カラオケ映画
カラオケ映画
「カラオケの画面を25倍すれば映画になる」から出発した映画は30倍の120分で編集された。主題歌が先に作られて、歌詞に合わせてシナリオが作られて、映画のダイジェストでカラオケ画面が作られて、そのカラオケ画像が映画の最後に入り、映画を見ながら何度もBGMでカラオケを聴いた観客と歌手が最後に映画館で大合唱する。
この大計画通り作品は完成したが、4つの要素がそれを拒んだ。
1つ目は、当然の事ながら素人作品が映画の配給システムに入る事が出来ない。
2つ目は、南京副市長が言った「興行目的ではない事」の言葉だ。これは南京政府にとってもプラスに成る事が確認出来れば解決することかも知れないが、不明である。
3つ目がこの2つの問題を乗り越える前にバブルが崩壊して私自身が金銭的に追い詰められた事だ。
4つ目は、バブル崩壊は私だけの問題ではなくて、日本全体に及び、遊びの要素が日本のどこにも残っていなかったのだ。
映画は音楽映画としても類を見ない。歴史に残る映画音楽は沢山有る。特にイタリア映画に突出する物が多い。しかし、この映画ほど音楽は使われていない。ミュージカルは別のジャンルと思う。
さて、私とF氏で編集した音楽無しの作品をレコード会社の社長と作曲家のI先生に見せた。特別にアクションが在る訳でなく、涙が在る訳でなく、特別の恐怖が在る訳でもない。ラブシーンと言えるものもない。まるで出がらしのお茶のような作品を見て、I先生は言いようの無い笑いを浮かべた。
私は暴力、涙、ラブシーンが嫌いだ。私の個性で作られたこの作品は常識からかなり外れていたと思う。
「え?こんなのに音楽を入れるの?」という表情だったと思う。それともやりがいが有ると言う不敵な笑いが含まれていたのだろうか?
私は早送りしながら息を吹き込んで行った。イントロのテーマ、中国のテーマ、ヒロインのテーマ、ヒーローのテーマ、回顧シーンのテーマ、恐怖のテーマ、エンディングのテーマ、などのイメージを口ずさみながら細かく指示をした。そしてそれは、主題歌を補うものである事、ドラマ内の南京師範大学での演奏会に負けない事、何度か流れる主題歌のカラオケに妨げにならない事、等の注文を加えた。
私は完成して受け取ったテープを聴いて大変満足をした。それは音入れする中で感激に変わった。それらの曲は細かい映像の変化に時間を合わせて作曲されていたのだ。
「なあ~んや、大阪にもこんな大作曲家がいるんや」と私は思った。




