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守る華・守られる花  作者: ミシル
第三章 サザンクロス

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108/113

108.信じることの重み

新入社員が入り、サザンクロスのオフィスはいつも以上に活気づいていた。

今年も新人担当は田中さんだ。

私は相変わらず、蓮の付き添いや書類整理、連携先への連絡に追われている。


「お疲れ、琴音」

カフェエリアに行くと、琴音はすでにコーヒーを飲んでいた。


「お疲れー」

「マーケティング部にも新人入ったんでしょ?どんな感じ?」

「んー、まだ何ともね」

「そうだよね。秘書も誰か入れないのかな。私は企画部に移動したいのに」

「守華、あなたがいればボスは満足よ。それに、守華以外が秘書やったら、またあの冷たいボスに戻るでしょ」

「ハハハー、それもそうね」

「考えてごらんよ。守華だって入社直後、分厚いファイルを暗記させられたじゃん。あれができるのは守華だけだって」

「確かにあれは地獄だったわ…」

「企画部移動は諦めなさい」

琴音に肩をトントンされた。


「神崎さん」

「ん?」

振り向くと、髪を一本にまとめた私と同じくらいの身長の子が立っていた。


「えーっと…」

「マーケティング部に入った木村愛理きむら あいりです」

「3人いた中の1人だ!」

琴音は思い出したように答えた。初日に挨拶しただけらしい。


愛理はコクンと頷くと、少し緊張した様子で言った。

「入社が決まったあとにバレンタインのポスターを見て、ずっと会いたかったんです。すごくファンで」

「ファン!?私の?」

「はい!動画も見ました。すごく感動しました。動画を作ったのは根本さんですよね!根本さんもすごいです」

琴音も褒められて笑顔になった。

「あっ、もちろん、香り袋も買いました」

「あ、ありがとう。でも普通、女子なら私じゃなくてボスのファンになると思うけど」

「ボスはボスで素敵ですが、私は神崎さんのあのポスターの目にやられました。恋をしている目っていうんですか?すごく印象に残って…」

「そっか。ありがとうね。木村さんね、覚えたわ」

「愛理と呼んでください」


それからというもの、ランチに行くときは琴音と愛理で行くことが多くなった。

愛理も片想い中の相手がいるらしく、相談されることも多い。

私と琴音は、そんな愛理を可愛がりながら見守っていた。


「ボス、おはようございます」

「おはようございます、ボス」


社員の声で蓮の到着が分かる。

まぁ、LINEで“もうすぐ着く”って来てたから知ってたけど。


私はいつものように、ボスの部屋の前で手帳を持って立っている。


「おはようございます、ボス」

「おはよう」


蓮がメガネをかけていた。その姿に思わずドキッ。

メガネ姿の蓮も、やっぱりかっこいい。


固まる私を見て、蓮が笑う。

「どうした?」

我に返り、つい顔が赤くなる。

「反則!メガネ似合いすぎ」

「そうか?」


部屋に入り、話す蓮。

「いきなりメガネなんてどうしたの?」

「最近、目が疲れてな。ブルーカットのメガネだよ」


そのとき、田中さんが笑いながら入ってきた。

「ボス、おはよう。あれ?邪魔した?」

「邪魔だっていっても、ここにいるだろ」

と、いつもの蓮。


私は二人のやり取りを遮るように予定を伝える。

「ボス、今日の予定です。11時よりReでコラボ商品のサンプルチェック、14時より税理士との打ち合わせ、15時半より社内ミーティング。Reのチェックですが、私は視察に行くので、ボスと田中さんの二人でお願いします」


