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5.いつか、また吹く

 人間的欠陥はあれども、トニオ・アントーニという男の才覚は大したものだった。

 見る目があり、求心力があった。人を集め、物資を揃え、組織し、統制する。それらを完璧にやってのけるだけの器量を備えていた。逆にそうでなければここまでファミリーを大きくし、荒野でのし上がる事は出来なかったろう。

 詰めを誤らなければ、最後の最後で芝居っ気を出さなければ、モンドという想定外の存在さえなければ、彼は近隣を支配する一大勢力の首魁(しゅかい)として名を残したに相違ない。

 けれど荒野は残酷で、彼は実に呆気なく死んだ。

 そしてトニオという(たが)を失い、ファミリーもまた呆気なく崩壊した。主だった戦力であり、幹部でもあった銃使いたちが、先の大立ち回りでほぼ死亡していたのも大きかったろう。

 我利我欲に固執した生き残り共が、自分こそが最も甘い汁を吸おうと足を取り合い引き合って、結果ものの数日で、ファミリーは組織としての(てい)を成さなくなってしまった。

 組織が瓦解したとはいえ、構成員たちの多くは生き残っている。何れも力自慢の荒くればかりだ。

 しかし後ろ盾を失った彼らには何ほどの事も出来なかった。気炎を上げ、往時と同様に振舞った輩もいたが、それぞれの土地の者たちに多勢に無勢で打ちのめされて、荒野に散り散りとなった。

 あれほどの規模と精強を誇った一味にしては、なんとも呆気ない結末だった。


 モンドとブラウン姉弟は、解放の英雄として持て(はや)された。

 これまでの罪悪感を埋める意味合いもあったろう。姉弟の牧場には贅沢品があちこちから送られ、誰もが事ここに至るまでの話を直接聴きたがった。

 (はな)からモンドを英雄視していたエリオットにとって、これは渡りに船である。少年は積極的にガンスリンガーが如何に凄腕かを、我が事のように得意げに吹聴して歩いた。

 それを留め立てに行くのはアイシャであるが、彼女はモンドとの仲を勘繰られると一々真っ赤になって否定して、却って話の種になるような始末だった。

 ヴィレッジの人々は、流れ者であるモンドをすっかり一員として迎え入れる空気だった。人々は彼がこの土地に、姉弟の牧場に居着くものだと、てっきり信じ込んでいた。

 その予想を裏付けているのはモンドの逗留先である。彼はあの一件の以降、姉弟の牧場に宿泊していた。エリオットが「兄ちゃんはオレたちに恩返しをさせないつもりか」とがなりたて、またしても強引に引っ張ってきたのだ。

 彼は手馴れた様子で牧場仕事を手伝ってくれて、その手際の良さに、エリオットとアイシャは感嘆させられた。

 モンドは別れを少しも匂わせはしなかった。

 けれどアイシャとエリオットは知っていた。

 ガンスリンガーがやがていなくなってしまう存在であるのだと、この二人だけは分かっていた。


「姉ちゃんが泣いたら、兄ちゃんは残ってくれるかもしれないぜ?」


 寂しくその背を見る姉に、弟は冗談めかして言った事がある。

 すると姉は予想通りに首を振った。


「かもしれないわね。でもそれは彼の生き方じゃなくて、だからここに居るのはあのひとじゃなくなってしまう。分かってるでしょう? 風を捕まえておくなんて、誰にも出来ないのよ」


 その言葉に、逡巡しつつ少年も頷く。

 ガンスリンガーは御伽話の住人であり、地に根を生やして暮らす生き物ではない。それはモンドが己自身に課した生き方でもあり、姉弟の知り得ない彼の半生が、孜々営々(ししえいえい)と築き上げてきたものなのだ。ほんの一時関わり合っただけの自分たちが、軽々しく横合いから口出していい道理はなかった。





 未だ夜の去らぬうち。払暁の一筋も差し込まぬ頃。

 それがモンドの選んだ出立の時刻だった。

 一度目の別離はその刻限でで気づかれなかったのだから、今度も同様だろう。彼がそう考えていたのなら、それは思い違いというものだ。

 初めて牧場を訪れた夜とは違って、モンドが寝泊まりしていたのは家の内、姉弟の父のものだった部屋にである。物音と気配は伝わりやすい。そして何よりアイシャとエリオットはその時よりも、彼の気質を知っていた。

 馬を引き出してきたガンスリンガーの前にふたりが立つと、彼は珍しく驚いたようだった。そこには後ろめたさもあったのかもしれない。


「行ってしまうの?」


 どう声をかけるかは考えていたはずだったのに、結局口をついたのはそんな言葉だった。

 責める調子になってしまったと、アイシャは悔いて唇を噛む。


「ああ」


 応じるモンドは普段の、何でもない穏やかな態度を崩さない。

 それが姉弟には逆に辛かった。自分たちの別れは、彼にとってはままある事。いつも通りの風景でしかないのだと、そう感じてしまうから。


「俺は根無し草。つまらない意地と誇りにしがみつき、渡り歩いては迷惑と騒動を厄介を振りまく厄介ものだ。長く一所(ひとところ)に居るべき人間じゃない。留まれば揉め事を巻き起こすばかりだ」


 それは残念ながら、経験に裏打ちされた言葉だった。

 人は力に魅せられ、惹き寄せられる。ガンスリンガーの技量は誘蛾灯のように、望まぬ災厄を招いてしまう。

 英雄として祭り上げられた以上、モンドはアントーニファミリーの後釜を狙うものたち、ただ名を上げようと企むものたちの標的となる。

 近いうち、それらに由来する騒動が起きるであろう事が、彼の目には自明だった。


「そんな事ないだろ!」


 しかしこれに猛烈に噛み付いたのはエリオットだ。深くモンドを慕っている分、自虐めいた言いへの反発はより強い。


「迷惑なんて全然ない。いなくなる理由なんてひとつもない。大体兄ちゃん、オレたちを守ってくれたじゃないか。助けてくれたじゃないか。恩があるのはオレたちの方で、ヴィレッジの誰も兄ちゃんを悪く言ったりしてないし、これからも言わせたりするもんか! だから行かないでくれよ。兄ちゃんがいなくなったら、オレも、姉ちゃんも……」


