。

ただ舞っている間だけは、思い出すことから逃れられる。

あの時と同じだ。

朝から晩まで、蘭明を思い出さないよう必死に踊り続けていたあの日々と――。

私はまた、同じ苦しみを繰り返している。


田中さんは、そんな私をずっと気にかけてくれていたのだろう。

打ち合わせのたび、私に無理をさせることなく、必ず自ら足を運んでくれた。

その優しさに触れるたび、胸の奥がぎゅっと痛む。


――莉子さんの姿は、ただの一度も見なかった。

そのことさえ、なぜか、少し心を安堵させた。



そして、今日、リハーサルが始まった。


もちろん、蓮の姿はここにはない。

会場には田中さんと莉子さん、そして関係する社員たちが集まり、立ち位置やライトの角度、時間の進行が入念に確認されていく。


何事も問題なく、リハーサルは予定通りに終了した。

私は控え室に戻り、鏡の前に腰を下ろす。


「これでいいの、守華。これでいいんだ」


自分にそう言い聞かせる。

明日で、完全に蓮との物語は終わる。


帰ろうと椅子を立ち上がったとき、鏡越しに映る影に気づいた。

莉子さん。


「お疲れ様です」


――最悪。今、一番二人っきりで会いたくない人。

それでも、動揺を悟られたくなくて、平然と返す。


「モデル、引き受けてくれてありがとう」


意外な言葉に、一瞬、呼吸が止まる。

「……え?」


「私がお礼を言うなんて、思わなかった?」

「いえ……」


莉子さんは、冷ややかに微笑んだ。

「お礼なら、いくらでも言えるわよ。――蓮を諦めてくれてありがとう」


――感謝なんて欠片もない。ただのマウント。

喉まで込み上げた怒りを、必死で飲み込む。


「これ、あなたのでしょ?」

手渡された紙袋。中には見覚えのある服やパジャマ。蓮の家に置きっぱなしにしていた私物だった。


「どうにか私のだって誤魔化したけどね、危なかったわ」

わざとらしく肩をすくめる。


「捨てようかと思ったけど……やっぱり持ち主に返すのが筋かなって。もう蓮に会うこともないんだから、返してもらえてよかったでしょ?」


――悔しい。

血が滲むほど、爪を掌に食い込ませる。

それでも、顔だけは笑みを崩さず。


「……はい。助かりました。ありがとうございます。では、明日、よろしくお願いします」


絞り出すように言って、紙袋を手に控え室を出た。

背後に残ったのは、勝ち誇ったような彼女の気配――。


家に帰り着くなり、そのまま床に崩れ落ちた。


――莉子さんを彼女だと思っているのなら、当然、蓮の家に行くわよね。

そうよね、仕方ないのよね。


分かっていても……心臓を鷲掴みにされたみたいに、苦しかった。

「明日で終わる」そう自分に言い聞かせても、胸の奥はずっと軋んでいる。


紙袋を開け、パジャマや洋服をひとつずつ取り出す。

ふわりと鼻先をかすめたのは、ほんのわずかな蓮の匂い。


――落ち着く、優しい匂い。

胸に抱きしめると、張り裂けそうだった心が一瞬だけ和らいでしまう。


昨日、泣いても、今日もまた涙が止まらない。

まるで枯れることを知らない泉みたいに。


蘭明も、蓮も――私の凍りついた涙腺をこじ開けて、涙を流すことを教えてくれた人たち。


寂しい。

こんなに寂しいのに、もう誰も「大丈夫」と抱きしめてはくれない。

……なんて、無責任な男たち。




10月1日。

発表会は14時から。

けれど私は、朝一番に会場へ入った。


