102.重なる想い、揺れる胸
その後、コラボ商品の売上は右肩上がりでどんどん伸び、中には売り切れてしまう商品も出てきた。
次はバレンタイン商戦だ。
場所の確保も完了し、使うドライフラワーや小物の準備も整っている。
あとは、どうアピールしていくかを決めるだけだ。
12月中には企画を完成させ、1月に入ったらすぐにPRを開始しなければ、バレンタインに間に合わなくなる。
今日はそのミーティングだ。
マーケティング部の琴音が中心となり、会議が始まる。
琴音が前に立ち、資料を示しながら話し始めた。
「バレンタイン商戦向けに、香り袋のPR方法を考えました。前回のコラボ商品で、神崎さんの花魁姿がかなりバズりましたよね。『もう一度見たい』『どこで見られるの?』といったコメントも多数寄せられています。
そこで、今回もその人気に便乗しようと思います。香り袋は、元々古代中国の男女の恋愛から始まったと言われており、女性が男性に贈る短編ドラマ風にしてPRする案です。短編動画なので、撮影も1日で終わります。
そして、この男女役を、話題の神崎さんと我らのボスで撮影するのはどうでしょうか?神崎さんが出演すれば、動画への興味は間違いなく高まります。それにボスもイケメンですから、女性の反応は抜群です。さらに二人で撮影すれば、モデル代のコストも抑えられます。衣装も既に知人に手配済みで、漢服の準備は整っています。いかがでしょうか?」
話し終えると、会議室がざわついた。
「1ヶ月で編集まで間に合うのか?」
「大丈夫です!ストーリーもすでに考えてありますし、短編なので撮影も1日で完了します。SNS用なら編集も簡単なので、すぐに仕上げられます」
「そうか、根本が中心にやれば問題なさそうだな。あとは、ボスと神崎がやるかどうかだが……」
田中さんや琴音、他の社員たちが私とボスを見やる。
「私は、今回のバレンタイン商戦が成功する可能性があるならやります。ボスはどうですか?」
「まぁ、コストや時間を考えれば、社内でやった方が効率的だな」
「よし、決まりだ!根本、それで進めろ」
その瞬間、琴音は思わずガッツポーズ。
「やった!絶対バズる!」と小さくガッツポーズを作りながら、満面の笑みを浮かべていた。
会議室には希望と期待に満ちた空気が流れ、次のバズの瞬間がもう目の前に迫っていることを感じさせた。
1週間後、プロのヘアメイクが入り、私とボスのセットが始まった。
今日は衣装を着ての本番だ。
この1週間で、短編ドラマの内容や撮影の流れを打ち合わせ、リハーサルも済ませている。
ナレーションはあとから入れるので、今回は台詞はほとんどなく、動きだけで表現する。
でも逆に、動きだけで伝えるのって意外と難しいんじゃないか……と思ってしまう。
自分で考えた初めての企画。
このサザンクロスのためにも、ボスのためにも、絶対に成功させたい。
久しぶりに着る漢服に、なんだか懐かしい気持ちがこみ上げる。
初めて着たときは、長いスカートが歩きにくくて、小心の服をハサミで切ったっけ。
その時の蘭明や小心たちの顔を思い出すと、今では懐かしくて笑えてしまう。
ピンクと白の漢服を身にまとい、髪はストレートに伸ばして半分をお団子に。簪を差して、ピアスもつける。
出来上がりは完璧……なのに、蘭の簪があればもっとバッチリだったのにな、と少しだけ寂しくなる。
撮影場所に移動すると、琴音の声が弾む。
「わぁー、守華、漢服姿も綺麗じゃん!普段着よりこっちの方が似合ってるんじゃない?」
「琴音、それって褒めてるの?けなしてるの?」
「もちろん褒めてるよ!あっ、ボスも来てる。ボスはボスでめっちゃカッコいいから、守華もびっくりすると思う」
琴音が指差す方を見ると、黒い漢服を着て、お団子カツラをつけたボスの後ろ姿があった。
その佇まいに、自然と息が止まる。
後ろ姿は、まるで蘭明そのものだった。
そのシルエット、立ち姿、雰囲気――すべてが蘭明と重なって、息が止まる。
「蘭明……」
自然と、思わず名前が口をついて出てしまった。
その声を聞いたのか、ボスがゆっくりと振り向く。
顔を見上げた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられる。
ボスだと分かっているのに、あまりにも蘭明に似すぎていて、頭の中が混乱する。
「守華……」
その声も、まるで蘭明が呼んでいるかのように響いた。
胸の奥で、自然と答えが湧き上がる。
――今、あなたの元へ行きます。
涙がじんわりにじむ目で、私は香り袋を持った手をそっと差し出す。
その瞬間、シャッターの音が聞こえた。
伸ばした手を、ボスがそっと取る。
そして私を引き寄せ、背の高いボスの顔をまっすぐに見つめてくる距離まで体が密着する。
「神崎、大丈夫か?」
その声で、ようやく我に返る。
抱き合っていることに気づき、離れようとする私を、ボスは優しく抱き寄せ、再びじっと見つめてきた。
「写真撮影が始まってる。このまま自然な感じでいろ」
小さく頷き、息を整える。
心臓の鼓動が早すぎて、声も出ない。
「神崎、俺らって、この会社で初めて会ったんだよな?」
その言葉が胸に刺さる。
どうしてこんなタイミングで、こんな風に心を揺さぶることを言うのだろう。
そして心の奥で、ふと思う――
(もし、前にも私とボスは愛しあっていましたと話せば、ボス信じてくれますか……?)
