101.酔いと恋心、そして錯覚
「かんぱーーーい!」
コラボ商品の発表会も無事に終わり、夜はサザンクロスとReの社員たちで打ち上げ。
話題はやっぱり、私のモデル姿で持ちきりだった。
「守華、本当に綺麗だったよ!私、感動して泣いちゃったもん」
琴音がグラスを掲げながら笑う。
「もう一度見たいな、神崎の花魁姿」
「田中さん、それって変な想像してません?」
琴音の突っ込みに、周りがどっと笑いに包まれる。
楽しげな笑い声が響く中、私の視線は自然と一点に吸い寄せられていた。
――ボスと莉子さん。
少し離れた席で、2人はぴったり寄り添っている。
別れたはずなのに、莉子さんは腕を組んで甘えていて、ボスもまんざらでもなさそうに微笑んでいた。
(何よ、それ……デレデレしちゃって。未練たらたらじゃん)
本当は、一番褒めてほしいのはボスなのに。
私の花魁姿を、誰よりも「綺麗だった」と言ってほしいのに。
「よーし、琴音!今日は飲むよー!」
「お任せをーー!」
私は琴音と次々にグラスを重ねた。
飲んでないと、胸の奥のざわめきに押し潰されそうだったから。
ボスと莉子さんの周りでは、誰かが言っていた。
「より戻さないんですか?」
「やっぱりお似合いですよ」
耳に入ってほしくない言葉ばかりが、鮮明に届いてしまう。
笑顔を作るのも、もう苦しくて。
――飲むしかなかった。
「田中さーん、もっと飲みましょー!」
「おー、神崎、今日は勢いあるな!」
「はい!みんなが私を持ち上げてくれるから、お礼に飲むしかないですよ」
キャハハハハーーと笑いが止まらなくなる。
琴音も田中さんも一緒になって、どんどんグラスを空けていく。
お酒に弱い私が、ここまで飲むなんて初めてかもしれない。
でも、それでいい。
これで――ボスと莉子さんの話し声なんて、聞こえない。
……聞こえない、よね?
「守華?」
「神崎、大丈夫か?」
「神崎さーん!」
揺れる声が耳に届く。
「神崎!神崎、大丈夫か?」
「あっ、大丈夫でーす。まだ飲みまーす!」
酔ったままの声で笑って答える。
「神崎のバッグは?」
「これです」
「神崎は俺が連れて帰る。二次会行くなら、田中、お前がみんな見てやってくれ」
「あー、了解っす」
「きゃっ!」
突然、体が宙に浮いた。
飲みすぎると、こんな感覚になるの?――フワフワと宙に浮いているみたい。
……と思ったら。
私はボスの腕の中にいた。
しっかりと抱き上げられて――お姫様抱っこ。
酔いすぎて、目が見間違えてるのかもしれない。
でも、温もりだけは、どうしても夢じゃなかった。
いつの間にか眠っていたらしく、気づけば私はベッドに横たえられていた。
身体が沈む感覚と同時に、ふっと目を開ける。
「……蘭明だ!」
目の前に立つその姿に、胸が熱くなる。
夢?――でも、違う。だって、そこにいるのは間違いなく愛おしい蘭明。
「会いたかった……ずっと、ずっと会いたかったんだから!」
勢いのまま上体を起こし、彼に強く抱きついた。
その温もりに頬を寄せ、そっと顔を離すと、指先で彼の輪郭をなぞる。
「私の大好きな蘭明……あれ?髪、短くなってる。しかもスーツなんて着ちゃって、どうしたの?」
キャハハハッと酔いの笑いが零れる。
けれど目だけは、真剣に彼を見つめていた。
「でも、そんな蘭明も……かっこいいよ」
そう囁いた瞬間、ふと気づいて目を瞬かせる。
「あれ?蘭明じゃない……ボス? ボスじゃん!なんでここにいるんですかぁ?」
「神崎、お前な――」
言いかけた唇を、私は指でつまんで塞いだ。
「ボス……本当に蘭明じゃないの?いつになったら思い出してくれるの……? 蘭明にそっくりなこの口……今すぐちょん切ってやりたい……ううん、ちょん切ってやる」
そう言って、指を離し、代わりにネクタイを掴んで自分の方へ引き寄せる。
そのまま――唇を重ねた。
驚いたように固まる蓮。
だが次の瞬間、胸の奥に得体の知れないざわめきが走った。
――なんだこの感覚……。
――知っている。どこかで……
目の前の守華の声と温もりが、
懐かしくて、苦しくて、どうしようもなく愛しい記憶が、今にもこぼれ落ちそうだった。
だから、抗えなかった。
蓮はそのキスを拒むことなく、ただ受け入れていた。
――ようやく重ねられた。
私の、大好きなこの唇に。
「いたたたた……」
頭を抱えながら目を開けると、見覚えのある天井。
――ここ、ボスの部屋じゃん。なんで私、ボスの家に……?