すでにスタッフたちは慌ただしく走り回り、舞台袖や照明チェックの声が飛び交っている。

熱気と緊張が入り混じる空気に、胸が少し早く鼓動を打った。


「田中さん、おはようございます」

打ち合わせの中心に立つ田中さんを見つけ、声をかける。


「おお、神崎!体調は万全か?」

「はい!任せてください。それより――」


私は田中さんの腕を軽く掴み、人目の少ない場所へ引っ張った。

「約束、守ってくれましたか?」

「約束?」

「もう!蓮のことですよ」


「ああ、安心しろ。Next Futureの山崎さんと打ち合わせを入れておいたから、ボスは今日は会社から動けない」

「ありがとうございます! …じゃあ、準備に行ってきますね」


胸をなでおろしながら控え室へ向かう。

そこにはすでにプロのヘアメイクアップアーティストが二人、待ち構えていた。


椅子に座ると、私の髪は丁寧にまとめ上げられ、何本もの簪が音を立てて差し込まれる。

顔の半分だけが化粧され、もう片方は素顔のまま。

アイシャドウは白から青への繊細なグラデーション。

まつげは長く扇のように広がり、青のアイライナーが目尻から鋭くはみ出していく。


頬には淡いピンクのチーク、唇には艶やかな紅。

身に纏うのは、斜めに白から黒へと流れるグラデーションの着物。そこに鮮やかな赤い薔薇が描かれている。

胸元は大きく崩され、デコルテを大胆に見せる。

裾から覗く右足には、薔薇の茎と鋭い棘のペイント。まるで生きた花が絡みついているようだった。


腰には金の帯。正面で結ばれた大きなリボンが華やかに光を反射する。

そして最後に、化粧を施した側の顔を覆う仮面が装着され、扇子が胸元に差し込まれる。


鏡の中に立っていたのは――

もう、ただの「神崎守華」ではなかった。


花魁風の仮面の舞姫。

舞台に咲き誇るための、完成された“守華”がそこにいた。


会場は、マスコミや先着で選ばれた一般客で、去年を遥かに上回る熱気に包まれていた。

暗闇が広がると、ざわめいていた観客も一瞬にして息を飲み、会場全体が静寂に包まれる。


メインステージにスポットライトが降り注ぐ。

そこに佇むのは――花魁の姿をした守華。

瞬く間に歓声が会場中に広がり、体の奥まで震えるような熱が走る。


スモークで白く霞む花道を、裸足で着物の裾を引きずりながら、ゆっくりと歩いていく。

歩くたびに裾が床を擦る音すら、神聖に聞こえる。


センターステージにたどり着くと、ヘアメイクアップアーティストが現れ、化粧をしていなかった半分の顔に、新商品の化粧品でデモンストレーションを始める。

和柄をあしらったパッケージの化粧品は、光を受けて淡く煌めく。


目頭から目尻まで、白から赤へのグラデーションを丁寧に描き、

目尻からはみ出すように長く引かれた赤いアイライナーが、守華の瞳を妖しく際立たせる。


化粧が完成すると、三味線の響きが会場を包み込み、私は自然と踊り出す。

付けていた仮面が外される瞬間、会場全体が眩い光に満ち、ステップが一段と早まる。


青と赤、正反対の色が混ざり合うアイシャドウ。

なぜか目が離せず、引き寄せられるようにその化粧に見入ってしまう。


胸元から扇子を取り出し、くるくると回して空中でキャッチ。

私自身もくるりと舞い、視線をまっすぐ上げる。


その瞬間、私の目に映ったのは――




蓮――だった。


――なんで、ここに?