「俺も11時から急遽打ち合わせで行けなくなった。ボスだけで大丈夫?」

「神崎、視察はずらせないのか?」

「相手先の都合で、どうしてもその時間じゃないと無理らしいです」

「そうか、俺一人か」


田中さんが首を傾げる。

「サンプルチェックはボス一人で充分だろ?何を悩んでる」

「いや、そうなんだけど…」

莉子さんのところに蓮が一人で行くことになるのが気になるのだ。


「ボス、私は大丈夫です。仕事ですし、しっかりチェックしてきてください」

蓮はソファーから私を見上げる。

「あー、そういうことね」

田中さんも納得した様子。


「神崎、本当に大丈夫か?日にちをずらしてもいいんだぞ?」

「仕事なので大丈夫です。莉子さんの都合もあるでしょうし、ボスを信じています。あ、でも…」


そう言いながら、蓮のメガネに手をかけ外す。

「このメガネはかけていかないでくださいね」


守華のニコッとした笑みに、蓮は一瞬、目を見開き呆気にとられる。

「え……あ、ああ…」


こんなかっこいいメガネ姿の蓮を、莉子さんに見せないで——と思ってしまう。


「じゃあ、コーヒー入れてきますね!田中さんも飲みますか?」

「よろしく頼む」

「はい」


カフェエリアに向かいながら、自分に言い聞かせる。

そりゃー、莉子さんと二人きりは仕事でも気になる。

蓮が大丈夫でも、莉子さんは隙あらば何かしてきそうだ。


でも、私が信じなきゃ誰が蓮のこと信じるのよ。

大丈夫、大丈夫。


お昼過ぎ、視察を終えて会社に戻る途中で、蓮からLINEが届いた。


“莉子とランチに行ってきてもいいか?”


胸の奥がチクリとした。本当は嫌。でもきっと莉子さんからの誘いだろう。

わざわざ連絡をくれるんだから、怪しいことなんてないはず。


ここでギクシャクしてコラボ企画が台無しになるのも避けたい。


“行ってきていいよ。私は今、会社に戻ってるから待ってるね”


“分かった。気をつけて戻れよ。俺も戻る時連絡する”