リビングに向かうと、ソファで寝ているボスの姿が目に入った。
「ボス……」
「ん……起きたか。もう正気に戻ったか?」
「えっ……あの、それってどういう意味ですか?」
恐る恐る問いかけると、ボスは目をこすりながら起き上がる。
「お前、自分で何やったか覚えてないのか?」
「えっと……昨日、打ち上げで琴音と田中さんと飲み比べして……」
そこから先の記憶がぷつりと途切れている。
「その後は?」
「……え、えーっと」
「神崎。俺にしたこと、覚えてないのか?」
――俺にしたこと?
頭の中が真っ白になる。
ボスと莉子さんが親しげにしていたのが悔しくて、琴音と田中さんを巻き込んで飲んだことは覚えてる。
でも……なんで私がボスの部屋にいて、しかもベッドで寝てたの?
「えっ……まさか、ボスと私……一線、越えちゃいました……?」
ごくりと唾を飲んだ瞬間、ボスが飲んでいた水を吹き出した。
「ぶっ……!なんでそうなるんだよ!俺はそんな軽い男じゃない!」
「ちょ、ちょっと!私だっていくら酔ってても、そんな軽い女じゃないですから!」
ボスがジトッとした目でこちらを見る。
「な、なんですかその目……」
「……まぁいい。会社に行く時間になる。準備しろ。シャワー浴びていいぞ」
「は、はい。ありがとうございます。あっ……の、覗かないでくださいよ!」
「急げ。置いていくぞ」
私は顔を真っ赤にしながら、慌ててシャワールームへと駆け込んだ。
会社のカフェスペース。
熱いコーヒーをすすりながら、昨夜の記憶を必死にたどる。
――私、何やらかしたんだろう?
まさかボスに……いやいや、ないない!
「おはよー、守華」
元気いっぱいの声に顔を上げると、琴音が手を振ってきた。
「おはよう、琴音」
「顔色やばくない?二日酔い?」
「完璧に二日酔い……琴音は平気そうだね」
「私?あのくらいじゃ全然酔わないわよ」
「強くて羨ましい……」
琴音がふと私を見て目を丸くした。
「ちょっと待って。守華、その服……昨日と同じじゃん!まさかボスと……!?」
「ぶふぁっ!」
コーヒーを盛大にむせる私。
「やっぱり!?その反応、絶対ボスとでしょ!」
「ち、違う違う!お願いだから大声出さないで!」
慌てて声をひそめる。
「……ボスの部屋にいたのは本当。でも全然覚えてなくて……。服もそのままだったし、ボスはリビングのソファで寝てたの。だから……多分、なにも……」
「えーっ!?でも昨日のボス、めっちゃカッコよかったんだから」
「……どういうこと?」
「酔っ払った守華を、いきなりお姫様抱っこ!しかも“俺が神崎を連れて帰る”って、超ヒーローみたいに言っててさ。もう見てる私がドキドキしたもん」
「そ、そんなことが……? 全然覚えてない……」
でも――言われてみれば、誰かに抱き上げられたような感覚があった気がする。
「しかもね、莉子さん、すっごい悔しそうな顔してたよ。あれ見て私、ちょっとスッキリしたんだ」
「ははは……莉子さんにあとで仕返しされないといいけど」
「大丈夫大丈夫!今ならボスが守ってくれるから!」
「そうだといいけどね……」
口では笑ってみせるけど、心の奥でつぶやく。
――だってボスの心は、まだ莉子さんに残ってるはずだから。
「神崎、大丈夫か?」
背後から田中さんの声がかかる。
「あっ……何とか……ただ、記憶がほとんどなくて……」
「だろうな。すごい飲んでたもんな」
「すみませんでした……」
「いや、いいよ。俺は楽しかったし。じゃ、今日も1日頑張ろうぜ!」
そう言って田中さんは笑顔で去っていった。
私は笑えない。今日1日、ため息ばかりになりそうな予感しかしない――。
デスクに戻っても、昨日のことばかり頭を巡る。
ガラス張りのボスの部屋を見ても、曇りガラスの向こうは白くぼやけていて、中の様子は見えない。
……ボスと、私は一体何があったのだろう。
両手で頭を抱える。
そのとき、右手首に巻かれたミサンガが目に入った。
――蘭明。
昨日、夢を見た。蘭明に会えた気がした。
……でも、あれは本当に夢だったのだろうか?