来させないよう田中さんにお願いしたはずなのに。

田中さんも「打ち合わせがある」と言っていたはずなのに……。


心臓が一気に早鐘を打つのが、自分でもわかる。

たくさんの人で埋まった会場の中で、後ろのドアから入ってくる蓮を、私は見逃さなかった。


息を切らし、肩で荒い呼吸をしながら、きっと走ってきたのだろう。

私は踊りながら、センターステージからメインステージへ移動し、舞台袖の田中さんに目で訴える。

けれど、田中さんには届かない。


遠くから、ずっと私を見つめる蓮の視線。

最後にステージで正座し、頭を床につけてお辞儀をするその姿に、会場の拍手と歓声が重なる。

そして、舞台袖へと消えていった。


その直後、プロジェクターでプロモーション映像が流れ始める。


「お疲れ様!神崎。今回もすごかったな!」

呑気に声をかける田中さん。


「田中さん、蓮が……!蓮が来てる!!」

「はぁ!?今、打ち合わせ中のはずだけど……本当にボスだったのか?」

田中さんは舞台袖から会場内を見渡す。


「どこにいるんだ?」

「後ろの入り口あたりです」


田中さんが再び覗き込む。

「見当たらないな……見間違いじゃないか?」


その言葉に、もしかして私の見間違いだったのかも、と心が揺らぐ。

控え室に戻り、メイクを落としながらも、頭の中はあの瞬間の蓮でいっぱいだった。


でも、あれは確かに――蓮だった。

私が間違えるはずがない。



モヤモヤした気持ちを抱えながらも、帰る準備を進める。

これで、私の役目は終わり――。


会場にはまだ、田中さんや莉子さんの姿がある。

最後に挨拶だけして帰ろうと、立ち上がりドアのほうへ歩き出そうとしたその瞬間――。


――嘘。


ドアの前には、いるはずもない蓮が立っていた。

私をじっと見つめる瞳は、初めてボスの部屋に呼ばれたときと同じ、鋭く、抗えない視線。

“蛙が蛇に睨まれる”――その言葉が脳裏に浮かび、私はその場から動けなくなる。


「おまえは、俺のなんなんだ?」


約四か月ぶりに聞く、蓮の声。

震える声で――

「わ、私は……」


“あなたを愛した人で、あなたが愛した人”

そう答えればいいのか?

でも、言葉が口をついて出てこない。

目の前に現れた蓮に、心の決意が揺さぶられる。


どんどん近づいてくる蓮。

背の高い彼を見上げ、息が詰まる。

蓮が手を伸ばしてきた瞬間、私はやっと目をそらす。


「このネックレス……」


私の首にかかる、蓮からもらった誕生日プレゼント。

指先で触れる彼の手。

「どこかで……見たような……」


少し苦しそうな表情に変わったのを見て、私は右手でネックレスを握り、蓮の手を離した。

「友達からもらったものです――」


――いたっ!


しかし、ネックレスを握る私の右手を、蓮が強く掴む。

「このミサンガ……」


次に目を向けたのは、蘭明からもらったミサンガ。

強く握られる右手首がじんじんと痛む。

でも、振り払おうにも、その手を離すことはできなかった。


突然、蓮が左手で自分の頭を抱え込み、苦しみ始めた。

「えっ! だ、大丈夫!?」


私の手を振り払うように、蓮はその場に崩れ落ち、息も絶え絶えに顔を歪める。

その苦しそうな表情に、胸がざわつく。

私も慌てて膝をつき、蓮のそばに寄り添った。


「どうしたの? 痛いの? ねぇ、しっかりして……!」


その時、ドアが開く音がして、田中さんと莉子さんが飛び込んできた。


「蓮!!」


二人の叫び声が重なり、空気が一気に張り詰める。

莉子さんが勢いよく私の前に入り込み、私は弾かれるようにバランスを崩し、その場に尻もちをついた。


「ボス! 大丈夫か!?」

「先輩、とりあえず別室に!」


「……あっ、あー……」


田中さんはすぐに蓮を背負い、重たそうな体をしっかりと抱えたままドアの外へ。

莉子さんもその後を追おうとしたが、ドアの前で立ち止まり、私の方へ向き直った。


___バチーーーーン!!


乾いた音が控え室に響き渡る。

左頬に鋭い痛みが走り、私は思わず頬を押さえた。

呆然と莉子さんを見ると、その瞳は涙でにじんでいた。


「蓮の前に現れないでって言ったでしょ!? これで分かった?