ランチくらい…人目も多いし大したことじゃない。そう自分に言い聞かせた。


***


13時半ごろ、蓮が会社へ戻ってきた。

手招きされて、私はボス部屋へ入る。


「…心配したか?」


「全然!言ったでしょ?私はボスを信じてるって。どうせ、誘ったのも莉子さんでしょ?」


「ああ。でも、莉子が勘違いするようなことはしてないから安心しろ」


「はいはい。気にしてないってば」

本当は、どんな話をしたのか全部聞きたいけど。


「でも…ちょっとだけ、ギュッとして」


蓮は一瞬驚いたように私を見つめ、それから優しく笑って両手を広げた。

その胸に飛び込むと、すぐにトクントクンと力強い鼓動が耳に届く。


「今日も、ちゃんと聞こえる」


「心臓の音か?」


「うん。よし、元気もらえたから仕事してくるね」


胸の中のモヤモヤは、すっかり消えていた。

ほんと、私ってなんて単純なんだろう。



「ねぇ、携帯の充電器って他にある?」


蓮のマンション。

私は会社に置き忘れてきてしまったらしい。


「ベッドの横の引き出しに入ってるかも。見てみろ」


「分かった」


寝室へ行き、言われた通り引き出しを開ける。

充電器を探して奥に手を伸ばした瞬間――何かに触れた。


取り出してみると、それは充電器ではなく――


「……えっ」


もう一度奥に手を入れると、同じものがもうひとつ出てきた。

手のひらに載せて見つめる。


アンクレット。しかも二つ。


「どうして……ここにあるの?」


ドクン、ドクン、ドクン。

鼓動が急に早まる。

この時代には存在しないはずのものなのに。


アンクレットを握りしめ、私は蓮のもとへ駆け戻った。


「蓮!」


「ん?充電器、見つかったか?」


「ねぇ、このアンクレット……誰の?」


差し出した瞬間、蓮は目を細めて覗き込んだ。


「へぇ……よく、ブレスじゃなくアンクレットって分かったな」


「そんなことはどうでもいい!誰のなの?いつから持ってるの!?」


「なんだよ、そんなに気に入ったのか?」


「そういうことじゃない!」


蓮は少し考え込み、視線を落とす。


「俺にもよく分からないんだ。気づいたらここにあってな……見てると頭が痛くなる。捨てようとしてもできなくて、ずっとしまい込んでた。それがどうした?」


「それ……私と、蘭明が――」


「蘭明?」


低く鋭い声に変わった蓮の響き。

ぞくりと背筋が冷たくなる。


あ……言ってはいけない名前を出してしまった。


「いや……」


「やっぱり、まだその蘭明ったいうやつのことが気になるのか?」


「なんでそうなるの?」


「結局、守華はその男が好きなんだろ」


「本気でそう思ってるの?」


「何かあればすぐにその男の名前を出しやがって」


「蓮と付き合ってから、蘭明の名前なんて出してない!」


「出さないように我慢してるだけだろ」


「そんなことない!」


私の“蘭明”という一言で、蓮の中にくすぶっていた不安が火を噴いたかのように、口調はどんどん鋭さを増していく。


「口では何とでも言えるよな。それに……渡辺とだって、本当に友達なのか?」


「なんで今、悠真の話が出てくるの?悠真は友達だって言ってるじゃない」


「それは守華が勝手に思ってるだけで、渡辺の気持ちは分からないだろ」


「仮に悠真が私を好きだったとしても、私は恋愛対象じゃないの!」


「じゃあ今、俺にそっくりなその蘭明ってやつが現れたらどうするんだ!」


「そんなの、ありえない!」


「ありえなくはないだろ!!」


「ありえないわよ!私がいるこの世界には存在しないんだから!」


「存在しないって……どういう意味だよ」


一瞬、蓮の怒気が揺らいだ。

でも私はそれ以上言えない。


「……もういい。その話は。だって私は――今、蓮という男を好きなんだから」


「好きって言えば、俺が黙ると思ってるのか?苦し紛れの言い訳だろ」


なんで。

なんで素直に受け取ってくれないの?

胸の奥で悲しさがぐつぐつと煮え、怒りへと変わっていく。


「小さい男ね」


「小さい……だと?」


「そうよ。私は蓮が好きだって言ってるの。それに、蓮を信じてる。だから莉子さんと2人でランチに行くのも許した。自分のことは棚に上げて、私だけ責めるなんておかしいでしょ?」


「それは仕事だ!プライベートじゃない!」


「ランチも仕事?莉子さんは絶対プライベートだと思ってるわよ!」


その言葉に、蓮は口を閉ざした。


「……もういい。蓮は、もう少し私を信じてくれてもいいんじゃない?」


蓮は視線を逸らしたまま。


「今、はっきり気づいた。蓮と蘭明は顔が似てても、中身は全然似てないって」


その瞬間、蓮の目がこちらを向く。

私も涙で滲む視界のまま、真っ直ぐに見返した。


比べちゃいけない。言っちゃいけない。

頭では分かっていたのに――もう止められなかった。


「少なくとも蘭明は……私をいつも信じてくれてた!!」


握りしめていたアンクレットをテーブルに叩きつける。

乾いた音が響いた。


バッグを掴み、私は蓮の部屋を飛び出していた。


握りしめていたアンクレットをテーブルに叩きつける。

乾いた音が響いた。


バッグを掴み、私は蓮の部屋を飛び出した。


――ダンッ、ダンッ、ダンッ。

ヒールの音が夜のマンションの廊下に響く。


止まらなきゃ、と思うのに、足は勝手に前へ進んでいく。

呼吸が荒くなり、視界が滲む。


頬を伝うのは、抑えようとしても抑えられない涙。

胸の奥が張り裂けそうで、喉が焼けるほど苦しい。


「どうして……」

小さくつぶやく声は震えて、誰にも届かない。


エレベーターのボタンを押す指まで震えていた。

涙の雫がぽたりと落ち、床に黒い染みを作る。


蓮の部屋から離れるほどに、涙は逆に止まらなくなっていった。




付き合って初めての喧嘩。

昨日は、私も言いすぎたのかもしれない。


でも――。

蓮の気持ちも理解できなくはないけど、まるで全然信用されてないみたいで…胸がざわつく。


私が帰ってから、蓮からの連絡は一通もなかった。


「はぁ……」

思わずため息が漏れる。

どんな顔をして会えばいいのか、答えは出ない。


――けど。

仕事は仕事。いつも通りにやるしかない。


「ボス、おはようございます」

「おはようございます、ボス」


周りの社員の声。

鼓動が変な意味で早くなる。


私はスケジュール帳を抱え、いつものようにボス部屋の前で待つ。

目を閉じて、深呼吸をひとつ。


――目を開けると、蓮と目が合った。


……やっぱり。

機嫌の悪さがそのまま目に宿ってる。

目で刺されるってこういうことを言うのね。


内心ビクビクしながらも、必死に平然を装った。


「ボス、おはようございます」


「……」


蓮は私を一瞥もせず、そのまま通り過ぎてドアを開け、部屋に入っていった。


――シカト。


こっちは割り切って仕事してるのに!

ほんとに小さい男!