 彼を捕らえておく事は出来ない。それは姉弟の共通認識だ。けれど言い募って激すれば、もう心情を隠してはおけなかった。

 分かった上で「それでも」を言わずにはおれなかった少年に、ガンスリンガーは優しく目を細める。


「俺が守ったとしたらほんの一瞬、だだの一時だけの事だ。エリオット、教会で君を助けたのは俺じゃない。覚えているだろう? それをしたのは君の隣人たちと、君自身だ。俺などいなくても、君たちはずっと、君たちの自身で歩いて来ているんだ。それはとても誇らしくて、眩しい事だと俺は思う」

「……」

「俺の仕業は悪目立ちするかもしれない。強くも鮮烈にも見えるかもしれない。だが違う。それは日々を生き続ける力とは違うものだ」


 ガンスリンガーは腕を伸ばして、少年の心臓の上に握り拳を押し当てた。


「草は強い風に一時(いっとき)頭を抑えられても、それで決して折れはしない。ここには、そんなしなやかな強さがきっとある」


 エリオットは袖で涙を拭って、いつもの不敵な笑みをこしらえてみせた。

 作り笑いだろうと、笑顔を浮かべられるのは、少年の強さゆえだろう。


「だから大丈夫。俺などいなくても大丈夫だ。アイシャにはエリオットがいて、エリオットにはアイシャがいる。他にも沢山の味方がいて、これからも増えていくだろう」


 聞きながら、アイシャはそっと目を伏せた。

 確かにこれまではそうしてやってきた。やってこれた。でもそれはあなたを知らなかったからで、あなたと出会う前だったから。

 だから駄目だ。ほんのわずかな時間だけれど、彼との暮らしは、彼という存在は自分たちに深く根ざしてしまった。きっと何もかも、これまで通りにはいかないだろう。

 未だに父を思い起してしまうように。ふとした瞬間、モンドの不在が浮き彫りになる事があるに違いない。そう思った。

 だが、それは言わずに置こうと心を決める。

 自分は立派な人間ではない。けれど立派な人間の素振りをしておきたかった。あの帽子のように彼が誇るもののひとつに、振り返れな優しい眼差しになるもののひとつに、ガンスリンガーを強くするいい思い出のひとつになりたかった。


「あなたがどこへ向かうかは知りませんけど、これも持っていってください。日持ちのするものを詰めておきました。こっそりの出立じゃ、準備もままならなかったと思いますけど?」


 食料品は幾らあっても困らないはずだ。用意の包みを突き出すと、、モンドは悪戯を見つけられた子供のようなバツの悪い顔をしてから、礼を言って受け取った。


「他に何か、わたしたちに出来る事はありますか?」

「ありがとう。もう十分すぎる程だ」

「そうですか」


 自分の返答が思った以上に素っ気なく響いて、アイシャは己の不器用を恥じる。

 モンドとの別れは予感していた。だから何を言うか、何を告げるかは試行錯誤しておいた。だのにその全部は片端からぽろぽろとこぼれ落ちてままならない。

 俯く。

 押し付けがましい事はしたくなかった。未練がましい事もしたくなかった。けれどもう少しだけでも、役に立ちたかった。


「いや──」


 上手く伝えられないその気持ちを汲んだかのように、ふとモンドが口を開いた。


「俺はもう、十分過ぎるほどに報いてもらった。けれどそれでも、もしまだ君たちが俺に何かしてくれるつもりがあるのなら、ひとつだけ頼めるだろうか」

「なんでしょう?」

「何でも言ってくれよ!」


 勢い込む姉弟に淡く微笑み、ガンスリンガーは明けの明星を仰ぐ。


「いつか俺が死んだと聞いたら、その時は一粒だけでいい。俺の為に泣いてくれ。それで俺は笑って逝ける。それだけで俺は、胸を張って一生を誇れる」


 エリオットの頭に手を置いて、モンドはひとつ頷いた。少年が頷き返した。

 片膝を突いてアイシャの手を取り、その甲に口づけた。少女もまた頷いた。どうにか涙は見せなかった。

 それからモンドは帽子を取って一礼し、馬に跨るや拍車を当てた。それきり振り返らなかった。

 その背が遠く小さくなって、やがて夜明けに消えるまで。

 姉弟は並んで、ガンスリンガーを見送った。

 少年は、ただその背に憧れた。

 ああいう背中になりたいと、いつかあの背に認められるような男になりたいと思った。

 そっくり彼を真似て生きるという意味で決してない。自分がするのはしなやかな草の生き方、地に足をつけた、御伽話ではない生き方だ。異なりこそすれ、それは同じように誇らしい生き様のはずだった。

 やがてアイシャの肩が隠しようもなく震え出し、気づいた少年がぎゅっとその手を握った。それは初めて見る姉の泣き顔だった。


 モンドの後を追うように、強く乾いた風が立つ。その強さに目を細めながら、少年は考える。

 姉ちゃんの言葉は正しい。風を捕らえておく事は誰にも出来ない。

 だけど姉ちゃんは、ちょっとだけ勘違いもしてる。

 風は荒野を巡るものだ。巡り巡ってその果てに、同じ風がやって来る事だってきっとある。

 いつかまた吹くその日を思って、エリオットは少しだけ背伸びをした。

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