胸の奥で、蘭明への想いがごちゃごちゃに絡まり、目の前のボスがどんどん蘭明に見えてくる。
声、仕草、背筋のライン……ひとつひとつが、心の中の記憶を刺激する。
(違う、ボスだ……でも、蘭明に似すぎてる……どうしてこんなに胸がざわつくんだろう……)
香り袋を持つ手が、少し震えているのに気づく。
自然に見せなきゃと思っても、体が熱く、心はまるで嵐の中にいるみたいだった。
過去の蘭明との思い出と、目の前のボスが重なる。
私は小さく息を吸い込み、唇を噛む。
不意に目が合う瞬間、息が止まり、視線を外すこともできなくなる。
(――ボス、君のその笑顔、動き、全部が……蘭明そのもの……!)
香り袋を差し出した手は、もうボスの手に触れている。
指先が触れるたび、心臓が跳ね上がる。
視線を上げるたび、胸の奥が熱くなる。
――この気持ちは、どうしたらいいんだろう……。
自然な笑顔を作ろうとしても、目の奥は揺れっぱなし。
小さな胸のざわめきを押さえきれず、守華の心は揺れに揺れていた。
「そうですよ。この会社に入社してから会いました」
言葉にした瞬間、心の奥がぎゅっと締めつけられる。
期待しても、また裏切られるのが怖くて――正直に言うのが怖かった。
「そうか……」
ボスのその一言に、ほんの少しだけ悲しげな表情が浮かんだ気がした。
それを見たのは、ただの気のせいだろうか――。
撮影はそのまま進んでいく。
ボスが蘭明にそっくりなこともあって、私の心は自然と熱を帯び、動きも感情も自然に表現できた。
いつの間にか、夢中で役になりきっていた自分がいた。
あっという間に撮影は終わり、写真も無事に撮り終えた。
ここから先は、琴音の腕の見せどころだ。
私たちの動きや表情を、より引き立てる魔法をかけてくれるだろう――楽しみだな、と心の中で小さく笑う。
12月中旬。
先日撮影したバレンタイン用ポスターを、琴音が私のデスクまで持ってきてくれた。
このポスターは、私自身はノータッチ。ボスや田中さん、琴音を中心にマーケティング部がすべてまとめてくれたものだ。
だから、私が見るのはこれが初めて。
琴音は「忙しいから、後で感想聞かせてね」と言い残すと、すぐに去っていった。
ポスターに使われていたのは――
1番最初の香り袋をもって手を伸ばす私に、ボスがそれを受け取る瞬間の写真だった。
背景にはハナミズキの木がそっと彩りを添えている。
花言葉は――“私の想いを受けてください”。
きっとバレンタインの愛の告白に重ねたのだろう。
プロのカメラマンが撮影したこともあって、画面の中の私は自分だけど、自分じゃないみたいだ。
そして、元々イケメンなボスはさらに格好よく、まるで芸能人のよう。
その横顔は――私が愛した蘭明にそっくりで、胸がギューっと痛くなる。
「神崎!」
ポスターを見ながら、また蘭明を思い出していたところで、ボスに呼ばれた。
「はい!ボス」
ポスターをデスクに置き、慌ててボスの元へ走る。
私の視線では見えなかったが、ボスのそばには男性がひとり立っていた。
「今回、ポスターを手掛けてくださった、Next Futureの山崎さんです」
「Next Futureの山崎です。よろしくお願いいたします」
「こちらが、今回のバレンタイン企画を担当した神崎です」
「神崎と申します。よろしくお願いいたします」
お互いに名刺を交換する。
「ポスター、すごく素敵で感動しました。本当にありがとうございました」
「いや、それもモデルが中村社長だったからですよ」
ハハハと笑うボスに、心の中で「女のモデルは私ですけど!」とツッコミつつ、営業スマイルを作る私。
「山崎さん、どうぞ中に」
私はボスの部屋のドアを開け、山崎さんを案内した。
「ボス、コーヒー入れてきますね」
「後から根本ともう一人来るから」
「分かりました」
そう言って、私はいつものようにカフェエリアへ向かった。