心の中で怒鳴り散らしそうになるのを必死に飲み込む。


少し時間を置いてから、私も部屋に入った。


「ボス、今日の予定です」


蓮は顔を上げず、あのメガネをかけてパソコンに目を落とす。

私の存在なんていないかのよう。


――あー、そう。

そういう態度を取るわけね。


「10時より社内ミーティング、15時よりReの伊藤社長とメイユールホテルで会場確認になります」


「分かった」

パソコンを打つ手を止めもしないで、淡々と返す蓮。

無視されるよりはマシだけど。


「今日は田中さんがお休みなので、社内ミーティングはボスが仕切ってください。会場確認は私も同行しますが、その前に発注先に寄るので少し遅れるかもしれません。先に行っててください」


「分かった」


それだけ。


「コーヒーいれてきます」


短く言い残して部屋を出る。

ドアを閉めたあと、一度立ち止まって深呼吸。

胸に溜まったもやもやをなんとか落ち着けてから、カフェエリアへ向かった。


蓮のカップにコーヒーを注ぐ。

いつもならブラック。けれど今日は――砂糖をたっぷり。

さっきの冷たい態度への、ちょっとした仕返し。


___トントン。


「失礼します」


扉を開けると、蓮は電話口で笑っていた。

耳に馴染んだ声色、相手は……莉子さん。

会場確認の打ち合わせだろう。でも、胸の奥がざらつく。


黙ったまま、蓮のデスクにブラックコーヒーを置いた。

ちょうど蓮も通話を終える。


「これ、今日のミーティングで使うから全員分コピーしておけ」


「はい」


プリントを受け取ろうとするが、蓮が手を離さない。

紙を挟んだまま、視線がぶつかる。


「さっきの電話……伊藤社長ですか?」


「……あぁ。それが何か?」


「別に。私は、誰かさんと違って心が広いので」


力が緩んだ瞬間、一気にプリントを引き抜く。


「では、失礼します」


一礼して部屋を出て、まっすぐミーティング用のコピーをとっていると


「神崎!!」

廊下に響く大きな声。


社員たちが一斉にボスを見る。

私は何事もないように振り返った。


「はい、ボス」


蓮が早足で近づいてくる。低く鋭い声。


「コーヒーに何を入れた?」


「え?いつものコーヒーですよ。不満ならご自身でどうぞ」

わざと無表情で答え、横にいた愛理に声をかける。


「あっ、愛理。この資料閉じるの手伝って」


「はい、大丈夫です」


まとめたコピーを愛理に渡しながら、蓮を避けるように歩く。


「ボス、そこに立たれると仕事の邪魔です」


吐き捨てるように言って、私はミーティングルームへと足を進めた。


昼休みも終わり、発注先へ向かう前に一応伝えておこうとボス部屋をノックした。


_____トントン。


「失礼します。ボス、私、先に出ますので。15時前にはメイユールホテルに来てくださいね。もし私が遅れたら、先に会場を見ておいてください」


「あぁ」


素っ気ない返事。

「では、また後で」と告げてドアに手をかけたとき――


「……守華」


呼び止められた。しかも、名前で。


思わず振り返る。

蓮は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線をそらしながら言った。


「気をつけて行け」


その何気ないひと言に、胸の奥がふっと温かくなる。

「はい。……ボスも」


頬が自然に緩み、さっきまでの重さが嘘みたいに足取りが軽くなった。

そのまま、私は発注先へ向かって歩き出した。


やっぱり――ギリギリの時間になってしまった。

腕時計を確認する。……少し、遅れそうだ。


ヒールの足音を響かせながら早足で進む。

けれど、走ろうとすればするほど、かえって不格好で速度も出ない。

焦る鼓動と一緒に胸がざわつく。


もう、会場確認は始まっているだろう。


ホテルに入り、吹き抜けの真ん中にそびえる階段を駆け上がる。

会場は2階。

やっとの思いで到着し、息を整えようと立ち止まった、そのとき――


「待てよ!」


鋭い声が会場の中から響いてきた。

……蓮?


半開きになっている扉の隙間から、恐る恐る中を覗き込む。


視線の先で、蓮が莉子さんの片腕を掴んでいた。

何をしてるの……?


次の瞬間。

蓮がぐっと腕を引き寄せる。

そして、そのまま――


蓮の唇が、莉子さんの唇に重なった。


嘘……。


頭の中が真っ白になる。

足が床に縫い付けられたみたいに動かない。


なんだかんだ私にはきついことを言っておきながら、結局、蓮だってまだ莉子さんのことが好きなんじゃない。


脳裏にフラッシュバックする。

貴愛奈と蘭明が唇を重ねた、あの瞬間。

あの時は――貴愛奈から仕掛けたことだと分かったから強気でいられた。


でも今は違う。

どう見ても、蓮の方から莉子さんにキスをした。


どうしよう……。

逃げるべき? それとも、このまま扉を開けて踏み込むべき?