あなたがいると蓮は苦しむの! もう二度と蓮や私の前に現れないで!

今すぐ、どこかに消えて!!」


声を震わせながら吐き出すように叫び、涙目のまま莉子さんは蓮のいる部屋へ駆け込んでいった。


私はただ、頬の痛みに手を当て、そこに座り込んだまま動けなかった。

耳の奥で、さっきまでの言葉が何度も反響していた――。


「神崎、大丈夫か?」


座り込んでいた私は、ぼんやりと顔を上げると、田中さんがそこに立っていた。

頭が少しぼうっとしていたが、ゆっくりと立ち上がる。


「田中さん、蓮は……?」

「問題ない。少し目眩がしただけだ」


胸をなでおろし、私は小さく息をつく。

「なら、よかったです。今日はありがとうございました」

「いや、こっちこそ助かったよ。本当大丈夫か?」

「はい! 大丈夫です」


「そうか。今度、飯でも奢るからな」

「高級レストランでお願いします」


無理に笑顔を作りながら、心の中で少し微笑む。

「お前な……ボスにはラーメンでいいって言いながら、俺にも高級レストランかよ」

田中さんも知っていたのね、と笑いが込み上げる。

その場で、私も笑顔になる。


「あっ、わりぃーんだけど、最後に1つ頼んでもいいか?」

「え?」

「このあとすぐ会社に戻ろうと思ったんだけど、ボスのこと見てるから、これ、根本に持っていってくれないか?」


田中さんがカバンから取り出したのは、小さな封筒。

「琴音に?」

「そう。今日の神崎の動画や写真がUSBに入ってる。根本にSNSにアップしてもらうことになってるから、渡せば分かる」


「分かりました。あっ、田中さん、前に私が預けた退職届、今ありますか?」

「あっ、あー、あるけど」

「ください」


いつも持ち歩いていたのか、田中さんはカバンの中から私の退職願を取り出す。

「どうするんだ?」


私は退職願を受け取り、バックから退職届をだして田中さんに見せた。

「田中さんを信じてないわけではないですが、最後は自分で終わらせます。田中さん、お世話になりました。」


その場で一礼をし、笑顔で田中さんを見つめる。

「神崎……」


「では、最後の田中さんからの任務、ちゃんと果たしてきます!」


田中さんに敬礼し、自分のバッグを手に取る。

ゆっくりと控え室の扉を開け、静かにその場を後にした。


久しぶりに訪れた会社。


6時を少し過ぎた時間。

フロアには誰もおらず、静まり返っている。

オフィスのドアは案の定、鍵が閉まっていた。


その場で琴音に電話をかける。

「もしもし、琴音、どこにいるの?」

「どこって、今日、打ち上げだからみんな居酒屋だよ」

「え? そうなの? 田中さんに渡してって頼まれたUSB持ってきたんだけど」

「えーー、田中さんにLINEしておいたんだけど」

「ドタバタしてたから、見てないのかも」

「悪いんだけど、私の机の上に置いといて。明日、朝一で見るから」

「分かった。じゃあ、楽しんでね」

「守華も来ればいいじゃん!? 今日も大活躍だったんでしょ?」

「私は予定あるからまた今度ね、じゃあ」


電話を切り、まだ持っていた鍵でドアを開けて、薄暗いオフィスの電気をつける。


会社をぐるりと見回すと、たった四か月離れただけなのに、なぜか懐かしい気持ちになる。

琴音の机の上にUSBをそっと置く。


その足でボス部屋へ向かい、蓮がいつも座っていたデスクの上に、“退職届”と書かれた封筒を置いた。

今は誰も座っていない秘書の席の後ろには、まだバレンタインのポスターが残っている。


この時に戻れたら――。

今の状況は、少しは変わっていたのだろうか?