____トントン
「失礼します」
私はコーヒーを、2人が座るテーブルの前にそっと置いた。
「神崎もここで話を聞いていろ」
「はい」
手に持っていたお盆を壁際の棚に置き、ボスの隣に腰を下ろす。
「根本がSNS用の動画を作るって話だったが、ポスター作成の際にSNS用も担当してくれることになったんだ」
「そうなんですね」
____トントン
「失礼します」
ドアのほうを見ると琴音が立っていた。その後ろには、なんと悠真もいる。
「悠真!!」
思わず私は立ち上がる。悠真は笑顔で手を挙げて挨拶し、山崎さんの隣に向かった。
「お前、神崎さんと知り合いなのか?」
「えー、まぁ……」
悠真は軽く答える。
「今回、担当させていただきます、渡辺といいます」
「あー、会うのは3回目だな」
ボスは素っ気なく返す。
「なんだ、渡辺、中村社長と知り合いだったのか?」
「いえ、神崎さんとは大学からの友人で、たまたま神崎さんに会ったときに中村社長もいて。そのときにお会いした感じです。一緒に仕事するとは夢にも思ってなかったですが……」
ボスはどこか遠くを見ているようだった。
どう見ても不機嫌そうに見えるのは私だけだろうか。琴音にチラリと目で訴えるが、彼女も首を傾げるばかり。
ボスは悠真をじっと見つめる――いや、睨んでいるようにも見える。
「今回のSNS用の担当は根本だ。神崎は他の仕事で忙しいから、そこのところよろしく頼む。根本、内容を詰めて、20日までに仕上げろ」
「20日までですか!?」
琴音が慌てて聞き返す。
「あ〜そうだ。出来ないのか?」
ボスは琴音と悠真を睨むように見つめる。
「いえ、やります」
「よし、じゃあ、ミーティングルームを使って話を詰めろ」
「了解しました」
琴音が山崎さんと悠真を案内する。
私も後ろについていこうとしたが、ボスが私を呼ぶ。
「神崎、お前は残ってる仕事があるだろ。先にそっちを片付けて報告しろ」
「えっ、私は混ざれないんですか?」
ボスの視線が刺さる。悠真もいるのに、一緒に仕事をしたかったのに……なんて口に出せるわけがない。
「はい、すぐにまとめて報告します」
大人しくボスの部屋を後にし、自分のデスクに戻った。
結局、自分の仕事が片付かず、悠真と話すこともできないまま、悠真は帰ってしまった。
12月の冷たい空気に包まれながら、私は久しぶりに屋上に立つ。
今日もらったポスターを広げて、じっと見つめる。
――陽月国に、戻りたい……
小心はまだ蘭明に仕えているだろうか。もう、あの泣き虫じゃなくなったかな。
八軒は今も変わらず、蘭明を支えてくれているはず。そして、琉璃のことをずっと想っているだろうな。
白鋭は、まだ空気が読めずに叱られているのかしら。
海尭と貴愛奈さまは、仲良くやっているだろうか。優しい海尭なら、ちゃんと貴愛奈さまを守っているはず。
星曜と咲公主も楽しそうにしているだろうか。でも、星曜はまだ遠征が多いのかしら。咲公主が寂しがっていないといいけれど。
夏翠は、相変わらずのままかしら。もう、お嫁に行ったのかな。
ウタは彩国で踊り手ナンバー1になれたかしら。綺麗な女性になっているんだろうな。
季昭には、隣にいい人ができたのかしら。でも、季昭らしく「俺には戦が一番向いてる」と言ってそうね。
そして――蘭明。元気かな。
会いたい、今すぐあなたの温もりを感じたい……
胸がぎゅうっと締め付けられるような感覚に襲われ、思わずポスターを抱きしめそうになる。
瞳にうっすら涙がにじみ、頬を伝って落ちそうになるのを必死でこらえる。
蘭明の面影がそこにあり、あの頃の温かさや笑顔、懐かしい日々の記憶が一気に押し寄せてくる。
ポスターの中の自分とボス――蘭明そっくりなその姿を見ながら、胸の奥の切なさがさらに増していった。