胸の奥で、答えの出ない声が渦巻いていた。


進むことも、逃げることもできず――

私はその場に立ち尽くしたまま、震える唇を開いた。


「……蓮」


ただ名前を呼んだだけなのに、声がかすかに震えていた。


その一言に反応して、蓮と莉子さんが同時にこちらを振り向く。

蓮は慌てたように口を開いた。

「守華、これはちが――」


「私への当てつけのつもり?」


低く、冷たい声で遮った。

自分でも驚くくらい感情が削ぎ落とされた声。


言い訳なんて聞きたくない。

だって私は――この目で見たのだから。


二人の姿を一瞥しただけで、背を向けた。

心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなる。

けれど私は、必死に涙を堪えて、真っ直ぐ前だけを見据えて歩いた。

――絶対に泣かない。ここでは。


階段に差しかかろうとした瞬間、強く右手首をつかまれた。


「守華、違うんだ!」


振り返ると、蓮の真剣な瞳が私を縛りつける。


「……何? これも“仕事の一環”だって言うの?」


「違う!」


「私がここに来るの、分かってたよね? それなのに……」

喉が詰まりそうになりながらも、必死に言葉を吐き出す。

「私も……蓮みたいに信じなきゃよかった」


その時、蓮の背後から莉子さんが歩み寄り、何かを言いかけた。

「神崎さん、これは――」


「莉子さんには関係ない。黙ってて」


自分でも驚くほど冷たい声が口をつく。

そして蓮を睨みつけた。


「……離して」


蓮の手は強く、けれど必死に私をつなぎとめようとしている。

それが分かるからこそ――胸が苦しい。


「離してってば!!!」


叫びながら、思い切り腕を振り払った。

その瞬間、二人の間に張り詰めた空気が弾けた。


その瞬間、私はバランスを崩し、階段の上で大きくよろめいた。

体が前に傾く。自分の力ではもう体勢を戻せない。

――このまま落ちる。


「――っ!」


絶望しかけた瞬間、一度離れたはずの蓮の手が、再び私の右手首をがっちり掴んだ。

強い力で思い切り引き寄せられ、その反動で私は階段手前の床に転がり込む。


ドサッ、と鈍い音。

私の耳に飛び込んできたのは、莉子さんの張り裂けるような悲鳴だった。


「キャーーーーーーッ!」


周囲がざわめきに包まれる。

何が起きたのか、一瞬理解できなかった。


床に倒れたまま、周囲を見回す。――蓮の姿がない。

「はっ……!」胸が締め付けられる。


慌てて立ち上がると、視線の先――階段の下に、血を流して倒れている蓮が見えた。

赤い色が床に広がっていく。


莉子さんは震えながら口を両手で押さえ、声も出せずに立ち尽くしている。


私は頭が真っ白になりながらも階段を駆け降り、蓮の傍に膝をついた。

その頭を自分の太ももの上に抱え込む。


「蓮! 蓮!! ねぇ、蓮!! しっかりしてよ!!」

「目を開けて!! お願いだから!!」


涙で視界が滲み、嗚咽で声が掠れる。

ただ必死に、何度も何度も蓮の名を呼び続けた。


蓮は救急車で運ばれ、今、手術室の中に入っていった。

私の手も服も、蓮の血で赤く染まっている。


莉子さんは椅子に座り、下を向いて静かに泣いていた。

私はただ立ち尽くすしかなかった。


――全部、私のせいだ。

私を庇ったから、蓮はあんな目に遭ったんだ。


どうしよう……もし、このまま目を覚まさなかったら。

喧嘩なんてしなきゃよかった。

私がちゃんと話を聞いてあげればよかったのに。

でも、今さら何を悔やんでも、もう遅い……。


「守華ちゃん!」


声に振り向くと、蓮のお母さんとお父さん、そして田中さんが立っていた。


「お母さん……」


病院に着いてから、涙を必死でこらえていたけど、お母さんの姿を見た途端、堰を切ったように涙が溢れた。

お母さんは迷わず私を抱きしめてくれる。


「大丈夫よ、大丈夫。蓮は強い子だから、必ず大丈夫よ」


心配でいっぱいのはずなのに、私を優しく包み込み、落ち着かせてくれた。

まるで、本当の母親のように……。


少し経って、先生たちが手術室の扉から出てきた。


「もう大丈夫です。頭を強く打っていましたが、大事には至らないでしょう。今は麻酔をかけていますが、いずれ目を覚まします」


その言葉に、皆が胸を撫で下ろした。

私の体の力も、ようやく少しだけ抜けた。

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