私のデスクに飾られているのは、田中さんがバレンタインイベントのときに撮ってくれた、私と蓮の写真。


写真の中の二人は、今では信じられないほど無邪気に笑っている。

その笑顔が、少しずつ滲んで霞んでいくように感じた。


「神崎!」

「はい! ボス」


毎日のように交わしていた言葉。

もう呼ばれることも、“ボス”と呼ぶこともないのだと、胸に痛みが走る。


写真をバッグの中にしまい、もう一度ポスターに目をやる。

「さようなら――」

直接言えない代わりに、ポスターの中の蓮に向かって、静かに告げる。


デスクの上に置かれた、“秘書 神崎 守華”のネームプレートを倒し、名前を隠す。


ボス部屋の入り口に立ち、深く一礼する。

「お世話になりました」


それから再びポスターに視線を戻す。

帰ろうと足を向けても、どうしても出口に進めない。

拭いても拭いても、溢れる涙が頬を伝う。

本当に蓮と終わってしまうんだ......




「何してる――」


声のする方に顔を向けると、そこには蓮が立っていた。


「お前、さっきの……」


――なんで、ここにいるの?


もう会わないと思っていたのに、まだ目の前に現れる。

そして、また、私があなたを苦しめる。


涙をそっと拭い、声を震わせながら問いかける。

「体調は、大丈夫ですか?」


「あー……」


冷たい反応に、胸がぎゅっと痛む。


「田中さんに会社に届けて欲しいと頼まれてしまって……」

「田中もよく、無関係者に頼めたもんだな」


その冷たい視線に、思わず身が縮む。


「ちゃんと届けましたので、私はこれで」


深くお辞儀をする。


「あっ、田中さんに返そうと思っていたんですが、会社の鍵、返しますね」


バッグから鍵を取り出し、そっと差し出す。

蓮は無言で手を伸ばし、私の手のひらに鍵を置いた。


“元気でね、蓮――”


心の中で、そっとそう思いながら、視線をそらす。


会社を飛び出し、エレベーターを待つ余裕もなく、階段を駆け下りる。

外に出ると、夜の風が頬を撫でた。ビルを背に、足早に歩き出す。


通りには色とりどりの願いごとが飾られていた。

足を止め、ひとつひとつ目をやる。


“彼氏ができますように”

“〇〇くんと付き合えますように”

“国家試験に合格しますように”

“ディズニーランドに行けますように”


まるで七夕の短冊のようだ。

七夕じゃないのに――それでも、誰かの願いに触れていると、自然と笑みがこぼれていく。


私はふと、自由に書ける紙に手を伸ばした。

そこに書いたのは、たったひとつの想い。


“彦星が織姫を迎えに来てくれますように 守華”


七夕じゃないけれど、今の私にはこれが一番しっくりくる。

願いを下の方にそっと結びつけ、そのまま駅へと向かう。


電車に揺られ、辿り着いた“いつもの場所”。

辺りはもう真っ暗だった。


夜空には、無数の星が広がっている……そう願ったけれど、ここからでは見えない。

見えるのは大きな満月だけ。


「陽月国なら、星があんなに輝いていたのに……」

あの時もっと、ちゃんと見ておけばよかった。

そんな後悔が胸をかすめる。


――蘭明は、幸せになれただろうか。

私は……こっちの世界でも、幸せにはなれないみたい。


近くのベンチに腰を下ろし、ただ空を見上げる。

何も考えず、何時間も。

賑やかだったカップルたちが次々と帰っていき、周囲は静けさに包まれていった。


普通なら、暗闇に不安を覚えるのかもしれない。

でも電気のなかった陽月国で過ごした私には、この静けさがむしろ心地よかった。


そのとき――


「守る華と書いて“守華”。蘭という花を守るんじゃなかったのか?」


……この声。

私が、蘭明にかけた言葉。


胸が高鳴り、思わず立ち上がる。

声のした方を振り返ると、暗がりに人影が浮かんでいた。

顔ははっきり見えない。


「……蘭明?」



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