遠く離れた世界にいる大切な人たち、そして蘭明に、ただもう一度会いたいという思いだけが、静かに屋上の冷たい風に溶けていった。
「蘭明……」
思わずポスターのボスの顔に手を触れ、声に出してしまう。
このポスターを見るたび、胸がぎゅっと締め付けられる。
会いたいのに、会えない――。
“血の約束”を交わしたのに、どうしてこんなにも離れ離れになってしまったのだろう。
ママ……。人を愛することを知ったのに、その大切な人と離れ離れにするなんて、あまりにも辛すぎるよ……。
ママ、どうか蘭明に会わせてよ……。
はっと顔を上げ、慌てて涙を拭き取る。
その仕草に合わせるように、屋上の風が髪をそっと揺らす。
隣にボスが立っていたことに全く気づいていなかった。
「まーた、ここにいたな」
「大事なときなんだから、風邪ひくなよ」
「私、頑丈なんで大丈夫ですよ」
「そのポスター、すごくいいだろう?」
「はい」
「また、俺に惚れたんじゃないか?」
「もう、惚れてます」
笑顔で答えると、ボスはハハハハーと笑った。
しかし、その笑いはすぐに消え、真面目な口調に変わる。
「それとも、俺じゃなく、蘭明というやつを思い出していたのか?」
胸がドキッとした――図星だったから。
涙を拭った手がまだ少し震えているのを感じながら、私は屋上の空気を吸い込み、表情をぐっと引き締める。
ボスの視線が真っ直ぐ自分に向けられている。
「神崎はさ、俺のことが好きだ好きだって言ってるけど、神崎が本当に好きなのは俺じゃなくて、俺に“あの蘭明”を重ねてるだけだろ?」
「ボス……急にどうしたんですか……」
いきなりの言葉に、胸がざわつく。
「いつも、俺を蘭明だと間違える。入社式でも、打ち上げのときでも、撮影のときでも、神崎は俺じゃなくて、俺に似てる蘭明というやつを見てる。今だってそのポスターを見て、“蘭明”って……言ってただろ?」
「それは……」
「ほらな、何も言えないだろう?」
言葉が出ない。
「神崎は俺のことが好きなんじゃない。俺にそいつを重ねるのはやめろ。お前が辛くなるだけだ。俺は中村蓮だ。お前が想ってる蘭明じゃない」
どう答えればいいのか分からない。
胸が押し潰されそうで、心臓の音が耳の奥で響く。
「分かってます……ボス。ボスに重ねたりしません……。寒くなってきたので、先に戻りますね」
私は言葉と共に、その場から逃げるように歩き出した。
握りしめたポスターの顔部分は、いつの間にかクシャクシャになっていた。
暗くなったオフィス。誰もいない。
ボスはボス。
分かっている。頭では分かっているのに、どうしても蘭明を重ねてしまう。
ボスの言う通り、私はボス自身を好きじゃないのかもしれない。
蘭明をボスに重ねることで、自分の心を落ち着かせていただけなのかも。
自分のデスクまで戻り、しゃがみ込んでクシャクシャになったポスターを広げる。
何度も顔を撫で、シワを伸ばす。
胸がギュッと締め付けられる。
今まで何度も思ったこと。
でも、また重ね合わせてしまっていた。
そろそろ、ケジメをつけないと。
蘭明を思い出すのは、もうやめよう。
ここには、蘭明はいないのだから。
もう二度と会えないのだから。
あの出来事は、夢だったんだと思おう。
ボスを好きだと錯覚するのも、やめよう。
私はボスじゃなく、蘭明に似たボスに恋をしていただけ。
ボス自身にではない。
ボスに指摘されて、ようやく自覚した。
分かっていたけれど、自分で認めたくなかった。
ボスを蘭明と思えば、心が少しでも落ち着いたから――ただそれだけだったのだ。
しかし、現実を突きつけられ、胸が息もできないほど苦しい。
目からは大粒の涙が溢れ、ポスターを濡らしていく。
静まり返るオフィス。
守華の押し殺した泣き声だけが、ひっそりと響いた。
オフィスの入り口には、壁に寄りかかってこちらを見つめる蓮がいた。
守華が泣き止むまで、そこに静かに立って。