髪が短くて、スーツを着た蘭明……まるでボスのような姿で――。
静かに目を閉じる。
出来ることなら、このまま目を開けたくない。
思い出してしまったら、もう元には戻れない。
忘れたままでいられたらどれだけ楽だっただろう――。
___トントン
「失礼します」
デスクに向かうと、ボスは書類を確認しながら腰を下ろしていた。
「二日酔いは治ったか?」
「朝よりは……」
私はデスク前に立ち、直角に頭を下げる。
「ボス……すみませんでした」
「やっと思い出したのか?」
「全部ではないですが……たぶん、ボスのことを“蘭明”って呼んでいたかもしれません……」
「あー、そう呼んでたな」
目を瞑り、やっぱりか、と小さく息をつく。
「他に何かやらかしてたか?」
ボスは書類を置き、こちらをじっと見つめる。
「ちょん切ってやりたい、いや、ちょん切ってや……」
その言葉が最後まで聞こえる前に、私は前のめりになってデスクに手をつき、両手でボスの口を押さえた。
「その後のこと、絶対誰にも言わないでください!もし言ったら、本当にボスの口、ちょん切りますからね!」
押さえた私の手を、ボスがそっと握る。
「その後のことも思い出したのか?神崎……大胆だな」
意地悪そうに笑うボス。
視線を上げると、私の唇とボスの唇はあと数センチで触れそうな距離にある。
心臓の鼓動が、止まることなく早まっていった。
「ボスー、入るよー」
「だから、ボス、ここはこうして……」
慌てて私はデスク端の真っ暗なパソコンを覗き込むふりをしながら、ボスに指示を出す。
「ああ、なるほどな。これか」
ボスも自然に話に乗ってきた。
「田中さん、お疲れ様です」
前のめりになっていた姿勢を戻す。
「おお、田中か。入るときくらいノックしろよな」
「あっ、すまん。ボス、神崎に指摘されたら立場ねーじゃん」
そう言って、田中さんはソファに腰掛ける。
「で、何の用だ?」
「私、コーヒー入れてきますね」
「頼む」
「神崎のことだから、早く戻ってこいよー」
田中さんが私に声をかけてきたが、私は何事もなかったかのようにボスの部屋を出た。
――危なかった。
お喋りな田中さんに見られてたら、絶対にやばかった。
___トントン
「失礼します」
ソファで向かい合うボスと田中さんに、それぞれコーヒーを置く。
「神崎、お前、すごいことになってるぞ」
田中さんがコーヒーを飲みながら、にやりと笑いかけてきた。
「すごいこと……ですか?」
「まだ見てないのか?」
「何をですか?」
田中さんは携帯を取り出した。
携帯……?
そんなの見る余裕、今の私にはない。
頭の中は、昨日のことでいっぱいだ。
それでも田中さんは画面を私に見せる。
「えっ……私?」
「そうだよ。昨日の花魁の神崎だ」
画面には大きくこう表示されていた。
――サザンクロス×Re コラボ化粧品
――美しすぎる花魁がアピール
そして昨日の私の姿が、携帯いっぱいに写っていた。
「しかも、コメントもヤバいくらい来てる」
見ると、会社が運営するInstagram、Twitter、TikTokの投稿が次々と並んでいる。
アンチも少しあるけれど、ほとんどが――
•こんなに着物が似合う女性初めて見た
•すごく綺麗
•今、話題になってる人じゃん
•この人、モデル?
•モデルが使ってる化粧品がコラボしたの?
•買いに行かないと!
•発色めっちゃいいじゃん!
•私、すでに予約済み
•花が入っててかわいい
•このモデルの人、また出ないのかな?
•彼氏いる?
•踊りも目がいっちゃう
色んなコメントが殺到していて、今話題ランキングにも入っていた。
守華は思わず携帯画面を見つめ、頭の中は昨日の夜の記憶と、この騒ぎの大きさでぐるぐるしていた。
そのコメントの凄さに、思わず口が開きっぱなしになった。
「神崎、有名人だな」
「これは……喜ぶべきなんですか?」
喜ぶべきなのか、驚くべきなのか、頭が混乱していた。
「喜ぶべきだろ、なぁ、ボス!
これでコラボ商品の売上も上がれば万々歳だ!」
「そうだな。神崎、俺のSPしてる場合じゃないな。逆に俺が神崎を守らないと」
ボスがふざけた口調で言ってくる。
「じゃあ、ボスが私のSPになりますか?」
「いや、それはやめとく」
即答だった。
「まあ、一時はモデルが来れないって焦ったけど、神崎のおかげで大成功だな」
田中さんは上機嫌で部屋を出ていった。
「私も失礼します」
「神崎、本当に助かったよ」
「はい」
笑顔で返事を返すけれど、胸の奥が早鐘のように打っている。
「でも、色んな人間がいるからな。少し有名人になったんだ、気をつけろよ」
「大丈夫です!
花魁メイクと普段の私のメイクじゃ、気づかれないはずですから。ご心配ありがとうございます」
「なら、いいんだけど」
「では、また何かあれば呼んでください」
「神崎」
「ボス、呼びすぎじゃないですか?」
「いや……花魁の神崎も、綺麗だった」
その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅうっと締めつけられるような感覚に。
鼓動が一気に速くなり、全身に熱が回る。
頭では平静を装おうとしても、心臓だけが正直に反応している。
「えっ……」
少し戸惑いながらも、体の奥底からじんわりと喜びが広がる。
「ボスからその言葉が聞けて、一番嬉しいです……ありがとうございます」
言いながら、心の中で小さくガッツポーズする自分がいた。
誰も見ていないけれど、ボスにだけ伝わればいい。
その一言で、昨日の疲れも、緊張も、全部吹き飛んでしまった気がした。




